第8話 友人の知人
グローたちは、先ほどの男性の家を目指して、住宅街の道を歩いていた。いや、舟で渡っていた。
グローはこの光景を見るまでは信じられなかったが、普通の道路がなく、代わりに水の道ができている。なので、道を渡るのに、徒歩か舟で移動するしかなかった。グローと商人の男性は体調不良の二人をそれぞれ抱えているので、舟に乗ることにした。男性は、船頭に駄賃を渡し、舟を漕いでもらった。ゆっくりと彼の家へ向かった。
グローはユミトの言ってたことは本当だったんだと分かった。水の道を実際に見るまで信じられなかった。
櫂を使って、舟がゆっくりと運河を進む。その漕いだ時の揺れに揺られながら、街をぼうっと眺めていた。シンプルなチュニック型の衣服を身にまとう男女があちらこちらで話したり、働いている。エンジェル帝国のような荘厳さはないが、市場が賑わってて街にとても活気がある。
街の賑やかさとは裏腹にグローたちの周りだけ静かになっている。ここだけまるで違う空間にあるようだ。グローはその男性のことも知らないため、しばらくの間長い沈黙の時間が続いた。少しの気まずさに彼は下を向くと、自分の足元の鎖が目に入った。改めて自分が奴隷のことに気づかされる。
あの男性はどう思っているのだろうか。厄介ごとだなと思っているのかもしれない。
グローは途端に自信が無くなり、どんどん体が丸まっていく。
そして、彼は、先ほど道行く人が助けに来てくれなかった真意に気づいた。
―そうか、さっき奇異な目で見られていたのは、俺たちが逃亡奴隷だと思われていたからなのか。いや、実際逃亡奴隷なんだけども。今は、彼といるから、この人のモノだと思われているんだろう。
奴隷の逃亡や匿いは重罪に当たる。それを恐れて、みんな近づいてこなかったのだろう。グローはようやく本当の先ほどの周りの態度の理由が分かった。
そして、長い沈黙を止めたのは、その男性の方だった。
「あえて君たちのことは聞かない。けど、ユミトさんの顔に免じて、君たちをひとまずは信用しておく。だから、堂々とした方がいい。どんな身分でも気品と威厳は失ってはいけない。」
「え、あ、はい。」
グローはいきなり声をかけられたため、、少し背がしゃんとした。だが、信用されているという言葉を聞き、彼は少し安堵した。
男性は続けざまに話しかけてきた。
「そういえば、君エンジェル語を話してたけど、君たちエンジェルから来たの。」
グローは少し動揺してしまう。今男性に言われて、初めて“エンジェル語を話している”ことに気づいた。ここでは、きっとエンジェル語が話されていないのだろう。グローはここの言語を知らない。二人を助けようと頭がいっぱいで普通にエンジェル語を話してしまっていた。そこから、彼はさっきの人たちにそもそも言葉が通じていなかったことに気づいた。
グローは、動揺を悟られないように、すぐに話を振り、誤魔化した。
「ええ、まあ。逆に、あなたはなぜエンジェル語を話せたんですか。」
「俺は、商人だからエンジェル帝国と貿易をするときがあるからね。一応話せるんだよ。」
「なるほど。それなら、話せるのも納得です。」
徐々に話が広がってきた。グローはこの人についても、この場所についても何も知らないため、色々情報を引き出すことにした。
「あのー、あなたのお名前は?」
「俺はロレンツォだ。ここが出身のウェネプト人だ。」
ウェネプト人の見た目は、グローやエンジェル人と同様に白い肌だが、目や髪が黒茶で少し違いが窺える。
「俺はグローです。エンジェル帝国に住んでいました。」
グローとロレンツォは自己紹介を終えた後、握手を交わす。
「ロレンツォさんは、どういった経緯でユミトと知り合ったんですか。」
「俺は、数年前に商人を始めたが、中々ビジネスがうまくいかず、負債を少し抱えてしまったときに、ユミトさんに出会い、商業のノウハウを教えてもらったんだ。そこからビジネスがうまくいき、ユミトさんには感謝しかない。」
もはや奇跡としか言えなかった。もし、グローがロレンツォと出会ってなかったら。ユミトがロレンツォを助けなかったら。グローがユミトに出会ってなかったら、この現実は起きなかっただろう。
「でも、いくらユミトへ恩を感じていたとしても、見ず知らずの俺たちを普通助けますか。」
グローは苦笑いしながら、伺うように頭を低めてロレンツォの顔を覗いた。
「商人は信頼が大事でな。自分に恩義のある、もしくは利益があると見込める相手との関係性は大事にするんだよ。勿論、ユミトさんは恩があるっていう意味でもそうだけど、すごい商人だったから、あの人との関係性は大事にしたいんだよ。」
ロレンツォは軽く笑いながら、そう答えた。
そのことを聞いてグローは、何とも言えない気持ちになった。なにせ、肝心のユミトは今はもう…。だが、グローは喉まで出かかった言葉を唾と一緒に飲み込んだ。
グローは話の話題を変えるように、この場所について聞いた。
「そういえば、ここについてあまり知らなくて、教えてもらってもいいですか。」
ロレンツォは急に話題が切り替わり、少しの違和感を抱いたかもしれない。彼は少し首をかしげている。だが、それでもグローの質問に答えてくれた。
「ここは
