第三話・無問題?

「言ったね、確かに言った。『できる限りのことは何でもする』って」


 できる限りのことは、ね! と付け足そうとしたけれども、なんだか疲れてしまっているようで自然と口数が減る。

 のそりと私が歩き始めれば芙蓉も同じペースで付いてきてくれた。私と違ってぴょこぴょこしている。兎みたいで可愛い。


「それなら……澄河ちゃんの左手の、薬指に……私が選んだ指輪、つけていいかな?」

「え……?」


 彼女が口にした一連の行動を脳内で再生してみる。

 それもう結婚じゃん。えっ私今プロボーズされてる?

 一時停止しそうになった足をなんとか交互に動かす。いちいち止まってたら一生家に帰れない。


「なんてねっ。えへへ、ごめんね、急だったよね、もっと段階踏まないとダメだよね!」


 ポカンとしてしまった私をおもんぱかってか、芙蓉はおどけたように笑ってみせた。良かった良かった冗談か……ん、段階踏まないとって言ってた? じゃあ今の『ナシ』じゃなくて『先延ばし』ってこと……?


「そうだなぁ……じゃあ……鎖骨、舐めたい……」

「?」


 ……ぇ何言ってんの怖!


「澄河ちゃんの鎖骨が舐めたいです」

「いや聞こえてたよ。その上で『?』だったの」


 ハッキリ言わなくていいから! 正直聞き間違いであってほしかった!

 というかさっきの段階云々どこいった!?


「あっ、違うよ!?」


 なんだ……やっぱり聞き間違えか……。あぁ安心した。慌ててる芙蓉は可愛いなぁ!


「えっちな意味じゃなくてね!? スキンシップみたいなやつ。全然えっちじゃないやつで大丈夫だから……! ちょっとはその、ふふ、あれかもしれないけど、でも全然のやつだから!」


 それで『ふむふむ、なるほどオーケーえっちじゃないやつね!』って私が納得するビジョン、芙蓉には見えてるの……?


「なんで鎖骨……?」

「だって……澄河ちゃんがよく見せつけてくるから……」

「冤罪にも程があるよね!?」


 見せつけてるんじゃなくて勝手に見てるだけでしょうに。


「柔らかそうなのに芯があって……陶器みたいに美しくて……あぁどうしよう……想像だけで……もう……」

「芙蓉さ~ん、帰っておいで~」


 なぜかトリップ寸前まで瞳を蕩けさせている芙蓉の肩を掴んで振ってみるも、その視線が私の鎖骨から離れることはない。

 まぁ……しかし。簡単に反故する人間って思われたくないし。しかも自分から言い出したことだし。


「じゃあほれ、お納めください?」


 喋っていればあっという間に芙蓉の家まで着き、あたりはシンと静まり返っている。近くに誰もいない今のうちにささっと済ませてメンツを保って平和に解散と行こう。


「おさっ! ちょッ!! 澄河ちゃん!!! 何考えてるの!!!!」


 彼女の要望を叶えるためにさっそく衣服を緩めた私に、血相を変えて飛び込んできた芙蓉。

『ねぇそれはずぅっと私が芙蓉に言いたいセリフだよ!?!!???』と、流石の私も反論混じりの疑問が喉元から飛び出すギリギリだった。


「こんなところで……ダメでしょう!? 早く直して。誰かに見られでもしたら……私……10年は出てこられなくなっちゃう!」


 どこから……? とはもう聞くまい……! とにかく、私の軽率な行動によって、見知らぬ誰かが刑期十年分の何かをされる可能性があることはわかった。

 されるがままにシャツのボタンを止められ、リボンをキュッと結び付けられる。


「明日……うちに来て」


 荒い呼吸を必死に落ち着かせながら、芙蓉は小さく言った。


「うちって……芙蓉の家?」

「うん」

「……いいの?」


 これまで。誰か友達の家で遊ぼうと話題が上がるたび、芙蓉は自然と会話から抜け、決して誰も家に招かなかった。

 そんな彼女の雰囲気を察して私も遊びに行きたいとは言わないまま時が経ち、まさかこんなカタチでチャンスが訪れるなんて。


「いいよ。澄河ちゃんだもん」

「そっか、それは……結構、楽しみ」


 何度も何度も、今もこうして玄関の前までは来たことがあるものの、踏み入れたことのない二階建ての一軒家。どんな内装なんだろう!

 どうせ鎖骨を……その、テイスティングするなんて一瞬なんだし、初めての芙蓉ハウスで存分に遊びつくしちゃう!?

 そういえば花梨かりんさんにも久しぶりに会うな……あっどんなお土産買って行こう!? なんだか俄然ワクワクしてきた!!


×


「澄河ちゃん……ふふ」

「っ……」


 あんなに楽しみだったのに……。

 そんな明るい感情は影を潜め、今は罪悪感と背徳感と……少しの高揚感に、全身が酩酊して、心も体も居心地悪く浮遊しているような感覚に包まれている。


「声……出しちゃダメって言ったのに」

「芙蓉……」

「まだまだ、終わらないよ?」


 芙蓉の意地悪な声音が、湿気に満ちた押し入れの中で、静かに響いた。

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