第五話「ダメ親父とエリートな息子」
「君、ちょっと待った。」
私を呼び止めるのは、きっちりとした制服を身に纏った警察官。
流石は都会の街を監視する警察官。こんな真夜中にただ一人、カラフルなネオンが眩しく輝く怪しげなお店が多く立ち並ぶ街中を心躍らせながら徘徊する少女を、一目見て怪しいと悟ったのでしょう。彼の伸ばされた右手は、がっしりと私の左腕を掴んでいました。
「もう夜は遅いぞ。君、名前は?どこに住んでるの?」
時計を見るともう深夜0時を回っていました。それもそのはず、私はついさっき長い時間をかけてやっとこの街へと辿り着きました。焦って夜の暗闇の中を飛行したものですから、それはもう怖かったです。
でも空を飛んだことでこの街を見つけられましたし、それにこんなに綺麗な夜景を見せられたら観光せずにいられなくなってしまうじゃないですか。
私は家出少女であり、旅人のようなものですから、綺麗な景色が目に入ったら徘徊せずにはいられないのです。
ですがまさか警察官に声をかけられるとは思っていませんでした。今まで私はずっと田舎にしか足を踏み入れていませんでしたし、夜中に巡回している警察官と鉢合わせするなんて初めての体験です。
私は家出少女。住所を尋ねられようものなら即ゲームオーバー。警察官に連れて行かれて、私の旅はここで終わってしまうこと間違いなしです。
一般の家出少女がこのような状況に陥ったら、おそらくとっても焦ることでしょう。焦りすぎて逃げ出して、余計に怪しまれてしまうのではないでしょうか?
しかし私は大変まずい状況なのにも関わらず、至極落ち着いていました。
「君どうして黙っているのかい?もしかして、家出中なのか…」
「あ、お父さん。」
私は警察官のセリフを遮るかのように、そう言いました。私が片手をあげて視線を向ける先には、酔い潰れてふらふらと歩いているおじさんがいました。無論、彼は私のお父さんではありません。赤の他人です。
「お父さん?」
「実は私、母に頼まれてお父さんを迎えにきたんです。お父さんは酔っ払ったら一人で帰れないから。」
「おうクク~ス。お迎えごくろ~さ~ん。」
彼は、まるで私が娘であるかのように私の名前を呼びました。それもそのはず、だって私は今彼の娘なのですから。『赤の他人の家族になれる魔法の帽子』のおかげで。
私はこれがあるから、警察官に尋ねられても平然としていたのです。
「クク~ス。歩くの大変だから肩組んで連れてってくれよ~。」
酔っ払いおじさんは私の肩を組みました。酒臭い息が私の顔にかかります。ぐえぇ
「甘えないでください。ほら帰りますよ。」私は酔っ払いおじさんの汚らわしい手を振り解きました。
「ふぁ~い。」
私はおじさんの後に続くように、彼の家へとついて行きました。警察官はそんな私たちの様子を苦笑いを浮かべながら見送っていました。
とっさに道を歩いてたおじさんの家族になってその場を凌ぎましたが、できればもっとマシな人にすればよかったとのちに後悔することを、私はまだ知りませんでした。
…いや、実を言うとこの時からうっすら後悔はしていましたね。
○
「頼む!協力してくれ!」
「嫌です。」
「頼むよ!俺の娘だろ?」
「嫌です。」
「お願いします!」
「嫌です。」
「じゃあせめて金貸してくれ!」
「…。」
私が後悔したのはちょうどこの頃です。いや、本当は昨日の夜からすこし後悔はしていましたが。
今回の托卵の家族、いえ、今回のお父さんはダメ親父でした。
酒豪で暴力的でギャンブル好きで、彼の妻はそんな彼に嫌気がさし離婚したそうです。
二人の間に生まれた息子さんは、離婚の二、三年前に自立。ちなみに息子は賭け事には目もくれない真面目な青年だそうで、そして親父さんの話によると彼はIT企業の社長になったんだとか。普通に凄いですね。
ダメ親父とは真逆で、息子さんはとても優秀でエリートだそうです。
蛙の子は蛙という言葉がありますが、息子さんと彼はえらい違いです。母の育て方が良かったのか、それとも彼自身が天賦の才の持ち主だったのか…まあ私には知り得ませんが。