グローは神聖エストライヒ帝国内と聞いて、少し不安になる。
ロレンツォはグローの焦りようを見て、何かを察したようだ。彼は舟を漕いでいる船頭に話しかける。
「なあ、船頭さん、このウェネプティアは本当に良い街だよね。」
「ん?ああ、そうだな。」
「船頭さんはこのウェネプティアがなんで良い街か分かる?」
「そうだなー。水の都で観光地として有名だから。海運業で栄えているから。あとは、自由だからかな。」
「そうだね。このウェネプティアはミラント同盟に属しているから、神聖エストライヒ帝国から多少の自治権があって、自由だよな。それこそ、帝国の命令を遵守しなくても良かった事例もあったよね。」
「確かに、そんなことあったかもな。」
ロレンツォはそこまで船頭と話をすると、こちらをチラリと見て、近寄り、こそっと耳打ちする。
「そういうことだよ。それに、神聖エストライヒ帝国エンジェル帝国は仲が悪いから、エンジェル帝国で何かあったとしても、関係ないと思うよ。まあ、単なる俺の独り言だから気にしないで。」
どうやらグローは気負いしすぎてたようだ。エンジェル語を話している彼だったから、ロレンツォは助けてもいいと判断したんだろう。グローはそのことを聞けて、少し安堵する。
舟が水の道を大分進むと、グローはふと気になることをロレンツォに尋ねてみた。
「このウェネプティアとか、ミラント同盟ってそもそも何ですか。」
「ウェネプティアは元々ただの
平原の田舎育ちのグローからしたら、すごいということは分かるが、いまいち想像がつかない。
「へえ、そうなんですね。」
グローは返事が適当になってしまった。
「あれ、でも、街中見ていると、工業も盛んな気がしますけど。」
街を少し見てみると、所々で鍛冶を行っているのが見える。
「よくわかったな。ここでは特許法があって、有用な発明の権利が保護されるから、優秀な技術者が集まるんだ。他にも、株の権利も保護されるから、ギルドも多い。だから、工業とかが発展しているんだ。他にも毛織物とかも主要産業だな。」
このウェネプティアのことを話しているとき、ロレンツォはとても生き生きしている。ここが本当に好きなのだろう。
「すごいですね。だから、こんなに街が栄えているんですね。」
「そうそう。このウェネプティア以外の都市国家も結構栄えているんだ。そのこの地域一帯の都市国家同士で構成されるのが、ミラント同盟なんだ。だから、この同盟に属する都市国家は自治権やいくつかの特権を有している。」
「すごいな。」
グローは純粋に感動し、シンプルすぎる言葉しか出てこなかった。このミラント同盟は軍事力じゃなく、経済力という力で自治を獲得している。それが、戦争嫌いなグローにとって、とても魅力的に思えた。
そんな話をしているうちに、ロレンツォの家近くに着いた。舟を降りると、ロレンツォは先導して、家までグローたちを案内した。ロレンツォの家に着くと、ロレンツォは持っていた鍵で扉を開け、家の中に入った。ロレンツォが家の中のソファを指さす。
「そこにソファが二つあるから、そこに二人を横たえていいよ。」
「ありがとうございます。」
グローは二人をソファに横にすると、安心したからか、疲れがどっと来た。眠気がすごくて、瞼が重い。
「君も疲れたんだろう。ゆっくり休みな。」
「は…」
グローは返事もろくにできず、そのまま床に気絶するように寝た。
しばらくし、目を覚ますと、ほのかな良い香りが鼻に伝う。香りがする場所をチラッと見ると、ロレンツォが料理をしていた。
グローは寝起きの目を擦り、体を伸ばす。体を起き上がらせ、ロレンツォの近くへ擦り寄った。
「おー、起きたか。よっぽど疲れていたのか、9時間くらい寝てたぞ。」
「え、そんなに寝てたんですか。」
確かに家に入る前は昼頃だったのに、窓を覗くともう真っ暗になっている。しかし、グローは久々にゆっくり眠れたからか、とても体が快適な感じがする。航海してたときは方向を調整するのに、そんなに深くは眠れなかったからだろう。エンジェル帝国にいたころもそんなに寝れなかっただろうが。
ロレンツォは料理を作り終わり、スープとパンを皿によそっている。スープを手渡される。人参や玉ねぎなどの野菜スープだ。グローの冷えた体にこの温かいスープは身に染みる。
例の二人には、壊血病を治すのに、ロレンツォが柑橘類のジュースを持ってきてくれた。グローはその時、ようやくユミトの伝言の意味が分かった。船旅では壊血病予防に柑橘類の摂取が必要だったということを。そして、同時にユミトの少しの性格の悪さも実感した。もし、二人の体調を案じていれば、最後の瞬間に彼に二人にも食べるよう伝言を残すこともできたはずだ。だが、多分逃亡を邪魔した二人への仕返しで伝えなかったのかもしれない。グローは、ユミトが自分を屈折していて、純粋じゃないと言っていた言葉の真意が今になってようやく分かった。
やはりグローはユミトのことを全部知っているわけではないと改めて思う。二人には申し訳ないと思いつつも、彼はユミトの人間っぽさを感じ、くすりと笑った。
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