西海中学校③

 二人は部室棟に向き直った。晶と凛太郎はともかく、榛菜とさくらは直接関係のない事件だ。興味こそあるものの、できればさっさと片付けて脱出したいというのが本音だった。


「まずはゴミ箱周りの撮影……と。動画撮りながら、ぐるりと回ろう」


 榛菜がゴミを捨てるふりをして、さくらがそれに付き添うような形で目立たないようにスマホで撮影する。駐車場、野球グラウンド、部室棟からは丸見えなので露骨にカメラを向けることはできない。グラウンドではすでに二十人程度の部員がランニングをしていた。見える限りではこちらに目を向けてはいない。


 金網式のゴミ箱にはすでに大小様々なものが捨てられていた。屋外のゴミ箱なのでビニール袋などは被せられていない。コンビニ袋の口を縛っているようなゴミは問題ないが、紙パックジュースのストローなどは隙間からこぼれて地面に落ちている。掃除が大変そうだ。


 晶ならここでメジャーを取り出して細かく採寸しそうだが、二人にはそんな度胸はない。おおよそのサイズが推測できるように、榛菜と並んで映像に収まるよう撮影角度を調節した。


「よし。あとは部室周り。ここも動画をゆっくり回そう。入部先を検討している感じか、友達を探す感じで」


 撮影しているさくらを振り向いたとき、ふいに顧問が乗っている白い車が榛菜の目に入った。太り気味の男が、こちらを見ながら短い煙草を小さな筒の中に吐き出すところだった。あまり気持ちがいいものじゃないな、とすぐに目を逸らす。彼女も大方の中学生と同じく、煙草にいいイメージはない。


 部室は一階建ての2棟の正面が向かい合う形になっている。そのため建物と建物の間に入ると野球グラウンド以外からは死角になるので、先ほどよりは気持ちが楽だった。あとは部室から誰も出てこなければいいのだが、こればかりは運だ。なるべく見られてもいいような様子で動かなくてはならない。


 晶に事前に言われた通り、部室の並びを確認する。野球グラウンドに一番近い部室のドアに野球部のプレートがあり、そこから2部屋がドアに名前がなく、次が男子硬式テニス、サッカー部、ハンドボール、男子陸上部、バスケットボール部。向かい側は女子陸上部、女子硬式テニス、女子バレー部。運動部としては他にも卓球部と剣道部があるようだが、これらは室内競技なので体育館や武道場に部室があるのだろう。


 プレートがない部室が多いのは昨今の少子化に伴い廃部になった競技が多いからだが、野球部の部室まわりはとなりの部室だけでなく向かいの部室も空いている。野球グラウンドが近く備品も多いために倉庫として利用しているのだろうが、榛菜たちにはまるで隔離されているようにも見えた。


 一通り確認したので離れようとすると、野球部のとなりのドアが開いた。二人はたまたまグラウンドと反対の部室の端にいたので、物陰に素早く移動した。姿を見られていたとしても他の部活の部員と区別はできなかったはずだ。


「じゃあ、明日までに用意しとけ」と、声が二人の耳へ届いた。距離があり、帽子を深く被っていたので、出てきた生徒の顔までは確認できない。しかし背番号は見えた。4。8。1。ドア近くに立ち止まり、「したっ」と叫んだ生徒の背中には背番号はなかった。


『番号付き』は野球グラウンドへ歩いていく。『番号なし』の生徒が部室に戻ろうとすると、


「一ノ瀬!」8番が大声で呼んだ。


「はいっ」


「掃除忘れんなよ! 下手くそだったらまた残すからな!」


「はいっ」返事して、頭を下げる。「したっ」


 一ノ瀬は頭を下げたまま、少しのあいだ動かなかった。馬鹿にするようにへらへらと笑う彼らを、どんな顔で見送っているのだろうか。榛菜には、彼が何かに耐えるために頭を上げないでいるのではないかと思えた。


 榛菜とさくらは顔を見合わせる。何となく見てはいけないものを見た気がした。華月の言葉を思い出す。『上下関係が厳しい』『いびりやいじめがある』。


 一ノ瀬は今度こそ部室に入って行った。


 誰もいなくなった部室前を通って、野球グラウンドと部室の間のゴミ箱の前まで戻った。『番号なし』の生徒がいるはずの部室の前で、二人はどちらともなく歩調を落としたが、物音はしなかった。


 いっそ助けを求めてくれれば何かできるかも知れないのに、と榛菜は思う。しかし自分から助けに行くわけでもない。それは厳しい上下関係といじめとの区別がつかないだけではないと、自分でもわかっている。


「あ」ふいにさくらがつぶやいた。「ほら、ゴミ箱に」


「ゴミ……あ、袋が増えてるね」


 言ってる間にさくらは一番上に乗っているコンビニ袋を拾い上げた。


「ちょ、汚いよ!」


「さっきまで車の中にいた監督がいない」さくらが目で白い車を指し示した。「たぶん、これはあの人が捨てたもの。煙草の箱とか、吸い殻とか捨ててるかもしれないから」


 榛菜はグラウンドに目をやった。顧問兼監督である小太りの大男はグラウンドに整列している野球部員に何か言っている。30人ほどを数える部員たちもこちらを見ていない。確かに、今ならバレない。


