第四話・おうち

 まさか私が自分自身で、誰かを家に招くだなんて思いもしなかった。

 幼い頃に住んでいた家は両親の仲が悪く、とてもそんな発想にはいたらなかったし、花梨さんと一緒に暮らす様になったあとも、流石に気が引けてしまって。


 だけど、今回ばかりは勇気を出さなくてはいけない。

 澄河ちゃんの鎖骨を……ね、堪能するためには、ね。


花梨かりんさん! 大丈夫?? 変なところない? 変な匂いしない??」

「しないって。何回確認させるのさ……澄河ちゃんってそんなに潔癖症なの?」

「そうじゃないけど……けど……!!」


 経験値の無さから、人を呼ぶにあたってどれくらいの整理整頓が必要なのかわからない。どうでもいい人ならどうでもいいけれど、ゲストは澄河ちゃん。一ミリも違和感を持たれなくない……!

 ので、花梨さんにチェックをしてもらうことに。


「大丈夫だよ、小学校からの親友なんでしょ?」

「っ、う、うん……!」


 今はそれだけじゃない。私と澄河ちゃんは……えへへ、もっと進んだ関係になったのです。でも、花梨さんにはちゃんとご報告したい。ここは濁させてもらおう。


「あーでもさ、ふーちゃん」

「なに!?」


 花梨さんは少し迷ったような素振りで、ぎこちなく口を開く。なんだろう、やっぱり自分自身にはわからない、変なところがあるのかな……?


「強いて言うなら……」

「なんでも言って!」

「この……部屋中に貼られた澄河ちゃんの写真は……剥がしておいた方がいいかも」

「どうして!?」


 何を言ってるの花梨さん!? むしろ全ての家具を捨てたとしてもそれだけは残しておかなくちゃいけない必須アイテムだよ!?


「そのほら……びっくりしちゃうかもしれないし……」

「……びっくり……?」

「ふーちゃんが逆の立場だったらどうよ?」

「!! 確かに!! 澄河ちゃんの部屋の私の写真がたくさんあったら……嬉しすぎて死んじゃうかもしれない……!」

「あーそっちか……」


 私の返答に花梨さんは釈然としないようだけれど、私自身はその脅威に納得できてしまった。だけど……!


「これを剥がすなんて……完璧な位置調整でこれ以上ない程隙間も埋めたのに……また上手く貼れる自信がないよ……!」


 これから増えていく写真をどこに貼るのかも悩みどころなのに……それどころじゃなくなっちゃう……!


「わかった、ふーちゃん」

「なに?」

「明日は……ふーちゃんの部屋以外で遊びなさい」

「そんな……」


 やっぱり……それが最善なのかな……。


「シアタールーム使っていいし……映画観たあと疲れたら和室も使っていいから。今のふーちゃんの部屋に招待するのは……ちとギャンブルが過ぎる気がする」

「そうだよね……澄河ちゃんの命を一パーセントでも危険に晒すわけにはいかないからね……!」

「うん……そういうことにしておこうね」


×


「お邪魔します! ……あれ? 花梨さんは?」

「今日はお仕事でいないんだ」

「土曜日なのに大変だね! ……そしたらこのお土産、後で渡しておいてもらえるかな」

「あっ、これ駅前の和菓子屋さんの?」

「そう! 前にお母さんがお土産でもらってさ、私も食べてみたらすごく美味しくて」

「花梨さんも好きって言ってたから絶対喜ぶよ。ありがとう、澄河ちゃん」

「いえいえ。こちらこそお招きいただきありがとうございます」


 初めて入った芙蓉の家は、玄関から白檀の甘い香りが広がっていて緊張を和らげてくれる。光が柔らかく差し込んでいて清潔感もあり、美術館の入り口みたい。


「澄河ちゃん、こっち」


 見た目以上に内装は広く、リビングを後にして芙蓉に呼ばれるがまま歩いていくと、そこは重厚な扉に閉ざされた一室だった。


「えっなにここ!」

「シアタールームなんだ。花梨さんがDIYで作ったんだって」

「すっごーい! もうほぼ映画館じゃん!」

「そんなに喜んでくれたら……なんだか私が照れちゃうね。すごいのは花梨さんなのに」

「だけど招待してくれたのは芙蓉だよ。ありがとう」

「えへへ……!」


 壁一面に設置された本棚にはDVDやBDブルーレイディスクがずらりと並んでいて、その中からさっそく一枚――ラブロマンス要素のあるホラー映画――を選ぶと芙蓉がセッティングしてくれた。

 心地良い触り心地と丁度良い弾力のある高級そうなソファに並んで座って、手元のリモコンで部屋の電気を暗くした芙蓉。

 やがて大きなモニターに光が灯り、各所に設置されたスピーカーから大音響が響き渡る。


 あっという間に映画の世界に引き込まれた私は、そのままエンドロールが流れ終わるまで、たぶん、微動だにしなかったと思う。

 芙蓉が渡してくれていたミネラルウォーターのペットボトルもすっかり結露の汗に覆われていた。

 やがてモニターがチャプター選択の画面に戻り、私の意識も現実に戻ってきた。

 これからどうするのかな。特典映像も見るのかな。

 なんて考えながら水を一口飲み、芙蓉の出方を伺っていると、彼女は画面を見つめたまま、私の左手に、自身の右手を添えた。


 快適に設定されているおかげで空調は涼しく、おかげで芙蓉の体温を一際高く感じる。

 そういえば映画が始まる前までは少し空いていた私達の距離は、いつの間にかゼロになっていて。

 耳を澄まさなくても彼女の呼吸音が聞こえる。意識しなくても、彼女のシャンプーの香りがする。


 映画を観ていた時よりも次の展開が読めなくて、心拍数が徐々に上がっていく。

 芙蓉の横顔から目が話せない。

 私達の視線が重なった瞬間――何かが始まるような、そんな、気がする。

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