学苑紋刀録えんぶれむっ!

巨海えるな

第1話(前)

 ……ガリガリガリガリガリガリ



「お、おいなんの音だ?」


「どっかで工事か?」


「ちょ、やだ……あれ見て……」



ガリガリガリガリガリガリ



「あれ……なに引き摺ってんの」


「もしかして……刀か?」


「あの音からして超重たそうなんだけど……」



ガリガリガリガリガリガリ



「どんな奴があんなでかい刀持ってんだ」


「いや、それが刀身よりも背の低い……」


「あの制服って、もしかして……」


「ということは、アレって……紋刀!?」

――國営機関 帝國紋刀認定所 『士道学苑』


 厚い銅板に深く掘られた明朝体の文字。

 その背丈は、どんな人間も見上げられるように高く据え付けられた。


『士魂(しこん)なきもの、この門をくぐるべからず』


 この門をくぐる者の覚悟を試すように、大きな和紙に力強く書かれた筆文字。

 余程の心得を持つ者が書いたのだろう。

 士道精神を体現するかのような、雄々しい字体。


 銅の看板とは対にある門の柱に、その書が大きく掲げられていた。


 さらに、その門のすぐ背後には大きな鳥居が聳え立ち、


『入苑式』


 とこれまた巨大な看板が掲げられている。

 雄々しく、巨大で、どんな人間をも見下ろす門。


 それを見上げ睨み返す一人の少年がそこにいた。


 ……少年は想う、この門をくぐり先に抜ければ、更に巨大な学苑が待ち、更に更に巨大ななにかが自分を待ち受けるのだと。


 少年は震えた。


 だがそれは恐れや怯えの震えではない。


 士道を志す者ならば誰しも覚える震え。


 ――武者震いである。


 震えを全身で感じながら、少年はゆっくりと一歩……また一歩と歩み始めた。



「えんとーさいさま!」



 聞き馴染みのない言葉を発する少女の声。

 その声が少年の歩みを止めた。

「なんだ!」


 神聖な瞬間を邪魔された少年は、不機嫌に油を塗らず背後にぶん投げた。


「……千代?」


 振り返ったその視界に少女はいない。

 少年はその少女の名を呼ぶが、視界に少女が現れることはなかった。


「こっちですよ、えんとーさいさま!」


「あ?」


 再び正面に向き直ると、さきほどまでいなかったはずの少女が仁王立ちで待ち構えていた。


「……千代。なんでお前がそこにいんだ」


 もう一度この少年を表現する言葉を言おう。


 不機嫌……である。


「何を仰っておられるのですか、えんとーさいさま! 

本日よりわたくし『神楽 煙千代(かぐら ちよ←煙は発音しない)』は、主人である3代目炎灯齊様と共に『大帝國士道学苑』にて、勉学と士道に励むのではないですか! 

お忘れですか? お忘れですか!」


 鼻息を荒くして『えんとーさい』と呼ぶ少年に説くように叫ぶその少女は、可憐とはいいがたいが、幼さの残る小柄な体に長い髪を後ろに束ねてそれを上げている。

 大きな瞳と、大きな口、桜色の頬が彼女に可愛らしさを加味し、はつらつなイメージをこちらに浴びせている。 

 見る者の先入観を裏切らない元気な声で、少年に向かって叫ぶ彼女を見て悪意を持つ者はまずいないであろう。


「あー分かった分かった!

 お前の言うことはいちいち長いんだよ! それに俺が言っているのはそういう意味じゃない。

 お前がここにいる理由じゃなく、“なんで俺より先にこの場にいるんだ?”という意味だ」


 待ってましたと言わんばかりに千代は、太いまゆをVの字にして強気な表情を作ると、「えんとうさい」という少年に対し少しばかり高圧的に言った。


「よくぞお聞きになりました! えんとーさいさま!

 その問いに千代がお答え致します!」


「なんだよ」


 千代は右手を主である「えんとうさい」に人差し指を突きつけると、大見得を切るかのように答えた。

「えんとーさい様は、遅刻なのです!!」


 


「……」


「……」


 ……あ、これは沈黙である。


「遅刻か」


「ええ、大遅刻です!」


「今、入苑式の最中か」


「ええ、最中ですとも!」



「そうか。……それならそうと……」


「……?」


「はよ言わんかああああああああ!!!!」


「えんとーさいさま! どちらへ!? あ~~れぇ~~~!」


 千代の脇を全力のダッシュで駆け抜けてゆく「えんとうさい」。

 それを後生の別れかのように手を伸ばし倒れこむ千代。 

そして、巨大な刀を引き摺るあの音。



ガリガリガリガリガリガリ……


 ~学苑紋刀録 えんぶれむっ!~





     

