第29話 カテゴリーでの偏見

 グローたちは、草原の道を走っていると、ミレトスの街が遠目に見えてくる。

 グローは、ふとアシーナ語が話せる人がいるか気になった。

 「そういえば、誰かアシーナ語話せる人いるか。」

 すると、マリアが手を挙げる。

 「私は、一応教養として、家庭教師に教えてもらってたわ。」

 「それは心強い。通訳を頼みたい。」

 マリアは頷く。

 彼らは関所を通り、ミレトスに着くと、まずヴォルティモの馬車を修理するのに、大工店を訪れた。

 「すみません、馬車の修理をお願いしたいんですが。」

 マリアがお願いすると、大工の男性は何かを作業している途中だったが、彼らの方に振り向き、

 「はいよ。」

と返事をする。だが、ヴォルティモがその人の視界に入ると、眉を顰める。

 「そこのお前はロマニ民族か?」

 「…え、ええ。はい。」

 その男性はヴォルティモを指さし、そう尋ねてくるので、ヴォルティモは返事をする。

 「帰ってもらおうか。」

 ヴォルティモの返事を聞くと、その男性は低い声でそう言い、ヴォルティモたちを店から追い出す。

 「ひどいな。ロマニ民族と知った途端、追い出すなんて。」

 グローは男性の態度に文句を言うと、

 「…。」

とマリアは煮え切らないような様子で黙っている。

 「…マリア、どうかしたか?」

 グローがその様子を見て、心配そうに尋ねる。

 「うーん、私も、酷い態度ねと同意したいところだけど…。私の国でも、ロマニ民族差別はあったし、皇帝陛下も迫害していたから、私が言う権利は無いのよね…。」

 マリアは言いづらそうに、小声でそう伝えてくる。

 そのことを聞き、グローはマリアがエストライヒ人であることを改めて実感させられる。マリアはエストライヒ人でありながら、ヴォルティモに対して軽蔑の態度を出していたわけではなかったので、あまり意識できなかった。

 「逆に、マリアはなぜヴォルティモを、その…、嫌な目で見ないのか。」

 グローは、差別と言ってしまうと、ヴォルティモが可哀想に思えたので、必死に言葉を選ぶが、微妙な言葉選びになってしまった。

 「私も最初はその…、不審に思っていたわ。でも、国が滅ぼされたことに頭が一杯だった。それに、なにより話しているうちに、ヴォルティモは優しいとわかったから、偏見で見るのを止めたわ。ヴォルティモは、”ロマニ民族”であって、それそのものではないわ。私はロマニ民族と一括りにして、その人自身を見なさ過ぎていたわ。西方の人も、きっとロマニ民族として一括りで見てしまっているのよね。」

 グローはそのマリアの言葉でハッと気づかされる。確かに、人はいつも何かのカテゴリーで判断してしまうことが多く、その相手自身を見ることは無い。差別とはそういうことなのだろう。マリアはこの歳でそこまで考えられていることに、グローは尊敬する。

 「とりあえず、まだ大工店は他にもあるわ。色々見てみましょう。」

 マリアがそう前向きに考えるよう呼びかけると、グローとヴォルティモも頷き、他の大工店も見てみることにした。

 だが、その後、他の大工店も見るが、基本どの大工店もロマニ民族を軽蔑し、修理を受けつけてくれない。そして、流れに流れて、日が落ちかけたころ、彼らは言葉には出さないが、諦めかけていた。

 「…もう探すのを止めよう。自分で直してみるよ。」

 ヴォルティモは笑顔を浮かべるが、口が引きつっていて、明らかに作った顔なのがわかる。

 グローとマリアは、ヴォルティモに諦めないで探そうと言いたかったが、如何せんもう既に十数件も回っているため、言葉に出せなかった。

 だが、その時、

 「ほう、こりゃひどいな。」

と急に近くから声がして、グローたちは声のした方へバッと顔を向ける。すると、いつの間にか中年の男性が、馬車の近くにいて、馬車をジッと見つめている。グローたちは突然現れた男性に驚き、体を飛び跳ねてしまう。

