エピローグ 子供の時間
日曜日の夕方、六本松修学館の最寄駅のファミレス。報告会を兼ねて6人は再び集まった。
すでにお互いの情報の共有は終わっていて、今は各々の注文した飲み物を前に他愛ない話をしている。凛太郎だけは甘党らしくいちごパフェを頼んでいた。ここは健流の奢りだと聞き、それならと榛菜とさくらも甘いものを追加注文して、到着を今か今かと待っている。
今回の件は、榛菜の目から見てもとりあえずは決着がついたように思えた。
柳田は後日、改めて康二の両親に向けて説明と謝罪を行うとのこと。補償や部費などの返却もあるらしかったが、その辺りは大人にお任せだ。
あとは三年生が何もしてこないか様子を見て、今後の動きを決めることになるだろう。相応に厳しい処罰も下るらしいし、まぁなんとかなりそうな気がする。大久保先生も学内での生活に支障がないように気を配ってくれるらしい。
榛菜も含めて、6人の表情は明るかった。
「でも意外だな。白崎さんなら西海中学くらい合格してそうなのに」
話の隙間に、健流が思いついたように聞いて来た。晶ほどではないが、健流もデリカシーに関しては持ち合わせがないようだ。
「あー……それ、俺も前から思ってた。風邪ひいてたとか?」
健流の疑問に凛太郎が乗った。彼は榛菜の成績が塾内でも上位にあることを知っている。彼女の学力は、少なくとも現在は私立中学校に通う生徒と比べても遜色ない。
「いやー」と、額に手を当てて、もういいや、と話し始める。
「私、6年生の夏休みから受験勉強始めたから、ちょっと間に合わなかったんだよね」
「は?」
驚く凛太郎の声に応じるように、康二が続ける。
「俺なんて二年生から塾と少年野球やってて、それでも受かった時は奇跡だって先生に言われたぜ」
「うん、普通は遅くても四年生くらいから受験準備するらしいから、それ全然間に合ってないよ。僕も三年生から塾行ってたし」
健流も同意する。
「やっぱりそうなんだねぇ」
「そうなんだねって……三姉でさえ5年から塾に行ってたぜ」
黒川家の三女、黒川弥生はなかなかの勉強家だったが、鶴亀算や旅人算に苦しめられていたのを凛太郎は思い出した。中学入試独特の問題や解き方が多く、「こんなん方程式使えば一発やろ!」などと姉が悶絶する姿を見て、彼は中学受験を早々と諦めたのだった。
「私、週一の家庭教師だけだったから、ちゃんと塾行ったことない」
「塾にも行かずに3年かけてやるところを半年で……それは流石に無謀だろ」
「仕方ないじゃん! そんなに時間かけるものだなんて知らなかったんだから! これでも結構頑張ったんだよ!」
実際、思い立ってからは寝る間も惜しんで勉強した。不合格通知を見た時は一日中泣き通すくらいには頑張った。クリスマスも正月も、参考書に首っ
「正直、今でも西海を落ちたのは気にしてるんだけど、最近はちょっと気持ちが楽になったかな。合格してたら六本松修学館には来てなかったと思うし、そうしたら晶くんや黒川くんにも会えなかったでしょ? たぶん、さくらちゃんとも今みたいに仲良くなれなかったと思う。以前の事件もきっと解決しなかっただろうし……」
まだ物言いたげに思案する榛菜の言葉を、5人は待った。
腕を組んで眉を寄せながら、彼女は言葉を選ぶ。
「……なんていうか、巡り合わせっていうのかなぁ。健流くんもさ、最初は失敗したかもだけど、そのおかげで晶くんや黒川くんともっと仲良くなれたでしょ。康二くんも野球部で辛い目にあったけど、でも、これから新しいことを始めて、それがいい方向に転ぶかも知れないでしょ? 私の受験も上手くいっていればそれはそれでよかったと思うけど、でも上手くいかなかった『いま』もこれはこれでいいのかなぁって思うんだ。……もちろん、取り返しのつかないこともあるんだろうけどさ……だけど……」
榛菜の言葉はそこで止まった。もっと言いたいことがあるはずで、でもぴったりと当てはまる言葉が出てこない。
自分が何を言いたいのか、目を瞑って考える。
人は誰でも、悔しいことや悲しいこと、理不尽なことがあると足が止まってしまう。それがとても痛いものであれば、頭の動きも、時には心さえも動かなくなる。別の方向を向いて進んでいけば新しい見方ができたり、誰かに出会ったりするけど、でもあまりに傷ついて一人で動けなくなったらどうなるだろう?