 さくらは袋を制服のポケットに突っ込んだ。借り物の制服なのに躊躇がなかった。


「もう行こう」これ以上ゴミ箱周りをうろついていたら流石に怪しまれそうだ。榛菜はさくらを引っ張るようにしてグラウンドから離れた。


 駐車場の南の端まで来て十分に距離を取った。ここなら話をしても聞かれないし怪しまれない。


「さくらちゃん、あれは危ないよ。見られたら一発アウトだよ」榛菜が苦言を呈した。ゴミ箱の中身を漁れとは流石の晶も言ってない。


「野球だけに?」


「……野球だけに」


 ふふ、とさくらは鼻で笑う。


「野球なら2回まで大丈夫だよ。スリーアウトでチェンジだから」


「……じゃあレッドカード」


 榛菜は眉毛を八の字にしてため息をついた。いつの間にかさくらも捜査に夢中になっている。他校の制服を着て潜入捜査、というのは彼女の好奇心と興味を刺激していたのかも知れない。よくよく考えれば以前の事件でも乗り気で調査してたし、こういうのが好きなのだろう。


 榛菜は眉間に手を当てて大袈裟に空を仰ぎ、


「さくらちゃん、よく聞いてね」と語り出した。


「確かに、潜入捜査っていうのはさくらちゃんのようなミステリー好きにはたまらないシチュエーションかも知れない。でもね、見つかった時のことを考えて? もし身元がバレて逃げきれなかったら親にも学校にも連絡がいくよ? そうしたら内申点にも響くし、悪い友達がいるってことで塾も辞めさせられるかも知れない。そういうの嫌でしょ? だからなるべく目立たないようにして、今日はもう帰ろう?」


 返事がない。目元を隠していた手を離すとさくらが消えている。


「ふぁっ!? さくらちゃん!?」


 あわてて辺りを見回す。


「すいません、この間ここでボヤがあったって聞いたんですけど」


 いつの間にか近くを巡回していた警備員にさくらが話しかけている。そんな馬鹿な。さっきレッドカードを出したばかりなのに、全く効いてない。


「おや? ……ああ、先々週のことかな……?」


「わたしの友達がいま学校に来てないんですけど、その子が火をつけたって噂されてるんです。そんなことしない子なのに」


「そうかい」


 警備員のお爺さんはあからさまに不審そうな顔をしている。榛菜は2枚目のレッドカードを出したくてたまらないが、ここで変に話を変えると自分まで巻き込まれそうだ。いったんはこのまま流れに任せるしかない。


「わたし、彼が火をつけたなんて信じられなくて。何か知りませんか?」


 さくらは両手を胸元で結び、祈るような声を出す。幼い少女が助けを求めるように、上目遣いで見上げる。


 榛菜は恐怖を覚えた。バレるかも知れないということもあるが、何よりもさくらの肝っ玉と演技力に、である。


「うーん。悪いけど、力にはなれそうにないね」


「そうですか……」


 さくらは悲しげに目を伏せた。いかにも親しい友達を心配して胸を痛める少女の様子だ。こっちからは見えないがもしかしたら目尻に涙を溜めるくらいしているかも知れない。


「まぁ、実はあのボヤを消したのは私達なんだけど」


 現にお爺さんも言いにくそうに口を割った。そういうのって守秘義務とかそういうのがあるんじゃないのと榛菜は思ったが、もはやさくらの勝ちだ。


「そうだったんですね……やっぱりボヤはあったんですか?」


「うん。清掃の人たちがゴミを集めているときに煙が出ているって詰所まで報告があってね。バケツに水汲んで飛んできたんだ。まぁ、いうほど火が出てたわけじゃなくてね。ゴミの上から水をぶっかけたら煙も出なくなったから」


 一度話し出してもう諦めたのか、詳しく話をしてくれる。


「でもまぁ、先生方と事務の偉い人が来てたから、まぁ大変っちゃ大変だったかな」


「何が火の原因だったんですか?」


「それがね、先生たちが言うには煙草らしいんだよ。それも生徒のね。私の若い時分には中学生で煙草を吸ってる連中もいたけど、今どきはそんな生徒さんはいないと思うけどなぁ。君の友達が怒られたのかい?」


「はい……会えないから、詳しいことがわからなくて、心配で……困ってたんです」


「そうかい、残念だねぇ。力になれなくてごめんね」


「とんでもないです、お話ありがとうございます。あ、すいません、せっかくなのであと一つ……。先生はどうして煙草が火元だと判断したのか言ってましたか?」


「ん? んん……とくには言ってなかったかなぁ。まぁでもゴミ袋の中にタバコの吸い殻があったから、そう思い込んだのかもね」


「実際に燃えた物の中に煙草はなかったですか?」


「お嬢さん、警察みたいだね。私も昔は聞き込みしすぎて苦情をもらってたけど、君らなら誰も文句を言いそうにないな。うらやましいことだ」しわだらけの笑顔を見せた。「後始末したのも私たちなんだよ。さっきも言ったけど、火が出てると言うよりは煙が出てただけだった。煙草ってあの吸い口のところはあまり燃えないようになってて、だいたい残るか溶けてこびり付くんだけどね、そんな点火源てんかげんは見当たらなかったな。でも確かに少し煙草の匂いはしたようだし、それが理由かも知れないね」


「……おじさんって警察官だったんですか?」


「退職した警察官はね、年金の足しにと警備員やることが多いんだよ。私も半分は暇つぶしで半分は小遣い稼ぎにね」


 じゃあもう巡回に戻らないと、と言って去っていく。去り際、気をつけて帰りなさいね、と声をかけてくれた。


「なんか、晶くんが喜びそうな証言が取れちゃったね」


 さくらが笑顔で振り向いた。


 榛菜は呆れて何も言えなかった。スリーアウトにレッドカードを乗せてテクニカルファウルで一本を取られたような気分。どれももらったことはないのだが。


 何はともあれ、今日はもう退場したい。


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