第二十一話・代役

 退屈。

 あんまりにも退屈な時間が流れていく。

 文化祭も二日目に突入したが、上昇していく周囲の温度に反比例して私のテンションはジリジリと下降していた。


 お昼の休憩も開けてこれから最後の出番だと言うのに。全くもって気持ちが盛り上がらない。


 いかんせん、園片さんと二人の時間が作れていない。

 この恋を諦めないと決意したものの、結局は本人を前にすると物怖じしてしまって何も言えないし何もできない。

 彼女が他の人と楽しそうに接しているのを目の当たりにする度に悔しくて泣きそうになる。


「はぁ……」


 お化け屋敷を抜けた人達を送り出すアイドルのブースには、私一人しかいない。本来ならば芙蓉さんもいるはずなんだけれど……遅刻か。


 あぁ、わかっているわかっている。どうせ今だって園片さんと二人で文化祭を回って、楽しさが勢い余ってしまったんだろう。


「……むなしいなぁ」


 何を夢見てたんだ私は。大した行動しないで何かが変わるはずもないのに。

 ……こんな、慣れない格好をしてみたところで、彼女が振り向いてくれるわけもないのに。


「ど、どうもー」

「………………へ?」


 足音には気づいていた。ようやく芙蓉さんがやってきたと、そう思ってあえてつっけんどんな雰囲気を醸し出しているつもりでいた。


 だのに、今、私の目の前に——


「芙蓉の代役です。遅れてごめんね、安喰あじきさん」

「んっ? ふふ、へ、がはっごほげほ!」


 ——庇護欲と依存欲を同時に掻き立てるような格好をした園片澄河さんがいる。

 えっ、私今も夢見てる!??!?!??


「大丈夫!?」

「大丈夫。少し……咽せてしまって。ふ、ふふ……いやぁ、驚いたよ、園片さん」

「あはは、安喰さんでもそんな風に慌てるんだね」

「私をなんだと思っていたんだい?」


 驚くに決まってる!! なんだこの状況……ちょ、え、なんで当たり前のように私の隣に!? というかその衣装用意したの誰!? 園片さんに似合い過ぎて怖いのだけれど!?


「そりゃあ芙蓉が来るかと思ってたのに私みたいのが来たら驚いちゃうよね」

「……聞き捨てならないね。園片さん『みたいなの』なんて言葉。私は園片さんが来てくれて……嬉しくて、驚いてしまったんだよ」

「そう言ってくれると、ありがたいです」


 そんなエッッッ……セクシーな服を着ているのにそんなシャイな笑顔を見せるのはあまりにも反則なんだが!?


「安喰さんもとっても似合ってて可愛いよ。可愛いと言うか、綺麗……むしろ華麗だね!」

「あ、ありがとう」

「はぁ〜本当に参っちゃったよ〜、私が悪いんだけどさ〜——」


 今まで普通に話していたのに突然、何か思うことでもあったのか、園片さんは私の耳元に手のひらを添えてこしょこしょと囁いた。


「——ほとんど強制的なんだよ? この格好。倉橋さんに勝てなくて……」


 その一瞬で味わった至高の心地はこの生涯で忘れることはないだろう。私の耳は音ではなく、彼女の吐息を感じるために存在していたらしい。


「はは、は……それは参ったね……」


 神様仏様倉橋様! 心の底からありがとう! 今日まで頑張ってきて良かった!


「まさかこんな格好する日が来るなんて思わなかったよ。恥ずかしすぎる……」


 もじもじと身をよじる仕草さえ華がある。彼女を主演に映画を撮ったらシーンの取捨選択に死ぬほど苦労しそうだ。


 というか……なんか……ちょっとやっぱり……露出度が高いこともさることながら……体のラインが出過ぎでは……? 何らかの条例に引っかかってもおかしくない。


「いいなぁ。安喰さんの足すらっとしてて羨ましい。私太いから隣に並びたくないよー」

「!? ち、が……」違うそれは健康的なんだよ園片さん、張りがあって適度に丸みがあって触れれば弾けそうなくらい瑞々しく透き通っていて……間違いなく一個の芸術なんだよ素晴らしい個性なんだよ私は大好きなんだよ! ……ああもう言いたいことがあり過ぎて言葉にできない! 喉元で渋滞を起こしてしまう!


「……ま、良いよね、一生に一回の、高校2年生だもん。倉橋さん曰く、文化祭の恥は掻き捨てらしいし」


 えっ、天使? 私の好きな人天使だったの? なにその眩し過ぎる笑顔。更にそこから滲み出る圧倒的な包容力は。抱擁力と書き換えても良い。もしこの存在に抱きしめらたら……そんなのもう昇天する他ない……!!


