六本松修学館③

「と、いう感じだった」


 翌日の塾。晶が昨日の結果を伝えると、さくらは好奇心を隠せない。


「二人はその一ノ瀬が犯人だと思ってるの?」


「まだわからない」晶は生真面目に答えた。


「さくらちゃん、相変わらず気が早いな……」


 さくらの興奮顔を見て凛太郎は呆れている。となりに座る榛菜も凛太郎と同じ感想だ。さくらの外見は幼い上に大人しく見えるが、実際には突調子もない行動をとったり感情的に動くことも多い。可愛らしい小動物のように見えても時には猫を噛むような無鉄砲さがあるのだ。『となりに立つ少女』事件も彼女の衝動的な行動がなければ発見さえもされず、過去に埋もれていただろう。好奇心や感情の強さが彼女を動かす。それは時に物事が始まるきっかけになるし、今回のように遠慮のない質問となったりする。


 そんな事情を知っている榛菜からすると、さくらの左右のお下げがぴょこぴょこと動く様は何となくレッサーパンダの威嚇ポーズを思わせた。可愛く見えて、実のところ結構危なっかしい。


 晶は落ち着いて自分の感想を述べる。


「確かに、今時の中学生で煙草を吸っているのは奇妙だ。でもまぁ、そんなことを言ったら酒も煙草も麻薬もお菓子もこの世から消えるだろうし、それらに頼りたくなる理由があるのかもしれない。火元が煙草だとしたら重要な容疑者の一人ではある。ただ、消臭スプレーが必要なほどに匂いが残るなら他の部員も気付いてないとおかしい。そうなると野球部全体に喫煙が蔓延はびこっているのかもしれないし、容疑者は一気に増えるな」


「なるほどね……。そうそう、四姉よんねえが言ってたんだけど、中学高校は全面禁煙だそうだ。大学だけお偉い方々に気を遣って喫煙場所を用意してるらしい」


「お偉い方……」榛菜は額に手を当てた。「お偉い方ねぇ……学校って、変な気の使い方するよねぇ……」


「私立なら、そういう人の財布は大事なんだろう」


「お偉い人がみんな財布が厚いってわけじゃないと思うけどね」榛菜が妙に食い下がる。「財布が薄い偉い人も居るんじゃない?」


「まぁでも、ひとまず中学高校が全面禁煙ならもう少し絞り込める。本来煙草を吸えない場所で煙草を吸い、不用意にゴミ箱に捨てて失火するような人間。不良生徒か不良教師、か。全面禁煙なら余計に生徒の前では煙草が吸えないだろうから、教員も隠れて吸う必要がある。となると場所的に……」


 晶はノートに略図を書いた。部室棟の南側は職員用の駐車場だった。


「犯人が教員であれば、車通勤の可能性が高い。部室棟やグラウンド近辺は学外からも見えるし学内からも当然見える。そんなところで死角を作るとしたら車の中しかない。休憩時間か、出勤退勤のタイミングで車の中で隠れて吸い、近くのゴミ箱へ捨てる。車の中に灰皿を用意していないのか、など多少の疑問はあるが、ストーリーとしてはあり得そうだ」


「警備の人とか事務員や用務員の人は考えなくていいの?」


 榛菜の質問に晶は頷く。


「白崎さんの指摘はもっともだ。日曜出勤をした事務員もいるかもしれないし、警備員や用務員なら休日にいても不思議じゃない。とは言え、駐車場を使わない事務の人がわざわざグラウンド近くのゴミ箱に煙草を捨てたりはしないし、警備や用務員の人たちは校内のことには詳しいからもっと人気ひとけがないところで吸うだろう。部活生に目撃されたくないのは教員と同じだ。彼らを候補に入れるとしても、やはり車通勤であることは必要条件だと思う」


 ノートにメモをしながら呟く。


「現状で考えられる犯人像は、『駐車場を利用した休日出勤の教員・職員』『部室などでこっそり煙草を吸う運動部員』。煙草が火元のボヤなら、だけど」


「煙草が原因じゃないの?」さくらが頬に手を当て首をかしげた。「でも、停学期間が長すぎるんだよね?」


「警察がちゃんと調べたわけではないようだから、何が原因かはわからない。健流自身も煙草が出火元、と曖昧なことしか言ってない。停学期間の長さから考えると煙草との合わせ技のように感じるけどね。凛太郎、お姉さんは失火の原因を知っていたか?」


「いや、ボヤがあったとしか言ってなかった。まぁそもそも中学と高校が違うし、朝礼だか集会だかで聞いただけらしいからな。でも念のため他に知っていることがないか、今晩にでも聞いておこう」


「よろしく頼む。肝心の健流が素直に答えてくれれば簡単なんだが」ため息をつく。「そうはいっても、事実として運動部が二日間は活動停止になっている。もし燃えたゴミの中に煙草の吸い殻でもあったのなら、少なくとも学校は生徒の煙草が原因と考えているんだろう」