とまあ、そんな自分の家族事情をおっぴろげにして、私の目の前で酔いの覚めた頭を地につけているダメ親父さん。どおりで立派なマンションが立ち並ぶ都会の中で、やけにボロいアパートに住んでるわけです。せっかく初めて都会にやってきたので、もっと目新しいところに泊まりたかったですね…。まあ勝手に他人の家に上がり込んでいるので文句は言えませんが。
それにしても、よりによってどうして父親の方なのでしょうか?できればエリートな息子の所に泊まりたかったですね。それこそタワーマンションの最上階とか。
「頼むよ!ククースの協力が必要なんだ!!」
「だから嫌だと言ってるじゃないですか。」
それで、さっきから私は何を頼まれているのかと申しますと、簡単に言えばエリートな息子を探すのを手伝って欲しいというものです。
この親父さん、最近ギャンブルでうんじゅー億の借金を叩き出したらしく、ギャンブルをやめることを余儀なくされたそうです。ちなみに彼は今まで闇金でお金を借りながらギャンブルにお金を注ぎ込んでいたらしく、ついさっきもヤクザの方々がこの家に押しかけてきてました。
なぜ、こんなになるまで辞めたかったのでしょうか?アホですね。
で、そんな彼の唯一の命綱が彼の息子です。理由は分かりますよね?金持ちだからです。
彼は息子が現在どこで働いているのか分からないそうです。だから私に協力を要請してまで、息子をみつけだそうとしているのです。このダメ親父、成功した息子に縋るのみならず、仮の娘である私にも縋ろうとするなんて、プライド無いんですかね?これじゃあ親の脛齧りならぬ、息子の脛齧りです。
まあいくら金持ちだからと言ってうんじゅー億の借金は洒落にならないとは思いますけどねぇ。まあ私には知ったこっちゃありませんけど。
「あーダメだぁ~おしまいだ~。ククースが手伝ってくれないとおしまいだ~」
「そもそもこんなになるまで辞めないのがいけないんです。自制できないんですか?自業自得ですよ。せめてお酒を辞めてからものを言ってください。」
「うるせー、もう飲むしか無いんだよ!」
そう言って親父さんは空の瓶を振り回します。やれやれ、基本は他人のことなんて知ったこっちゃないと思っている私ですら彼に説教せずにはいられません。本当に情けない。
「じゃあ私、遊びに行くんで…」
私は帽子の鍔をつまみながら、家を出ようとしました。
「そんな!待ってくれククース!どうか見捨てないでくれぇぇえ~。」
「…。」
彼は私のマントの裾を引っ張り、子供のように駄々をこねていました。
「何度言えばわかるんですか!い • や • で • す!」
「頼む!一生のお願いだ!」
「残念ですが、あなたの一生に相応の価値があるとは思えません。」
私はマントをぐいっと引っ張りましたがびくともしませんでした。
親父さんはもうダメだと思い至ったのか、ついに暴挙に走りました。
「そうだ!ククースに五万円だそう!だからついてきてくれ!」
「ごまん!?」
破れそうなくらいマントを引っ張っていた私ですが、五万円という言葉を聞いた瞬間ピタリと制動しました。
五万円。五万円もあれば都会の街を満喫できます。私は様々な家族を転々としながら家出を続けていますが、なかなかお小遣いを貰えません。他人の家に勝手に上がり込んでいる以上、傲慢だと言うことは重々承知です。ですがお小遣いをもらえないと、行く先々で何も買えません。せっかく様々な場所を巡っているわけですから、できればその場所にしかない食べ物を嗜みたいです。
ですから私はすこし考えました。せっかくなら、ここで五万円貰っときたいなと思いました。「この後に及んでまた金ですか?呆れました。全く反省して無いじゃないですか。」とでも言ってあげるのが正しいのかもしれませんが…うーん、どうしましょう。
「しかし…」
「じゃあ六万だそう。」
「やりましょう。」
これ以上値段が上がっていくとかわいそうなので、私は速攻で彼の要望を呑んで差し上げました。別に断じて私が六万円という単語に踊らされたわけではありませんよ。本当です。
「よし!」
「というか、その六万円はどこから出てきたんですか?」
「え?そりゃもちろん闇金からだよ。」
「…。」
やっぱりお断りした方が良かったですかね?
