第七話・えっち!
「私達には『これから』があるじゃん。ずっと先まで続いてる『これから』が」
「そう、だね」
「…………」
「…………」
「…………そ、そういえば……」
私の言葉を受けて、彼女は確かに、何かを言い淀んだ。
良いか悪いかわからない癖が発動し、私は即座に話題を変える。
「その、芙蓉の部屋ってあるの?」
「ある、よ?」
急な方向転換には違いないけれど、初めての訪問ならではの質問としてはおかしくないだろうに、芙蓉は表情をピシッと凍らせてぎこちなく答えた。
「どんな部屋!? 見せて見せて!」
芙蓉のことだから……すごくシンプルでまとまりのある部屋かな? アイボリー系の色調に合わせた家具があったり……! おしゃれな棚に観葉植物もありそうだなぁ~!
それともアレかな、実はパステルカラーを基調とした可愛い系の部屋で、ぬいぐるみがたっくさん置いてあったり!?
などと妄想を働かせる私を制止したのは、芙蓉の絞り出すような声だった。
「っ、だ、だめ」
「えっ?」
なかなかに意外。おうちに遊びに行くと大体こういう流れになるんだけどな。
「恥ずかしがらなくてもいいじゃん~」
「ダメなの。その、すごく……散らかってて」
「気にしないよ。絶対私の部屋の方が散らかってる自信あるし」
「そんなことない! 澄河ちゃんの部屋すっごく綺麗でとっても落ち着けて蕩けるくらい良い香りで世界遺産に登録されるべきパワースポットだもん!」
そんなことは絶対にないけどね!? ここでそんなボルテージ上がっちゃうのは何故に……?
「……でも、私の部屋は……まだ、ダメ。
「そんなに……?」
まさかの家主ストップ。めっちゃ気になるけど……。
「ごめんね、澄河ちゃん」
「んーん。私も無理言っちゃってごめんね」
さっきまでのゼロ瞬きから一転してタジタジの芙蓉も可愛かったし……ここは折れますか。芙蓉が自分自身で許せるレベルに片付いた後でまた遊びに来ればいいし。
「
一つの話題が終わるも、会話が途切れることはなかった。私は普段あまり足を踏み入れない和室に結構興味津々で、部屋を見回し、水墨画の
「ああいう押し入れもいいよね。うち和室ないからさー」
なんとなく近づいてみるも、先程のやり取りを思い出し取っ手に掛けた指を止めて聞く。
「……開けても、いい?」
お部屋NGだったら押し入れNGもあり得るからね!
「ふふっ大丈夫だよ」
「じゃあ失礼して……」
今度は笑顔で答えてくれた芙蓉に安心して襖をスライドさせれば、高価そうな柔軟剤の香りがムンと出迎えてくれた。それからすぐ視界に入ったものは……
「あれ? 布団もう一組ある、ね」
「うん。あるよ?」
「……」
「…………」
いや、深くは聞かないでおこう……。ここは芙蓉が住んでいる家なんだから、芙蓉の常識に則らないと。
「私、こういう暗くて狭いところ好きだからさ、押し入れの中で寝るのとかちょっと憧れたな~」
「そうなんだ。…………ふふ、試しに乗ってみたら?」
「え~? いいの?」
正直、まんざらでもない。むしろ芙蓉なら優しくそう言ってくれることを無意識に察して切り出したまである。
二段ベッドの上とかロフトベッドにも心惹かれるタイプの人間なんです……!
