第7話 こうかいじゃなくて、希望

 帆に風がなびき、その風に乗ってかもめが飛んでいく。風が吹くたびに、グローのボサボサの髪が揺れる。グローは奴隷生活が長すぎるがゆえに、伸びきってしまった髪を鬱陶しく感じている。彼は赤く長い髪を後ろで束ねると、視界が広くなる。青空から差してくる光がとても眩しく、彼は手で太陽を隠す。不思議と以前より太陽が眩しく感じる。

 彼の目が徐々に眩しさに慣れてきたとき、彼は辺りの海一面を見まわした。

 「これが海か…。」

 グローは海に感動して、まじまじと海を見ている。彼は、今まで海を見たことが無いわけじゃない。遠目で見たことはあった。だが、彼には、今までのと全く別の顔をした海を見た気がした。



 船が風や海流に乗せられて、どんどん進んでいく。

 ユミトが言うには、アトマン帝国はこのエンジェル帝国から、だいぶ南に位置するらしい。そこで、エンジェル帝国のすぐ南に川を境に陸続きに接している神聖エストライヒ帝国神聖HeiligesエストライヒÖstreich帝国Reichという国に一回寄るのも考えたが、彼らは奴隷で追われている身の上に、金は持ってないため、ここは頼りのあるアトマン帝国に直接行くしか方法がなかった。だから、この国の周りを回って、行くしかない。それには、南西の方向を定める必要がある。しかし、航海士はいないため、別の何かで方角を定めるしかない。

 グローはユミトが教えてくれたことを必死に思いめぐらす。

 ―そうだ。あれは、冬のある日の仕事終わりの時だった。



 グローは炭鉱の仕事を終えた後、トイレへ行こうと茂みのある方へ向かう。

 だが、当時は冬の夜で、辺りが暗闇に染まり、何も見えなかった。トイレをするまでは良かったが、馬小屋へ帰るまで何も見えず、グローは迷ってしまった。普段目印にしていた木がちょうど伐採されたのもあり、余計に迷ってしまった。

 彼は暗い茂みの中を掻き分け、ひたすら前に進むが、中々馬小屋が見えない。彼の心は徐々に不安でいっぱいになり、その心と連動しているかのように、空はより暗く、不気味になる。夜は迷うことだけでなく、魔物や野生動物に襲われる危険性もある。

 彼が不安に襲われ、行き詰っていると、徐々に前方から飛んでいる火の玉が近づいてくる。

 ―鬼火だ!

 彼はその不気味な火の玉を恐れ、反対の方へ逃げようとする。しかし、後ろを向いた瞬間、鬼火の方から聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 「おーい!グロー、遅いから迎えに来たぞー。」

 ユミトが松明を持ち、こちらに向かってきていた。鬼火と思っていたものは、単なる松明の炎だった。

 グローは自分で勝手に怖がっていたのが恥ずかしくなり、頬を赤らめ、そっぽを向く。

 ユミトはグローの許まで駆けつける。

 「ん?なんで目を合わせないんだ。」

 「なんでもねえよ。」

 ユミトはグローの態度を見て、ははーんと何かを察する。

 「お前、さてはビビってたな?」

 グローは気づかれたことにドキッとし、体が反射的に飛びのける。

 「そんなわけねえよ!」

 グローはあからさまな反応をする。ユミトはグローの反応を見て、軽く笑う。

 それからグローはユミトに誘導されながら、馬小屋へと向かった。その道中に、ユミトが後学として、今回みたいに迷った時の対処法を教えてくれた。

 「道に迷ったときは、空を見るんだよ。勿論、木だったり、他の目印も大事だが、方角がわからなくなるときがある。」

 「空?」

 グローがユミトに聞き返すと、ユミトはそうだと頷く。

 「例えば、昼だったら太陽が目印になるな。太陽は東から南を通って西へと向かう。つまり、太陽が落ちかけている方向が西だとわかる。」

 「じゃ、何も見えない夜はどうするんだ?」

 「その時は、北極星を見つければいいんだ。」

 「北極星ってなんだ?」

 グローは知らない単語が出てきて、ユミトに聞き返す。

 「北極星は北にある星で、基本的に動かないんだ。ほら、星って時間が経つにつれて動くだろう。だが、北極星は動かないから、それを目印に北の方角がわかるんだ。」

 「でも、星なんて全部同じようにしか見えないよ。」

 グローのその子どもっぽい意見でも、ユミトは馬鹿にせず、同調してくれた。

 「そうだな。ほとんど同じに見えるよな。でも、星って実は他の星と一緒に固まって動いているんだよ。それを昔の人は記録して、発見したわけだ。それが星座ってやつだな。」

 グローはなるほどなとユミトの話に感心する。

 「で、さっき言った北極星を見つけるのに手掛かりになるのが、北斗七星ってやつだ。北斗七星は七つの大きな星があって、柄杓の形になっている。さらに、柄杓の先の二つの星の距離を5倍延長すると、北極星が見つけられるんだ。まあ、最初は見つけるのが大変だから、星の動きをよく観察することだな。」

 グローはその時は、まだそこまで全部理解できたわけではなかったので、ほおと頷くだけだった。

 そして、そうこうしているうちに、馬小屋へ着いた。



 グローはその時のことを思い出す。ユミトが以前天体を軽く教えてくれたから、それをもとに方向を見定めることにした。

 グローは空を見て、太陽の位置を確認する。今夕日が向こう側に沈んでいるため、あちらが西だと目星をつける。ここから半回転させた方向が北であるため、夜にはこの方向で北極星を探すことにした。