○
「さて、行きますか。」
やっと解放され自由のみとなった私は、白いフードに着替えて髪をポニテに括り、私の思う都会っ子スタイルに着替えて都会の街へと足を踏み出しました。頭には托卵の帽子を被り、ちょっとお洒落な都会の女子へと早変わりです。流石にいつもの格好ではすこし恥ずかしいですからね。
さて、なんやかんやあって親父さんから貰った六万円を何に使いましょうか?せっかく都会に来たので、ここでしか楽しめないものにお金を使いましょうか?それとも服?いや流行りの本でも良いかも?
この調子だと六万円もすぐに使い果たしてしまいそうですね。
それにしても都会には面白いものがいっぱいです。
私は心を躍らせながら都会の街を堪能していました。
「…あ。」
ここで私はとあることに気付きます。私の目の前、スーツを着込んだ女性のカバンから、怪しい男の人が財布を盗もうとしていることに。
どうしましょう。こう言う時にはどうするのが正解なのでしょう?私はすこし逡巡してしまいました。しかし、こう言う時は大声を出すのが得策でしょう。
「あ、あー!どろぼー。」
気づいた時には私の口から大きな言葉が発せられていました。
泥棒は私の声に驚いて「ち、ちげーし!」などと言いながら一目散に逃げ出して行きました。
「泥棒?」
カバンから財布を盗まれそうになっていた女性は私の声に遅れて反応し振り返ります。
彼女は水色の髪に紺色のスーツを着込んだ、ナイスバディな女性でした。
「あ、いや。さっきあなたのカバンから財布を盗もうとした人がいたもので…。」
「そうなの?ありがとう。」
彼女は頭を下げて私にお礼を言いました。
「いえいえ。当然のことをしたまでです。では、私はこれで…」
私が立ち去ろうとした時です。
ぐぅぅ~~
タイミング悪く私のお腹が鳴りました。
「あら、もしかしてお腹が空いてるの。」
「いや…別に」嘘です、ぺこぺこです。
「お礼になにか奢るわよ。遠慮しなくて良いわ、もし財布を盗まれてたらなにも買えなくなってたし。」
「いやぁ…あのぉ…。」
「そうだ。私のおすすめの店があるの。紹介するわ。」
お姉さんは私の手を引いて歩き出します。
私は強引に断る意味もないので、せっかくだからお姉さんに奢ってもらうことにしました。
「どう?美味しい?」
「美味しいです。」
私は都会の街の中心部に位置する場所にある、少し…いやかなり高級なお店に招待されました。
「でも良いんですか?こんなお高いお店で…」
「良いの。実は私も来てみたかったし。」
「え?ではおすすめの店というのは…」
「行ったことないけどなんかオススメなの。ほら、このお店外装も内装も好奇心が湧くじゃない?」
お姉さんは若干訳のわからないことを言いながら、ウェイトレスさんが持ってきたサラダを一口食べました。
「それよりさ、貴方は都会は初めて?」
「どうしてそう思うんです?」
「今時白フードに帽子って珍しいなと思って。」
「悪かったですね。ファッションセンスがなくて。」
すこしほおを膨らませる私。結構センスいいと思ったんですけどね、このスタイル。
「あはは、冗談よ冗談。なんかね、貴方からは初心な雰囲気が滲み出てるように感じるの。だからもしかして都会にくるのは初めてなのかなと思って。」
「…初めてです。」何でしょう?この雲を掴むような感じ。
「なら私が都会の街を案内してあげるわよ。遠慮はいらないわ、私が隅々まで案内してあげる。」
「いえ、私は…」
私は断ろうとしました。
「遠慮しなくていいわよ。だって損することはないでしょ?」
「でも」
確かに損することはないかもしれません。しかし…
「…やっぱり」
「も~。なら強引に案内してあげるんだから。」
どうやらどんなに断っても無駄なみたいです。私は彼女に言われるがまま、仕方なく案内を頼むことにしました。
誠に不本意ですが、致し方ありません。まあ当てもなく彷徨って時間を無駄にするより良いと思いましょう。
彼女の案内はとても素晴らしいものでした。
私は存分に都会の魅力を満喫したと言っても過言ではありません。
「ここが地下鉄の駅よ。」
「すごい…。」私は圧巻の光景に感動していました。
「そしてこれが最近流行りの飲み物。」
「うわ、なんですかこの黒いのは。」私は底に沈殿している黒いブツを指差しました。
「それであれがこの街で一番高いビル。」
「高いですね~。」
「これ、私おすすめのパンケーキのお店。入ろっか」
「はい!」
