第十四話・仕返し

「えっ、これ作ったの!?」

「作った」


 家庭科室のドアを開けると、窓際で二着のメイド服が佇み、そよ風に小さく揺れていた。


「手作り!?」

「手作り」

「どこから!?」

「生地の断裁から」

「凄すぎるでしょ!!!」


 興奮が抑えられずまくし立てる私の疑問に、疲労や達成感や虚脱感で椅子にもたれ掛かり半分白目を向いたまま佐依子ちゃんが答える。


 これ、え、手作り? できるの? 機械とか……工場とかなくてもできちゃうの!? そういう専門店でしかお目見え出来ないような素晴らし過ぎる出来栄えなんだけど!?


「ちなみに制作期間は……?」

「聞くと着られなくなるからやめときな」

「そんなレベルなの!?」

「まぁ文化祭でメイド喫茶をやる事を前提に、一年生の秋頃には構想できてたから……」


 構想含めて一年以上!? 確かにそんなこと聞いてしまったら気安く袖を通そうとは思えない……ものすごく貴重なお宝に見えるもん……!


「先生に言われなくたってさ、一生に一度しかないのは重々承知だからね。まっオタクが本気出せばこんなもんよ」


 佐依子ちゃんは親指を立てて笑顔を作って見せるも、指先には無数の絆創膏が貼られ、眼孔の下は重たげなくまがどんよりと浮かんでいる。


「輝き過ぎて眩しいよ……!」

「ふっ。次は澄河が輝く番だよ。私は服で、芙蓉ちゃん&安喰さんペアよりも澄河を輝かせるっ!」

「んぐっ」


 サムズアップをそのままガッツポーズ変え、強く私を見やる佐依子ちゃん。この熱意を見せられてしまっては、そんなの無理だよとは絶対言えない。私は私で頑張るしかない……!


「そいじゃ、早速だけど着てもらえる? 微調整必要だろうし」

「わ、わかった」


 手伝ってもらいながら慣れない衣服をゆっくりと身に纏っていく。裂けたり伸びたりしないように慎重に慎重に動いていると、佐依子ちゃんは「壊れもんじゃあるまいし、そんなおっかなびっくりにならないでよ」と笑う。

 だってだって……物理的にも心理的にも重みを増していくんだもん……!


「……すごい偶然。サイズぴったりだ」


 小物を含め着用が終わると、その可愛さや完成度以上に、私の体へあまりにもフィットすることに驚いてしまった。


「そりゃあ澄河用に作ったし」

「へ? 普通にMサイズとかじゃないの?」

「いやいや、澄河が着るの前提なんだから」

「でも……採寸とかしてないよね?」

「芙蓉ちゃんに聞いたら全部教えてくれたよ。ありとあらゆるサイズを、何もかも」

「…………」

「…………えっ澄河が芙蓉ちゃんに教えてたんだよね……?」

「いや……うん、そ、そう、かも……」


 もちろんそんな個人情報の極みみたいなことを話したことは一切ない。もしかしたら健康診断の結果を偶然見てしまったのかもしれない。芙蓉の頭脳なら一瞬でも暗記できてしまうだろうし。でも腕周りとか肩幅までピッタリなんだけど……うん、深くは考えないようにしよう……。


「ひとまず安心だね」


 言いながら佐依子ちゃんはスマホを取り出して、どこかに電話を始めた。

 倉橋さんに報告かな? なんて思っていると、通話中だったのかすぐに切れたらしく、スマホを再びポッケに仕舞い込む。


「それじゃ、その……達者で」


 そしてそのまま流れるように、そそくさと荷物をまとめると、バツの悪そうな表情を浮かべて家庭科室のドアに手を掛けた。


「どこ行くの?」

「あー、『澄河ちゃんの衣装ができたら真っ先に呼んで』って脅さ……頼まれてて……」

「脅さ……?」


 的を射っていない内容と不穏なワードに困惑していると、どこからともなく廊下を駆ける音が聞こえてくる。

 ぇ、めちゃくちゃ全力疾走してない? 勢い良すぎない!?


「じゃ! 私は教室戻ってるから!」


 その足音から逃げ去るように佐依子ちゃんも走り出し、家庭科室に残された私は生唾を飲んで身構えた。


×


「澄河ちゃん……!!」


 豪快にドアを開けた足音の主は――やっぱりというか安心というか――芙蓉。可愛らしいアイドルの衣装を纏ったまま、肩を大きく上下させて呼吸をしている。


「あぁ……なんて……なんて神々しいの……。眼福という言葉を作った人に感謝しないと……!」


 まずは衣装を作ってくれた佐依子ちゃんに感謝してほしいなぁと思いつつ、彼女が突撃してきた理由を考える。

 アイドル役の予行演習を放棄してこの場にいる理由……。

 ……決まってる。この服を着た状態でも、練習通りの応対ができるかチェックしに来たんだ。指南役としての責任感があってのことだろう。


「おかえりなさいませ、お嬢様」


 お辞儀の角度、柔らかい声音、聞き取りやすい話す速度、芙蓉に叩き込まれたことを思い出しながら実践すると、


「………………」


 芙蓉は完全に停止してしまった。返事をくれるどころか指先の一つもピクリとも動かない。


「あの……お嬢様?」

「はッ!!」


 近づいて声を掛けたところでようやく再起動した芙蓉は、何故か深呼吸をして両頬を叩いて眼光強く私に焦点を合わし、後ろ手でドアを閉める。


「………………た、ただいま、す…………

「っ」


 おっと。あれ、初めて、かな。呼び捨て。なんだろう、結構……なんか……不覚にも……ニヤけてしまいそうになった。


「澄河」

「はい……なんでしょう?」


 下の名前で呼ばれただけなのに、かっちりと上下関係が定められた感覚がある。纏っている衣服も作用しているのだろうか、今はこの随従が、悔しいけれど、心地良い。


「……安喰さんには気をつけてって言ったのに、澄河、すっかり忘れてたね」

「? ……いえ、私は「口答え無用」


 気にするほどのことでもなかったから気にしていなかった。そう答えようとした私を遮って一歩近づく。

 殆どゼロ距離で私の顔を覗き込み、上目遣いで続けた。


「こういうこと……されちゃったらどうするの?」

「っ」


 踵を上げて唇を寄せてきた芙蓉の肩を掴み、寸でのところで阻止する。危ない……油断してた……。


「だから、キスはダメって言った……言いましたよね?」

「だって私以外の人が澄河の初めてを奪うなんて……耐えられない」

「安喰さんがこんなことしてくるなんてあり得ません。心配しないでください」

「…………澄河のあり得ないは、よ」

「浅い……? んっ」


 突然、首筋に押し当てられた柔らかい感触と熱い体温。体の芯から、強制的に火照り出す。


「今だって、こんなことされると思ってなかったでしょう? あり得ないって。でも、あり得た」

「が、学校でこんなことするなんて……いけないに決まってます」

「うん。だからするんだよ」

「意味が……わかりません」


 私の言葉を受けると、意地悪に口角を歪ませ今度は耳元で囁き始めた芙蓉。


「いけないことした瞬間って、強く強く記憶に刻まれると思わない? 私は私を、澄河に刻みつけたい。記憶にも、体にも」


 直接脳に思想を塗り付けられているようで、体が勝手に小さく痙攣する。


「それに……私にも刻みつけられたい。……そうだ。日頃から私にやられっぱなしでしょう? 仕返しすることを許可するわ」

「仕返しって……」


 お嬢様感がすっかり板に付いてきた芙蓉は、嬉々として言う。


「澄河、命令よ。私に仕返しをしなさい」


 その瞳は、もはや役など演じていなかった。真剣の塊。言葉一つで私を操れると確信している。


「もう……これで、いいでしょ」


 これ以上続けたら、本当に引き返せなくなる。癖になって、おかしくなる。

 そんな予感から逃げるように、意趣返しのつもりで……私は命令に従った。


 白く、艶かしく蠕く芙蓉の首筋に、ほんの少しだけ、唇を押し当てた。


「ぅ……ぁ……!」

「え!?」


 途端に、両足の力を失い崩れ落ちた芙蓉を慌てて抱きしめて支える。


「ごめ……腰抜けちゃって……立てないや……」


 ふにゃっと。照れるように甘えるように笑う芙蓉を見て、胸をなでおろす。戻ってきてくれて良かった……もしあのままだったら……私達はどうなっていただろう。


「大丈夫……?」

「んっ、ダメ。今……澄河ちゃんに触れられてるだけだけで……気持ち良くて……どうしよう……?」

「ど、どうしろと……?」

「じゃあ……ぎゅー、ってして?」

「平気なの?」

「平気じゃないけど、平気じゃなくたっていいから……」


 縋りついて懇願する芙蓉に気圧され、支えていた両腕に力を込めた。

 呻くような声と、苦しそうな吐息が漏れ、私の耳をじっとりと濡らしていく。


「……嫌なことは嫌って言って。そう、安喰さんに言ってたよね?」


 結構離れていたのに、あの会話が聞こえていたの? それとも誰かが芙蓉に教えた? 疑問符が駆け巡る私の返答を待たずに芙蓉は続ける。


「私も、言っていいのかな?」

「言って。聞きたい」


 声が、震えている。涙に濡れている。堪えていたものが、溢れ出すように。


「いやだ……」


 ポツリと、一滴の言葉を零してから、芙蓉は抱き寄せる腕に力を込めて、思いの丈を私の体内へ染み込ませるように響かせる。


「澄河ちゃん……誰とも話さないで、誰にも触れないで、誰のことも考えないで……。私とだけ話して。私にだけ触れて。私のことだけ考えて。私の中に澄河ちゃんがいるみたいに……澄河ちゃんの中には……私だけがいたいのに……!」


 なにか。

 いつの間にか泣きじゃくっている芙蓉を安心させるような、なにか一言があればいいのに。

 私は彼女の華奢な背中をさすり、艶やかな髪を手櫛で梳かしながら、その一言を探すことを放棄した。


 見つかるわけがない。

 そんな諦観も理由の一つだ。

 だけど、それだけじゃない。


 歪んでいる。


「……芙蓉、泣かないで」


 心地良い。

 ——私、歪んでる。

 大好きな人の涙が、こんなにも心地良い。


 自分が想像していたよりもずっと、私の存在に執着している芙蓉の存在が……頬が緩むほど心地良くて……唾液がこみ上がるほど、愛おしい。

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