第九話・三つ巴

「それじゃあ、お邪魔しました」


 玄関の外はすっかり陽が落ちていて、鈴虫の声が夜の到来を告げていた。見送る芙蓉へ振り返り、私は小さく手を振る。


「澄河ちゃん」


 サンダルをつっかけた芙蓉が私に駆け寄り、その手を取って言う。


「また、来てくれる?」


 どこか不安げな表情は小動物を連想させ、私は軽く頭を撫でた。


「今度は部屋見せてね」

「うんっ!」


 それから、なんだか離れるタイミングを失ってしまい芙蓉と見つめ合っていると、玄関から顔を覗かせた花梨さんに声を掛けられた。


「二人とも風邪引いちゃうよ〜?」

「あっ、はいっ。もう帰ります、お邪魔しました!」


 ハッとなって芙蓉から離れ、名残惜しなってしまう前に歩き出す。


「またいつでも来てね〜」

「はいっ! じゃあね芙蓉、また月曜日!」


 芙蓉の過去について、実は私はあまり知らない。噂はいくらでも聞いてきたけれど、本人の口から語られない情報に価値はないし。


 両親と離れ、叔母と二人暮らし。そんな彼女が真っ直ぐで優しく清らかなのは、花梨さんという、大らかで柔和な存在がきっと影響していると思う。


 さっきだって、まだまだ興奮冷め止まない芙蓉をなんとか押し退けて和室に帰還した私と、更なる追撃を加えようと一緒に芙蓉が出てきたのと全く同じタイミングでもう一度花梨さんが和室に訪れた時も、『なんだ、そこにいたんだ』で済ましてくれたし……!


 何か言い訳をしなくちゃとあわあわしていた私を他所目に、『押し入れで寝るなんて二人もまだまだ子供だねぇ』とふにゃっと柔らかく笑いかけてくれたし……!!


 あぁでも、私の場合はあんな親戚のお姉さんいたら甘えに甘えてもっとダメダメな人間になっちゃうかもなぁ……。


×


 月曜日。芙蓉は至って平常運転だった。押し入れの中で見せた表情が夢に思えるほど。


 むしろ変なのは私の方だ。他愛無いことを喋りながら、一定のペースで歩きながら、自然に伸ばされた芙蓉の左手が私の右手の指に絡まると、鼓動が大げさに高鳴る。いつも通り、今までと同じ、何気ないスキンシップなのに。


「みんな、今日こそ決めるよ!」


 どうにもシャキッとしないまま今日の時間割りが全て消化され、やってきたHRホームルームの時間。

 きたる2週間後の文化祭に向けて、我がクラスは血気立っていた。

 人気投票数が上位のクラスには商品券が配られるという、時代錯誤な校風なのが主な原因。


「芙蓉ちゃんや安喰あじきさんを筆頭に、このクラスには可愛い&美人が勢揃い! アイドルの握手会っぽいことやれば入賞間違いなしだよ!」

「ちょい待ち! その圧倒的ビジュは王道のメイド喫茶で活かしてみん!?」

「いやいやいやいや! 女子盛り上がってるけど男子は全員お化け屋敷やりてぇんだって!」


 と、まぁこんな具合の三つ巴。

 けどお化け屋敷は無理かな……? うちは元々女子校だったのが他校と合併して共学になったこともあって、男子の数は少なく可哀想なことに発言力も弱い。このクラスも女子20人に対して男子5人しかいないもんね……。


「お前達そんなんでいいのか?」

「「「!?」」」

「高校二年生の文化祭は人生で一度しかないんだぞ……? 争って妥協して諦めて……そんなんでいいのか!?」


 ついさっきまで黙りを貫いていた担任が、いやに演技かかった物言いで語り始めた。


「というと……?」


 まとめ役の倉橋くらはしさんが、ノリノリの先生に若干引きつつ疑問符を浮かべる。


「全部だ」

「「「!!??」」」

「全部盛り込んでやればいいだろッ!」

「「「「「それだーーー!!!」」」」」


 ワールドカップでゴールが決まった瞬間みたいな歓声が教室を包み、黒板に記されていた三つの案が消されて書き換えられる。


 と、いうわけで。

 今年の我がクラスの出し物は、『メイドがお出迎えしてアイドルが見送ってくれるお化け屋敷』に決定した模様。

 ……………………なんそれ?