彼女の案内は、まるで私が初めて見る都会の知らないものを分かっているかのようでした。
「お姉さんはこの街に引っ越してきたんですか?」
「……まあね。私は最初の頃は新しいものだらけで驚いたわ。まあ、今となってはもう目が慣れちゃったけどね。それにしても貴方は良い反応をするわね。」
「そりゃここに来るのを楽しみにしてましたから。」
「ここには何の用事できたの?観光?」
「……まあ、そんなところです。」
「都会の街は楽しい?」
「まあ楽しいですね。お姉さんのおかげで。」
「どうも、ありがとう。」
妙に馬が合うお姉さん。私はどんどんとお姉さんと親しくなっていくのを感じました。
公園に寄り、ブランコに乗りながら、私は彼女と他愛のない話に花を咲かせます。
話の内容はここに書き起こすまでもないほどにつまらない話でしたが、私も彼女も退屈はしませんでした。むしろ私は、この一時に僅かながらの居心地の良さを覚えていました。
「あ、もうこんな時間。ごめんね、もう行かなくちゃ。」
しかし居心地の良い時間はもう終わりのようです。
「…そうですか。」
「あ、今日はありがとね。本当に助かった。」
「いえ、当然のことをしたまでですから。」私はブランコから降りてそう言いました。
「……まるで昔の自分を見ているようで楽しかったわ。」
彼女は私の横を通り過ぎ
「そういえば、まだ名前聞いてなかったよね。」と言って私の方を振り返りました。
「…ククースです。」
「そっか。私はスーナ、また会お。さようなら。」
「さようなら。スーナさん。」
私たちは今更ながら、意味のない自己紹介を終えて別れました。
一人手を振る私の背中を、寂しげな風が走り去って行きました。
○
夕暮れ時、私と親父さんは待ち合わせ場所にしていたおでん屋さんで落ち合います。私が着いた頃には親父さんはすっかり泥酔状態でした。飲み過ぎです。
「畜生!どこを探しても見当たらねぇ!一体あいつはどこで働いてるんだよ!」
若干自暴自棄になって酒瓶を机に叩きつける親父さん。私は彼の隣に座って、とりあえず大根と卵を注文しました。
「それで、ククースは何か進展あったか?」
「いえ、残念ながら。」
私は熱々の大根をふーふーしながらそう言いました。
流石の私も、何の成果も得ずにのこのこと親父さんと落ち合うほど冷酷な人間ではありません。実は私はスーナさんとの観光の合間、色々なIT企業の本社をめぐって聞き取り調査を行いました。それに一応彼からは六万円を頂いているので、それ相応の努力をしないと申し訳ないなと思いまして。
しかし私が調べた限り、この街のIT企業の社長はどれも年配の方ばかりで、彼の言うようなエリートな息子さんと同じ年齢の人が経営するIT企業はどこにも存在しなかったのです。まあ、私が調べていないところもあるので一概には言えませんが。
それにしても、彼の息子さんは本当にエリートな息子さんなんでしょうかねぇ?なんだかすごく怪しいです。
「一体どこにいるんでしょうかね?貴方の息子さん。」
「くぅううぅう」
まあ彼も藁にも縋る思いで息子さんのことを探していると思いますので、あえて真実を濁してそう言いました。流石の私もどん底にいる人に向かって垂らされた蜘蛛の糸を、無慈悲に断ち切ってしまうほど冷酷な人間ではありませんから。
「クソっ!クソっクソっクソぉぉぉおお!!」
「おいおい、ちったあ静かにしてくれねぇか?周りのお客さんに迷惑だぜ。」
「すみません。騒がしくしちゃって。」
なんで私が謝りゃならんのですか。
「うるせー!人の気も知らねえでよぉ!」
「ああ?逆ギレかこの野郎!」
「……。」
こりゃどうしようも無いですね。私は苦笑いを浮かべながら、おでん屋さんに入る前に脱いで机の上に置いた帽子を眺めました。
まあこの先エリートな息子さんと会えればハッピー、会えれなくて先に借金とりに捕まればアンラッキーと言ったところでしょう。ならばこれ以上の長居は無用です。
彼がこれからどうなろうと私の知ったこっちゃありませんしね。
店のおじさんと親父さんが喧嘩に発展しそうになったその時。おでん屋さんの二階からものすごい音が聞こえてきました。
私は驚きのあまり、おでん屋さんのおじさんに尋ねました。
「すみません。2階で何をやってるんですか?」
「え?あー、上の階は麻雀会場になってるよ。うちのお客さんはそういう賭け事が好きな人が多いかんね。」
「まーじゃんやってんのかぁ?」
麻雀という言葉に反応する親父さん。なんだか嫌な予感がするのは私だけでしょうか?
