第一話「過去談:ククースの従兄」



 私には従兄がいる。

 彼は従兄、というよりも私のお兄ちゃんに近い存在だ。


 名前はハトル。私は”はとくん”と呼んでいる。


 はとくんはとっても真面目で頭が良くて、その上とっても優しい。

 けれど彼には悲しい過去がある。

 それは、私には計り知れない悲惨な過去だ。


 


   ● “ハトル”



 ククースとは小さい頃からずっと一緒だった。うちのお母さんとククースのお母さんは姉妹で、お互いに近場に済んでいたので、僕たちは幼稚園も小学校も一緒だった。


「はとくん、おはよう。」


「ククース、おはよう。」


 僕は毎朝ククースと一緒に学校へ行った。僕はククースといつも一緒だった。

 いつしか僕たちは兄妹なんじゃないかと勘違いされるくらい、僕たちは四六時中ずっと一緒だった。実はそれには訳がある。


 僕は幼稚園の頃、友達がそこそこいた。


 一方ククースは友達を多く作ろうとはしなかった。いつも隅っこで絵を描いているような閉鎖的な子だった。ククースはまるで周りの人を遠ざけているかのような、そんな雰囲気を醸し出していた。


 だからせめて従兄の僕だけでも、ククースと仲良くしてあげようと思った。ククースは従兄である僕には心を開いてくれる。せめて僕だけでも話し相手になってあげれば、ククースも寂しい思いをしなくて済むはずだ。そう思って私はククースの唯一の友だちになった。


「はとくんの家族は仲良しだね。」


「いやいや。ククースの家族も仲良しでしょ。」


「えへへ、私の家族は私の自慢なんだ。私の家族はどんな家族に負けないくらい仲良しだって言う自身があるよ。まあはとくんの家族も負けないくらい仲良しだけどね。」


 ククースの家に行くと、彼女は決まって家族の話をする。


 彼女にとって自分の家族とは、胸を張って仲良しと言える自慢の存在だったのだ。家族の話をしている時のククースはとても幸せそうな顔をしていたのを覚えている。


 ちなみに僕の家族も彼女の言う通りすごく仲が良かった。それこそ僕自身も誇りに思っているぐらいに。


 僕はククースによく遊びに誘われていたので、頻繁にククースの家族と会っていた。ククースの家は、ククースとお母さんとお父さん、そしてたまに彼らの家にやってくるおばあちゃんの四人家族だ。


 僕が家に行くと、彼女の言うようにククースのお母さんとお父さんはとても仲が良さそうに見えた。


 しかし、僕には気になることが一つだけあった。

 ある日僕はククースのおばあちゃんとお母さんの話を小耳に挟んだ。


「あんたの夫、ちょっと気が効かないんじゃないのかい?私が挨拶してもろくに返事もしないし、あんたにも自分から挨拶したことないじゃない。」


「お母さん、そんなに言わないであげてよ。」


「いーや、これはアンタのために言ってるのよカナコ。私は言いましたよ。結婚するならしっかりとした優しい男を選びなさいって。あの人はダメよ。顔も冴えないし、愛想も態度も悪いし…」


「もういい加減にしてよ。お母さんがボロくそにコータくんのことを言うから、コータくんがいじけて最近面倒くさいんだからね。ちょっとは我慢してよ。私だって…」


 ククースのおばあちゃんは、お父さんのことをよく思っていなかった。


 僕もたまに彼がおばあちゃんからボロクソに言われているのを耳にしたことがある。その度におばあちゃんと彼女のお父さんは軽く言い合っていた。


 ククースのお父さんの表情は、日に日に曇っていった。


 やがて僕はククースの両親の間に出来た小さな溝のことに気がついた。おばあちゃんから罵倒された鬱憤をお母さんに当たって、少しギクシャクするようになった二人。ククースは気付いていなかったようだが、僕はあの時二人の話を小耳に挟んだあの日から、明らかに二人の仲が悪くなってしまったように思った。


