第16話 峠越え

 ウィンドボナに重く暗い空気がのしかかる。最近起きた魔物の襲来が原因だろう。村が全滅していないとはいえ、作物や木材などの物価は上がり、そして何よりも民衆の不安を煽るのは容易いことだ。

 街の男性陣は酒で現実から逃避し、女性陣は噂話をひたすらし続けている。時には、神に助けを求めるように、教会に入り浸っている人もいる。

 グローたちはこの空気の居心地の悪さから逃げるように、ウィンドボナを出る準備をした。

 ウィンドボナを出る前に、一度馬車から降りて、次の目的地であるミラント同盟の盟主ミラントの街への経路と方向を確認する。ヴォルティモは、ミラント同盟都市周辺は行ったことがないようだ。今までは道を知っている人に案内してもらったり、道路が分かりやすく整備されているところを走っていたので、一回経路の確認が必要だった。

 「このウィンドボナからミラントまでの近道ってあるの?」

 グローがヴォルティモに安直に尋ねる。

 「俺が知っている限り、ここから直線でミラント同盟都市に行くってなると、アルペンAlpen山脈を越えなきゃいけないが、軽々しく登ろうと思わない方がいい。この山脈の中の高い山々の頂上は雪が降り積もっているくらいなんだ。死者も多く出ているからな。」

 彼はヴォルティモに強めに警告され、後ずさりする。

 「じ、じゃあ、どう行く方がいいの。」

 グローは、ヴォルティモの顔を覗くように尋ねてみると、

 「多分、このアルペン山脈を迂回した方がいいな。ここからこの山脈の外を回りながら、ミラントに向かおう。」

 彼らがその方針で決定すると、そのことを聞いていたのか、突然一人の青年が彼らに声かけてきた。

 「あんたら、ミラントに行きたいのか?よければ案内しようか?実は近道があるんだ。」

 ヴォルティモは食い気味に、

「それは助かる。ぜひお願いしたい。」

 青年は頷き、快く受け入れてくれた。

「了解!ザンクト・ゴットハルト峠に橋があって、そこの橋を渡れば、ここから直進で安全にミラントに着けるよ。」

「ほう。それは知らなかったな。」

 ヴォルティモは興味津々に経路の詳細を聞いている。多分、移動民族だけあって、旅や地理が好きなのだろう。

 グローたちは経路をある程度聞いたら、登山の準備をした。

 彼らはザンクト・ゴットハルト峠越えに備え、ウール製のローブを防寒対策として買い、着ることにした。あと、本当は山を登るのにロバの方が良いが、ヴォルティモの大切な家族を手放すわけにはいかない。この馬車のまま移動することにした。先ほどの案内してくれる青年に馬車で通れる道があるか尋ねると、ちょうど一本あるそうだ。

 彼らは先ほどの青年に案内してもらい、ザンクト・ゴットハルト峠まで安全な山道を歩いた。その青年は、とても歩き慣れているように、山道をスイスイと歩いている。こんな高山なのに、息切れもあまりしていない。

 ヴォルティモは歩いてきた道を見て、

 「しかし、アルペン山脈でも馬車で行ける道があったとは。」

 「確かに。穴場なのかもね。」

 人気が無いのもそういう理由なのだろう。

 グローは歩きながら山の風景を眺める。その山の標高の高さに圧倒される。しかし、これでもアルペン山脈の中では低い方だった。

 「ちなみに、アルペン山脈の中で最も高い山って何ていう山なの。」

 「モンブラン山だよ。ガッリアとミラント同盟地域の境目にある。ガッリア語でモン (Mont) は山、ブラン (Blanc) は白を意味していて、あまりの標高の高さに山一面雪だから、白い山モンブランと名付けられたんだ。」

 ―なるほど。確かにエンジェル語でも、mount(山)とblank(空白)っていう意味があるからな。それと同じ感じか。

 段々標高が高くなるにつれて寒くなり、彼らはローブを深く被る。手がかじかみ、吐息を手に当てるように吐くと、息が白く見える。彼らは寒さに唇を震わせながら、目的地の橋を目指した。

しばらく進むと、例のザンクト・ゴットハルト峠の橋に辿り着いた。その橋の先は山が掘られ、トンネル状になっている。多分このトンネルを潜れば、ミラントに辿り着くのだろう。橋の下には、山の頂上にある氷河が雪解け、川となり流れている。ただ、グローは、小さな掘っ立て小屋があるのが気になった。

 青年は橋を指さし、

 「ここは別名悪魔の橋と呼ばれていて、盗賊とかも現れるから気をつけてな。」

 さらっと怖いことを言ってくる。グローはキョロキョロと周りを見渡しながら、橋に近づくと、革の防具とナイフや剣を身に付けた目つきの悪い男4人が、行く手を塞いできた。

 「この橋は俺ら専用なのでね。通りたければ、金になりそうな物を置いてきな。」

 その言葉を聞き、奴らが何者なのか察した。盗賊だ。

 前にはその4人の盗賊が、後ろには回り込んだ案内人が行く手を塞いでいた。

 「なるほど…。」

 ヴォルティモはそうポツリと呟き、冷や汗を流す。

 元から彼らを騙していたようだ。

 グローたちはその盗賊らに周りを囲まれ、ジリジリと追い詰められていた。盗賊の一人が、剣を大振りでヴォルティモに襲い掛かる。だが、ヴォルティモは錫杖で相手の胸を突き飛ばし、距離を取る。正直戦力さは悪くないが、如何せん人数が多いから今とてもまずい状況だった。

