恋人

第十五話・逆転

「ねぇ、顔、見せて」


 思考回路を飛び越えて、『したいこと』が脊髄反射で言葉になる。


「……でも……」


 芙蓉は躊躇った。気持ちはわかる。私も自分の泣き顔を進んで人に見せたいとは思わない。だから、見たい。


「こっち見て」


 照れているのか、少しの抵抗を見せる芙蓉の頬に手を添え、こちらに向けさせる。

 潤んだ双眸は私を見据えてから、すぐにまた逸らされた。


「っま、待って澄河ちゃん」


 無防備になった首筋に再び唇を押し付けると、芙蓉は慌てて私を押し除けようとした。当然、待たない。


 唇を押し付けたまま、その隙間から伸ばした舌先で軽くなぞる。

 その痛烈な威力は、あの押し入れで身をもって学んでいた。


 どこをどんな風にしたら、どこがどんな風になるかは、芙蓉が教えてくれたんだよ?


「待って……待って、待って。……おか、しく……なっちゃう……」

「私はもう、なっちゃったみたいだよ。芙蓉のせいで」


 震えた声での制止にも聞く耳を持てない。這わせる舌の面積を徐々に広げ、彼女の変わる変わる反応を堪能する。


「澄河、ちゃん……」

「芙蓉……」


 いつの間にか、いつかの日と体勢が逆転していた。

 メイドに押し倒され覆い被さられ、両手を掴まれ抵抗も許されない主に同情しつつ、惨めに思いつつ、愛おしく感じた。


「なんで? 澄河ちゃん……どうして、こんな……?」


 その困惑に満ちた問いに、もっと喜んでくれてもいいじゃん、とこじらせた幼さが、彼女への意地悪を加速させる。


「理由が欲しい?」

「……いらない。幸せで……死んじゃいそうなだけ……」


 芙蓉はぎこちない笑顔を作り、大粒の涙を絶え間なく零している。顔の輪郭をつたい地面へと滴りそうなを舌ですくうと、芙蓉は頬を更に赤らめて瞳を閉じた。

 もっと、欲しくなる。


「でも……もう、許して? ずっと……ずっと、気持ち良くって……ずっと、続いてて……」


 くたっと脱力して寝転びながら、両腕で自身の表情を隠して哀願する姿は、おかわりをおねだりしているようにしか見えない。


 お腹の少し上あたりでぐつぐつと煮えたぎる熱が、脳まで巡り理性を焼き切っていく。


「ダメ」


 一番になんて、ならなくても良かったのに。

 みんなが楽しければ、正直、自分のことなんてどうでも良かったのに。

 芙蓉が主役の物語の、モブでも良かったのに。


 今は……自分本位が止まらない。

 知らなかった。私がこんなに強欲だったなんて。きっと知らないでいられたのに……芙蓉のおかげで——芙蓉のせいで、知ってしまった。

 確信してる。こうなってしまったら、もう、二度と十分前の自分にすら戻れない。

 だから——


「許してあげない」


 ——その涙を、もっと見せて。その心をもっともっと私で満たして。

 私だけの芙蓉であることを、証明し続けて。


「私のここ……散々弄ってくれたよね?」

「っ」


 馬乗りになって、はだけた衣装を指先でどかしながら、彼女の鎖骨をなぞる。

 自分のそれには何も思わなかったけれど、こうしてみると確かに唆るものがあった。


「どうされたい?」


 指先で微かに触れながら問うと、芙蓉は嬌声を抑えながらか細く答える。


「……られ、たいです」

「ちゃんと教えて」

「私も……弄られたいです」


 予想通りで期待通りの返答は、想像以上に、私の心を踊らせた。


「良く言えましたね、お嬢様」

「その格好で……そんな風に言うの……ずるいよぉ」

「誠心誠意、ご奉仕いたしますね」

「っ……は、はい……!」


 自分で言って、少し笑った。

 こんな言葉で、これから始まる無礼の限りが許されるのだろうか。

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