 だけどそれはどの家族にだって存在する些細な問題だと思った。


 本当に仲良しな家族なんていない。家族とは同じ家の中で共に生活するものの事を言う。毎日同じ環境で過ごすのだから、意見の食い違いや多少のギクシャクなんてあって当たり前だ。うちの家族だってそうだったし。


 だから僕はククースには言わないでおいた。


 僕がどう感じようと、ククースにとって二人は仲良しな両親なんだ。それに今、二人の関係に小さな溝が出来ているから言って、そこから悪化していくと決まったわけではない。


 ならば黙っておこう。

 それにククースが幸せそうに家族の話をしているところに、余計なことを言うべきではない。


 僕はククースが幸せならそれで良いんだ。



   ◯ ”ククース”



 ある日、おばあちゃんが死んだ。


 突然の死だった。私はおばあちゃんのことはあんまり好きじゃなかったけど、ものすごくショックをうけた。


 おばあちゃんは私の大切な家族だ。私はそんな大切な家族の一員を失ってしまったことが辛かった。


 しかし、それと同じくらい辛いことが立て続けに起こった。

 おばあちゃんが死んだ日を境に、お父さんとお母さんは言い争いをするようになったのだ、


 あの日、父はおばあちゃんが倒れて大変な状況で見て見ぬふりをしたのだ。


 お母さんは自分のお母さんが死んで、とても悲しんでいた。

 でもお父さんは涙一滴流さなかった。


 お父さんの冷たい態度に、お母さんは激怒した。二人の喧嘩を見たのは生まれて初めてだったので、私は今でも深く印象に残っている。たまにちょっと言い争いをすることがあったが、大体は父が喧嘩を売るところから始まっていたので、毎回お母さんが宥めることですぐに仲直りして解決していた。


 でも今回は、怒っているのがお母さんだった。


 父は今まで一度も謝ったことが無かった。そして今回も、父は自分は悪くないと言い張って聞かなかった。


 あの日から、二人の仲は険悪になった。私は今まで仲良しだと思っていた二人が、その日を境に急に仲が悪くなってしまったので、物凄く堪えた。


 私はとても辛かった。今後も二人は仲が悪いままなのかととても不安になりました。


「おはよう、はとくん。」


「おはよう、ククース。どう?最近お父さんとお母さんの調子は?」


「うーん…まあ今は良くも悪くもないかな?まあ今はお互いだいぶ落ち着いたみたい。でもなんだか二人の間に大きな亀裂ができちゃったみたいでさ…」


 私ははとくんに毎日のように家族のことを話しました。

 彼も私のことを気にかけてくれて、毎朝私にそのことについて尋ねてくれました。


 はとくんと話しているととても心が休まります。

 私ははとくんに毎日悩みを相談していました。


 思い返してみれば、私はいつもはとくんと一緒でした。幼稚園のころから友達なんて一人もいなかったし、話せる人といったらはとくんだけ。


「僕の夢は世界中の人を幸せにすることなんだ。」


 はとくんはいつもそう言って笑っていました。


 私は彼のことがとても好きでした。その好きという感情が恋なのか、はたまたお兄ちゃんみたいだから好きなのかは私には分かりません。


 私ははとくんの優しいところが大好きでした。


 多くの人を幸せにしたいと言う、彼の夢が大好きだった。今考えてみると、あの頃の私の好きは恋愛として好きだということなのかもしれない。そのくらいはとくんは魅力的な男の子だった。


 従兄なのが惜しいくらいに。




 はとくん一家はよく私の家に遊びに来てくれました。


 お母さんは自分の妹に会えるのをいつも楽しみにしていました。


 ちなみにお父さんはいつも従兄が来る前には外に出かけていました。お父さんははとくん一家のことをよく思っていなかったようです。どうしてよく思っていなかったのか、私には分かりません。