 そのとき、対峙している全員に大きな影が覆いかぶさり、その影の元に目線をやると、巨大な人型の生物が立っている。彼らは時が止まったように、身体が固まっている。その巨大な生物は肌が白く、ボサボサの髭と髪が生えており、頭上には苔が生えている。だが、それよりも目に入るのは、成人男性三人分を縦に並べたくらいの身長と大きい体の幅だ。

 トロールだ。

 トロールは、その髪の毛の下から白い目を覗かせる。目が合うと、トロールは野太い声で雄叫びを上げた。彼らはその雄叫びにビリビリと体が痺れ、すっかり怯んでしまった。その巨躯の圧倒さに一人の盗賊が悲鳴を上げ、逃亡しようと背中を見せてしまう。トロールはその盗賊を大きな手で掴み、岩壁に思いっきり叩きつける。その投げつけられた盗賊は、ドシャっと嫌な音をたて、崩れ落ちた。

 その瞬間、彼らは殺されるという恐怖と同時に、戦わなければならないという焦りを感じる。彼らは剣などの武器を構え、トロールと対峙する。

 盗賊がトロールから目を離さないように振り返らず、グローたちに大声で話しかけてきた。

 「おい、今はとりあえず休戦だ。今はこいつをどうにかするぞ。」

 調子のいいこと言いやがってとグローは内心腹立ったが、今はそっちに怒りをぶつけている場合では無かった。

 「まあ、そういうことにしといてやるよ。」

 彼らがそんなやり取りをするが、勿論魔物のトロールは待ってくれない。トロールは彼らの立っている地面に向かって、握りしめた拳を振り下ろそうとする。

 「上から来るぞ!」

 盗賊たちはリーダーのような人のその掛け声に反応し、横に移動する。グローたちもそれに続き、横に避ける。グローは、盗賊がただのごろつきだと思っていたら、意外と統率がとれているので、驚いた。

 トロールは、盗賊のリーダーに向かって、拳を真っ直ぐに伸ばし、殴りかかってきた。その拳を盗賊のリーダーが剣で受け流す。

 正面から受け止めると、衝撃をもろに受け、剣も折れてしまう。それを体勢を斜めにし、受け流すことで、衝撃を半減させ、攻撃のタイミングも掴めるようにしている。グローは敵ながら、その高度な戦闘に感心する。

 「今だ!攻撃を仕掛けろ!」

 リーダーがそう言うと、他の盗賊メンバーはトロールに向かって走り、懐に入り込み、モモ脹脛ふくらはぎに剣で斬りつける。

 「お前らもボーっとしてないで、早く攻撃をしろ!」

 盗賊のリーダーに怒鳴られ、焦るようにグローたちもトロールに近づき、攻撃をした。

 トロールは彼らの攻撃を妨害するかのように、今度は近くのやつに向かって殴りかかってきた。トロールに殴られた盗賊の一人は、剣で受け身を取るが、吹っ飛ばされる。だが、幸い怪我のみで済んでいた。トロールは次にグローに殴りかかる。

 一瞬怯み、怖気づいてしまうが、覚悟を決めて、じっとトロールを見つめる。怖がらずに、目を離すな、良く見ろと覚悟を決める。自分にそう言い聞かせ、トロールの攻撃から目を逸らさなかった。

 トロールは体が大きく力も強いが、行動速度が遅いため、行動を見切れば避けれるかもしれない。

 グローは先ほどのリーダーの受け身を見よう見まねで真似してみた。体勢を斜めにし、トロールの拳に沿うように、受け流す。さすがに、リーダーのようにはいかず、トロールの拳が掠り、少し衝撃を受ける。だが、ある程度上手くいった。

 盗賊のリーダーは少し感心したようにグローを見つめる。

 グローは受け身から体勢を整え、走ってトロールの後ろに回る。そして、剣をアキレス腱に突き刺す。

 トロールは悲鳴を上げ、膝から崩れ落ちる。先ほどまで高い位置にあった頭と上半身が、攻撃できる位置にある。

 「今です!攻撃してください!」

 盗賊のリーダーは頷き、

 「よし、よくやった。」

 盗賊たちはトロールに近づき、腹に剣を突き刺した。そして、盗賊のリーダーがトロールの首を叩ききった。トロールの首は吹っ飛び、そのまま体も倒れこんだ。

トロールの死体は塵となり、骨だけが残る。

 グローたちはそれを見て、トロールを倒せたのだと確信し、その場に座り込む。

 彼らはとりあえず、峠を越えたようだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る