 辺りが暗くなり、夜が段々と訪れる。グローは空を見渡し、北極星を探し始めた。ユミトの教えてくれたことを基に、北極星の周辺の北斗七星をまず探す。

 グローは暗い夜空を見まわし、必死に七つの星を探す。しばらく、見渡していると、北斗七星らしき星を見つける。ユミト曰く、柄杓の先の二つの星の距離を5倍延長すると、北極星が見つけられたような気がした。グローは指で間隔を数え、5倍の長さを測ると、北極星らしき星を見つける。あの北極星の真反対が南のため、後ろの北極星をチラチラ見ながら、帆の向きを南西にずらしておく。昼間は太陽を目印に、夜は北極星を目印に調整していくことにした。

 グローは一人で必死に船の進行を調整していると、後ろからいびきが聞こえてきた。あの付いてきた男たちのものだ。

 グローは、向こうで熟睡している二人にも手伝ってほしいよと呆れながらそう思った。

 彼は、昼は太陽を目印に、夜は北極星を目印に帆の向きをずらして、船の向きを調整しながら進行していく。来る日も来る日もそのルーティンを続けた。

 とりあえず、進行方向の不安はほんの少し消えたが、彼の中で他にも不安の種はまだある。食糧問題だ。船にある食料袋を見て、目的地まで持つか少し不安だ。しかも一緒に乗り込んだ二人は遠慮を知らず、彼らは干し肉と白パンを食って、グローは残り物の硬い黒パンと酸っぱい柑橘類を食べている。グローにとって、空腹感は奴隷時代から付き物だし、奴隷時代の食事に比べれば、全然マシな食事だ。だが、勝手に良い物を食べている二人を見れば、彼だっていい気はしない。

 でも、彼は文句を言うつもりはなかった。実は、この船までの細道で、ユミトになるべく柑橘類を食べろと伝言を貰っていた。理由は教えてもらってないが。でも、遠慮しない二人を見ていると腹が立つので、グローはあまり二人を見ず、代わりに海と空の景色ばかりを見ることにした。

 ただ、数週間もそんな生活を繰り返していたころ、彼には限界が来ていた。海、海、その次も海、ずっと海。最初こそ彼は海を見たとき感動したが、さすがに何日も同じ景色で気が狂いそうになる。果たして目的地に着くのか、そもそもそれまで食料や水は持つのか、彼の中で不安がちらつくが、彼は見て見ぬふりをした。

 そんな不安とともにさらなる日数が過ぎたころ、食料も尽きかけてきた。でも、食料よりも二人の様子の方が気がかりだった。二人はぐったりとして、とても具合が悪そうだった。

 とりあえず近場の陸地に行きたいが、まだ陸地が見えてこない。彼はまだかまだかと焦燥に駆られる。何度も見渡していると、遠くの方に陸地がぼんやりと見えてきた。とりあえずそこに向かうしかない。

 徐々に細長い半島のような陸地がはっきりと見えてきた。さらに近づいてみると、船が何隻も付いている港が見えてきた。船は港にそのまま直進し、彼はスピードを緩めるため帆を少し巻き上げる。岸に船が着くと、すぐに彼は一人ずつ抱えて陸地に降り立った。二人が楽になるように横にし、道行く人に助けを求めた。

 「すみません、この人たちが具合悪そうなんです。助けてもらえませんか。」

 グローは道行く人に助けを求めるが、興味本位で見るもののみんな助けようとはしてくれない。

 だが、それも当然かもしれない。助ける義理もなければ、見た目から金も持ってないことが分かるような彼らを助ける利益もない。

 グローはもうこの二人を諦めかけようとしたとき、一人の細身の成人男性が近づいてくる。

 「こりゃ、壊血病だな。まだ深刻化していないから、何日か栄養取れば、助かるかもしれない。」

 その話しかけてきた男性にグローはすかさず助けを求める。

 「医者なんですか。助けてください。」

 男性は頭をポリポリと搔き、ちょっと苦笑いを顔に浮かべた。

 「いやあ、医者ではないんだけどね。でも、俺も商人でさ、船乗りの病気には少し精通しているんだよ。まあ、助けれなくはないけど、素性の知れぬ人を助けるのはなあ。」

 グローは咄嗟に商人と聞いて、ダメ元で元商人の名前を出した。

 「えっと、俺、一応ユミトっていう元商人の知り合いなんだけど…」

 そのユミトの名前を聞いた瞬間、男性は少し驚き、グローの話に食いついてきた。

 「え、君、ユミトさんの知り合いなのかい。」

 男性が予想よりも食いついてきたことに驚いたが、グローはこれを使うしかなかった。

 「ええ、まあ、今もユミトに教えられた目的地に向かっているのですが。」

 「そうだったのか。いやあ、ユミトさんの知り合いだったとは。あっちに俺の家があるから、そこでその二人の手当てをしよう。」

 向こうに見える住宅街を指さしながら、

 「ありがとうございます。」

 グローはその商人の男性に付いていきながら、その家に向かうことにした。

 どうなるか分からない不安の中で一抹の希望が少し見えた気がした。

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