西海中学校①

「なんだあいつ。呑気だな」


 塾のやりとりの翌日、天神中学校の昼休み。凛太郎は昨夜のメッセージのログを見て呆れたようにつぶやく。


「自首したって、どういう意味だ?」


「わからない」晶も当惑した顔だ。「冤罪かと思ってたが、どうも違うらしい。やってないけどやったことにした……自分の意思で誰かの身代わりになったということだろうか」


「なんだそりゃ。ヤクザやマフィアがやるあれか? 本当の犯人が重要人物で刑務所に入れられないから、部下が代わりに出頭するってやつ?」


「たぶん」


「中学生ばなれしてんなぁ」


 晶は喉元まで「お前も似たようなものだが」と出そうになったが我慢した。凛太郎は凛太郎で中学生離れしている。背も高いし筋肉質で引き締まった体をしており、癖っ毛をうまくまとめていて顔の彫りも深いので、高校生に間違えられるほど大人びて見える。さらに四人の姉と一人の妹に振り回されてきたおかげか、妙に世渡りがうまく行動力がある。前回の事件でも凛太郎が色々と立ち回ったおかげで大きく解決に近付けた。晶にしてみれば名探偵扱いされる自分よりもよっぽど有能に思える。


「とにかく、謎を出された。犯人が誰なのか。……冤罪でなく、事情があるなら余計なチャチャを入れるべきじゃないかもしれないんだが」


「気になるんだろ?」


「……性分だから」晶は嘆息たんそくした。「実際のところ、彼の目的がわからないな。とりあえず、放課後に西海中学校に行ってみる」


「ふーん。面白そうだしついて行ってみるか。散々姉貴たちの忘れ物を届けてるから、土地勘もある」


 晶は凛太郎の苦労の一端を見たような気がした。


「お前、見た目よりも苦労してるな」


「まーな。女社会で生き抜くのはなかなか大変なんだぜ。で、行ったところで何をするんだ?」


「まずは聞き込み、現場調査だな。どこでボヤがあったか、いつあったか、どの程度か。これがわからないと調べようがない」


「それならメッセで姉貴に聞いておく。何か知っているかもしれねーし」


「お姉さんが西海の高校生だったな。助かる」


 西海学園は小学校から大学まである。それぞれは同じ地域に存在しているが、小学校と大学は少し離れた場所にあり、中学校と高校は同じ敷地の校舎で設備も共用のものが多い。凛太郎の姉が中学校での失火について知っている可能性は十分にある。


 幸いというべきなのか、中学校でのボヤは高校にも知られていた。時間的には彼女も授業中だったはずなのだが、それなりの分量のメッセージが返って来た。


 それによると、野球グラウンドの近くにあったゴミ箱で失火があったらしい。そばには運動部の部室も並んでおり、二日ほど部活そのものが中止になったそうだ。火元が煙草だったこともあって想像していたよりも問題になったのかも知れない。彼女の記憶が正しければ、一週間と二日前、つまり先々週の日曜日にボヤは発生している。


 放課後、晶と凛太郎は私服に着替えて西海学園へ向かった。大学の駐輪場に自転車を置いて、中学校へは歩いて行く。徒歩5分程度だ。大学と違って中学校や高校は校門に守衛がいて部外者は入れないので、自転車の置き場所が大学にしかない。凛太郎が小学生の時に散々お使いさせられたことがうかがい知れた。


「やっぱり中には入れそうにないな」守衛が立っている門を眺めながら晶が呟く。


「まーな。通用門もあるけどあっちは監視カメラ付きだ。姉貴がいれば代わりに現場を見てもらえたかもしれんが、あいにく今日は予備校で、もう校内にはいない」


「高校生の制服でうろうろしてたら目立つから……予備校? 別に勉強しなくても系列の高校だからエスカレーター式に大学に行けるのでは?」


「西海大学は文系大学だから理系は他の大学に行かざるを得ないんだとさ」


「……案外私立も苦労があるんだな」


 雑談混じりに校舎の周りを歩く。学校の敷地は概ね長方形になっており、そのうち西側の一面が大きな道に面している。3面は細い道を挟んで住宅街。問題のグラウンドや部室棟は北側に面していた。野球グラウンドは長方形の北西側の角で、そこから東隣に一階建てのプレハブ小屋がならんでいる。これらが運動系の部室だろう。二列に向かい合って配置されており、敷地外からは人の出入りが見えないようになっている。その南側は職員や来客用の駐車場だった。半分程度が車で埋まっている。