 私もはとくん一家に会えるのをとても楽しみにしていました。

 だって彼らは眩しいくらいにキラキラしていたから。私が理想としている仲良し家族をそのまま映し出したかのように見えたから。


 私ははとくんに一切嫉妬していませんでした。 

 だってはとくんは優しいから。


 私ははとくんが幸せそうにしているなら、それで満足だった。



   ●



 しかし、幸せってのは予想だにしないことで突然終りを迎えてしまうものだ。

 ある日僕たちは事故にあった。


 その時僕は小学三年生。


 お父さんとお母さんは、その日僕の送り迎えをしてくれた。お父さんは車の運転は久々だなと言って笑ってた。久しぶりなら気をつけて運転してよとお母さんも笑ってた。


 その日お父さんはお母さんの言葉の通り気をつけて運転をしていた。だけど、僕たちは事故にあったのだ。


「お母さん!お父さん!」


 僕はその日すべてを失った。

 幸せがこんなに突然奪われてしまうなんて、僕は現実を受け止めきれなかった。


 僕は絶望した。

 僕は入院した。僕一人が入院した。


 その日からなかなか気持ちが前を向かなかった。家族を失うことがこんなに辛いだなんて、思いもしなかった。…でも、それもそうだ。


 突然家族を失った悲しみなんて誰にも知り得ない。

 実際失ってみて、始めて気付くのだから。



   ◯



 はとくんはあの事件を期にすっかり変わってしまった。


 いつも虚ろな目で窓の外を眺めていた。まるで遠くにいる家族を見つめているかのように、ぼんやりと。


 そしてそんな彼と同じように変わってしまった人がもう一人いた。

 それは私のお母さんだった。


「なによ!あなたに私の悲しみなんて分からないわよ!!」


 妹を失った悲しみから、母は自暴自棄になった。この日からお母さんとお父さんの仲は最悪になった。この時期にちょうど父の家出事件も勃発した。お母さんは精神面でかなり大きな傷を負ってしまった。


「何がいけなかったのかな?」


 母の悲しむ姿は私の心を締め付けた。


 私ははとくんの両親が亡くなったことを知って、とても悲しかった。

 でもそれ以上に、どんどん仲が最悪になっていく両親の姿を見なければならなかったのが辛かった。


 小さい頃の私は二人のことをとても仲良しだと思っていた。でもそれは勘違いだったのかもしれない。そう思わないとやっていけないくらい、私は辛い日々を送っていた。



   ●



 悲しみにも少し慣れて、僕は再び学校へ通い始めた。


 自分の家に帰ってもどうしようもないので、僕はククースの家で暮らすことになった。僕はククースの家から彼女と一緒に登校した。ククースもあの日を境に元気を失ってしまったようで、僕たちはしばらく口を聞けなかった。ククースに何があったのか、それは彼女と一緒に暮らすことで痛いほど分かった。


 ククースの両親はとても仲が悪くなっていた。


 毎日大喧嘩をする日々。ククースのおばあちゃんが住んでいた実家に引っ越してからは喧嘩の回数は減ったけど、今まで家族のことを誇りに思うぐらい仲良しだと思っていたククースにとって、今の二人の仲は絶望するぐらい辛いということは容易に察しがついた。


 僕はククースを元気付けてあげないとと思った。

 けれど僕には出来なかった。


 それ以上に僕のことをつらい過去が締め付けていたのだ。僕は何も出来なかった。傍で悲しみに暮れている彼女を僕は傍で見て見ぬふりをしているばかりだった。


 僕はそんな僕が大嫌いだった。


 誰も幸せにできないと、僕は心の底から嘆いていた。



   ◯



 私はある日思った。


 私は家族のことで頭を抱えて悩めるけど、はとくんはもう家族のことで悩むことが出来ない。


 私なんかよりはとくんのほうが何倍も辛いということに、私は気がついた。

 だから私が悩んでいるところを見せてると、はとくんはより悲しんでしまうことになると思った。だから私は悲しい気持ちを押し殺して、はとくんに勇気を出して話しかけることにした。