「光栄だね」

「何が?」

「……園片さんの一生の、ほんの少しでも、こうやって……二人だけの時間を過ごせることを……光栄に思うよ」

「あはは、大袈裟だなぁ。でも嬉しい。ありがと」


 ありがとうはこっちの台詞……!! そして私自身に対してもありがとう。よくぞ格好付けずにちゃんと気持ちを言葉にできた! 今日はハーゲンダッツを買って帰ろう!


「それにメイド服も……とっても似合っていたし、所作の一つ一つが……気品に満ちていて素晴らしかったよ。帰宅した時こんなメイドさんがいてくれたら、どれだけ眠たい朝でも憂鬱を蹴散らして快活に登校できると確信したくらいさ」


 私!? どうしたんだ私よ! 調子に乗ったのか!? それは思っていても口にしない方が良かったんじゃないのか!? 引かれる可能性だって十二分に——


「そうかな? 良かった、ちゃんと練習の成果が出てたみたいで」


 ——んん、と。小さく喉をならした園片さんは、体の正面で手のひらを揃え、ささやかな会釈と共に言った。


「おかえりなさいませ、お嬢様」

「ッ!!!!」

「どう? 特訓のおかげで、あんまり照れないで言えるようになったんだ」


 だから……!! ただでさえ破壊力が強いそのセリフを……完璧な所作と! ギャップのある衣装で! 発したらダメでしょうが……!!


「最高だね。今まで聞いたどの『おかえりなさいませ』よりも効いたよ」

「効いた……? ってどういう意味……?」

「いや! 響いたよ! 心に!」


 危ない……! どんどんボロが剥がれていく……! こんなに幸せな時間なのに……まるで諸刃の剣だ……!!


「けれどその……あんまり軽々しくやらない方がいいかも……。脳ある鷹が爪を隠すように、脳あるメイドは『おかえりなさいませ』を隠すというからね」

「初めて聞いたけど……? それ単なる職務放棄じゃないかな……?」


 お願いだ。どんな疑問を抱いたとしても、軽率に人前ではやらないで欲しい。彼女に恋する人類が際限なく増えてしまう……!


「あーでも、私今から……似たようなことしちゃうかもしれない」

「似たようなこと?」


 どれ? どれと似たようなこと? 今までの会話にこれからの行動と繋がるようなことが……っ! まさか送り出すお客さん全員にメイド的な送り出しを!? ダメだ! そんなことは許されない。たとえ倉橋様の指示だったしても私は断固として許さな——


×


「……」

「あのぉ……」

「……」

「……えと、あれ? これ? そういう?」


 園片さんがアイドルとして立ち、最初のお客さんが訪れた。

 これまで私も芙蓉さんも、面倒ながらそれなりの対応をして送り出していた。と、いうのに——


「……」

「そういう感じ、っぽいね、行こっか」

「……」

「う、うん。ありがとうございましたーっ」


 ——園片さんは一言も発することなく、ただ相手を見つめて、小さく相槌を打つだけだった。


「はぁ〜緊張したぁ〜!」


 お客さんの姿や足音が完全に消えると、園片さんはプハーっと息を吐き出して、萎縮していたらしい四肢をストレッチし始める。


「園片さん……今のは……?」


 想像とは真逆の光景に、思わず直球の問いがこぼれた。


「えっとね、この出し物の最後が塩対応っていう前評判はもうかなり広がってるから、私は『お客さんのこと見ながら座ってるだけで良い』って、倉橋さんに言われて。私もこんな格好で人と話すの緊張するから……お言葉に甘えて……」

「ふ、ふふ……それはいい作戦だね」


 なんということを……! 彼女の新たなポテンシャルが引き出されて正直、かなり良い……! 私もお客さんとしてこの場に訪れたい……! こんな可愛らしい衣装を着た園片さんにジト目で見つめられたい……! おそらく5秒で耐えられなくなって襲うか逃げるかするけれども……!


「だから言ったでしょ? 職務放棄と似たようなことしちゃうかもって」


 少し悪びれながら、『でも仕方ないじゃん』という本心を隠さずに言う姿が、いじらしくて撫で回したくなる。

 まったく……園片さんのことを知れば知るほど魅せられてしまうなぁ。

 そして倉橋さん、こんなことにも頭が回るなんて……知れば知るほど恐ろしい人だ……。

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