「さっきそう言っただろ。」
「ならおれもさんかしねぇとなぁ。長年やってなかったぶん、俺の右手がうずくぜぇ。」
「ちょっと何言ってるんですか。やめといた方が良いですって。」
「うるせぇ。俺はやるんだぁぁああ!」
泥酔モードの彼には私の声は届かないようです。親父さんは私のことを突き飛ばし、ものすごい勢いで2階へ続く階段を登って行きました。私は彼を追いかけました。
2階へ上がって建て付けの悪い扉をこじ開ける親父さん。部屋の中から溜まりに溜まったたばこの煙が解放され、白い靄が私の視界を曇らせます。私はゴホンと咳き込みました。
「ぐぁああー、また負けたぁあぁーー!!」
部屋の中から聞こえてきたのは、若い男性の断末魔のような叫び声。
「おい小僧。これで借金200万だぜ?早く返してくれよな。」
「親分の言うとおりだぜぇ?もし返さなかったら、分かってるよな?」
私はなぜか硬直している親父さんの陰から部屋の中を覗き込みました。
小僧と呼ばれた彼の対面に座っていた怖いおじさん二人は、指をポキポキと鳴らしながら立ち上がり、彼との距離をどんどん縮めていました。遠目で見てもかなりの威圧感です。
彼は後退りしながら怯えていました。そして、彼は思いがけない発言をしたのです。
「ままま待ってくれ!そうだ、うちの父さんは有名お菓子メーカーの社長なんだよ。この借金は父さんに頼んで必ず返すからさ!だからもうちょい待ってくれよ!」
あらら~?
なんだか彼の言ってることにはすごく聞き覚えがありますねぇ。それにこの人のお父さんはお菓子メーカーの社長なんですか。なんだかすごいデジャブですね。
「…嘘だろ?」
まるでため息かのような小さな声が聞こえました。私は声のした方へと振り向きます。そこには放心状態でその場に佇んでいる親父さんの姿がありました。
「親父!?」
どうやら親父さんのことを見ていたのは私だけではなかったようです。
「あ、この人の息子さんって貴方だったんですね。」
「ちょうど良かった!親父、助けてくれよ!同級生に勧められて、ギャンブルを始めてみたらこんなことに…。でも良かった!父さんは有名お菓子メーカーの社長なんだろ?この前電話した時にそう言ってたよな!だから頼むよ!金貸してくれ!」
なるほど。たしかにカエルの子はカエルですね。
彼の息子さんはエリートでもなんでもなかったようです。
「……お前…父親に嘘ついてたのか…。」
「え?」
次の瞬間、親父さんは息子さんを殴り飛ばしました。息子は麻雀の机に向かってふっ飛んでいきます。彼は痛みのあまり動けなくなる息子さんとの距離を詰めて、胸ぐらを掴んで叫びます。
「てめぇ、この前電話した時にIT企業の社長って言ってたのは嘘だったんだな?俺がどんな思いでお前を探したのか分かってんのか!!どうすんだよ、俺はギャンブルで多額の借金を負ってるんだぞ!!」
「ああ?父さんも借金負ってるのかよ!?てか、なら父さんもお菓子メーカーの社長だなんて嘘つきやがったってことか!!」
「うるせぇ!父親に嘘つきやがって!この嘘つきが!!」
「黙れ!!このクソ親父が!!」
「なんだと!?」
「やんのか!?」
二人は次第に大喧嘩へと発展しました。その様は実に醜く、私は目を背けました。
今回の家族は実に哀れな家族です。お互いに自分がエリートであると嘘をついて、取り返しのつかないところまで落ちてしまったのですから。
「おいお前、あの二人の娘か?」
私のもとに怖いおじさんの傍らが、馴れ馴れしい態度で詰め寄ってきました。
「お嬢ちゃん、案外可愛いじゃねーか。どうだい?金がないなら体で払ってもらっても良いんだぜ?あんたも父親のあんな姿、見てられねえだろう?」
「あ、誤解です。私は彼らの家族じゃありませんので。」
