第十三話・塩対応?

「お時間でーす。先に進んでくださーい」


 固まってしまって動けない私と、そんな私の顔を覗き込んで不思議そうにしている芙蓉。

 どれくらいそうしていたのだろう、今まで暇そうにしていた剥がしの男子がのそのそと近づいてきて、私へとそれっぽく声を掛ける。


「あっ」


 我に返った私が手を振りほどくと、芙蓉は切なげな声を零して顔をしかめた。ささくれのような呵責に心が痛んだけれど、赤面も高揚も悟られなくない私は彼女から離れ、小さく手を振り、歩き出す。


「澄河ちゃん」


 別れ際、芙蓉はいやに真剣味を帯びた表情で言った。


「……なんでもない。気をつけてね」

「? うん。芙蓉も頑張ってね」


 気をつけて、ね?

 どこかしっくりこない台詞をきちんと咀嚼できないまま、流れに沿って安喰さんがいるブースへ。

 進みが悪いのか、人が詰まっていて中々先に進まない。明らかに芙蓉とはペースが違うので、どんなやり取りをしているのか聞き耳を立ててみた。


「怖いのが苦手なのに来てくれたの? ありがと。とっても嬉しいよ。何度か来てくれたら少しは克服できるかもしれないよ」

「恐怖なんてとっくに吹き飛びました~!」


「ちゃんと隅々まで楽しんでくれたかな? 周回するたびにいろんな発見があるかもね。また来てくれるかい?」

「は、はいっ! 今すぐに!」


「そんなに息を切らして……怖くてもコース内は走ってはいけないよ? それとも急いで私に会いに来てくれたのかな?」

「次はもっとガンダしてきます~!」


 余裕と色気がむんと周囲を満たして対応する人全員骨抜きにしてる……! あんまり乗り気じゃなさそうだったのに……まさかこんな、まるでお化け屋敷から出てきた人が見えているような神対応を連発しているだなんて……!


「あっ……ふふ、遅かったね、園片さん」

「お疲れ様、安喰さんっ」


 私の顔を見るや否や、仮面を取り替えるように硬い笑みを浮かべた安喰さん。少しでも敵愾心を削れればと思い明るく挨拶してみるも、良い感触は返ってこなかった。


「っ…………」

「あ、あの」

「な、なんだい? ……ふふ」

「えと……お化け屋敷、とっても怖かったよ!」

「そ、そう。ふ、ふふ……」

「……」

「……」


 さっきまであんなに流暢だったのにどうして私にはいきなりこんな塩なの!?

 我ながら下手過すぎる演技してこの沈黙は恥ずかしすぎるんだけど!?


「あ……ああ、そういえば」


 コホン、と。安喰さんは小さく、わざとらしく咳払いをした。

 流石になにか一言はもらえるらしいことにひとまず安堵する。


「私、こういうイベントについては疎くてよくわからないのだけれど、どうやら来てくれた人と握手をしなくてはならないみたいだね」


 言いながら、彼女の前髪の奥の瞳はあっちゃこっちゃに右往左往してせわしなく動いていた。


「えと、本物の握手会ならそうなんだろうけど、これは文化祭の、しかも予行演習なんだし『それっぽければ』いいと思うよ? 手を振って挨拶とかで。」

「いやいや……ふふ、いやね、さっき芙蓉あの人と園片さんが手のひらを重ね合わせているところを偶然、偶然見てしまって。そういえばそんな通例もあったなと思い出したんだ。彼女がそういうことをしたお客さんに対して私がしないというのはどうにも不公平じゃないか。ここはどうだろう、私達も、まぁ、一つ握手をしてみては」


 早口だしところどころごにょごにょしてたしで理論はわからないけれど……伝わってきたよ、その責任感……!

 だって差し出された右手めちゃめちゃ震えてるし! たぶん安喰さん、人とボディタッチするのとか苦手なタイプでしょ。それなのに……役割を全うするために……きっと勇気を出してくれたんだね……!


「安喰さん!」

「ひゃうっ。ふ、ふふ……なんだい?」


 彼女の右手を私の両手で包み込むように握手を交わす。震えてるし冷たいし……私にできることは殆どないけれど、ほんの僅かだとしても力になりたい。


「ありがとう、とっても嬉しい。でも、嫌なことはちゃんと嫌って言わなきゃダメだよ」

「ふ…………ふへ……」


 俯いてしまった安喰さんから、気の抜けた炭酸飲料みたいな笑い声が零れた。大丈夫、あなたの誠意はひしひしと受け取ったよ。もっとリラックスしていいんだよ。


「今だってこんなに頑張ってくれてるんだもん、みんな安喰さんに感謝の気持ちでいっぱいだよ。無理だけはしないでね」

「っ……うん…………うん。………………いや、ふふ、こちらこそありがとう、園片さん」


 私の無駄に熱い体温が少しでも彼女に移って、この震えが治まってくれればいい。そんなつもりでしばらく握っていれば――


「すみません、お時間でーす」


 またもや剥がしに追い立てられ、私とアイドルの時間は終わりを告げた。


 大人しく従い、離れてから振り返ると、顔を上げた安喰さんがこちらへ小さく——もう震えていない——手を振っている。

 その口角は仮面が溶けたように柔らかく持ち上がり、真っ白だった頬には鮮やかな暖色が差し込んでいた。

 緊張、少しはほぐれたみたいで良かった。


×


 人熱ひといきれで酔ってしまいそうなので再び教室から出ると、見計らったようなタイミングでラインの通知音が鳴った。


『可愛いメイドてゃん。服できたぞいー。試着して欲しいから家庭科室カモン』


 送信主は佐依子さえこちゃん。遂に……遂にこの時が……!

 でも二人の頑張ってる姿見ちゃったわけだし今更逃げるわけにはいかないよね!

 意を決していざ家庭科室へ……!!

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