第二話・深呼吸


 指を絡ませて、本日二度目の帰路。がらんどうな路地にはあちこちから夕食の香りが立ち込めている。

 芙蓉の表情は朗らか極まりないし、仲直りはできたと思っていいだろう。


「まぁほら、こうなったからにはさ、できる限りのことは何でもするから」

「にゃっ、なん、何でも?」


 突然立ち止まり、空いていた左手で口元を隠した芙蓉。街灯が照らす耳元から判断するに、その小さなお顔も真っ赤に染まっているようだ。


「でも……そっか……そうだよね、そうなんだもんね、もう、私達……」


 そんなに驚かなくたっていいだろうに。そりゃあ芙蓉に恋人ができちゃったら悲しいけども、私の感情なんてどうでもいいくらい、芙蓉には幸せでいてほしいと本気で思っている。


「芙蓉はさ、その……どこが好きなの?」

「えぇっ!?」


 なんだか今日の芙蓉はリアクションが大きくて可愛いなぁ。さっきは私が答えたんだし、今度は彼女の番でも不自然さはないはず。


「ふっ、ふへへっ。……澄河ちゃんとこんなお話ができるようになるなんて……」


 すっかりほころんじゃって……。それにこの質問で惚気けるってことは相当入れ込んでますなぁ。


「ん~とねぇ……んー……だめだ、わかんない」

「ほーぅ」


 まぁそういうこともあるだろう。漠然とした恋心的な……そういうのって別に言語化できなくってもいいもんね。


「だって、好きじゃないところがないもん」

「!」


 あの芙蓉に! 私以外の人間には無価値な無機物を見るような視線を向ける芙蓉に! ここまで言わせるとは~! やるな神田~!


「澄河ちゃんの、全部が好き」

「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………へ?」


 ん? 芙蓉さん、またなんか変な流れになってませんか……?


「あはは。私も芙蓉の全部が好きだよ」

「っ! ……ふへへぇ~」

「でもほら、今は私の話じゃなくって」

「どうして私が澄河ちゃん以外の話をしなくちゃいけないの?」

「えっと、あの、神田、は……?」

「神田? 誰その人」


 えっ、ずっと主題にいたよね神田? なんでそんなケロっと忘れてるの? なんで微塵も冗句と感じさせない純粋な瞳で私を見てくるの~??


「私、全部無理なんだって思ってた」

「……全部、無理?」


 再び歩き出した芙蓉は、月を眺めながら滔々と語る。


「そう。だけどね、無理だってわかってても、一度は望んでしまうの。

澄河ちゃんの犬になって飼われたかった。

澄河ちゃんの靴になって履かれたかった。

澄河ちゃんの服になって着られたかった。

澄河ちゃんが吸う酸素になって吐息になりたかった。

澄河ちゃんが飲む水になって「ストップ!!!」


「? なぁに?」

「いやなんかすごく怖いこと言いそうだったから……」


 いやまさかね、一応の保険だけどね、まさかこんな真面目な顔しているときの芙蓉がそんな冗談言うはずないもんね……!


「だけど、一番強く望んだことはもう叶っちゃったから、あとはもう全部、どうでもいいんだ」

「その……一番は、何だったの?」

「私の気持ちを伝えて、伝えたあとも、こうやって手を繋いでいたかった」


 芙蓉は視線を月から私に移すと、未だ赤らむ表情でほほえみ、深く、頭を下げた。


「澄河ちゃん、ありがとう。これからも……よろしくお願いいたします」

「っ」


 これ……え? そういうこと? あっ、うん、そうだね、さっきの会話も思い出してみたら、もう思い当たる節しかないよ! ……私と芙蓉、付き合ったことになってる……!


「澄河ちゃん……?」


 一度、深呼吸。こんなに幸せそうな彼女を見たのは初めてかもしれない。ここで温度差が目に見えたら、芙蓉はどんな気持ちになるだろう。


「ううん」


 私だって……芙蓉のことは大好きだ。この気持ちに嘘はない。

 真っ直ぐで、不器用で、たまに凄い行動力を発揮して、お茶目なジョークを言うこともある。

 そんな芙蓉と、これからも絶対、一緒にいたい。

 私の好きと芙蓉の好きが同じかなんてわからないけれど……それでも、彼女を悲しませたり、離れたくない。


「私の方こそよろしくね、芙蓉」

「うんっ!! そ、それで……あの、ね、さっき言ってた何でもする……本当?」

「!!」


 このタイミングでその質問はちょっと怖すぎるかなぁ~~~~~~~~~?

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