   

「一、 武士道とは、死ぬことと見つけたり」


『武士道とは死ぬことと見つけたり』


「一、 修羅道とは、倒すことと見つけたり」


『修羅道とは、倒すことと見つけたり』


「一、 士道とは、活かすことと見つけたり」


『士道とは、活かすことと見つけたり』


 大きな武道館である。

 天井が高く、檀上も高い。

 その中央の上座に立つ人間は、余程良い気分で聴衆を眺め見下ろすことが出来るのではないだろうか。

 200余名が整列し、上座の人間の言葉を全員が反芻する。


 その光景は圧巻であり、ある種の美しさをも発していた。

 200名並ぶ大半の生徒は、その瞳をギラギラと輝かせ、檀上に立つその人物を見つめている。


 その眼光の意味は憧れであり、目標でもあり、そしていずれ自分の行く手を遮る敵にもなる男に対する敵意にも似た嫉妬でもあった。


 檀上で、士の心得を詠う男。この男の名は、【百虎】風馬 神雷という。


 日本帝國(ひのもとていこく)、国技である士道というスポーツに於いて、実力と人気ともに備えた国民的スター。

 全ての士道を志す士(さむらい)の頂点に立つ男である。


「あー……ご苦労。そんな感じで気合いと根性で立派な士になってくれ」


 士の心得を詠った神雷は、少し気だるそうに右手の掌をかざすと檀上から降りた。


 彼の人気の理由の一つに、その性格がある。

 強いのにも関わらず、さっぱりとした人柄であり、興味のないものには素っ気ない態度が目立ち、普段はボーっとした雰囲気なのにも関わらず、いざ士道の仕合(試合)になると人が変わったように好戦的になるのだ。

 そのギャップが士道を志す男子だけでなく、女性の心をも鷲掴みにしている、というわけだ。


「えーそれでは、次に学苑長のお言葉を賜ります」


 コート姿にトレードマークのマフラーを翻し、一見すれば妙な出で立ちである神雷。

 彼と入れ替わりに、頭頂がかなり寂しいことになっている学苑長が檀上にあがった。


「学苑長の東 東(ひがし あずま)です。皆さん、初めまして」


 言葉で聞くと違和感はないが、字で読むとかなり違和感のある学苑長の挨拶が始まる。


「まず、皆さん……入苑おめでとう。心から祝福しますよ! 学苑での生活は、厳しいとは思いますが、それだけではありません。ここでは士道のこと以外でも、大切なことを幾つも学ぶことが……」


 学苑長が祝辞を述べている時だった。


 ガリガリガリガリガリガリ


「ん? なんの音でしょう」


 ガリガリガリガリガリガリ


『えんとーさいさま! お待ちください!』


『ええい待てるか! お前、臣下の癖によく俺を放って先に学苑に来られたな!』


 ガリガリガリガリガリガリ

 館内はその近づいてくる妙な音と声にざわつき始めた。


「……どうやら、遅れてきた生徒がいるようですね。皆さん、ここはひとつ彼が到着するまで待ってみようではありませんか。

 こんな重要な日に、大騒ぎで遅刻の出来る……よく言えば“肝の据わった奴”を迎えてみましょう!」


 東学苑長がそう言うと、声と音の近づく扉を全生徒が注目した。


 万が一の時にそなえ、士道の資格を有する教師たち数人がその扉を包囲する。


『なにを申されますかえんとーさいさま! 家臣である私が主であるえんとーさいさまの先にお待ちするのは、至極当然のこと!』


『ええーい! やかましいわ! あれか、あれが会場か!』


 バタン!


「……あり?」


 全生徒と全講師に注目される中、入苑式に到着した「えんとうさい」。

 その一瞬の沈黙ののち、一拍子遅れて千代が入ってきた。


「こ、これは……!」


 その妙な空気に千代も黙る。

 

「……さすが、えんとーさいさま。この千代めは、迂闊でした」


「……は?」


 徐々に状況を理解し始め、冷や汗が出始めた「えんとうさい」は、千代のいう言葉の意味が理解できなかった。だがそれとは逆に千代は爛々とした瞳でもって表情を輝かせてゆく。


「後は、この千代にお任せください! えんとーさいさま!」 

 そう「えんとうさい」にだけ聞こえるように言った千代は、注目を浴びる彼の前に立った。

 そして、一つ大きな深呼吸をすると館内中に跳弾するような大声で……



「さあさあ皆様方、ご注目を!