 グラウンドでは野球部が練習をしていた。強い日差しの中、汗を流しながら動き回る野球部員たちは、見る人が見れば健康的で感動的な青春を送る素晴らしき生徒達なのだろうが、晶と凛太郎は何の感慨もない。凛太郎が「ご苦労さんだな」とやる気なく呟き、晶は「顧問はちゃんと水分補給をさせているのだろうか」と横目で批判的な発言をしただけだ。


 野球グラウンドは、高さが10メートル程度だろうか、ボールが敷地外に飛ばないように背が高いフェンスで囲われており、その上にさらに防球ネットで補強されていた。部室棟周りのフェンスも4メートルはありそうだ。もし乗り越えて入ろうとすれば相当に目立つだろう。


 フェンス越しに見る限りでは、部室棟とグラウンドの間に金網式の大きなゴミ箱がひとつだけあった。位置的におそらくあれが問題のゴミ箱だ。今は口を閉じたビニール袋が2、3個入っている。


「一週間と二日前、あのゴミ箱でボヤが起きた」晶が目を細めながら言う。「火元が煙草ということだったが、警察が現場検証してないのに本当に煙草が原因なのかなんてわかるのだろうか」


「どうして警察が現場検証をしてないなんてわかるんだ?」


「ゴミ箱が残ってる。放火だとしたら警察はあれを証拠品として押収するだろう。金網式だから指紋なんて数日で消えてしまうが、だからといってすぐに証拠として押収したものが返ってくるわけではないらしい。不完全燃焼した炭も付いているし、新品を用意したわけでもない。あれが現物だ。つまり警察に連絡はせず、学校内で事件を処理したことが確実になったし、加えて出火原因が本当に煙草なのか怪しくなった。警備員がいて定期的に巡回をしているから、部外者が入り込んで放火したとは考えなかったのかもしれないな」


 いつの間にか晶は小さな単眼鏡を覗いている。


「びっくりした。お前なんでそんなもんもってんだよ。不審者みたいだぜ」


「科学者には観察は付き物だ。虫眼鏡ルーペもちゃんと持ち歩いているぞ」


 ショルダーバッグに単眼鏡をしまう。


「ん?」視線を下へ向けた晶が声を漏らした。


「どうした?」


「吸い殻が落ちてる」視線をフェンス沿いの歩道に這わせる。「……結構あるな」


 ざっと目算して20本以上は捨てられている。その中の一本を拾い上げた。晶も凛太郎も銘柄などわからないが、健流のサイトによれば『メビウス』系らしい。フィルタ(口にくわえる部分)が白い紙で巻かれていて、反対側の先端が黒く燃え残っている。まだ葉が詰まっている部分は残っていて、吸いきってはいないようだった。落ちている吸い殻はほとんどが同様に最後まで燃えきっていない。


「行儀の悪い保護者が見学でもしてたのかね」凛太郎がため息混じりにいう。「それともこのあたりの住人かな。煙草を吸える程度の大人なら、ポイ捨てが悪いことだってくらい分かってそうなもんだけどな」


