第十九話・呪文

「……」

「……」


 なされるがままの芙蓉をしたいようにした後、二人してぼぅっと、仰向けになって微睡んでいた。

 まさか図書室の床に寝っ転がる日が来るなんて。とんだ不良だ。

 だけど、心地良い。火照った体に冷たい温度が背中から染み込んでくる。

 顔を横に向けると芙蓉もこちらを見ていて、視線が重なると同時に小さく微笑んだ。

 手を繋ぐ力が強くなって、指同士が深く食い込んでいく。沈静化していたはずの衝動が、徐々に込み上がってくる。


「「っ」」


 私のスマホが短く振動した。せっかくの気分に水を差され、ぶっきらぼうに通知を確認する。液晶が付いて映し出されたのは、休憩時間終了まで既に5分を切っている現在時刻と――


「あっ、やば。戻らなくちゃ」


 ――佐依子ちゃんからの『おーい』『もうそろ交代の時間だよ~』等のメッセージ&スタンプ連打。


「芙蓉、時間やばい。行こ」


 慌てて立ち上がり、制服を叩いてシワだのホコリだのを落としていく。

 食べたいもの何にも食べられなかったし見たいイベント何にも見られなかったけど……良いか。そんなものじゃこの充足感は生まれなかっただろうし。仕方ない仕方ない。正直今、すごく幸せ。


「やだ」


 未だにぺたんと膝を床につけて座っている芙蓉のはだけた制服や乱れた髪を整えていると、彼女はわざわざそれを邪魔するみたいに、私の体に抱きついてきた。


「やだやだやだやだやだ」


 幼児のように駄々を捏ね方に思わず笑みが零れる。あ~……ズルい……。


「離れちゃやだ。どこにもいかないで。ずっと私の傍にいて」


 そりゃあ私だってずっとこうしていられるならそれが一番いい。だけど芙蓉が戻らなかったらクラスの皆が心配するだろうし、文化祭的にも大損害間違いなし。


 個人的な自分勝手は許されない。少なくとも、は。大丈夫、そのラインの見極めはちゃんとするから。


「芙蓉」

「なぁに。離れてって言ってもいやだから」


 ちょっと拗ねてるのも最高ですねぇ~~~!!!


「今日うちくる?」

「ッ!!?!?!? いくいくいくいく!」


 突然の提案にもかかわらず、芙蓉は――今までシャッターを下ろしていた――瞳を燦々と輝かせて即答した。


「お泊りする?」

「するするするする!」

「じゃあ午後も頑張れる?」

「っ……頑張る……」


 強引な流れだったけど、芙蓉から文化祭に対する肯定的な言葉を引き出すことに成功。さぁ行こう。ダッシュダッシュ。


「よしよし」

「んっ……」


 頭を撫でながらゆっくり浮かしていくと、それを追いかけるように芙蓉もゆっくり立ち上がってくる。磁石かな?


「……澄河ちゃん、また勘違いしてるよ」

「勘違い?」

「私、文化祭が嫌じゃないんだよ? あの可愛い格好で……澄河ちゃんが人と接するのが嫌なだけ」

「……じゃあこの先デートとかする時も……私は可愛い格好しないほうがいいの?」


 メイドあんな服を着て外を出歩くのは滅多にないだろうけれど、私もたまには自分が可愛いと感じる格好をして街を歩きたいとは思う。

 それすらも禁止されてしまうのはちょーっと苦しいかな。


「デート…………!!!」

「いや反応してほしいのそこじゃなくって……」

「……でも確かに……考えてみれば……澄河ちゃん……どんな服着ても可愛いから……!!!」


 可愛いの権化である芙蓉に言われても素直に喜びきれないけど……。


「えっでもそれって……もしかして――」


 そうだよ芙蓉。気持ちは嬉しいけどしょうがないことなんだよ。


「――絶望……?」


 こんなショックを絶望とか言わないで!? 

 えっいやなんでちょっと泣いてるの!?


「無理……誰かが澄河ちゃんを見てることを想像しただけで……」

「だけで……?」

「……憎い……」


 怖い三文字! 意外とリアルで初めて聞いたよ!?


「……憎いの憎いの、とんでけー」


 口先だけで安心させてあげることはできない。だからやっぱり、私は彼女を抱きしめる。これからも何度だって、芙蓉が猫みたいに手で突っぱねてきても、私はこの想いを染み込ませるように抱きしめる。


「…………んふっ」

「あっ、飛んでった?」


 幼稚な呪文があまりに馬鹿馬鹿しかったのか、芙蓉は私に抱きしめられながら、胸の中に笑いを零した。


「……飛んでった」

「良かった。ほら、行こう?」

「……ねぇ澄河ちゃん」

「なぁに?」

「…………私、面倒くさい?」

「どこが?」

「…………どこって……あの…………」

「芙蓉、」

「…………」

「好きだよ。いろんな芙蓉が、全部、大好き」

「っ……」


 少しずつでもいい。だけど、ほんの僅かでも、伝わって。抱きしめて、包みこんで、耳元で、ありったけの、想いを込める。


「ごめん、やっぱり……私……遅れる。澄河ちゃん、先、行ってて……?」


 せっかく明るくなっていた芙蓉の声音が訥々とつとつと震えている。


「どうしたの?」

「違くて……私……どうしよう……こんな……幸せでいいのかなぁ……?」

「いいんだよ。私をこんなに幸せにしてくれてるんだから」

「……ありがとう、澄河ちゃん」

「こちらこそ。ありがとう」


 嬉し泣きとは言え泣いている彼女を一人にしたくない私は、嬉し泣きとは言え涙顔を見せたくないらしい芙蓉に結局根負けしてしまい、一人で教室へ向かった。もちろん、肺がはち切れんばかりの全力疾走で。


×


「なるほど。そっかー芙蓉ちゃん遅れるんだね~」


 控室に駆け込み、リーダーの倉橋くらはしさんへギリギリになってしまったことの謝罪&芙蓉が遅れる旨の報告。ちょいちょい嘘も混ぜ込んで。


「そうなの、ほんとごめん」

「んーん、体調不良ならしょうがないし」

「体調不良って言ってもその、すぐ治りそう、みたいな?」


 慌てて来たから嘘のディティールが荒いのは自分でもわかってる! 鋭い人にはすぐバレるって知ってる!

 でも……でも倉橋さん……優しいから……見逃してくれる……よね……?


「大丈夫大丈夫。代案、用意してあるから」

「本当? そう言ってくれると――」


 流石は倉橋さん、我がクラスの聖女にして良心! これでひとまず安心だぁと思っていると、彼女は普段通りの笑顔を浮かべて一着の服を私に差し出した。


「――たす、かる?」

「私も、とっても助かる!」


 それは全く見覚えのない――おそらくウサギをモチーフにした――もふもふの、アイドルっぽい衣装。


「もしかしてこれ……私……の……?」

「澄河ちゃん、」

「……は、い……」

「私は別にいいんだよ、真実を追求しても、しなくても」

「は、い……!」


 我がクラスの規律にして策略家は顔のパーツを一ミリも崩さないまま、私がぎこちなく差し出した震える両手に躊躇ためらいなくその衣装を置き、「よろしくね」と言ってぽんと肩を叩いた。


 芙蓉……あの呪文何回唱えたら許してくれるかな……?

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