第十一話・無意識

「芙蓉、そろそろ時間じゃない?」

「ホントだ。はぁ……」


 人前に出ても恥ずかしくない程度のメイドさんになるためのレッスンをしていた私達の周りには、いつの間にか期待の眼差しを向ける人たちが集まっていた。

 もちろん皆のお目当ては芙蓉。彼女がアイドルとしてどのような振る舞いをするか興味津々というわけだ。わかるよ、私も同じ気持ちだもん。


「……それじゃあ、行ってくる」

「うん! 頑張って!」

「澄河ちゃんも……来て、くれるんだよね?」

「あったりまえじゃん! なんのために今まで頑張ってきたと思ってるの?」

「そ、そっか。そんなに……私のこと……えへへ……。ありがとう、澄河ちゃんのおかげで頑張れるよ」


 曇っていた表情が少し赤らみ、足元に落ちていた視線が正面を向き、珍しく丸くなっていた背筋を正した芙蓉は『アイドル養成所』と名付けられた区画へ歩み出す。瞬間、待ってましたとばかりに歓声が湧き、教室の温度が体感で二、三度上昇した。


 あっという間に人混みに埋もれてしまい芙蓉の姿はもう見えない。顔を出すのは後でいいし、その前にずっと我慢していたトイレに行っておこう。


 道中の廊下にも各クラスの文化祭への熱が滲み出ていて、親近感と対抗心を同時に覚える。きっと誰かがその昔、こんな心持ちを『ワクワクする』って名付けたんだろうなぁ。


×


「あっ」

「おや」


 トイレから戻る道中、なんとなく遠回りした先にある二階の渡り廊下で、窓枠に肘を突き校庭を眺めている安喰さんを見つけた。


「余裕なんだね。こっちはてんやわんやだよ」

「ふふ……恨んでいるかい?」


 体勢を変えて私と向き合い、安喰さんはジッとこちらを見つめる。

 顔の中心を美しく通る鼻筋がうっすらと隠れる程に伸びた前髪の奥から、二色の双眸が妖しく燦めいた。

 オッドアイ、というらしい。右目は冬の夜空みたいに澄んだ黒色で、左目は朝日に照らされた森林のように明るい翠色。


「そこまでは言わないけど……私を名指しにした理由は知りたいかな」


 私の問いを受けて、安喰さんはコピペしたようにいつもと変わらないメロディで、『ふふ』と嘲笑わらう。

 ずっと変わらない笑い方。

 高校一年目の五月、ゴールデンウィークが開けて早々に転校して来た彼女と初めて出会った時から、ずっと変わらない。


 ずっと変わらないのに、私は彼女がずっとわからない。

 一言で表すなら不思議な人だ。不思議ちゃんとかじゃなくて、彼女の本質を掴ませないための深い濃霧に、揺るぎない壁にいつも包まれている感じがする。


「簡単だよ。メイド服を着た園片さんが見たかったから」

「どうして私? もっと似合う人も可愛い人もいるのに」

「それは……もう一度言わせたくて聞いているの?」

「っ」


 確かに。彼女がそう答えたのならそれ以上の答えはないだろうに、無意識に出た言葉とは言え、繰り返し言わせているみたいで恥ずかしい。

 少し、安喰さんのことがわかった。ちょっと意地悪。


「もういいです。安喰さんも教室戻りなね、アイドルの練習しないと」

「ふふ、理由はもう一つあってね」


 赤面を見られたくなくてそそくさと歩き出した私の背中へ、安喰さんが続けたので足を止めて振り返る。ちょっとだけ。


「そろそろ園片さんの眼中に入っておきたかったんだ」


 眼中? と聞き返そうとして、またからかわれるのが嫌でやっぱりやめた。


「それだけ。……さて、じゃあ戻るとしようかな。私がアイドルなんて嘲笑わらっちゃうけど、園片さんを巻き込んだ責任があるし」

「教室、逆方向だけど……?」

「トイレに寄ってから行くよ。こう見えて緊張に弱くてね」


 気怠そうに動き出した安喰さんは私に背を向け、ひらひらと右手を振りながらポツリと零す。


「ふふ……せいぜい頑張るよ。彼女の引き立て役として」


 先週のやり取りでも感じたけど……安喰さんって芙蓉のこと……あんまり良く思ってないよね? 私の知らないところで接点あったのかな。

 いや、今の発言はそれ以上にモヤモヤすることがある。 


「ねぇ、安喰さん」

「なんだい?」

「そんな寂しいこと言わないで。みんな、安喰さんともっと顔を合わせて、もっとお話して……もっと仲良くなりたいって思って、あんなに真剣にお願いしてたんだよ」


 私のクラスに、安喰さんを芙蓉の引き立て役にしたい人なんて絶対にいない。上手く言葉がまとまらないままでも、語彙が拙くっても、それだけは絶対に伝えたかった。


「……それは……園片さんも?」


 安喰さんが小さく振り返り、翠色の瞳がまっすぐに私を捉える。


「もちろん! ……だから恥ずかしいけど、メイド役だって引き受けたわけだし」

「……全く。そういうところだよ」

「え?」

「いいや、何でもない。これは言わせてしまった私が悪い」


 そう言うと、再び前を向き早足で遠ざかっていく安喰さん。ずっとトイレ行きたかったのかな? なら呼び止めて申し訳ないけど……少しでもみんなの気持ちが伝わっていたらいいな。


 にしても……安喰さん、緊張に弱いタイプなんだ。……ちょっと意外な面が見られて、ちょっと嬉しい私も、ちょっと意地悪なんだろうか。


×


 失敗した。

 熱くなった頬や耳を、万が一でも園片さんに見られたくなくて歩き出したものの、トイレを我慢していたと思われたらどうしよう。

 どうしようもないけれど。


 落ち着け。

 こんなはずじゃなかったじゃないか。

 遠くから眺めてるだけで十分だったじゃないか。

 どうして私はこんな……男子小学生みたいに、彼女が困ることばかりしているんだ。


 わかってる。原因はあの日だ。園片さんが……神田とかいう男子に告白してるのを見てしまったあの日からだ。

 雪崩なだれるように焦りが大きくなっていって、理性が働くよりも前に口を開いてしまう。


 どう藻掻もがいたって、足掻あがいたって。どうせ彼女は、他の人のことが好きなのに。

 落ち着け。期待するな。彼女の言葉を鵜呑みにするんじゃない。『仲良くなりたい』っていうのはそういう意味じゃない。


 ……。

 …………。

 ………………あー。

 ふふ、ふ、ふふふ…………無理だ、無理。わかった、もう無理だ。

 こんなに好きなら、諦めるなんて到底無理だ。

 彼女の優しさを独占したい。笑顔も、温もりも、全部、全部……!


 まずはやはり、一片。一ミリでもいいから彼女の視界に入る。そのための行動をするんだ。


 あぁ、さっそく緊張してきた。……大丈夫、いつも通り、嘲笑わらって誤魔化ごまかせ。自信を演じろ。余裕を振る舞え。


「ふふ……ダメで元々。やるだけやるさ。ふふふ……」

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