×


「受付では二人のメイドさんが出迎えてくれて、お化け屋敷はガチで怖い仕様にして、最後に超可愛い二人のアイドルが褒め称えて見送ってくれる……最高だね! 得票数ダントツ間違いなし……!!」

「重要になってくるのは……アイドルとメイドを誰にするか!」

「看板になってもらうんだもん、コロコロ変えるのは違うよね」

「なら1日目にアイドルとメイドを二人ずつ、2日目も同様に二人ずつ。計8人を選出して、あとはお化け屋敷係にしよう!」

「いいねいいね!」


 さっきまでのいがみ合いが嘘のように、とんとん拍子で話が進んでいく……。いやほんとさっきなんだったの……? というかこの出し物もなんなの? みんなスッと飲み込んでるの? 私未だにちょっと掴めてないんだけど?


「それじゃあ早速だけどアイドルは……芙蓉ちゃん、お願い!」


 倉橋さんはその名を黒板に記し、快活にお願いしてみせた。

 まぁ、当然でしょうね。

 お化け屋敷という恐怖空間の後、芙蓉に見送られたら吊り橋効果も相待って男女問わずメロメロだろう。

 なんの気ない表情を取り繕ってますけど、内心めっちゃ誇らしいです。


「……」


 芙蓉は沈黙したまま、右斜め後ろへ小さく振り向き私へ視線を投げる。

『やって! 絶対! 見たいから! 芙蓉のアイドル的な姿見たいから!!』と、必死でアイコンタクトすると——


「わかった。頑張るよ」

「「「よっっっしゃあーーーー!!!」」」


 不承不承といった面持ちで、されどしっかりOKしてくれた芙蓉。ありがとう〜〜〜!


「それと……絶対に外せないのが……」


 今度は名前を書き込む前に移動した倉橋さん。それにクラスの女子達もずらずらと続き、一つの席を取り囲んだ。


安喰あじきさん! お願い!」

「私? ふふ……私かぁ……」


 クラス一、いや学校一のミステリアス美人、安喰さんは、頭を垂れるみんなを黒髪の隙間から愉快そうに眺めている。


「そうだねぇ……みんながそんなにお願いするなら……ふふ、いいよ」

「「「「やったぁ!「その代わり」


 再び歓喜の渦が生まれそうな空気をピシャリと堰き止め、安喰さんは言った。


園片そのひらさんにも、アイドルをやってもらおうかな」

「…………え?」


 ん、え? なに? 今私の名前出た? うちのクラスまだまだ可愛い子いるからね? その子達差し置いて私がなんてありえないよね?


「ん〜澄河ちゃん可愛いけど……アイドルってタイプじゃあないような……」


 突拍子もないアイディアも、倉橋さんは真剣に吟味してくれたらしい。

 うぅ……煩わせて申し訳ない……!!


 クラスの子とは満遍なく友交があるつもりだけど、安喰さんとは数回しか話したことないんだよなぁ。なんでこんな事言うの〜?


「そ、そうだよそうだよ! あ、あと私お化け屋敷の装飾作りたいし!」


 自己保身のための援護射撃をしてみるも、なんだか暖簾に腕押しな感触……!!


「ふぅん……でも私は見たいなぁ……ふふ……アイドル衣装の園片さん」

「む〜……確かに悪くないもんねぇ。いや……むしろ良い……? うん……それじゃあ、お願いしようかなっ」


 いやいやいやいや! 安喰さんにやって欲しいからってそんな安易に決めちゃダメでしょ!