 晶は腕組みした。


「学校は犯人探しをしたくなかったのかもしれないな」


「……どうして?」さくらが自分の頬をぺちぺち叩く。


「煙草が出火元だったら基本的には大人を疑うだろう? 用務員や警備員は外部委託だろうから簡単に切れるけど、万が一教員が犯人だったら外面が悪すぎる。禁止されてる煙草を吸った上にボヤを起こすなんて、生徒にも保護者にも言い訳できない。その点、一人の生徒が好奇心で煙草の実験をしててボヤを起こしたなら、少なくとも大人を処罰したり公式に説明が求められたりはしない。生徒のプライバシーと今後の生活を守るという言い訳ができるから。学校としては多少辻褄つじつまが合わなくても、生徒が自首した以上はそれでお仕舞いにして、これ以上大事おおごとにしたくなかったんだろう。健流は部活はしてないから、とばっちりを受けた運動部は短期間で再開。万事元通り」


 それは仮に犯人を見つけたとしても、健流の「自首」が見直される可能性が少ないということを意味する。もともと晶は健流の冤罪を晴らすつもりだったのに、その本人から妙な謎解きゲームを出されてしまい、目的も失っている。果たしてこの謎を解く意味があるのか、それさえもあやふやだった。


「あいつの目的は何なんだろうな?」凛太郎が晶の気持ちを代弁するように呟いた。「誰かを庇って、そのついでにお前に謎解きを仕掛けたって言うのは釈然としないな」


「確かに釈然としない。どうにも気になる。そもそも彼は犯人が分かっているんだろうか? 彼自身も知らない、そんな犯人を見つけさせようとしているんじゃないか……」


 腕組みを崩して、右手で口元を隠して目を閉じた。探偵ポーズだ。


「何にせよ、今のところ煙草の線を辿るしかない。あとは放火、自然発火、……それくらいかな。どれも証明するのが難しい」目を開けてため息をついた。「せめて現場調査や校内の聞き込みができればな」ちらりと凛太郎を見る。


「そんな目で見るなって」


 凛太郎は苦笑いして頬を掻いた。


「そっか、もう一ノ瀬や監督に顔を覚えられたんだったね」


 榛菜の言葉に晶は頷いた。


「僕らがまた現場に調査に行くのは難しい。どのみちフェンス越しに観察することしかできないし、他にやるとしたら校門あたりで出待ちして運動部員に聞き込みする程度だけど、まぁそれも目立つだろう。健流も学校側も大ごとにはしたくないようだし、僕もあんまりやりたくはないな」


「ん〜……。なぁ、お悩みのところ悪いが、ひとつ提案がある。目立たなければいいんだろ? 俺たちは確かに顔も覚えられてるけど、まだ面が割れてない探偵メンバーがいるじゃないか」


 凛太郎は榛菜とさくらを見ながら言う。


「え……誰? 他に一緒に探偵している人いたの?」榛菜には心当たりがない。


「黒川君のお友達?」さくらも同様のようだ。


 晶は凛太郎の言いたいことを察したのか、腕組みを解いて手を打った。


「なるほど」


 晶も榛菜とさくらを見る。晶の不器用な笑顔に、榛菜は嫌な予感しかしない。前回もこの笑顔で面倒なことをやらされた覚えがある。


「幸い、俺の家には西海中学校の女子制服が二人分ある。妹の進学先次第では使うかも知れないから取ってあるんだ。三姉さんねぇは小柄な方だし、四姉よんねぇは榛菜ちゃんと同じくらいの背丈じゃないか?」


「うん、いいアイデアだ」


 嫌な予感が当たりそうだ。


「……え、その、まさかなんだけど」榛菜が半目になりながらうめいた。


「え……ええー!」に思い当たったさくらは悲鳴をあげた。


「察しが良くて助かる」凛太郎は満面の笑顔。「今回は潜入捜査だ!」


「いやだ! 私行きたくない!」榛菜の悲痛な声が響く。「私、あそこ中学受験で落ちたから嫌いなの! 知り合いもいるんだよ! 絶対やだ!」


「なるほど。受験で校舎を訪れたことがあるから、ある程度敷地内の見当がつくといいたいのか」晶が納得したように頷く。


「そんなこと言ってないんだけど!」


「こりゃー都合がいいな。ぜひやってもらおうぜ」


「話聞いてる!?」


「いやー、そういえば『となりの少女』事件の時は大変だったなぁ」凛太郎は横目で晶を見ながら言った。


「そうだな。あの時は学校も休まないといけなかったし、塾もサボってしまったし、相当な労力が必要だった」


「ぐ……」


「あれだけ頑張ったんだから、きっと俺たちのお願いも聞いてくれるに違いないさ!」


「ああ、間違いない」


「わ……わたしは手伝ってもいいよ」さくらが横からおずおずと手を挙げる。「だけど、榛菜ちゃんには無理はさせられないよ。前の事件も、榛菜ちゃんは手伝ってくれた側だし……」


 さくらは優しい。改めて榛菜は彼女の思いやりの深さを感じた。


 そこへ二人の無慈悲な追撃が続く。


「いやいや、やっぱり校舎に入ったことがある榛菜ちゃんがいた方が心強いよ。そうそう、榛菜ちゃんの大好きな家斉先生を助けるの、頑張って手伝ったよな俺ら」


「うん。白崎さんの素晴らしいお化け屋敷アイデアを実現するのに色々と機材を消費してしまったが、僕は決して後悔はしていない」


「そういえばあの夜は帰るのが遅くなって姉貴に小言言われて辛かったなぁ……」


「僕も兄に借りを作ってしまって、レポートの手伝いを今でもさせられるんだ。困ったものだ……」


「わ、わかった……わかったよ……」


 榛菜は観念した。

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