前日譚③
「あとは、どこかで黒川くんのお姉ちゃんが正当防衛だっていうのを盛り込まないとね」
「そうだね」健流はすっかり榛菜に飲まれている。
「デジカメは鞄の中でも動いていたみたいだけど、流石に音声とかは取れてないみたいだったし、どうしようかな。何か証拠とかあればなぁ……さくらちゃんが持ってた鞄とか襟元に3年生の指紋が付いているとか」
「……それは難しいんじゃないかなぁ」
考え込む榛菜と健流の横で、いよいよ険しくなる伊良部教授の様子に晶は不安を拭いきれない。
ふと見ると、大久保教諭も所在なさげで立ったままだ。なんとなく仲間意識を感じてしまい、ついでに、まだ自己紹介もしてないことに気づいた。
「大久保先生。遅れてすいません。天神中学校の灰野です」あわせて、六本松修学館の面々と健流、康二の関係を説明した。
「そういうわけで、伊良部先生の力を借りつつ、康二を助けられないかと思っている次第です」
「君たちがやっていることが何かはわかった」晶が思っていたよりも力強く頷いた。
「でもその話を聞く限りでは、一ノ瀬くんは野球部を辞めるつもりなんだろう? それだったらもう野球部の3年生たちを懲らしめるだけでいいんじゃないかい?」
「康二に限って言えば、そうかもしれません。でも、それだけだと別の一年生が犠牲になるかもしれない。僕は柳田そのものが問題だと思ってます。それに、健流や康二はあと二年以上、高校を合わせれば5年以上はあの学校に通わないといけない。逆恨みも怖かったんです」
「……なるほど」彼は晶の言いたいことを汲み取った。
「つまりは、
「こう言ってはなんですが、彼の投書がどうなったかを考えると、あまり期待できないと思えました」
「それについては、返す言葉もない」
「正直なところ、もともとは3年生と柳田を懲らしめればそれで終わりだと思ってました。3年生の早期引退と柳田の顧問解任。基本的には今でもゴールはそれです。でも、僕は、今は」大久保をじっと見た。
「今は、柳田は教師に相応しくない、と思ってます」
今日会ったばかりの大人にこんなことを言ってなんと返されるか分からないが、言葉を止められなかった。
「大久保先生はきっと、健流や僕が思ってたような、信用できない大人ではないんでしょう。わざわざ休日にここまで足を運んでくださるくらいです。でも、僕らからすると教師はみんな一様に柳田のように見える。きっと本当は頼りになる、信用できる大人や教師もたくさんいるのに、立場を利用して生徒を軽々しく扱う奴が目立ってしまう。だから……」言葉を切って、少しだけ遠慮がちに続ける。
「すごく、腹が立ちます」
晶は相手の言葉を待った。顔を見ても大久保は返事をしなかった。
「大久保先生は、どのように思われますか」
今度は遠慮せずに質問した。
☆
「事実? 何の証拠があるんですか? ……ああ、あのボヤのことですか。大久保くんが勘違いしていたやつですね」
嘲笑するように大久保を見た。まるで裏切り者を見るような目だ。どうしてそんな目をするのか。彼は自分がどんどん沈んでいくのが分かった。これまで何をみて、誰を信用していたのだろう。
あの時の晶の質問を思い出す。
自分も、この男に腹が立ってきた。
——————
凛太郎とさくらも伊良部邸へやってきたが、凛太郎は晶に耳打ちしてそそくさと帰っていった。何か用事があるらしい。
さくらのスマホの音源を聞いて、榛菜は手を打った。
「さくらちゃんお手柄だよ!」
「え、そ、そうかな?」
目を赤くしたさくらが不思議そうにしている。
康二が彼女のスマホを返した際に、さくらはアプリを起動していた。何かの役に立つのではないかと、『ボイスレコーダー』を。
「だってこれ、うまいこと繋げたら一方的に向こうが悪いって感じにできそうじゃない?」
「? どうするの?」
「こうやって編集してさ……」
⭐︎
「だまってろ! こいつがもしあれの写真撮ってたら部活どころじゃねーぞ! せっかく監督が黙ってたのが水の泡だ。中体連も出れなくなる。……おい、鞄の中見せろ。さっさとしねーと」
「私の妹泣かさないでくれる?」
「はぁ? ……チッ……高校の先輩ですか。こっちの問題なんで。ほっといてもらえますか」
「私の妹なの」
「……うるせーなぁ!先輩だろうと女だろうと、うるせえ奴は黙らせたくなるんすわ! ほっといてもらえますかねぇ!?」
「手を放して」
「もう私たち帰るから」
「そこの角をまがったら走るよ」
「走れる? 高校の校舎まで走ろう!」
「大丈夫? 何もされなかった?」
——————
「こうやって、その、あの、ボールをね、潰したところは消しておいて、頑張って逃げた感を出せばいいんだよ」
「こういうのって何て言うか、マスコミがやってる悪いことなんじゃあ……」
「嘘はついてないよ! 余計な情報を削って聴きやすくしただけだから!」
自信満々に胸を張る榛菜に、伊良部教授が問う。
「はるなちゃん、ちょっと質問なんだけど、そういう偏向的な編集の方法っていうのは……」
「パパに習った! 私より上手だよ!」
