第11話 第二の人生

 グローはあれからユミトの家で暮らし始めて2年が経ち、アトマンでの二度目の春を迎えた。地下だと季節の変化に気づきにくいが、地上に出ると、チューリップラーレが咲いており、改めて春なんだと感じさせられる。

 彼はユミトの家で暮らすことが決まってから、その後ユミトの家に家族として迎えられ、ユミトの父親が彼の足枷を金具で外してくれた。

 「よし、これで外れたな。どうだ?少し楽になっただろ。」

 グローは今まで当たり前に付いていた足枷がなくなったため、元に戻ったというより、違和感が先行する。だが、とても解放された気分になった。今まで縛られていた足が軽快に動く。だが、何故かまだ足の鈍い重みが消えない。

 「…ありがとうございます。」

 グローが微笑を浮かべながらお礼を言うと、ユミトの母親がすかさず、

 「これからは家族なんだから、そんな他人行儀な言葉はダメよ。」

 と注意をしてくる。

 だが、グローにとって、母親はユミトの母親であって、そんな馴れ馴れしく接することなど考えられなかった。

 「…はい。分かりました。」

 「ほら、もう、また。」

 そんな不毛なやり取りが何度も続き、それを傍目で父親がおかしそうに笑う。

 とりあえず、グローは一人の人間として、そして家族として生きていくことになった。



 彼は家事の手伝い、アトマン語や常識などの勉強、父親の鍛冶の手伝い、自己防衛としての剣技の練習、たまに散策や礼拝などをルーティンにして生活していた。

 まず、起きて、料理や掃除などの家事をすることから彼の1日が始まる。

 彼がいつもの様に、灰と布を用いて皿洗いをしていると、母親がネチネチと叱ってくる。

 「こら、この皿まだ汚れがついているじゃない。もっと丁寧に洗いなさい。」

 グローはほんの少しだけ面倒くさいなと思いつつも、皿を丁寧に洗い直す。

 最初こそ「すみません!」と謝り、丁寧に洗い直していた、初々しいというか他人行儀な彼の姿はもはやここにはいない。

 だが、その二人のやり取りはまるで本物の親子の様に見える。

 そのグローの面倒くさいなという気持ちが、彼の表情から伝わったのか、母親はむくれたように頬を膨らませる。

 「全くあなたのためを想って言ってるのよ。」

 出た。親の常套句だ。しばしば、親という生き物は不都合なことがあれば、いつもそう言う。子どもはそれを聞いて、自分のためだろと心の中で反論する。だが、それも仕方ないのかもしれない。親も同じ人間なのだから。

 しかし、場合によるが、親は本当に子どものためを想って忠告するときも多い。だが、子どもがそれに気づかないこともまた多い。そして、グローもまたこの時は気づいていなかった。ある意味、本当の息子らしかった。



 グローは、料理だとアトマンの家庭料理なら大分覚えてきた。ケバブKebap、ブドウの葉のドルマDolma(詰め物)、パトゥルジャンPatlıcanサラタスSalatası(茄子のペースト)、パン、キョフテKöfte(ミートボール)など。最初は作るのも、味になれるのも大変だったが、今ではもう体に馴染んでいる。

 家事が終われば、アトマン語を勉強し、この国の常識について教わった。統治体制や経済、地理、四則計算、文化など。

 アトマン語は、日常の会話表現から始まり、単語などを教わった。例えば、「Merhabaこんにちは(メルハバ)」。「Teşekkür ederimありがとう (テシェッキュル エデリム)」。「Ne kadar?いくらですか (ネ カダル?)」など。

 常識に関しては、この国は、ドワーフのアトマン人以外にも、遊牧民のエルバ人、山岳民族のカードゥ人Kurdu、隣国のアシーナ帝国からの移民アシーナ人も多くいる。そして、アトマン皇帝はその3つの民族に自治を与えている。それ以外にも、この国はかなり豊かなため、他の民族もいるという。現に母親のアンナAnnaもガッリア人だし。この国は、民族にそこまで縛りは無く、実力があれば上に昇りつめられるという。さらに、すごいのが宗教も自由で、ドワーフの信仰する狼神以外の宗教も許されている。これをミッレト制という。一見様々な民族に優しい寛容的に見えるが、問題点も存在する。たまに、ドワーフ以外の民族の独立運動も起きるらしい。高度な自由には、責任と調和が必要なんだと学ばされる。高すぎる自由の先は、幸福とは限らない。混沌かもしれない。しかし、その何もわからない中で人はもがき、自由を手に入れようとするのだろう。一生答えが出ない問題だ。

 経済に関しては、前に推測した通り、武具や生活道具、装飾品などの工芸品が主要産業として支えられている。その高質な特産品を求め、世界から商人が買いに求めてくる。だから、地上のバザールが賑わっているとのことだ。他にも、これらはユミトにかなり教わったが、貨幣制度についても教わり、その経済関連で計算も教わった。

