第24話 祈りは届かず
グローはここ数週間、アシーナ帝国の教会に通いつめ、祈り続けている。
彼は今日もいつものように、長椅子に座り、指を交差させて祈りを捧げる。その中で、彼は目を瞑り、ロレンツォたちを回想する。
ロレンツォに会ったあの後、彼らはウェネプティアを出て、ブレダペシュトまで来た道を辿り、途中で休憩を入れながら進んだ。途中の村や街では、数週間前まで見張っていた兵士が、嘘のようにいなくなっている。だが、兵士だけでなく、一般の人もやけに少なく、閑散としている。寧ろ、兵士がいた頃より不気味さがより一層感じられる。
グローたちはミラントまで辿り着くと、彼らの耳に不穏な噂が流れ込んできた。それは、神聖エストライヒ帝国にエンジェル帝国が攻めてきたという内容だった。
街の市民はザワザワとそのことについて、話し合っていた。
「マジかよ…。また戦争が起きちまったよ。」
「今、国境付近のルーアンやカレーの街に、エンジェル軍が侵攻しているらしいな。でも、今回も例年みたく、小競り合いで済むんじゃないか?」
「だとしてもよー。物価も税金も上がったりじゃ、こっちもやってらんねえぜ…。」
グローは、その人たちの話を聞いている限り、どうやらこの国はエンジェル帝国との戦争をそこまで深刻には考えていないのかもしれないと思った。勿論税金など彼らにとって重要な問題であるが、それ以上のこととはどうやら捉えていないようだった。
「この国は、よくエンジェル帝国と戦争しているのか?」
グローはヴォルティモに質問すると、
「ああ、そうだな。神聖エストライヒ帝国はエンジェル帝国と昔から仲悪くて、小競り合いはしょっちゅうあったな。」
とヴォルティモはあっさり答える。
グローはそのことを聞き、そこまで重大な問題ではなかったのかと少し胸のつかえが取れる。だが、彼はまだ完全に安心はできないため、情報収集のため、酒場を訪れた。ヴォルティモは宗教上酒が禁止なので、彼一人で来た。酒場を見回すと、やはりどこもその噂で持ち切りだ。彼は話に混ぜてくれそうなグループを探し、優しそうな顔をした三人グループに入れてもらえるか聞いてみた。
「失礼、お楽しみのところ申し訳ない。ちょっと話に混ぜてもらえないか。」
最初は怪訝そうな顔をしていた三人だったが、彼が銅貨を数枚彼らに渡すと、快く話に混ぜてくれた。
「数週間前に、エンジェル帝国の軍が国境を越え、攻め込んできたとのことだ。動機としては、神聖エストライヒ皇帝の後継者に皇子がいないため、母が同家であることを理由に、帝位継承権を要求したことから始まったという。」
「ずいぶんこじつけだな。」
「まあ、戦争なんてそんなもんさ。建前と体裁が必要なんだよ。」
三人は文句を言うような口調で、今回の戦争について話している。だが、肝心の勝敗や安全性については話に出てこないため、グローはそのことについて質問してみた。
「ち、ちなみに、今回の戦争って、その…。神聖エストライヒ帝国が危なくなるとかは、可能性として無いのですか?」
彼が、言いづらそうにごにょごにょと口ごもりながら尋ねると、その場の三人はジッと彼の方を見ている。グローは、その三人の目がまるで「何を言っているんだ」と圧をかけているように感じ、冷や汗がドバドバと流れてくる。
しかし、少しの沈黙の後、三人はワハハと大笑いをする。一人の青年が笑うのを止め、目に浮かべた涙を指ですくい、グローにその真意を伝える。
「いやいや、それは無いよ。確かに、神聖エストライヒ帝国は若干内政で苦労しているとはいえ、腐ってもかなりの大国だ。エンジェル帝国が、少し干渉して終わると考えていい。今はガッリア公国軍が交戦して、抑え込んでいるらしい。」
グローは、笑われたことが少し癪に感じたが、とりあえずそのことを聞き、安心した。
彼は三人にお礼を言い、酒場を出て、ヴォルティモの許へ戻った。
彼はヴォルティモに、先ほど聞いたことを話すと、
「まあ、その人たちの言うように、今回も多分大丈夫だと思うよ。」
とヴォルティモも心配してなさそうに答える。
グローは心配して損したなと思うと、先ほどまでの緊張感が解け、どっと疲れが一気に来た。彼は疲れからか、馬車の中に入ると、すぐに眠りについた。ヴォルティモは、グローに寝冷えしないよう布を掛け、自身もそこで眠りについた。
翌朝、彼らはミラントの街で食糧などを調達し、また道を進めることにした。ミラントからウィンドボナ、グラーツへと進んだ。
グローたちは、グラーツの街に着くと、違和感を覚える。街の人たちは皆せかせかと荷物を船や馬車に載せ、家族総出で街を出ていく人を多く見かける。
グローは何か良くない虫の知らせを感じ、危機感を募らせる。彼は道行く人を捕まえて、何が起きているか尋ねた。
「何があったんですか?」
その尋ねた男性も焦り、急いでいたので、イライラしながら荒げた声で教えてくれた。
「何もこうも、エンジェル帝国との戦争がまずいんだよ。」
男性は焦っているのか、言葉がごちゃごちゃしていたが、グローにはしっかり伝わった。戦争の状況が悪化したようだ。
