第六話・大丈夫?

「はい、澄河ちゃん」


 まるでが定位置であるかのように自然と収まった芙蓉は、掛け布団を持ち上げて私を誘う。


「どうしたの?」

「いや……」


 私の足が彼女へ近づくためには、聞いておかなければならないことがある。


 布団が一組、という点については、幼馴染(以上?)の関係ならばそれでも問題ないらしい『芙蓉の感性』ということで一応納得できた。


 ただ、それ以上の違和感。これは一体なんだろう。静かに探り、思考回路がギュンギュンと音を立てて答えを導き出そうとする中、一迅の風が縁側からふわりと部屋に流れ込み——気づく。

 他の誰もがスルーするとしても、芙蓉スペシャリストの私にはわかる。

 

「芙蓉……さっきからまばたき……してなくない……? 大丈夫……?」

「大丈夫だよ、こんな夢見たいな景色、見ないの勿体無いから。一瞬でも、見過ごしたくない」


 えっ、眼球の乾きってそんな感じで無視できるものだっけ……?

 ジッと。体も視線も固定したままの芙蓉からは近づき難い雰囲気が滲み出ており、私は尚もたじろぐ。


「あっ、ほら、私パジャマないや」

「大丈夫だよ。着替えたかったら私の貸してあげる」

「そうじゃなくて、せっかくのお布団汚しちゃうかもしれないし」

「大丈夫だよ。汚くなんてない。澄河ちゃんが触れた部分はむしろ……ふふ……」

「あっ、もしかしたらたくさん寝ちゃうかもしれないよ?」

「大丈夫だよ、丁度いい時間で起こしてあげる。私としてはずっと眠ったままでも……いやでもそれは……まぁ……うふふ……」

「ま、ま、枕も一つなんだね、どっちが使う? あれだったら私、もう一組準備しようか?」

「大丈夫だよ、枕なんて一つあれば十分じゅうぶんだから」


 私の意見、全部『大丈夫だよ』で返されちゃったんだけど……これ本当に大丈夫なの……?


「じゃあ……お邪魔します」

「んふ、ふふ……ふふふふふ…………はい、来て」


 意を決して近づいたものの、瞬き不足のせいかやや血走った眼球と荒い呼吸がやっぱり怖い!! 全く大丈夫じゃなさそうなんだけど!?


「ちょ、ちょっと待って芙蓉」

「これ以上『待て』なんてできないよ」


 Uターンをして引き返そうとするも風を裂くような速度で伸ばされた右手に手首を掴まれ、引き寄せられる。


「っ」


 あっという間に横になった私の正面には、すぐそばに芙蓉の胸元。

 別に立ってる時と同じくらいの距離感なのに、同じ布団の上で寝転がっているだけでなんだか、ずっと近くに感じる。


「あはは、なんか緊張しちゃうね」

「………………」


 掛け布団よりも重たい沈黙を払拭するために他愛ない事を言ってみるも、返事はない。

 視線だけを持ち上げて芙蓉の顔を見やると――


「芙蓉?」

「………………」


 ステンドグラスを通して朝日が差し込む協会で一点のくもりもなく祈りを捧げるシスターみたいに安らかな表情してる……!


 え? 死ん……いや……あぁ、寝てるだけか……良かった……。


×


 今となっては【不幸せ】にワクワクする。

 私が【幸せ】を回想するためには、必ずを経由しなければならないから。

 澄河ちゃんと出会うきっかけとなった図書委員に任命されたのも、クラスメイトが誰もやりたがらず、私に押し付けてくれたおかげだ。汚い言葉で罵倒されながら、担任の教師は苦笑いを浮かべるだけで制止する様子もなく、弱者に抵抗の余地もなく。


 委員会で初めての顔合わせ。図書室の清掃が命じられた日。私達は偶然隣にいて、そしてペアを組んだ。 


 初めて目が合って、私は驚いた。こんなにも、瞳に、敵意も、害意も、悪意もない人がいるんだ、と。


『本、好き?』

『……』


 凍てつく星空の下で起こした焚き火のように暖かい笑顔で尋ねる澄河ちゃんが、私には眩しすぎて、目を伏せたまま頷いた。


『そうなんだ! この中だったら何が一番面白い? 教えて、芙蓉ちゃん』

『え、えと……その……』


 忘れない。忘れられるわけがない。

 幾重の【不幸せ】を経由して、この日から、私の【幸せ】は始まる。


×


「っ…………ひゃれ?」

「おはよ、芙蓉」

「しゅ……すみか……ちゃん?」


 あれ、なんだろう、この状況。

 ふかふかの布団に寝転ぶ私。視線の先には、夕暮れを背にして縁側で佇む澄河ちゃん。この景色をそのまま水彩画で描くことができたら、あらゆるコンクールで金賞獲得間違いなし。荘厳で、儚い。

 綺麗だけど……夢みたいだけど……どうしてこんな状況に……?


 確か今日は私の家に澄河ちゃんをお招きして、一緒に映画を観て、自然なエスコートで和室まで連れて行って、完璧な流れで同じ布団でお昼寝をしようとして……それで意を決して抱きしめようとして……。


「んふ。ぐっすり寝てたね〜」


 わ、私……もしかして……あまりの嬉しさで気絶してた……?


「可愛かったよ、芙蓉の寝顔」

「み、見たの!?」

「見ちゃった」

「〜〜〜〜!! ひどいよ澄河ちゃんっ起こしてくれたら良かったのに~!」

「だってすやすや寝てて可愛かったし……疲れてそうだったし……目とかも……」


 昨日の夜緊張で一睡も出来なかったことを差し引いても……まさかこんなことになるなんて……私のバカ!!

 あんな……あんなチャンス……もう二度と……!!!


「芙蓉」

「な、なに?」

「そんなに急がないで」


 立ち上がった澄河ちゃんは踏みしめるように歩を進め、布団の隣で正座をして、私の左手を両手に包んで言う。


「大丈夫。どこにも行かないよ」

「澄河ちゃん……」


 ずるいよ。そんなこと言われたら……これ以上を、今以上を望むなんて……できなくなっちゃう。


「約束したでしょ、ずっと傍にいるって。芙蓉は今までのままでいいんだよ。無理して……その、恋人っぽいことしなくても……」

「っ」


 違う。

 違うの澄河ちゃん。

 私は……今までずっと、無理をしていたの。

 無理をして――あなたに手を伸ばそうとする自分を――押し殺していたの。


「私達には『これから』があるじゃん。ずっと先まで続いてる『これから』が」

「そう、だね」


 そうだ。


 幼馴染という関係から一歩踏み出したにも関わらず、喜びきれない自分がいた。

 その理由は……澄河ちゃんは私の気持ちをわかってくれたと言っていたけれど、たぶんまだ、一億分の一も伝わっていないからだろう。


 そうだね、澄河ちゃん。

 これから。

 

 これから、長い時間をかけて、全身全霊を込めて伝えるね。

 私はもう、澄河ちゃんと共に、澄河ちゃんの為に、澄河ちゃんを糧に、生きていくことしかできないんだよ。

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