 ここにいらっしゃいますは、かの名紋刀・炎灯齊を伝承された三代目炎灯齊こと“帆村 エンジ”様であらせられます!

 初代炎灯齊である帆村テイエン、そして伝説の士二代目炎灯齊の帆村センエツの士道史上最強の家系、最高の逸材として生まれたエンジ様は、生まれは如月、九つ目の朝!

 これを奇跡の日として、生涯お仕えをお約束したのがわたくし神楽の煙こと、神楽家八代目の臣下・煙千代であります!

 さあさ、皆様方、皆様方、もっと近うに、近うに寄られてこの三代目炎灯齊様の後光をば……」


「千代!!」


 歌舞伎の大見得のような立ち回りで、三代目炎灯齊……帆村エンジを紹介した千代を制止したのは、誰であろうその本人であるエンジだった。


「なんでございましょうか? これからがいいところ……」


「もう、もう……勘弁してください」


「えんとーさい……さま……?」


 千代は俯いたまま動かないエンジを見て、察した。


(えんとーさいさま……もしかして泣いておられる……?! もしかしてこの千代の見得に感銘を受けられたのでは……。この千代のえんとーさいさまを想った迫真の見得に、それほどまでに千代を想って頂いて……わたしは、わたしは……)


「わたしは幸せです!」

「んごっ」


 千代が勘違いでコーティングした言葉を言い終える前に、エンジの鉄拳が千代の左頬にクリーンヒットした。


「あ、ありがとうございます!」


 何故かお礼をいう千代に、エンジは千代の背後を指差し(見てみろ)と意思表示した。


「うしろ……ですか?」


 ざわつく聴衆と、二人を睨みつける講師達。


「あ……あれれ……」


 今更ながら冷や汗をかき始める千代。桜色の頬はコバルトブルーになっていた。

『君のことはよぉ~~~くわかったよ。“帆村 エンジ”君。これからの活躍がひじょ~~~に! ……楽しみだねぇ』

 学苑長が皮肉たっぷりに二人をからかった。


「あは、あはは……」


 引きつった笑いで固まる二人を、般若の形相で講師が列の最後尾に連れてゆく。

 生徒たちはそれを目で追いつつもひそひそと彼らを笑った。


トゲトゲに立った髪、ギザギザの眉、何かを企んでいそうな笑みを含む口元。

 そしてやや小柄な体格に、なによりもそんな彼の体を軽く凌駕する巨大な刀。

 その日を境に、アッとゆう間にエンジは苑内の有名人になった。




「神雷さん……あの生徒の持っている紋刀……」


「……ええ、“伝承十二本刀”……ですね」


 檀上で学苑長が挨拶の続きを話す袖で、講師と神雷が耳打ちで話していた。

神雷の切れ長の眼が、列の最後尾でヘコむエンジを見つめていた――。

 ――入苑式後・苑内


 苑内・1年校舎のとある教室で、エンジは早速人気者になっていた。

 同じ学びの仲間となる生徒に質問攻めを浴びているが、本人は面倒臭そうにしている。


「すっげー! すっげぇなこれ、これって継紋刀?」


「ああ、まぁな……」


「ねぇねぇ、この紋刀ってどうなってんの」


「さあ……抜いたことねぇから知らねーな」


 エンジの返事に一瞬教室内がどよめく。


「え!? 抜いたことないって、どういうこと?」


「そのまんまの意味だよ。俺はこいつを抜いたことがねぇ」


 エンジの「抜いたことがない」という発言に教室内は更にどよめいた。


「継紋刀で、抜いたことないって……?」



 さて、ここで説明が必要であろう。

 エンジの持つ紋刀と呼ばれる刀は、誰でも持っている刀ではない。

 血族により代々受け継がれていた刀であり、後に登場する刀を抜くための技術『紋句』によって抜刀する。

 この日本帝國では、刀剣を所持するのは違法ではなく、きちんとした申請と許可があれば帯刀することが認められているのだ。

 だが、それにより無防備な国民同士での無益な争い、刀による事件を抑制する為に帝國のシステムにより、抜刀が制限されている。


制限の方法として、『紋句』という絶対的なシステムが存在し、“抜刀するために必要な言葉(紋句)と、所持登録されている刀剣所持者本人の声紋認証システム”を詠唱することでしか抜刀を許されていない。

 