「今どんな状況なんですか?」
グローが聞こうとした質問を、ヴォルティモが割り込むように男性に尋ねる。ヴォルティモは、いつもの小競り合い程度にしか捉えていなかったので、グローより焦っているようだ。彼は、男性の急ぎ具合などには目もくれず、続けざまに聞いた。
「この国は大丈夫なんですか?」
尋ねた男性は、彼のしつこさに観念したのか、溜息をついた後、話してくれた。
「戦況が、途中からガラリと変わったらしい。反皇帝派のプルッツェン騎士団領とキャスティーリャ大司教領がクーデターを起こしたとのことだ。中立派のミラント同盟と親皇帝派のガッリア公国は協力をしているらしいが、かなり窮地に立たされているらしい。今は、エンジェル帝国軍をガッリアとミラント同盟の連合軍が交戦し、プルッツェンとキャスティーリャの連合軍をエストライヒ軍が交戦している状況だ。さらに、不運なことに、最近まで魔物の討伐や警備にも兵を割いていたため、余計に不利になっているようだ。」
ヴォルティモはそのことを聞くと、手を顎に当て、何かを考え込んでいるようだ。彼の口から小声でブツブツとした言葉が聞こえてくる。
「…くら反皇帝派とはいえ、…かしい。…に滅ぼされてしまえば、その地位も名誉も真っ新になり、自分にも不利に働く…だ。そんなの愚かな行為だ。一領主が行う行為ではない。何かおかしい。」
グローも何かおかしいと心の中で思う。まるで、裏で何か陰謀が渦巻いているようだとも。
「俺らも急いで神聖エストライヒ帝国を出よう!」
ヴォルティモはグローに呼びかけるが、彼はだんまりとしてしまう。
グローは、ロレンツォたちの安否が心配だった。
ヴォルティモはその気持ちを悟ったのか、
「まあ、気持ちは分かる。だが、かといって俺らが戻っても何かできるわけでは無いし、俺ら自身も危機的状況だ。ロレンツォのことが気がかりだが、先を急ごう。」
とグローを説得する。グローは説得され、そうだなと自分を納得させる。
そして、彼らはグラーツの街を急いで出て、ブレダペシュトに着いた。
グローがアトマン帝国からセグに来るのに船で来たが、今回は陸路で隣国のアシーナ帝国へ向かうことにした。陸路であれば、ここからだと
そして、セグを出て、さらに東に進むと、アシーナ帝国の国境沿いにある城塞が見えてきた。よく見てみると、城塞にはエストライヒの避難民が行列で並んでいる。やはり皆考えることは同じのようだ。彼らも行列に並び、自分たちの番が来るまで待った。かなりの時間を待ち、自分たちの番が来ると、通行税を払い、城塞を通してもらった。通行税が高くて痛いが、四の五の言っていられる状況じゃないため、仕方ないと諦めた。
そして、彼らは城塞を通り、
このアシーナ帝国もルークス教を信仰しているが、神聖エストライヒ帝国やルークス教皇領とは違う宗派になっている。同じ宗教だが、宗派が違うだけで、かなり対立しているらしい。そのため、アシーナ帝国に所在するルークス教会は、自分たちが正統派だと主張し、正教派(
グローはこのイオアニナに来てから、ほぼ毎日この教会で祈り続けている。彼は正教派でもないし、ルークス教徒でもないが、神にも縋る思いで、ロレンツォたちが無事でいることを祈った。
「神様、どうかロレンツォたちが無事でありますように。」
彼はルークス教の神を信じているわけでは無い。だが、ロレンツォたちはルークス教を信仰しているので、その父なる神に助けてもらえるよう必死に祈った。
そうして、彼は今日も教会に来て祈っているのだった。
だが、奇しくもその祈りは報われず、度重なる神聖エストライヒ帝国の敗戦の知らせを聞くことになる。エンジェル帝国はクレシ―の戦い、ポワティエの戦いでガッリア連合軍を破り、北からどんどんガッリアの地を征服していった。一方、プルッツェンとキャスティーリャの連合軍は、ブレスラウの戦い、デブレツェンの戦いでエストライヒ軍を破り、東北からエストライヒの地を征服していった。
そして、アシーナ帝国に来てから、3週間が経ち、戦争が始まってだいたい100日を過ぎたころ、神聖エストライヒ帝国の首都ウィンドボナが包囲され、とうとう神聖エストライヒ帝国の滅亡、解体の速報が届いた。エンジェル帝国は、元神聖エストライヒ帝国の領土を自国に組み込み、強大な領土を手にした。そして、不思議なことに、プルッツェン騎士団領とキャスティーリャ大司教領は、そのまま残され、エンジェル帝国の公国として、治めることになった。その不思議な戦争の結果を誰もが違和感を覚え、悪魔の仕業だと噂した。
神聖エストライヒ帝国の敗北の知らせを聞くと、グローは祈りで交差した指を深く、深く握り締める。爪を立てすぎて、手の甲から血が垂れる。彼は神を少し恨んだ。
この戦争と戦果は、歴史的に大きな出来事であり、後の歴史書に100日戦争として書かれ、ずっと語り継がれることになるのだった。
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