第20話 抱えられる限界

 グローはそれから、意識が朧げになりながら、帰り道を辿った。彼の視界はぼやけて、頭もぼうっとする。口はポカンと開き、まるで魂が口から抜けてしまったようだった。

 彼は重い足取りで街中を歩いていると、前方からパカパカという音がしてくる。その音は次第に大きくなり、ふと前を見ると、馬車が走っていた。

 グローは危険を察知し、咄嗟に横に避ける。その弾みで、濡れた地面で足を滑らせ、転んでしまう。手にはかすり傷ができ、服はびしょ濡れになってしまった。

 「危ねえだろ!気をつけやがれ!」

と先ほどの馬車から怒鳴られる。

 グローは、自分自身がとても惨めに感じた。

 ―そうか。これは彼女の怒りと悲しみが帰って来たのか。

 彼は濡れた地面に倒れ込んだままいると、

 「おい、どうした。びしょびしょだな。早く中入れ。」

と声が聞こえる。顔を上げ、その声の源を辿ると、馬車に乗っているヴォルティモだった。

 ヴォルティモはグローの肩を担ぎ、馬車の中に入れた。

 「早く拭いた方がいいぞ。」

 ヴォルティモはそう言い、彼に布を渡してくれた。

 しかし、グローはだんまりして、渡された布も手に取らない。

 すると、それを見て、ヴォルティモはふうと溜息をつき、持っている布で強引にグローの頭をわしゃわしゃと拭く。ヴォルティモの拭き方は雑で、グローは若干痛かったが、ほんの少しの温もりを感じた。

 「…ヴォルティモ、痛い。」

 「我慢しろ。風邪ひくよりましだ。」

 少しの間、沈黙の時間が流れる。ヴォルティモは黙々とグローの頭を拭いている。そして、その沈黙の時間が数分過ぎた後、

 「…どうした?なんかあったのか。」

とヴォルティモはグローに尋ねてきた。

 グローは言おうか言うまいか心の中で葛藤し、口を噤む。

 「何かあるなら話した方がいいぞ。楽になるかもしれんぞ。」

 その聞き覚えのある言葉を聞き、グローは口からポロポロと自身の悲しみが零れ出た。彼は小さくか細い声で彼女とのことを話した。

 「俺はソフィアを助けたくて、アドバイスをしていたが、彼女にとってそれは苦痛だったんだ。俺は彼女の気持ちなど気にも留めず、ただただ自分の理想というか正論をぶつけていたんだ。俺は単なる自分勝手だったんだ。自分が苦労していたときの気持ちさえも忘れて…。」

 ヴォルティモはそれを聞くが、悲しむでもなく、怒りでもなく、ただ「そうか」とあっけらかんとした表情で聞いていた。

 「なるほどな。でも、それは俺らが悩んでも仕方ないな。」

 「え?」

 グローは、一瞬ヴォルティモの言っていることが理解できず、聞き直した。もはや今までの話を聞いていたかと尋ねたいぐらいだった。

 だが、すぐにそのヴォルティモの言葉の真意がわかった。

 「だって、俺らじゃどうしようもないもん。確かに、その女性のいう事はとても分かる。グローにも非はあるだろう。でも、それはそれ、これはこれ。俺らじゃどうしようもない。俺らが今考えたところで何も変わらない。俺らができることは、皆が幸せになるような方法を研究することと困っている人の話を聞いてただ寄り添うだけだな。」

 ―確かにそうだ。ヴォルティモの言うことに納得できる。でも、それは怠慢ではないのかとも思える。だって、人は助け合うべき生き物だ。しかし、こういった考えもただの自己満足で偽善なのかもしれない。

 グローがそのもやもやを抱えていることを察したのか、ヴォルティモは続けてこう言ってきた。

 「まあ、普通は困っている人がいたら助けるべきだろうな。それは正しい。しかし、全ての人は救えない。それは思い上がり過ぎだ。それはこの国の制度を作った領主か、はたまたこの世界を作った神様の仕事だ。俺らは領主でも神様でもないからな。」

 ヴォルティモにそう言われると、グローは確かに思い上がり過ぎていたのかもと思えてきた。だが、スケールが大きい話なのもあって、完全には納得いってなかった。

 そこで、ヴォルティモは実際の話を用いて、より具体的に説明してくれた。

 「昔話をしよう。昔ここから遠い東の地で、大飢饉が起きた。民衆は為すすべなく、飢えてどんどん死んでいった。しかし、その地を訪れた仏教の遊行僧が見かねて、自分がこの身を捧げようと地中奥深くの石室に自身を閉じ込め、埋めさせたという。これをの地では即身成仏というのだが、その生きた姿のまま仏になるということだ。お前からしたら考えられないかもしれないが、場所によってはあったんだよ。まあ、話を戻すが、結局飢饉は収まらず、その地は全滅したという。誰も救われてないんだ。人の苦悩を一身に受けようと思っても抱えきれないんだ。仏教では生老病死の四つの苦しみがあるという。自分なりに必死に生きることは大事だが、死や老いは必ず来る。それを恐れて逃げてもどうしようもない。時には仕方ないと受け入れることも大事なんだ。」

 最初こそ納得いっていなかったが、この例え話も聞くと、納得せざるをえない。グローは、自分が苦しんできたからこそ、人の苦悩を一身に受け入れようとしていた。だが、それはもはや傲慢だったのだ。仕方ないと思うことも大事なんだ。ヴォルティモの話を聞き、彼はそう思えた。

 ヴォルティモは、先ほどの話に付け加えるかのように、冗談めいた口調で言ってきた。

 「そうそう、あと、お前が領主になって皆が暮らしやすい社会を創ることだな。」

 グローは、そんなことができればしたいけど、それは現実的じゃないとその冗談を軽く笑い、受け流した。

 グローは、ヴォルティモのおかげで少し元気がでてきた。

 ―俺は俺のできることをしよう。

 彼はそう意気込むと、決意がみなぎる。

 彼はふとヴォルティモはこの数日間何をしていたのか気になった。

 「そういえば、お前は数日間どこ行っていたんだ。」

 彼の質問に、ヴォルティモは答えてくれた。

 「マーニー教の信者のところに行って、話を聞いてた。」

 グローにとって知らない単語が出てきた。

 「マーニー教ってなんだ。」

 「マーニー教は、ザラスシュトラ教を母体にルークス教や仏教を取り入れた混合宗教なんだけど、仏教徒の俺としては少し気になっていたんだよね。」

 その知らない単語を聞くと、余計分からなくなった。一を聞けば、複雑な十が返ってきた感じだ。

 「へえ、そうなんだ。」

 彼の興味のなさが声にそのまま表れ、空返事になっていた。いや、正確には全く理解ができなかった。そのことがヴォルティモには伝わったのだろう。

 「ま、まあ、またいずれ話すことになるさ。」

 ヴォルティモはそこでマーニー教について話すのを止めた。

 グローはヴォルティモとしばらく話をしていたら、いつの間にか雨は止んでいた。代わりに、眩しい日差しが彼らを照らしていた。

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