 更に、紋句さえ詠唱すれば誰でも抜刀できるというものではなく、それを所持・保有する条件として指定の指導校にて、指定されたカリキュラムを消化、国家で設定された試験に数回に渡り、全行程を合格、認定資格を取得することでようやく抜刀や所持するための権限を得ることが出来る。

 

 ただし、エンジの持つ紋刀はそんな継紋刀の中でも更に特殊なものではあるが、それについての説明は後述としよう。舞台となっているこの『士道学苑』は、その認定資格を取得する国家指定の訓練校というわけだ。


 さて、教室でエンジが物珍しげに生徒たちに注目されているのは、なにもその大きな刀身だけではない。

 もう一つの理由は、“継紋刀”であるということである。

 紋刀には、2種類あり、“新紋刀”と“継紋刀”がある。


 新紋刀とは、血族によって受け継がれた“継紋刀”を持たない国民が、紋刀を取得できる唯一の機関であるこの士道学苑にてその資格を取得し、新しく“自分だけの紋刀”を作れる制度であり、そのものでもある。


 士道学苑に入苑希望する大半がこの新紋刀が目的であり、継紋刀を取得している生徒は実に全体の3分の1ほどにとどまる。


 新紋刀を目指すものとして、継紋刀を持っているのはある種羨望の的でもある。

 

 そういった背景もあり、継紋刀を持つエンジは注目されているのだ。


 そして、もう一つ知っておいてもらいたいことがある。

 抜刀条件である『紋句』は、新紋刀を目指すものに関しては好きな言葉を任意に設定できるが(例:「抜刀しろ」「刀を抜くぜ」など抜刀意思が込められた言葉が一般的)、継紋刀に関しては最初にその紋刀を手にした士が設定した紋句を代々血族で継いでゆくため、変更が出来ない。


 つまり、ここでエンジが生徒たちからおかしな目で見られているのは、『継紋刀を持っているのに、何故抜刀したことがないのか』という疑問からきているのである。


「継紋刀所持者ってさ、学苑に入苑するときに“抜刀紋句を伝承していること”が絶対的な条件だって聞いたんだけど……」


 一人の生徒が他の生徒たちの疑問を代弁した。


「知るか」


「えー! 知るかって、抜刀も出来ない奴とこれから一緒にやるのかよ!」


 疑問の次は不満が飛び出した。初日から注目されるというのは、いいことばかりではないようだ。


「別に俺と一緒にやるのが嫌ならやらなくていいんじゃねぇのか。俺は俺で勝手にやる」


「抜刀出来ないってことは、紋句知らないってこと? それとも紋刀自体に問題があるってこと?」


「っちゅうかどっちも問題じゃなーい? そのどっちだとしても学苑になにしにきたんだって感じぃ」


 イライライライラ


 おや、なにか聞こえはしまいか?

 どうやら、音の主はエンジからのようだ。


「ぼぼ、僕なんてお母さんの反対を押し切ってまで士道と紋刀を教えてもらいにきたのに、きき、キミみたいないい加減なのがいるとモチベーション下がるよ」

プチン


「だあああああああっっっっっっっ! ぅぅうううるせぇぇぇえええ!!」


「うわー炎灯齊が暴れたぞー!」


 教室内で炎灯齊を振り回して暴れるエンジ。

 あたりを取り巻いていた生徒たちは雲の子を散らすようにわーわーキャーキャーと悲鳴を上げながらエンジから離れた。


「あーそうだよ! 俺は来たくてこんな学校に来たんじゃねぇ!

 お前ら知ってるか? この炎灯齊はなぁ、“伝承十二本刀”なんだよ!!

 国が“伝承を持つ家系は士道学苑受講が義務”ってんだよ!

 残念ながら俺は一人っ子だ! 悪いか!」


 ギャーやキャー、うわーにひぃーといった色とりどりの悲鳴を上げながら生徒たちは右往左往と逃げ惑う。


「そう。だから、彼の入苑は<特例>扱いになっている」


「うおっ!?」


 乱暴に暴れまわっていた炎灯齊が次の瞬間、ピタリと止まった。そして、エンジの振り回す炎灯齊を片手で受け止めたその人影は、エンジの代わりに解答した。


「百虎だ」


「風馬神雷よ……」


「うわぁー本物だ!」


 炎灯齊を片手で止められ、動かせないでいるエンジは神雷からなんとか炎灯齊を離そうと押したり引いたりした。

 だが、炎灯齊はビクともしなかった。


「てんっめぇ~、離せよ!」


「ん、ああ、すまない」


 エンジが動かない炎灯齊を全力で引いたと同時に、神雷は手を離した。

 不意に制御する力を失った炎灯齊はエンジと一緒に教室の机と椅子へと吹き飛ぶ。


「わあっ!」


 エンジが吹き飛んだタイミングで、ジュースを両手に抱えた金髪の少年が教室に入ってきた。なにが起こったのかは理解出来ない金髪の少年だったが、目の前に飛んできたエンジに手を貸そうと駆け寄る。