 「あ、あの、誰ですか?」

 マリアがその男性に尋ねると、

 「ああ、すまない。俺はイシドールだ。一応大工をやっている。」

 そのイシドールという男は、髪はボサボサで、髭は無造作に生えており、だらしなさが伺える。

 だが、彼はヴォルティモを見ても、軽蔑の目を向けなかった。

 「あ、大工なんですか!じゃ、この馬車の修理をお願いできますか?」

 ヴォルティモは、マリアに通訳をしてもらいながら、イシドールに依頼する。

 「ああ、いいよ。」

 大工はすんなりと受領してくれた。

 「ありがとうございます。私はマリアです。こっちがグローで、その隣がヴォルティモです。」

 「わかった。よろしく。」

 グローたちとイシドールは、挨拶の意味で握手を交わす。

 イシドールは馬車の状態を軽く見る。

 「今日は暗いから、明日作業に取り組んでもいいか?今日はここに泊まっていいから。」

 「ええ、全然大丈夫です。」

 そして、グローたちはお言葉に甘えて、イシドール宅に泊めてもらうことにした。



 家の中の暖炉の火が、パチパチと音を立てながら、薪を燃やし、部屋の温度を高めていく。

 皆で暖炉で暖まりながら、話を交わした。

 「なんで、馬車があんな壊れ方したんだ?」

 イシドールの質問にヴォルティモが答える。

 「あー、実は、ピー・ラン・グルオンという魔物に遭遇しまして…。」

 イシドールにとって知らない言葉が出てきたため、彼は首を傾げる。

 「ピー・ラン・グルオン?なんだそれ?」

 ヴォルティモが続けて、ピー・ラン・グルオンの説明をする。

 「蟲を使う魔物です。自分たちも初めて遭遇しまして。」

 イシドールは頷きながら、

 「なるほどな。その魔物に攻撃をされたってことか。」

と納得したように言う。

 「はい。」

 「そりゃ、災難だったな。」

 イシドールは同情するような顔をし、ヴォルティモは苦笑いを浮かべる。

 イシドールはグローたちにいくつか質問をする。

 「あんたらは、商人か何かか?」

 「いえ、商人ではないです。それぞれ目的があって、一緒に旅をしています。」

 「そうか。今はどこに向かっているんだ?」

 「今はアトマン帝国に向かっています。」

 「アトマン帝国か。理由は知らんが、大変だな。」

 「まあ、そうですね。でも、旅は楽しいですよ。」

 グローが笑顔でそう言うと、イシドールも安心したような顔をする。

 逆にグローはイシドールについての質問をする。

 「イシドールさんは、なんで大工になったんですか。」

 グローはイシドールについて尋ねる。

 「あー、そもそも俺は大工っていうより、数学を研究する人だな。数学を大工に応用しているんだよ。ただ、数学の研究をしすぎて、顧客が少なく、周りから変人扱いされているんだよ。」

 その拘りや研究熱心さから、グローはレオナルドを思い出す。レオナルドほど変人ではないが。

 そもそもグローは数学について全然知識が無いので、少し数学について聞いてみた。

 「数学って、例えば計算とかですか。」

 イシドールは、彼の質問に対し、合っているような合っていないような、そんな微妙な顔をしながら、首を捻る。

 「うーん、まあ、基本計算はあるけど。計量や図形などの計測とかもあるな。数学と捉えると、難しく考えすぎてしまう。数学は何かを調べるのに試行錯誤し、そしてその間違いから法則性を見つける。これが数学なんだ。そして、これは万物に通じるものがあり、世の真理である。大昔に、万物の根源は数であると言った学者がいるが、正にその通りである。」

 イシドールは急に数学について熱く語りだした。

 数学者には哲学者も多いと言うが、世のことわりを調べていくことが哲学にも数学にも通じるのかもしれない。

 「元々この辺りの地域は、哲学や数学が古代から盛んでそれが受け継がれている。だからこそ、数学などでは、アシーナ語やアルファベットが使われていることが多いという。」

 余程数学が好きなのか、こっちが聞いてこなくても数学の説明をしてくる。その中で、彼らはイシドールにピタゴラスの定理というものを教えてもらった。

 「元々幾何学とは自身の土地の計測などから始まったようで、その際に法則性を発見されたという。例えば、古代に遡ると、昔の人々は自分たちの農地を記録していたが、川の氾濫により記録が消えてしまった。そこで、正確な計測が必要だった。そして、あるとき、長さの比が3:4:5の棒で三角形を作ると、直角ができることを発見する。これにより、今まで以上にきっちりした計測ができるようになった。それを応用したのが、東方のアラッバス朝にあるピラミッド(金字塔)だという。ピラミッドとはかつての王族のお墓で、綺麗な正四角錐の形のことらしい。さらに、その法則性がこのアシーナの地に伝わり、ピタゴラスという人が、辺の長さの関係性を発見したという。……」

 難しい話が長々と続き、グローとヴォルティモは真剣に耳を傾けるが、理解できない部分も多い。マリアに至っては、自身の髪をいじりながら、余所見をしている。きっと、いつ話が終わるのだろうと飽きているのだろう。

 「…という感じなんだ。」

 イシドールは何かを説明し終わり、満足したような顔をしている。グローとヴォルティモは、

 「へえ、そうなんですね。」

とただ一言、言葉を添える。

 イシドールは数学について語り、興奮したのか、若干汗をかいている。

 「喉が渇いたな。ちょっと果実ジュースを飲んでくる。」

とイシドールは言い、台所に向かう。

 そのイシドールが席を外したのを見て、グローがヴォルティモに、

 「何を言っていたかわかった?」

と聞くと、ヴォルティモは、

 「全然。」

と即答で返す。

 そのヴォルティモの即答の返事でグローは笑ってしまう。ヴォルティモもグローにつられて、笑ってしまう。

 「だよな。でも、ほとんど分からなかったけど、要するに、人々は必要だから、何かの法則性を発見する。それが数学ってことを言いたかったのかな?」

 「あー、多分そうだと思う。」

 グローがかなり端的にまとめ、ヴォルティモはそれに同意する。

 二人がそう話していると、イシドールが戻ってきた。

 「もう遅いから、そろそろ寝よう。」

 イシドールがそう言い、彼らも頷き、それぞれ眠りにつく。

 そして、太陽が昇り、日差しが家の窓から入ってくると、グローたち3人は目が覚める。

 彼らは家の中を見回すと、イシドールが家の中にいないことに気づく。彼らは外に出ると、もう既にイシドールは馬車の修理を始めていた。

 彼は、まず馬車の長さを測定し、昨日述べていた図形数学を用いて、簡易的な設計図を軽く描いていく。そして、その設計図をもとに加工した木の板と釘を用意し、馬車を直していく。

 どうやらサービスで下の痛んでいる部分も直してくれるようだ。下の痛んでいる部分を新しい松の木の板で組み立て直す。そして、土台が完成すると、次に屋根の骨組みに使うアーチ状の細い木の板を作っていく。曲がりやすいナラの木(オークの木)を使い、骨組みを作る。そして、釘で固定し、組み立てていく。そのアーチ状の骨組みに白い布を被せ、固定し、屋根ができる。これで馬車が完成した。

 さすが数学者だけあって、とても正確に組み立てられている。

 馬車はすっかり元通りになり、ヴォルティモの顔に元気が出てきた。

 彼らはイシドールにお代を払い、お礼を伝えた。

 「ありがとうございます。」

 イシドールはお代を受け取り、

 「おうよ。」

と一言返事する。

 彼らは新しくなった馬車に乗り、イシドールに別れの言葉を告げ、そして、旅を再開することにした。



 後にこのイシドールという数学者は、アシーナ帝国、いや世界でトップクラスのハギア=ソフィア大聖堂の建築を任されることになるのは、また別の話。

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