「底抜けない?」
「大丈夫だよ、そんなに脆くないって」
やけに背中を押してくれる芙蓉に若干の違和感を抱きつつも、好奇心は抑えきれずお言葉に甘えることに。
「ん、しょ……と」
両手を中段の棚板に置き、ゆっくり体重を掛けてよじ登る。
ちょっとでも木が軋む音がしたらやめようと思ったけれど、芙蓉の見立て通り丈夫らしい。
「やば……なにこれ楽しい……!」
私は私で見立て通り、日常の中に潜む非日常的楽しさが胸の奥から湧き上がってくる。心拍数は上がっていくのに、たぶんすぐ寝落ちできるくらいには落ち着く……不思議な感覚。
「澄河ちゃん」
「んー?」
このままではタイミングを逃して本当に寝てしまいそうだと危惧し、そろそろ降りようとしたとき――
「ちょっと詰めて」
「えっ」
――何故か、芙蓉も乗り込んで来た。
「ちょちょちょ……」
奥へ奥へと詰めてくる芙蓉にハラハラしていたけれど、棚板は軽い音を鳴らすだけでびくともしない。
「私はね――」
私の目を覗き込みながら芙蓉は、後ろ手で器用に内側から襖を閉めていく。
「――私は……こういう暗くて狭い場所……苦手だった」
「だった?」
「今、好きになったの」
声が反響を終え、微かに聞こえる芙蓉の吐息。密着した体から微かに伝わる、芙蓉の早い鼓動。
不必要な視覚の代わりにそれ以外の感覚器官が鋭さを増していく。
今までいた現実の世界から私達だけが切り離されて、暗闇の世界に取り残されたみたい。
「ねぇ……芙蓉、怒ってる?」
「どうして?」
「ずっと黙ってるし……さっき部屋のことでしつこくしちゃったから……」
「怒ってないよ。むしろ澄河ちゃんが私に興味を持ってくれたことが嬉しかったよ」
「ん、そっか」
じゃあなんだろう、この重たい空気は……。
こういう特別な雰囲気でしか話せないことでも切り出されるかと思って構えていたけれど、違うんだろうか。
網膜は闇に慣れてきたらしく、正面で横たわる芙蓉の輪郭がくっきりとしてきた。
眺めていると、彼女はゆっくりと目を開ける。それから、私の瞳をじっと見つめ、それから、再び目を閉じ、それから、ゆっくり、私達の距離を――
「ねぇ、今………………キス、しようと…………しました……?」
「し……………………して、ない……………………よ?」
――絶対しようとしてたじゃん!
あぶなっ見惚れててそのままされるところだった! こちとらファーストキスなんですけど!?
慌てて肩を押して近づいた分を引き離し、私の思いを言い聞かせた。
「先に言っておくけどダメだからね。いきなりキスとか絶対ありえないから。私、そういうのはちゃんと順序を……」
「そうだね、順序。こっちが先だったね」
言うと芙蓉は強引に体勢を変え、私の腰の辺りで馬乗りになる。
私は痛くも苦しくもないから彼女は自分の膝に体重を掛けているのだろう。なんて、急転した状況のせいで脳が妙に冷静になっていると――
「っ」
芙蓉のシャンプーの香りが一層強くなって、首元に滑らかな髪がはらりと垂れてきて、次の瞬間には、生ぬるくて柔らかくて湿っている何かが、私の鎖骨を蠢くように這っていた。
「約束だから、いいよね」
「いまぁ!?」
もちろん身に覚えは、ある。
『じゃあ……鎖骨、舐めたい……』確かに彼女はそう言っていた。
私もそれを許可した。
だけど……だけど……!
「なんか……なに、これぇ……!」
芙蓉の唇は、舌は、ぴちゃぴちゃと水音を立てて私の鎖骨を弄ぶ。時折抵抗の意志を見せてみせるも、嬉しそうに抑え付けらてしまう。
未知の感覚に思わず声が漏れると、芙蓉はその行為を一層激しくした。だから必死に、荒くなる呼吸ごと押し殺す。
「やめ……いや、芙蓉……!」
全然思ってたのと違う……! もっとこう……軽く……キスするくらいだと思ってたのに……!
「はぁ……ふふ、澄河ちゃん……ふふふ、あははっ。澄河ちゃん……澄河ちゃん……!」
私の名前を呼びながら、笑いながら、泣きながら、私の鎖骨を
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