榛菜には背中を押してくれる家族がいた。学校じゃ満足できないと拗ねていた自分を、学校とは別の学びの場へ連れ出してくれて、そこで新しい出会いがあって、やっと動き出せたのだ。
健流と康二もきっと同じで、失敗して、裏切られて、そのまま同じ場所で沈みかねなかった。誰かがもう一度チャレンジする手助けをする必要があったけど、彼らのすぐ近くにはいなかった。
そこに名無しの探偵団が登場したのだ。探偵の晶と、刑事役の凛太郎と、ちょっと無鉄砲だけど行動できちゃうさくらと、たまたま人脈があった榛菜がいた(なんか私だけ弱いな、と思った)。推理して、説得して、危険をおかして、大人との信用を繋いで、そうして二人は問題に立ち向かった。
人との出会いって、すごく奇跡的なことなんじゃないんだろうか? こういうのを言葉にすると……なんて言えばいいんだろ?
「私、みんなと会えてよかった」
そう口に出した彼女は、省略しすぎたかな、とすぐに気付いた。ちょっとくすぐったくなって、ぷいと窓の外を向いた。それによく考えたら、今回の自分は推理や調査に積極的だったわけでもないし、ずいぶん大袈裟な言い方のような気がする。
窓の外を見ながら次の言葉を探していると、見覚えがある人影を見つけた。さくらを振り返る。
「それに、華月さんとも仲良くなれそうだし、ね!」
と、ニッカリ笑った。
「うん!」
さくらも負けない笑顔で返す。
「そうなのか?」
晶が隣の凛太郎に聞いた。彼も多少は黒川家の姉妹と面識があるが、華月の印象は『凛太郎よりも凜としている』というぼんやりとしたものでしかない。
「そうらしい。年下の友達が出来て嬉しいんだとさ」
「へぇ……妹さんもいるし間に合ってそうなものだが」
「一番下の妹はわりと歳が離れてるし、歳が近い妹が出来たつもりなんだろ。あのゴリラにかかれば弟なんてサンドバッグにしか見えないだろうから新鮮なんじゃないか」
「誰がゴリラだって?」
聞き覚えのある声の持ち主に肩を叩かれ、ッスーと、凛太郎が肺を膨らませた。
「華月さん、待ってました!」
さくらが両手をあげて華月を迎える。その手に軽くタッチをしながら、凛太郎の姉が女子たちの隣に座った。
「は? なんで?」
「わたしが呼んだの!」さくらは無邪気に答えた。
「僕も、お礼を言いたくて」
スポンサーの許可は取っていたらしい。
「あ、そう……」
力なく答えた凛太郎とは逆に、康二が熱っぽく話しかける。
「お姉さん、あの時はありがとうございました。とってもカッコよかったです! 俺も空手やってみたくなりました。こんな俺でも鍛えてもらえるでしょうか!」
「おお、嬉しいこといってくれるね! だけど、ご覧の通り私は男には容赦しないよ? いじめられたら倍返し、それが掟だからね。ついて来れる?」
「押忍!」
「元気だねぇ。でもうちの流派は押忍は使わないから、普通に挨拶したほうがいいね!」
「ハイ! よろしくお願いします!」
妙に相性がいいらしい。
「康二……お前、野球は……?」
健流と凛太郎は目を丸くしている。
「いや、まぁ……新しいこと、やってみてもいいだろ?」
はにかんで答えた。榛菜には、とてもいい笑顔に見えた。
反対に、凛太郎は悪い夢でも見ているような顔になっている。
そんな弟を見て、
「お茶をご馳走してくれるって聞いたから、来ちゃった!」
心底楽しそうに姉が微笑む。
「来ちゃったじゃあないんだよなぁ……」
「んん? なんか文句あるの?」
「何にも」
そっぽを向いてため息をつく。
「そうそう、晶くんにもちょっとお灸を据えないとなーと思ってたんだよね〜」
急におはちが回って来た晶は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。
「お灸……ですか?」
「うん。さくらちゃんにあんな危ない役目をやらせた件について、じっくりとね」
「あ、それはもう伊良部教授にしっかりとご指摘頂いたので結構です」
「私のご指摘は別枠です」
「……別枠……」
「君、探偵なんだよね? 探偵は困っている人を助けるのが仕事なんじゃないのかな? 女の子を危険に晒すのはどうかと思うねぇ」
「いや、僕はどちらかというと科学者希望で」
「言い訳は見苦しい! 晶くんはそこらへんから鍛える必要がありそうだね」
「……」
ッスゥーと、晶も無駄に肺を膨らませた。
助けを求めてさくらと榛菜に顔を向ける。タイミング悪く、注文していたケーキが届いたので見向きもされない。
ただ不幸中の幸いにも、華月も釣られて3人でケーキの寸評と追加注文を始めた。わーきゃーと騒ぐ女の子たちを眺めながら、宙ぶらりんになった晶は凛太郎に囁く。
「凛太郎」
「なんだ?」
「確かに、僕だったら三日持たずに家出してるかもしれない」
「だろ?」
「ああ。即日実行の可能性も否定できない」
苦笑いして盛大にため息をつく二人を横目に見ながら、こういう時間が長く続けばいいな、と榛菜は思った。
煙とダイヤモンド(旧題:消えた喫煙者) 井戸端じぇった @jetta
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