模擬裁判②
「これを、指導教諭には見せなかったのかね?」
受け取り、内容を読み取ったあと、学校の責任者はいよいよ疲れた顔を大久保に向けた。
「申し訳ありません。まずは事実確認をと思い、柳田さんに相談しました」
「で、なんと?」
「聞き取りの結果、そのような事実はない、と伺いました」
「本当かね?」しわの寄った目で柳田を見る。
「ああ、投書とは、それのことでしたか」努めて冷静に答える。
「確かに、念のため4人に聞き取りをしました。しかし書かれているようなことはないとの返事だったので、彼らを信用してこの件は終わりにしました」
「終わりにした?」
「そんなA4の紙一枚の、イタズラかどうかもわからないもののために、生徒たちの名誉を傷つけるわけにはいきませんから、自分の胸のうちにしまいました」
灰野が割って入る。
「では、認めるのですね。嘘をついたことを」
「嘘などついていない。投書などと大袈裟なことを言うから、そのイタズラの紙のこととは思っていなかっただけだ。それにちゃんと聞き取りもしたし、本人たちの言質も取っている」
「四人とも、ですか?」
「そうだ」
「いじめのこともですか?」
「そうだ。そんなものはない」
「パシリにしていると言うのは?」
「一ノ瀬にはマネージャーの代行をしてもらってる。見ようによってはパシリに見えるかもしれん」
「煙草を買いに行かされているのにマネージャーの代理と言い張るのですか?」
「その三人は煙草は吸っていないと言っている」いい加減冷静を装うのも難しくなってきた。
「校長。もう戻ってもいいですか。部員たちが待っているんですが」
校長はため息をついて肩を落とした。
「そうはいかん。すくなくとも3年生が煙草を吸っていることは事実だ」
「事実? 何の証拠があるんですか? ……ああ」
大久保を睨んだ。
「以前にゴミ箱でボヤがあったことですか。大久保くんが勘違いしていたやつですね。あれは煙草ではなく一年生が悪戯をしたのが原因だとわかったはずですが」
「それとは別だ。大変残念だが、灰野くんたちが持ってきた動かぬ証拠がある」
「動かぬ証拠?」
「動画ですから、動きますし音声もあります」挑発的な目で柳田を見る。
「どうぞ。ご覧ください」
灰野が差し出したタブレットで動画が再生される。
野球部のユニフォームを着て、煙草を吸っている生徒が写っている。
「煙草ってどんな味なんですか? 俺、吸ったことないからわからないす」顔が見えないが、声で一ノ瀬と分かる。それに
「どうですか。はっきりと喫煙現場が写っています。煙草を吸っているのは、三年生の山崎、鳥飼、生田の先輩方です」
認めざるを得ない。
誰が撮ったのか分からないが、今はそれを追求するときではなさそうだった。
「確かに、その3人が煙草を吸っているようだ」もはや言い逃れはできない。校長へ顔を向け答える。
「申し訳ありません。すぐに3人を呼んできます」
「3人? 4人ではなくてですか?」
「一ノ瀬は煙草を吸ってないだろう。3人でいい」
余計なことを喋りそうな奴は少ない方がいい。
「なるほど。でもそれはまだ大丈夫です。その3人への処罰はのちほど先生方でやってください。いま僕たちが問題にしているのは、あなたがそれを黙認していたことです」
他校の生徒が何かを言っているが、面倒なものは無視するに限る。
「校長、申し訳ありませんでした。私の指導不足によるものです。すぐに対処します」
「必要ありません。まだ僕らには言うべきことがあります」
「黙れ!」我慢できず声が出た。
「
怒鳴り声を聞いても、灰野は眉ひとつ動かさない。かえって馬鹿にしているようにさえ見える。柳田にはそれがいよいよ腹立たしい。
対して、隣の女子生徒は大声にびくりと反応した。攻めるとしたらこっちからか。
「てめえも何しに来た! 関係ないだろうが!」
「あります」
灰野が答える。
「てめえには言ってねぇ!」
構わずにまた灰野が答える。
「彼女はいじめられている野球部員の友人です。今回の調査を手伝ってもらいました。3年生たちの自供を得ることができたのは、彼女のおかげです」
「自供だと?」
柳田が睨みつけると、その少女は肩を震わせた。しかし目は柳田の視線を外さない。こいつも面倒なタイプだ、と彼は直感した。どんどん包囲されつつある。
彼女は校長に向き直り、柳田が来てから初めて口を開いた。
「わたしは友達を助けたかったんです。本当は先生に相談したほうがいいのかもって思ったんですが、投書が無視されたと聞いて、それなら証拠を見せれば話が進むんじゃないかと考えました」
何て短絡思考なんだ。こいつも腹が立つ。しかも彼に話すのではなく、校長に直談判をしているつもりだ。
「さっきの映像を撮ったのはわたしです」
「なんだと! 部外者が勝手に……」
校長が目で柳田を制した。
「勝手に学校に入ってすいませんでした。でも、友達を助けるには他に何も思いつかなかったんです。本当に、ごめんなさい」
校長に向かって深く頭を下げた。あくまで校長と話をしている体を取っている。柳田に口を挟む余地を与えないつもりなのだ。
校長は頷き、無言で続きを促す。