 全力の拒絶をかますために立ち上がるも、私より先に芙蓉が口を開く。


「待って」


 ……なんかいつもよりゆっくりな口調だし……言葉に覇気があるし…… 握り締めたシャーペンがミシミシいってるし怖いんだけど!? めっちゃ怒ってない!?


「澄河ちゃんがアイドルをやるなら、私はやらない」


 さ、さっすが芙蓉! 私が困ってるのを瞬時に察知して助け舟を出してくれるなんて……!

 やり方はちょっと脅しっぽいけど……。


「そんな……二人ともなんで……いきなりそんな……」


 今まで滞りなく進んでいただけに、こんなところで躓くとは誰も思っていなかったのだろう。徐々に空気が重たくなっていく。それと私は居心地の悪さで心臓潰れそう。


「……わかったよ。ふふ、私が折れる」


 長い沈黙の果て、安喰さんは前髪の奥の瞳を閉じて降参のポーズをとり、教室は活気を——


「けれど、」


 ——取り戻しかけたところで、またしても凍りつく。


「そしたら園片さんにはメイドをお願いしたいね」


 また私か……!! なんか安喰さんの恨み買ってたっけ……!?


「確かに!! 澄河ちゃんの温和で包容力のある感じとか……メイドさんにピッタリかも!」

「…………はい?」

「いいねいいね!」

「うん! 私も賛成!」


 えっ、ちょ、ま……なんでそんな急に賛同の意見が……芙蓉、芙蓉ヘルプ!!


「でも……それは「私はさっき折れたよ? 今度はそっちが折れてくれたっていいよね?」


 何か反論を口にしようとした芙蓉を、安喰さんがピシャリと鋭い口調で斬り伏せ、黒板の『メイド1』の下に私の名前が記された。


「こりゃあ気合い入れて作らなきゃな……クラシカルなメイド服」

「作るの!?」

「任せなよ……私が今までどれだけのコスプレ服縫ってきたと思ってんだい……!」

佐依子さえこ頼りになるー!」

「あっ、アイドルの服は無理だから。言い出しっぺがなんとかしてね〜」

「「「だよね〜〜〜!」」」

「ドンキ行く? インスタになんかいい感じのないかな??」


 議題がまとまり浮かれ始めたクラスのみんな。

 ギャルもオタクも陰も陽も文系も理数系も仲の良いクラスなのはね、嬉しいけどね、でも今はその結束が少し恨めしい……!!


「急だけど任せたよ、澄河ちゃん!」

「……はいよぉ〜」


 でも……いっか、芙蓉の可愛い姿を存分に堪能させてもらうから……!


×


 安喰さん……あなどれない……!!

 澄河ちゃんの性格からして、孤立している安喰さんとなにかしらの接触がある可能性は大いにある。そして澄河ちゃんと接触があるということは、澄河ちゃんを好きになっている可能性が限りなく高いということ……! 間違いなく危険分子……!!


 それにさっきの会話の流れ。彼女の着地点は『澄河ちゃんにメイド服を着せること』だったに違いない。

 クラスの空気を完全に操って……私もまんまと乗せられて……反論の余地を奪われた。

 だってあれ以上いざこざしてたら澄河ちゃんが気を悪くするのは明白だったから。


 だけど今……一番許せないのは私自身だ……澄河ちゃんのメイド姿を見たい欲求に勝てなかった……本当は誰にも見せたくないのに……見た人間の網膜を八つ裂きにするべき立場なのに……私が守らなくちゃいけないのに……なんて不甲斐ないの……!!!


 この反省は次に活かす。まずは澄河ちゃんとペアになる人に最大限の警戒を。

 メイド服の澄河ちゃんがずっと隣にいるなんて好きにならないわけがないんだから!

 そう、メイド服の澄河ちゃん……!!

 メイド服の澄河ちゃん!?!?!?!???!?!???!?

 どうしよう想像しただけで可愛過ぎて可憐過ぎて清楚過ぎて瀟洒過ぎて心臓が止まっちゃいそうだよ……!!

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