「大丈夫? つかまって」


「あ、ああ、すまねぇ」


 エンジはその少年の手を掴み立ち上がる。

 そして、少年は次に倒れた炎灯齊を持ち上げようと手をかけた。


「んっ! ……な、なんだこれ」


 だが、彼が取ろうとした巨大な紋刀・炎灯齊はびくともしない。


「ああ、丁度いい。お前たちも見ておけ……そこのお前、彼を手伝ってやれ」


 騒然とする生徒の中から適当に一人を指差し、金髪の少年の手伝いをするように指示した。


「え、刀を拾うのに手伝いって」


「いいからやってみろ」


「はい……んしょ、あ、あれ」

「なんだ二人でも無理なのか、じゃあお前も手伝ってやれ」


「は、はい」


 さらにもう一人生徒を手伝わせ、ようやく炎灯齊を起こすことができた。

 その光景に生徒たちは言葉一つ発することはなくただ静かに見守るしかできなかったのだ。


「もうわかるだろう。そういうことだ」


 生徒たちの目の前でエンジは、軽々と炎灯齊をひったくった。


「生徒3人がかりでやっと起こすことの出来る重さの、巨大な刀をこいつは鞘ごとではあるが簡単に振り回す。紋句を知らないことは問題なのかもしれないが、実力としては申し分ないとは思えないか」


 神雷のその問いに誰も答えられる者はいない。


「……まさか、こうも伝承使いが入苑するとはね。何年振りかな、同じ伝承使いとして歓迎するよ。三代目炎灯齊くん」

 神雷はそういうとエンジに握手を求めた。

 