 他にも、この国では文学や詩が有名なことも軽く教えてもらった。グローの人生を変えた『奴隷物語』もそのうちの一つだ。

 勉強が終われば、父親の鍛冶を手伝い、剣を何本か作ったこともある。金床の上で、暑さに耐えながら、剣を叩き延ばし、鍛錬していく。言葉では簡単なようで、かなり難しい。

 「ど、どうかな?」

 グローは打った剣を父親に渡し、伺うように顔を覗く。

 「微妙…。」

 父親の言葉がグローの心に重くのしかかる。父親はおしゃべりな母親と違って、口数が少なく、その分出てくる言葉が重い。

 グローは心の中で浮かび上がってきた悔しさを、剣の鍛錬へぶつける。こんな感じで、何度も父親にダメ出しをくらい、何回も鍛錬していった。

 そして、その後は素振りから始まり、構えや剣の振り方なども教わった。

 ドワーフの伝統の剣技は体の重心にあるようだ。ドワーフは他の種族に比べて筋肉質で、それに比例するかのように体重も重い。さらに、普通よりも大剣を使うことでより重さを増す。その重さを利用した重い剣技のようだ。

 基本的な構えは、顔を真っ直ぐに向けながら、体を斜めに傾け、剣先を下に向ける。そして、斬りかかるときに、後ろ足にかけていた重心を前足に傾け、体をねじり、下から上にかけて斜めに斬る。これがドワーフの伝統的な剣技のようだ。

 だが、ドワーフほどの筋肉質でない人間のグローは、まず筋肉をつけなければならない。だから、彼は素振りを欠かさずした結果、体が以前に比べてガッシリしてきた。しかし、それでもドワーフほどの筋肉は勿論付かないので、使う剣は大剣ではない。

 たまに両親に連れられて、礼拝堂に行くこともあった。ユミトの両親はしばしば灰色の狼の偶像に礼拝していた。ドワーフはこの狼の神を信仰している。神話によると、この灰色狼がドワーフの母であり、その狼と子孫の古代の人々が洞窟に住み、鉄工の専門家となったと言われている。その古代の人々の末裔が今のドワーフのアトマン人に当たるという。

 だからか、このアトマン帝国では狼や犬がとても愛されている。ここでは、犬や狼を許可無く殺生及び狩猟した場合、重罪となるくらいだ。

 グローはこんな生活を繰り返し、もうこの生活や人生が当たり前になってきた。



 彼は今日もいつも通りの生活をし、父親と一緒に鍛冶をしていた。無心で剣を叩くのに集中していると、父親が何かを話しかけてきた。

 「え、何ですか。」

 集中していて、よく聞こえなかった彼は、もう一回聞き直してみた。

 「いや、お前は他の世界を見てみたいんじゃないか。」

 彼はドキッとした。父親のその見透かしたような目から目線を逸らす。

 「いや、そんなわけないよ。ここは安全で、外は怖いから。」

 一瞬ユミトの顔が思い浮かんだが、すぐにグローはかき消し、自分にそう言い聞かせた。

 彼は足に鈍い重みを感じた。

 「そうか。お前はユミトに似ていると思ったんだがな。」

 父親は一言そう言い残し、一旦鍛冶場を離れた。グローの心に重い鎖を残していった。

 しばらく彼は父親の言っていたことを想い返し、夜も眠れなかった。ユミトやその家族はどうしてほしいのだろうか。そんなことを何回も考えるうちに、次第に視界が狭まり、気絶するように眠った。その夢の中で、彼は昔のユミトとの別れを思い出した。その中で、「お前は世界を旅してみろ」という言葉を思い出した。それと、ユミトの話に目を輝かせて聞く彼の姿も思い出した。これは、ユミトが言っていた言葉だが、紛れもなくグロー自身の思いだ。誰かがこうしてほしいじゃなく、自分がどうしたいかが重要だと再認識させられた。そして、彼の目標が明確に浮かび上がってきた。

 ―俺は世界を旅したい。

 彼は翌日の朝起きると、両親に告げることにした。

 「すみません、やっぱり自分は世界を旅してみたい。ユミトにもそう約束しているから。」

 母親はそれを聞いて、一瞬驚くが、すぐに悲しそうな顔に変わる。

 「そうなのね。私はダメな母親ね。全員の子どもに自分の考えを押し付けてしまって。」

 しかし、グローはすかさず訂正する。

 「いや、そんなことないよ。お母さんのせいでは。ただ、居心地が良かったんだ。」

 これは言い訳ではない。彼の本心だった。本当の家のようで、暖かかった。しかし、彼は見てみたかった、この世界を。

 母親は悲しそうな顔から、朗らかな表情に変わった、

 「そう。あなたも他の世界を見てみたいのね。ユミトに似ているわ。」

 彼は両親に同じことを言われ、驚いた。そんなに似ているかなと少し不思議がる。

 「でも、子どもがそんなこと言うなら、応援しなきゃね。でも、いつでも帰ってきていいからね。」

 彼は両親の励ましに心が温かくなった。

 それから数日間、グローは旅の準備をした。

 両親は彼に、金貨4枚と銀貨10枚のお金と剣と日持ちする食べ物をくれた。そして、一番の愛をくれた。

 「本当にありがとう。またいずれ帰ってくるから。」

 彼の手を両親は掴み、ただひたすら「ええ」と一言呟く。

 少しの間、見つめ終わった後、彼は手を放し、玄関のドアへ向かう。家の扉を開き、「行ってきます」とただ一言を残し、家を出ていった。後ろに顔を向けなかった。彼はこの顔を家族に見せるのは恥ずかしかった。彼は服の袖で目を拭った。

 彼の足の鈍い重みはいつの間にか消え去っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る