「おはよう、はとくん。」


 はとくんは俯いてなかなか口を開いてくれなかったけど、私は諦めずはとくんと会話をしようとした。


「はとくん、今日は一緒に映画でも見に行こうよ。」


「はとくん、黒板消し手伝うよ。」


「はとくん、今日は一緒に帰ろ。」


 私は今となっては信じられないくらい明るい声ではとくんに話しかけた。たとえそれが偽りの明るさでも。はとくんを笑顔にできるなら躊躇わなかった。


「おはよう、はとくん。」


「……おはよう。」


 やがてはとくんはやっと私に口を開いてくれた。

 そして私達は以前と同じようなぐらいに回復することができた。



「ククース、早く行くぞー。」


「うわ~待ってはとくん。置いてかないで~」


「全くククースは…」


「ごめんお待たせ。」


「あら、はとくん。今日も元気ね。」


「はい、おかげさまで。」


「あ、お母さんおはよう。」


「おはようククース。ほら早くいかないと遅刻するわよ~。」


「うわっ!もうこんな時間。行くよはとくん!」


「全く…行ってきます。おばさん。」


「行ってらっしゃい。ふふふ、まるで兄妹みたいね。2人とも」


 私にとってはとくんとの時間はとてもかけがえのないものだった。

 私はとても幸せだった。

 だって彼と一緒にいたら、どんな辛いことでも忘れられるから。



   ●


 

 ククースには本当に感謝をしてもしきれない。彼女は自分の辛さを押し殺して、僕に優しく接してくれた。


 それはきっと物凄く勇気がいることだ。


 しかしククースはそれをやってくれた。僕はククースのことを心から尊敬している。僕もいつかククースになりたいと思っている。


 僕は彼女との時間がとても幸せだった。

 ククースは僕の妹のような、従妹だけど僕の大切なかけがえのない家族。

 僕はある日、ふと自分の抱いていた夢を思い出した。


「すべての人を幸せにする。」と。


 僕はククースと違って、すべての人を幸せにできる器ではなかった。でもいつか、ククースみたいに自分を犠牲にしてでも、誰かの幸せを守れるような人間になりたい。



 僕は今、郵便局の仕事で配達物を届け、同時に多くの人に幸せを届けている。困った人を助けたり、貧困で苦しんでいる村の人達に物資を届けたりしている。


 僕は僕なりのやり方で、色んな人を幸せにしている。

 ククースと交わした約束を果たすために。



  ◯



 お別れはいつも突然やってくる。はとくんはそう言ってた。


 その通りだった。あの日はとくんと私は突然お別れをしなければならなくなった。

 それは小学校の卒業式の日。


 中学生になってからはとくんはお兄さんの家に同居することになったそうです。はとくんのお兄さんはもう成人していて一人暮らし。はとくんは私の家から遠く離れたお兄さんの家で引っ越すことになりました。


 私はお母さんに必死に訴えました。はとくんと離れたくないと。


 でもはとくんが引っ越すのには事情があるみたいです。私はお母さんに面倒をかけたくないから、これ以上は何も言えなかった。


 私は家を飛び出して、人気のない場所で一人泣いた。


 大切な人とのお別れなんて生まれて始めての経験だった。

 私は涙が止まらなかった。でもそんな一人泣いている私を、はとくんは見つけて励ましてくれた。


「大丈夫だよ、ククース。」


 私はいつのはとくんに励まされてばかりだ。

 この時も、私が家族に絶望して窶れてる時も、いつもいつもはとくんが傍にいてくれた。



 はとくんとのお別れは、私の人生で一番つらい思い出だ。



   ◯



 

「俺はククースを幸せにする。そしていつかすべての人を幸せにしてみせる。」


 はとくんは最後に私にそう言いました。


 今はとくんは今どこで何をしているのか私には分かりません。再会できるのかすら、私には知るよしもありません。


 でも私はいつかはとくんに会いたい。

 ホトメさんが言うように、いつか大切な人と再会できるというのなら、私はいつか絶対に彼と再会したい。


 はとくんは今の私を見てどう思うのだろう。


 ちょっぴり家出のことを打ち明けないといけないのが怖いけど、今もはとくんのことを頭の隅で考えながら私は今日も家出を続ける。


 いつか再会できることを信じて。

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