 強がりからか、それを無視するエンジ。


「そうか。……それもいい」


 出した手を納めると、神雷は教壇に立った。


「僕も実は伝承使いでね。みんなよろしく」


 教室にいた生徒の大半が(なにが実はだ!)と心の中で叫んだ。

 国民的スターである士、風馬神雷が伝承使いであるということは、彼を知る誰もが知ったことであったからだ。


「そういうわけでみんなよろしく。中には僕を知っている人もいるだろうけど、プロ士道の士をやっている風馬神雷だ。

 基本的にいつも忙しいので滅多に学苑には来られないが、毎年入苑式には来るようにしている。だから次に俺が来るときに、誰もリタイアしていないことを切に願うよ」


 神雷は全員が席につくのを待って次の言葉を言おうとしている。


「……なにしてる? 早く席について」


 神雷の視界に、一人うろうろとしている先ほどの金髪の少年が入った。


「あ、あの……僕の席がなくて」


「ん、おかしいな。生徒の数だけ用意していると聞いたが」


「す、すみません」


「しょうがないな、じゃあすまないが立っておくか」


「はい、……わかりました」

『ガタッ』


 神雷と金髪の少年のやり取りの途中で、一際大きな音が教室に響いた。


 全員がその音に注目する。その音の主はエンジだった。

 エンジは椅子を横に浅く座ると、少し余分に空いたスペースを指差して金髪の少年に言った。


「おい金髪、お前ここに座れ」


「え、でも」


「座れ!」


「う、うん……」


 一つの席にぎゅうぎゅうと狭そうに座る男子二人。


 その妙な光景に、誰もが声を殺して笑った。


 だが、その中で周囲の笑いとは明らかに種類の違う微笑みを浮かべていたのは、笑われている当事者である金髪の少年だった。彼が浮かべた笑みは喜びを含んだ優しい笑み。


「あ、ありがとう……僕、北川ハーレイって言うんだ。よろしく」


「ああ、俺は帆村エンジ。こっちこそ、さっきはサンキュな」


 エンジもニッカリと笑うとハーレイの肩を叩く。

 窓の外の茂みに、一組の机と椅子が捨てられていたことはもっと後になってから、清掃員が知ることとなる。

「んっだァァアアア!」


 入苑説明後の小休憩、とある教室の隅で男の暑苦しい雄叫びがこだました。

 その声を追ってみると、長い髪をカチューシャで留めた細見の男がやかましくがなっていた。


「ちょ、小太郎さん! 落ち着いてください!」


 今にも暴れだしそうに荒れている男を抑える何人かの生徒。

 そのどれもがパッとしない印象なので、余計に小太郎と呼ばれた男の端正な顔立ちが際立つ。


「くぉれが落ち着いてられっかァァア!」


 小太郎を抑える生徒を吹っ飛ばすと、刀を床にゴン、と音を鳴らして突き立てた。

 四股立ちで膝に掌を乗せ、肩で息をする小太郎は相当憤っているらしいことは、誰の目から見てもとれた。


「ぅ俺の名を言ってみろォ!」


「ケ、ケン……あ、いや、燕塾八代目頭首・佐々木小太郎様です!」


「違ァう!」


 小太郎は答えた生徒……いや、子分の頭を鞘のままの刀でこづいた。「ギャ」と短い悲鳴を上げ、子分は変な格好で倒れた。

「そォいうこと言ってんじゃねーんだ! 俺はな……」


 気絶して横たわる子分の背中に足を乗せて小太郎は言う。


「天下無双の大剣豪(予定)、佐々木小太郎なんだよ! 家の名前なんぞどーだっていい!」


 その様を大勢の生徒たちが注目していた。小太郎の手に握られた刀は紋刀・燕尾閃。

 佐々木家の家銘・燕塾頭首に代々伝承されてきた超長尺の業物である。


 つまり、すごく長いのだ。


「この“物干し竿”を持つこの俺サマよりも目立ったあいつぁなんだ!?」


 小太郎は燕尾閃を“物干し竿”と呼ぶ。自分の名があの有名な剣豪と似ているから勝手にそう呼んでいる。


「三代目炎灯齊、帆村エンジだそうで……」


 えっへっへ、と他の子分がゴマをすりすりしながら寄ってきた。


 ゴチン!


 ……予想通り一名様ご案内である。


「名前じゃねェんだ、あいつァ何様だって言ってんだ! 俺は俺サマだが、あいつは何様だァ!?」


 

 どうやら小太郎の怒りは、入苑式でエンジが目立っていたことが原因らしい。


「伝承使いだァ? 知るか! 俺よりエラい奴ァ、俺サマだけなんだよ!」



(なに言ってんだ……あいつ)


(燕塾の若頭って、頭悪そう)


(物干し竿だって……ダサくね?)


 残念ながら小太郎の地獄耳にはそれらのひそひそ話は全て聞こえていた。


「んだらァァァアアア!!!」


 そして暴走。


「わー! 先生呼べー!」


 入苑説明は、振り分けられたクラスごとに、各教室で行われる。

 入苑式と違い、入苑全生徒を一堂に集める形式ではなく、教室ごとに教師が振り分けられて説明が行われるのだ。



 この日の日程は、入苑式⇒入苑説明(三時限を消費)⇒解散となる。


 現在は、一度目の入苑説明が終了したところなので、あと二時間、時間の拘束があるということになる。


 エンジと千代は別のクラスに振り分けられた、先ほどの神雷との悶着を千代は知らなかったのである。


「なんですってぇ~~え!」


 そういう訳であるから、当然千代はこう叫ぶというわけだ。


「あんだよ、うるせーな。お前は自分の教室に行っとけよ」


「そういう訳にはいきません! この千代、臣下としてえんとーさいさまのお傍にいないということは如何なものでしょうか!

 苑則という絶対的なルールがこの施設内に敷かれている以上、千代はそれを守らなければいけません。不本意ながら他の教室での勉学に苦汁を噛みしめ我慢しようと決めておりましたが……。

 そのような無礼を働く不届き者がいるのならばやはりこのわたくしめも……」

「千代」


「はっ!」


「お前、うるさい」


「はひゃっ!」


「こんなもんはただの世間話の延長だろうが。噂になって耳に入れるより直接話してやっただけだ」


「……なんと勿体ないお言葉、この千代、感動いたしました! えんとーさいさまはいつも千代の一歩先を見据えておられます」


 と千代は泣いた。


「あのぅ……」


 そんな二人の掛け合いに、居づらそうに声をかけるのはハーレイだった。よくよく見ると、休憩時間にも関わらず一つの椅子にまだ二人で腰を掛けている。

 窓際に座るエンジと通路側に居る千代に挟まれ、居心地が悪いようだ。


「ん、ああ悪い」


「えんとーさいさま、そちらのお方は?」


「ああ、北川ハーレイってんだ」


「……北川ハーレイ様? ですか」


「俺の友達だよ」

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