第二十話・危険

 知らなかった。文化祭がこんなに素敵なイベントだったなんて。

 窓から見える楽しげな風景はどうでもいい。学校史上最高レベルの盛り上がりを見せているらしいこともどうでもいい。今すぐ中止になったとしても何も感じないと思う。


 だけど、このイベントのおかげで私と澄河ちゃんは一歩、深いところで近づけた気がする。ありがとう、文化祭。ありがとう、図書室の鍵の管理を私に任せた先生。


「ふっふふ~ん」


 何度も、何度も、澄河ちゃんが私の背中にくれた感触を思い出しては体の芯から痺れるような喜びが溢れ出てくる。


「ふふふふ~ん、ふんふ~」


 浮かれた気持ちと呼応してハミングも止まらない。曲名は知らない。いつか澄河ちゃんが口ずさんでいたリズム。


「ふ~ふふんふ~」


 困らせてばっかりなのに、澄河ちゃんはいつも私を包みこんでくれる。暖かくて、柔らかくて……想像以上に力強くて……。


「ふんふっふふ~ふふん」


 何かに例えようとしたけれど、そのどれもが澄河ちゃんには遠く及ばないからやめた。


「可愛かったね~」

「ね~! 噂通りの塩対応だったけど……うん、あれはハマるわ……」


 教室に向かう最後の曲がり角を過ぎた辺りで、至福の笑みを浮かべ興奮気味に語る女の子達とすれ違う。

 たぶん、うちのクラスの出し物から出てきたんだろう。あんなのがウケているのだから流行りとか人気って本当によくわからない。

 面白い? 楽しい? それってそんなに重要なのかな。いや、でも、そっか。澄河ちゃんが面白そうにしてたり楽しそうにしてたらそれだけで幸せだし、みんなもそういうのを求めているのかもしれない。


 ……はぁ、そろそろ着いちゃうなぁ。メイド服姿の澄河ちゃん、もう何度も見てるはずなのに……会う前からドキドキしちゃうな……。


「おかえりなさいませ、お嬢様」

「? ……??」

「芙蓉ちゃん、体調は平気?」

「……なんで?」


 思わず看板を二度見してみるも、流石に間違っているわけもない。目的地であるヘンテコな出し物『メイドがお出迎えしてアイドルが見送ってくれるお化け屋敷』の受付には、二人の女子と一人の警備員。それは良い。だけどそこには今、休憩を終えた澄河ちゃんがいるべきなのに……どうして倉橋さんがいるの……?


「澄河ちゃんはどこ?」

「そう怖い顔をなさらないでくださいまし。せっかくですから当施設をご堪能されてみては? お嬢様」

「だから澄河ちゃんは……っ」


 まさか、そんなこと、ありえない。だって、そんな……。


「芙蓉ちゃん……私はめたんだよ?」


 確か……佐依子ちゃん、だっけ。澄河ちゃんと仲が良い子だ。最高のメイド服を作ってくれたり、いろいろ協力してくれたりで感謝もしてる。だけど……場合によっては……。


「そういうこと、なの?」

「今なら待ち時間もございません。どうぞ、お嬢様」


 澄河ちゃんはどこ? という私の問いに対して、執拗に中へと導きたがる倉橋さん。心拍数が嫌な痛みを伴って加速する。


「いってらっしゃいませ~」

「どうしようお化け屋敷が本物になっちゃう……」


 陰と陽の対象的な声音を背中に受けながら一歩、教室へと踏み入れた。

 どうでもいい。手の凝ったオブジェクトも、お化け役の名演技も、音響も空調ももしかしたら素晴らしいものなのかもしれないけれど、今は全部がどうでもいい。

 今は……今はただ……この先の……出口に……!!


「あっ、芙蓉」

「すみっ……か、ちゃ……」


 そんな……ぁ……ぁあ…………!

 なんてことなの……そんな……ダメに決まってる……ありえちゃいけない……どうして……ぁぁああああ!


「澄゙河゙ぢゃ゙ん゙が鎖゙骨゙出゙じでる゙!!!」

「うるさっ。ていうかそこ!?」


 昨日今日と私がいた場所に、今は澄河ちゃんがいる。

 お化け屋敷を回ったお客様を送り出すアイドル役がいるべき場所に、澄河ちゃんがいる。

 うさ耳付けてブラウンを基調にしたふわふわの衣装を纏って! 鎖骨と肩と太ももを大胆に露出した衣装を纏って澄河ちゃんがいる!!!!


「ぞん゙な゙可゙愛゙い゙格゙好゙じぢゃ゙ダメ゙じゃ゙ん゙!!!」

「ねぇそんな叫んで喉大丈夫!?」


 ダメ……可愛すぎて……危うく気絶するところだった……。倉橋さん……本当絶対に……本当絶対に……本当にありがとう絶対に許さない


「すみ……澄河ちゃん……なんで……?」


 朦朧としていた意識をなんとか持ち直し、眩しすぎて直視できない格好の澄河ちゃんへと近づいて問う。


「いろいろあったの。芙蓉が来るまでの間に、こうなる流れがあったの」

「そんなえっちな流れがあっていいわけないよ!?」


 急な覚醒状態のせいで脳もパニック。思考なんてろくにできない。とにかく今すぐやめさせないと……っ!


「ちょ、ちょっと待って澄河ちゃん! 動かないで!」

「なになに?」


 そんな……そんな格好でそんな風に動いたら……見えちゃうよ……? 澄河ちゃんの……普段隠れている……チラッと見えただけでも破壊力抜群な……あまりにも美しすぎる……腕と体を繋ぐ場所が……バッチリ見えちゃうよ!?


「!!! もしかしてさっきの……」


『可愛かったね~』『ね~! 噂通りの塩対応だったけど……うん、あれはハマるわ……』

 あれ、安喰さんのことじゃなくて……澄河ちゃんのこと……?


「うぅ……!!」

「ふ、芙蓉、大丈夫?」

「何人……?」

「えと、対応した人の人数かな? まだ三組だけしか来てないよ。人数で言ったら……七人! 七人だけ! だから、ね、安心して?」

「できるわけない! 藁人形の備蓄が足りないよぅ……!」

「なんでそんなものの備蓄が数個でもあるのかな!? 今すぐ全部お焚き上げしてもらおう!? もしかして五寸釘もあるのかな!? 全部DIYで使っちゃおう!?」


 待って、そう、最も危険な存在は――


「あなた! 安喰さん! 澄河ちゃんのことコンマ数秒でも見てないでしょうね!?」


 ――澄河ちゃんの隣にいる!


「無理を言わないでおくれよ、隣にいるんだから視界にも入るさ」

「わかった。今までは許す。これからは許さない」

「それだって十分無理難題「あなたの眼球を――」


 のらりくらりと躱そうとする安喰さんとの距離を潰し、澄河ちゃんには聞こえないように耳元で告げる。


「――藁人形の代わりにしてもいいんだからね」

「ふふ。女子高生が口にしていい脅し文句じゃないなぁ……」


 結構本気だったんだけど……全然怯んでる様子がない。完全に虜になってる。

 私がいない時間で彼女は……一体どれだけの澄河ちゃんを堪能してしまったんだろう……。これだけの至近距離で姿を、香りを、気配を……あぁ澄河ちゃん……そんな可憐なウサちゃんの格好をして……なんて罪な小悪魔なの……!!

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