第6話 別れは始まり
グローは突然の出来事に呆然としていた。だが、そんなことしている場合じゃないと自分の尻をひっぱたくように、ユミトの許へ駆けつけた。彼は最後の兵士に警戒していると、そんな心配はとうにいらなかった。ユミトが相討ちで顔面に拳を入れていた。最後の兵士は立ったまま死んでいた。
「くんなって…いったろ」
ユミトは微かな今にも消えそうな声でそう言ってきた。
グローはユミトの言うことを無視して、出血をできるだけ抑えるために、剣が抜けないように、ゆっくりと横たわらせた。彼の手は真っ赤に染まる。だが、先ほどまでの動揺は見られない。今はそんなことを考えている場合じゃないと、ユミトの心配の方が勝っているのだろう。
「…なあ」
ユミトは微かな声でグローに語り掛けてくる。グローはもうよせ、何もするなと首を振るが、ユミトはそれが目に入らないかのように、ひたすら語り掛けてくる。
「実は今まで言ってなかったんだが、俺は最初お前のこと信用していなかったんだ。」
ユミトは少し笑いながらそう言った。グローにとって思ってもいないことを言われ、呆然としてしまう。
「な、なんで。」
「だって、お前以外の奴隷は他の奴らには興味もない。自分のことで精いっぱいだからな。それに、普通は外の世界のことなんか聞きたくないもんだぜ。自分が惨めに思えてくる。だけど、お前は綺麗なまっすぐな目で、訊いてくる。お前は変わってるよ。」
ユミトに言われて、初めて確かにそうかもしれないとグローは気づく。
「じゃ、なんで、教えてくれたんだ。」
ユミトは少し一息ついて、
「さあな、気まぐれだ。…いつに似ているのもあるかもな。」
ユミトが最後濁すように、ごにょごにょと呟く。
「え?ごめん、最後聞こえなかった。」
グローが聞き返すと、ユミトは頬を赤らめ、そっぽを向く。
「な、なんでもねえよ。」
ユミトは照れ隠しか分からないが、すぐに話題を切り替える。
「あと、お前勘違いしていたが、俺の歳は30代だぞ。」
その言葉を聞いた瞬間、グローは驚きすぎて、数秒固まってしまった。
「え、だって、その髭からてっきり40代かと」
ユミトの鼻下と顎には立派な長い髭があり、貫録を感じさせる。
ユミトはやっぱりなと鼻で少し笑いながら、
「お前は知らないが、ドワーフは体質的に髭が他の種族より濃くなってしまうんだよ。それに、奴隷の立場だから髭が剃れなくて、余計髭が伸びっぱなしになってしまうんだよ。」
ユミトがそう言うと、グローはなぜか無性にクスリと笑ってしまいそうになる。前まで、髭の濃さからてっきり40代だと思っていたのに予想より若いことと、その髭の濃さを必死に弁明している様が面白かく感じた。さっきまでグローの中にあった悲しさが、単なる髭による面白さに打ち消されてしまった。
そこからは、まるで死に際だとは思えないくらいに、二人の会話が弾んでいった。後ろの船から、早くしろと聞こえる雑音をグローは聞こえないふりをした。
「ユミトがあんなに強いなんて知らなかった。」
「ん、ああ、一応親父に鍛えさせられた時があってな。元々、ドワーフは他の種族より筋力が強いんだ。だから、少し戦えるだけだよ。」
「そうだったのか。」
グローにとって、ユミトについての新たな事実が次々と発覚する。
―今思い返すと、意外とユミト自体について、話を聞いたことは少なかったかもしれない。
もっとユミトについて知りたかった、そんなやり場のない後悔がグローの心に突き刺さる。
ユミトは死ぬ前にここぞとばかりか、気分がハイになっているのかわからないが、まだ話したことのなかった色んな話を次々としてきた。
そうするうちに、あ、そういえばと何かを思い出したように、ユミトはグローに伝えてきた。
「そういや、お前にこの船の行き先を教えてなかったな。このエンジェル帝国の南に俺の故郷のアトマン帝国があるだろ。その中のハットゥシャという街の俺の家を訪ねるといい。良くしてくれるはずだ。」
「わかった。」
ユミトはグローの返事を聞いた後、ずっと喋っていたため、一呼吸置き、再度語り掛ける。
「あと、お前は世界を旅してみろ。お前は外を見た方がいい。」
「…わかった。」
「それと…」
ユミトが次の言葉を吐き出そうとすると、ゴホゴホと咳こみ、血反吐が出てしまう。顔色も余計に青白くなり、体も冷たくなっていく。
ユミトは最後の力を振り絞って、伝言を残す。
「…その、もし俺の家族に会ったら、すまなかった、指輪をありがとうって伝えてくれないか。」
「あ、ああ、言っておく。」
いまいちユミトの言っていることが分かっていなかったが、グローは一応返事する。
それを聞いて、ユミトは少し安心したようだ。だが、まだ何か言いたげなことがあるのか、少しの間を空けて、口を開けた。
「あと、…お、おと…う…」
ユミトの意識はもう朦朧としており、目も半開きで呂律が回らなくなっていた。ユミトの目にはもう光が失われ、ピクリとも動かなくなった。最後の言葉が聞けなくて残念だったが、グローはユミトの瞼を閉じ、別れることにした。
「ユミト、じゃあな。」
最後の会話がしんみりとしたものじゃなく、楽しく弾んだ会話だったからか、グローは引きずることなく、別れの言葉を口にすることができた。
グローはユミトから踵を返し、船に向かって走っていった。彼が船に乗ると、もう二人の奴隷がおっせえよと文句を言ってくる。とりあえず、もう船を出そうと準備をしていると、最初に通った細道から少しずつ、足音が徐々に聞こえてくる。
他の兵士が近づいてきているかもしれない。グローは焦りながら、先ほどの兵士が持っていた剣を手に取り、船が流されないように留めるロープを切っていく。だが、さすがにロープが太いため、なかなか切るのに時間がかかる。
そうするうちに、先ほどの細道から少数の兵士の姿が見えてくる。あちらもこっちの姿に気づいたのか、こちらに向かって走ってきた。
「おい、お前ら、何しているんだ!早くそこから降りろ!」
―まずい、早く切らなければ。
「おい、早く切れよ!」
後ろの奴隷も急かしてくる。
グローの焦りが手元にも出てきている。彼は震える手で、持っている剣で必死にロープを切ろうとする。すると、徐々にロープはブチブチっと音が鳴っていき、ようやくロープを切り終わった。
船は波に揺られ、風に乗り、どんどん進んでいく。
「…まれ。……れ。」
大声で怒鳴っている兵士がどんどん小さくなっていく。声も風の音にかき消されていく。
兵士だけでなく、先ほどまでいた陸地もどんどん離れていく。
「…じゃあな。」
ポツリと呟くが、グローの声も風にかき消されていく。
吹き風に乗せられた潮の香りがグローの鼻腔を通っていく。潮臭い。だが、それとは別の潮臭さを目からも感じる。
グローはぼやけた視界で陸地が見えなくなるまで、ずっとずっと眺めていた。
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