「中身が大人じゃないんだろう」


 晶が吸い殻を眺めながら辛辣しんらつな言葉を吐いていると、フェンスの向こうから声がした。


「おいお前ら、なにやってんだ」


 振り向くと、野球のユニフォームを着た生徒がいた。野球帽の下から、鋭い目で二人をにらんでいる。


「そこ突っ立ってるんじゃねえ、邪魔なんだよ」


 近づいてきて、フェンスを蹴飛ばした。耳障りな音が響く。


「お前らどこ中だ? 偵察か?」そう言いながら再び金網を蹴る。「あおっちょろいオタク野郎がのぞきしてんじゃねぇ。さっさと帰れ」


 晶は肩をすくめてきびすを返そうとした。が、凛太郎はにやにやしながら金網に顔を近づけた。


「おい見ろよ、群れからはぐれた猿がいるぜ。珍しいからよく見ておこう」晶を振り返って、「お前の単眼鏡かしてくれ、尻が赤いか見てみたい」


「お前」野球部員と思しき生徒の鼻は見る見る膨らんだ。


 凛太郎は笑顔で返す。


「猿語は聞き取りにくいな、やっぱり日本語喋ってくれないとわかんねーぜ」


「ふざけんな! のぞき野郎が好き勝手言いやがって。黙って帰ればいいんだよ!」


「おい、夏休みの自由研究のネタができたな。西海中の猿は不自由ながらも人の言葉を喋る……と。加えて、知能は平均的な猿以下で会話は困難……」


 相手の生徒はフェンスを掴んで目をいた。実際に猿の威嚇行動のように見えたので、晶も思わず笑ってしまった。


「笑うな!」


「おっとすまない。おい、その辺にしとけ」


「まぁまぁ。もうちょっと遊んでやろうぜ」


「……もういいわかった。逃げるなよ、そこでまってろ」そう言ってフェンスを登ろうとする。


 さすがにもう逃げるか、と晶が凛太郎の肩を掴んだところで、部室棟の向こうから声がかかった。


「一ノ瀬、なにやってんだ」


 一ノ瀬と呼ばれた生徒はフェンスの途中で止まり、凛太郎を睨みつけながら返事をする。


「スパイです! 他校のやつらが先輩たちを見てました!」


 背が高く、恰幅かっぷくのいい大人が近付いてきた。ジャージ姿で動きやすい服装のはずなのに、晶と凛太郎にはひどく疲れた象がよたよた歩いているように見えた。短く刈り揃えた髪、不揃いに伸びた無精髭、気だるげな目。左手には筒状の何かを持っていた。


「もうほっといて戻れ。俺から言っとく」


「でも、監督」


「戻れ」


「……はい」


 一ノ瀬と呼ばれた生徒は二人を再び睨みつけると部室棟へ走っていく。ユニフォームに背番号や名前はない。補欠だろうか。


『監督』は一ノ瀬を見送ると、その場を動かずに二人に向かって手を振り、帰れ、のジェスチャーをした。


「今回はどこの学校かは聞かんが顔は覚えた。もう来るなよ」


 そう言ってのそのそと駐車場の方へ歩いていく。


 晶と凛太郎は無言で顔を見合わせた。あまり一箇所にとどまらない方が良さそうだった。そのまま学校の敷地を一周しながら角度を変えて野球グラウンドや部室周辺を見たが、気になるものはない。見える範囲ではゴミ箱もさっきの一つだけだった。特に見るべきものもなさそうなので、自転車置き場まで戻ってきた。


 日差しも強く、それなりの距離を歩いたからか汗もなかなか引かないので、日陰のベンチで軽く休憩をとることにする。


「やっぱり敷地外からでは大したことはわからないな。それにしても」


 冷えた缶珈琲を飲みながら、晶は呆れ半分に聞いた。


「お前、さっきはなんであんな安い挑発をしたんだ?」


 凛太郎はスポーツドリンクを口元から離して、バツが悪そうに答えた。


「ああいうやつ見ると何となく揶揄からかってみたくなるんだ。悪かったな」また一口飲んで、付け加えた。「でも収穫もあったぞ。あいつ煙草臭くなかったか?」


「へぇ?」晶は吸い殻を触っていたからか、あるいは距離があったからか「気付かなかったな」


「あいつ、吸ってるんじゃねーかな。それか、身近に吸っている奴がいるのか」ペットボトルの中身を一気に飲み干した。「制汗剤やら消臭スプレーやらで誤魔化してるっぽいけど、煙草の匂いってのはそういうのでは完全には無くならねーんだ。混ざり合って、独特の香りがする」


「ずいぶん詳しいな。お前が吸ってたってわけじゃないよな?」


「あんな体に悪いものを吸うわけないだろ。二姉にーねぇがぐれた時にあんな匂いがしてた。本人は吸わなかったらしいけど、ツレの煙草の匂いがきつくてさ。服についた匂いがなかなか取れないんだわ」


「……前々から思ってたが、お前のところはバラエティ豊かだな。楽しそうで羨ましい」


「聞いてる分には、だろ」笑いながら言う。「お前がうちに来たら三日で家出するぜ」


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