私はこちらに伸びるおじさんの手をはたき落としました。
ついさっき、私の帽子の魔力は切れたばかりです。
○
あの親子はどちらも似た物同士でした。
お互いに有名企業の社長だと嘘をつき、お互いにその嘘を信じていたのです。架空の後ろ盾に守られたきになっていた二人は調子に乗って、辞められることのないギャンブルの沼にハマっていったというわけです。
実に哀れな托卵の家族のお話でした。
私はいまだに争っている彼らに背を向けて、一階へと降りました。
そして再びおでんを頬張ります。私の隣の席には、飲み残した彼の酒瓶が転がっていました。
「すみません。」
「どうした?お嬢ちゃん。」
「これ、隣の席の人の分のお代です。」
私は親父さんからもらった六万円を机に置きました。
「お釣りはいりません。どうせこの人、おでんのお金を払えないと思うので私が代わりに払っておきます。」
「お嬢ちゃん…」
私は少しカッコつけながらそう言いました。
流石の私も、ただでさえ多額の借金を背負っている人から貰った六万円を黙って持っていくほど心が腐ってはいません。この六万円は彼の為…いえ、彼が金を払わずに食い逃げをしてお店に迷惑がかからないようにするためにあるべきですから。
「悪いけど六万じゃ足りないな。お釣りどころかあと二万円ぐらい払ってもらわないと足りないよ。」
「まじですか?」
おじさんの思わぬ言葉に、私はひどく動揺しました。そしてなんだかとてつもなく恥ずかしくなって、私は顔を赤らめました。カッコつけて「お釣りはいりません」とは言いましたけど、まさかおつりが出ないほど彼が飲んでいたとは思いませんでした。
あのダメ親父、どこまで性根が腐っているのでしょうか?私は心底呆れ、頭を抱えました。
「…あ、えーっと。どうしましょう…。」
私は言葉を詰まらせます。別に私に払う義務はないので、ここで去っても良いのでしょうが…調子に乗って払うと言ってしまったし…
そのように私が困っていたその時。私のもとに救世主が現れました。
「彼の分が私が払おう。」
そう言って現れたのは、高そうなスーツを着て頭にはお洒落なハットを被ったお金持ちの叔父様。どこかで見たことがあるお顔だと思ったら、今日私がIT企業を調べ回っていた中で見かけた年配の社長さんでした。
「毎度あり。」
「ついでに君の分も払ってあげよう。もしもっと食べたかったらお食べ。」
「良いんですか?」
せっかくなので私はこの叔父様に甘えることにしました。
「それじゃあ私は大根を三つぐらいお願いします。」
「私も大根を頼むよ。」
「はいよ、待ってくだせえ。いま準備しやすから。」
「すみません、せっかくなのであの少し高めのおでんセットを頼んでも良いですか?」
「いいさいいさ、お金はたっぷりあるからね。はっはっは。」
叔父様は高らかに笑いました。なぜそんなにお金持ちなのにこのような庶民的な店に来たのかと疑問に思いましたが、気にしないことにしました。
まあ私が知ったことで、どうと言うことはありませんしね。
「ところでお嬢ちゃん、お名前は?」
叔父様は私にそう尋ねました。
「ご冗談を。貴方はもう知っているはずですよ。叔父様。」
「?」
私の意図のわからない発言に一瞬疑問符を浮かべる叔父様。しかし叔父様の頭の上に浮かんだ疑問符はすぐに消え去り、叔父様は笑顔になって
「…ククースだったね。」
「そうです。貴方は私の名前を知っていますよ~、だって私は貴方の娘ですから。」
私はまるで悪女のような笑みを浮かべました。托卵の帽子を被った状態で。
ちなみに二人がどうなったかは、私は知りません。
知ったこっちゃありません。
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