「ほお……」
もうそれくらいにしてあげてほしい、と晶は願った。
「さらに、ここでさくらちゃんが演技力を発揮する! ほら、西海の警備員さんを
「え、別に、そんなつもりじゃ」
「またまた! さくらちゃん、その可愛い顔と声、そして涙の使い所だよ! 女の子の涙は武器なんだから、さくらちゃんほどの実力者ならみんなメロメロ! こう、ちらりと涙を見せれば裁判長もイチコロだね」
「はるなちゃん、そのおじさん臭いメソッドの出どころは?」
「パパだよ!」
晶まで息が苦しくなってきた。
☆
「3年生たちはあなたが煙草の件を知っていて、黙っててくれたと思っている。せっかく教師が見逃してくれてるのに、喫煙が誰かにバレてしまうかも知れない。だからカメラが入った彼女の鞄を力づくで奪おうとした。たまたまそこを通りがかって、止めようとした第三者の女子高生の襟首を掴んだ。つまり彼らは暴行に及んだ」
「襟首を掴んだだけだろう。それに妹だと言っていた。第三者とは言えん」
「妹というのは、あのお姉さんが機転をきかせてくれたんです!」
さくらが叫ぶように訴えた。晶も驚く迫真の演技だ。いや、実際に彼女は必死なのだ。必死になって、恩人に迷惑をかけないように、被害が及ばないようにしている。
「きっと、そう言えば興奮している野球部員が少しは落ち着くと思ったんです。わたしはその人の妹ではありません。それなのに、彼らは逆上してそのお姉さんに掴みかかって……」
さくらは顔を伏せて喉を詰まらせた。肩が震えていた。真実、彼女は泣いているのだ。これは演技ではない。
晶が後を継いだ。
「襟首を掴む、というのはすでに判例もある暴力行為です。スポーツをして鍛えられた男子生徒が、非力な女子高生につかみかかったのですよ。暴行以外の何でもありません。偶然にも彼女は護身術を知っていて難を逃れたそうですが、本当に幸運でした」
果たして男性の急所を蹴りつぶすのが護身術と言えるのかは疑問だったが、背に腹は変えられない。嘘は言っていない。
「本当に……お姉さんがきてくれなかったら、わたし、どうなっていたか、……」
呟きながら目元を拭った。気のせいかもしれないが、うまいこと校長に涙が見えそうな角度のような気がする。そして校長は眉根を寄せ、さくらの言葉に頷き、非常に同情的な表情を向けていた。もはや裁判長たる校長は、友人のために身を挺した、可憐な少女の涙を疑うことはないだろう。これは演技ではない。
演技だったら怖すぎる。
——————
「裁判長を味方にしたら、あとは晶くんの出番だね」
「もう『校長』に訂正する気はないんだ?」健流は感心している。
「柳田を煽りまくろう。そして頭に血が上った柳田に、切り札の証拠を突きつける。『異議あり!』ってね!」
「榛菜ちゃん、楽しそうだねぇ……」
☆
「そういうわけで、野球部員の罪が増えました。が、今回は追求しません。それは大久保先生にお任せします」
自尊心が重い柳田のことだ、きっと引っかかる。
「分かった。助けてくれたその女子高生が巻き込まれないよう、僕から高校側には説明しよう」
「待て、待て。野球部のことなら俺がやる」
そう来るだろうと思った。
「あなたは結構です。信用できませんから」
「ふざけるな、よそ者が偉そうに口を出すな!」
ここまで完全に榛菜のシナリオ通りだ。
「柳田くん。言いたいことはあるのかね。正直に言って、もう君を信用できそうにないが、聞くだけは聞こう」
校長も榛菜の言った通り、さくらにイチコロである。
晶は柳田よりも榛菜が怖くなった。
「こうなってはやむを得ません。確かに知ってました。将来ある生徒たちが反省して、もう煙草をやめるなら見逃そうと思ったからです」
すかさず晶が口を挟んだ。タスポについて調べた時に知った知識が役に立った。
「未成年喫煙防止法を知っていますか? 煙草を吸うのを止めなかったこと、煙草を買うのを止めなかったこと、これらは犯罪です。あなたはもう犯罪者ですよ」
実際には本当の裁判を経てやっと犯罪者かどうか確定するのだが、ここでそんな細かいツッコミを入れる者はいないだろう。そして微罪であろうとも犯罪は犯罪。教師という立場にあって、犯罪者というのはもっとも恐ろしいレッテルである。
「注意なら俺がした!」晶に言い返し、
「彼ら自身の反省を
「人道的? いじめやいびりを見逃すのが人道的だと? 被害者は何というでしょうね?」
「俺は煙草のことしか知らん! それに一ノ瀬はいじめられてなどいない!」
もう十分だろう。そろそろ決め台詞だ。
「いいや。あなたは嘘をついている。あなたは僕らの罠にかかりました」
……。改めて考えると、この流れでどうやって『異議あり!』なんて言えるのだろう。
「この学校には模擬裁判をするための設備があるそうですね。もしここが裁判所だったら、きっと決め台詞は『異議あり!』……なんでしょうね」
恥ずかしかったので、ちょっと妥協した。
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