「これから流すのは、わたしが彼らにカメラを取られそうになった時の音声です。映像を撮る余裕はありませんでした。聴きやすくするために一部を端折っています」
スマホを操作した。音声が流れる。
「どうしたんすか? 山崎先輩と鳥飼先輩。生田先輩も写真見ましたけど、問題なかったっすよ」
「カメラだよ。スマホじゃねぇ。俺が見たのはカメラだった。カバンの中見せろ」
「先輩、そりゃまずいっすよ。無理矢理はまずいっす。女の子の鞄っすよ」
「だまってろ! こいつがもしあれの写真撮ってたら部活どころじゃねーぞ! せっかく監督が黙ってたのが水の泡だ。中体連も出れなくなる。……おい、鞄の中見せろ。さっさとしねーと」
「私の妹泣かさないでくれる?」
「はぁ? ……チッ……高校の先輩ですか。こっちの問題なんで。ほっといてもらえますか」
「私の妹なの」
「……うるせーなぁ!先輩だろうと女だろうと、うるせえ奴は黙らせたくなるんすわ! ほっといてもらえますかねぇ!?」
「手を放して」
「もう私たち帰るから」
「そこの角をまがったら走るよ」
「走れる? 高校の校舎まで走ろう!」
「大丈夫? 何もされなかった?」
音声が止まった。決定的な一言と、危険な一幕があったことが柳田にも伝わった。
灰野が校長に向かって口を開く。
「彼らはこう言っています。バレたら中体連に出れなくなるような何かを、監督が黙っててくれた、と」
柳田に向き直り、続けた。
「3年生たちはあなたが煙草の件を知っていて、黙っててくれたと思っている。せっかく教師が見逃してくれてるのに、喫煙が誰かにバレてしまうかも知れない。だからカメラが入った彼女の鞄を力づくで奪おうとした。そうして、たまたまそこを通りがかって、止めようとした第三者の女子高生の襟首を掴んだ。つまり彼らは暴行に及んだ」
馬鹿どもが。本当に、まったく、俺の邪魔ばかりしやがる。
「襟首を掴んだだけだろう。それに妹だと言っていた。第三者とは言えん」
「妹というのは、あのお姉さんが機転をきかせてくれたんです! きっと、そう言えば興奮している野球部員が少しは落ち着くと思ったんです。わたしはその人の妹ではありません。それなのに、彼らは逆上してそのお姉さんに掴みかかって……」
その女の子は顔を伏せて喉を詰まらせた。これが演技なら迫真に迫っている。実際に当時のことを思い出したのだろう、心なしか肩が震えていた。
灰野が後を引き継いだ。
「襟首を掴む、というのはすでに判例もある暴力行為です。スポーツをして鍛えられた男子生徒が、非力な女子高生につかみかかったのですよ。暴行以外の何でもありません。偶然にも彼女は護身術を知っていて難を逃れたそうですが、本当に幸運でした」
「本当に……お姉さんがきてくれなかったら、わたし、どうなっていたか、……」
「そういうわけで、野球部員の罪が増えました。が、今回は追求しません。それは大久保先生にお任せします」
「分かった。助けてくれたその女子高生が巻き込まれないよう、僕から高校側には説明しよう」
「待て、待て。野球部のことなら俺がやる」
「あなたは結構です。信用できませんから」
「ふざけるな、よそ者が偉そうに口を出すな!」
激昂した大男は少年に掴みかかる勢いで近づいた。柳田と灰野は頭二つは身長差がある。柳田は目を大きく開き、見下ろす姿勢で威嚇するが、灰野は静かにその視線を受け止めて見返した。
「柳田くん」落ち着いた、というよりも諦めたような口調で校長が呼びかけた。
「言いたいことはあるのかね。正直に言って、もう君を信用できそうにないが、聞くだけは聞こう」
彼は迷った。3年生たちが勝手に『顧問が喫煙の隠蔽に協力してくれている』と思い込んでいる、自分は全く知らなかった、と主張することもできる。だが目の前の小賢しい
ここはもはや喋るしかなさそうだ。その方が傷が浅いし、まだ何とか逆転の目があるかもしれない。別にこのガキどもを説得する必要などないのだ。校長を丸め込めればいい。
「こうなってはやむを得ません。確かに知ってました。将来ある生徒たちが反省して、もう煙草をやめるなら見逃そうと思ったからです」
すかさず灰野が口を挟んだ。
「未成年者喫煙防止法を知っていますか? 煙草を吸うのを止めなかったこと、煙草を買うのを止めなかったこと、これらは犯罪です。あなたはもう犯罪者ですよ」
「注意なら俺がした!」灰野に言い返し、上司に訴えかける。
「彼ら自身の反省を促したのは、むしろ人道的配慮です」
「人道的?」鼻で笑う。
「いじめやいびりを見逃すのが人道的だと? 被害者は何というでしょうね?」
「俺は煙草のことしか知らん! それに一ノ瀬はいじめられてなどいない!」
少年は真っ正面から相手の視線を受け止めた。
「いいや。あなたは嘘をついている。あなたは僕らの罠にかかりました」言いながら、冷ややかな視線で返した。
「この学校には模擬裁判をするための設備があるそうですね。もしここが裁判所だったら、きっと決め台詞は『異議あり!』……なんでしょうね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます