第六話「お金持ちおじさんの苦悩」


 タワーマンションの最上階から見える夜景はとても素晴らしく、私はガラス張りの大きなお風呂から身を乗り出し存分にその景色を堪能することにしました。


「あー幸せ~。」


 数時間前までの貧乏生活から一変、私は一気に上級国民へと成り上がりました。私が昨日入ったオンボロアパートのオンボロお風呂に比べて、ここのお風呂は比べ物にならないくらい最高級。お湯に浸かった私の肌は一瞬のうちにスベスベになり、立ちこめる湯気は優雅で上品な香りが鼻をくすぐります。


 やっぱりあの時、偶然おでん屋さんで出会ったお金持ちの叔父様の家族になって正解でした。あの時偶然彼と出会えてなければ、このような豪華絢爛なひとときは送れなかったことでしょうし。これこそ托卵の帽子の力、あっぱれです。


 それにしても叔父様はこのような贅沢な暮らしを毎日遅れているのですよね。私は叔父様が羨ましくてなりません。



 ちなみに今回私は、叔父様の親戚の子供という立ち位置らしいです。叔父様は独身で一人暮らし。妹にするには年齢が離れすぎですし、娘なのだとしたら独身という点に矛盾が生じます。ゆえに私は今回はこのような設定なのでしょう。適切な設定だと思います。


 つまり叔父様にとって私は、はるばる都会にやってきて叔父様の家に遊びに来た親戚の子供というわけです。


「さあどんどんお食べ。」


「はーい。」


 叔父様は私のことを最高の待遇でもてなしてくれました。大理石の机の上には沢山の高級料理が並んでいます。あの有名なキャビアが、あの有名な黒毛和牛のステーキが、数々の有名な高級料理を始め、それ以外にも私の知らない高級料理が数多く並んでいました。


 私は手始めにステーキを嗜みます。口に入れて噛み締めた瞬間、溢れんばかりの肉汁が溢れ出し、私は一瞬にして幸せの境地へと誘われてゆきました。


「美味しいです。」


「あはは、そうかそうか。幸せそうで何よりだ。」


 私は二口目三口目と続けてステーキを頬張ります。きっと今の私は、この上なく幸せな顔をしているのでしょうね。


「…ところで、ククースちゃん。」


「はい?」


「田舎の両親は元気にしてるかい?」


「ぐふっ!」


 私は盛大にむせました。田舎の家族について聞かれてもお答えできませんよ。


「ま、まあ元気でしたね。」適当なことを言って逃れる私。


「そうか…なら良かった。」


 叔父様はなにか思い詰めたような顔をしていました。

 少し微妙な空気が張り詰めている中、私は続いてキャビアを食べました。味の感想としましては…まあ、なんというか大人の味でした。


 たまに庶民の私の口に合わないものもありましたが、それ以外の料理はどれも絶品。私は舌鼓を打ちながら料理の味を堪能しました。私の気分は完全に有頂天です。


「いやーそれにしてもすごい景色ですね。こんな景色を毎日拝めるなんて、羨ましい。」


「そうかい?それは良かった。」


「それにこんなに豪華な料理!毎日食べれるなんて幸せですね。」


「…そうだね。」


 今日の私はやけにご機嫌です。人間こうも環境が違うと変わってしまうのでしょうか。普段ならこんな饒舌にしゃべれませんし、こんなにお世辞も言いません。


 そんな上機嫌な私に対し、やっぱり叔父様はどこか浮かない顔をしていました。


「何かお悩みがありそうなお顔ですね。」


「…分かるかい?」


「ええ、一目でわかります。」そりゃそんなに落ち込んだ表情をされてましたらね。

 一見お金持ちで何不自由ない暮らしを送っているように見えますが、どうやらお金持ちの叔父様にも悩みがあるようですね。


 いつもなら知ったこっちゃないと無視してしまうところですが、今日は機嫌が良いです。せっかくなので悩みを聞いて差し上げましょう。


「それで、どんな悩みをお持ちなのですか?よければ相談に乗りますよ。」


「…良いのかい?」


「ええ。」


「…私は、何も面白く感じないんだよ。」


「と、言いますと?」


 私は首を傾げました。こんなにこの上ないほどに充実した環境が整っているのに、一体何が不満だというのでしょうか?


 叔父様は自身の過去を語りました。


 彼の出身は穏やかな田舎町。田舎の小さな学校で、最も優秀だった彼は努力を重ね、今のIT企業の社長へと昇進しました。そして彼は努力の甲斐あって、今のような裕福な暮らしを得ました。最初のうちは彼は贅沢な暮らしを謳歌していたのですが、いつしかそんな生活が当たり前になって、贅沢な暮らしはしだいに退屈になっていきました。


 毎日贅沢な暮らしを送っていると、その暮らしに特別感を見出せなくなるそうです。


 叔父様は今の生活に味気なさを感じ、田舎暮らしの時のようなのんびりとした生活に懐かしさを覚えているようです。だから叔父様は庶民的なおでん屋さんに寄っていたのですね。


「今も時折思い出すんだ。私はあの頃に戻りたい…。」


 叔父様はワインを片手にそう言いました。


「どう思うかね?ククース。」


 どう思うかと言われましても


「…なんともまあ、贅沢な悩みですね。」


 庶民の私には彼の悩みがとても贅沢だなと思いました。


「ははは、贅沢か。確かにそうだね。」


 叔父様はそう言って笑いました。


 しかし、不思議なものです。贅沢な暮らしを送っていると、庶民的な暮らしが懐かしくなる。私たちが憧れているのは贅沢な暮らしなのに対し、叔父様のような裕福な人たちは庶民的な生活に憧れを抱いているのですから。


 ここまで叔父様のお話を聞いて、私はどうアドバイスすればいいのか分かりませんでした。正直贅沢な悩みですねと言うことしか出来ないのですが、叔父様の悩みは真剣なものです。


 私は少しの間考えを巡らせ、叔父様に最適だと思われる答えを返しました。


「そんなにお悩みなら、一度田舎に戻られたらどうですか?」


「それが出来たらすぐにでも帰りたいんだけど、あいにく時間がなくてね。」

 叔父様はどこか寂しげに笑いました。


「それに実家に帰ったら、私はずっと居たいと思ってしまうだろう。実家はここから遠いから、実家で過ごすとなると仕事に支障がでてしまうだろうな…。」


「…なんかすみません。」


「あはは、別に良いよ。それに実家に帰るだなんて考えたこと無かったよ。良いアドバイスをありがとう。」


「…。」


 私は思いました。叔父様は本当は実家に帰りたいのだろうなと。

 でも叔父様は自分が実家に帰ってしまったら、もうここには帰ってくることは出来ないと感じているのです。だからこそ、実家に帰るという選択肢を選べない。


 私のアドバイスはあまりに無責任で、適当な発言だったなと私は反省しました。


「…そうか、家に帰るか…」


 叔父様は夜景を片目に小さな声でそう呟きました。それから私たちの間には沈黙が走りました。私は黙々と高級料理を味わって、早々にその場から立ち去りました。


 そして洗面所で歯を磨き、私は寝室へと入ります。

 そこにはまるで私を待っているかのように鎮座している、ふかふかの毛布が敷かれたベッドがありました。


  ばふっ


 私はベッドにダイブしました。枕に顔を埋めると、暖かなお日様のような香りがほんのりしました。


「うふふ、幸せ~♡」


 私は今まで出したことのない甘ったるい声を発しました。それから私は毛布をぎゅーっとしたり、しばらくの間ごろごろしてみたり、色々とふかふかのベッドを堪能したのちに眠りにつきました。



 やっぱり私には叔父様の悩みが贅沢な悩みだとしか思えません。


 叔父様が毎日送っている生活は、私たちには到底手の届かない、まるで夢のような暮らしです。そんな生活に人々は誰しもが憧れを抱き、私も豪華絢爛な暮らしが送りたいと思うものです。


 私たちのような庶民には、IT企業の社長でお金持ちな彼の気持ちなど理解できません。だって私たちは彼らの立場に立てないのですから。それにこうやって帽子の力で彼の家族になった私ですら、叔父様の悩みは共感できませんでしたし。


 まあ、良いですけど。

 だって共感できなくたって、私には知ったこっちゃありませんから。



   ●



 私の人生は全く面白くない。


 そう誰かに言うと、皆は揃って「あなたは勝ち組の人生を送っているじゃないか。」と言う。


 確かに側から見れば私の人生は、贅沢で何不自由ないものに見えるかもしれないが、実際そんなことはない。毎日朝から晩まで働き詰めの日々。周りの人たちは、皆私の金目当てに擦り寄ってくる。そんな私には心から友達と呼べる存在は一人もいない。田舎に住んでいた頃は、みんなが私のかけがえのない友達だった。しかし上京した今、周りに彼かはいない。


 思い返してみれば、私の人生の最高潮は田舎で暮らしていたころだった。学生時代は勉強尽くしで青春とは無縁の毎日であんまり印象に残っていないが、少年時代の思い出はいまでも鮮明に覚えている。あの頃は貧乏だったが、その分ささやかな生活が私を満足させてくれた。


 貧乏時代の食生活は今とは真逆。食事は毎日白米にたくあんを乗せるだけで、当然お腹は満たされなかった。


 そんな私の心とお腹を満たしてくれたのは、近所のおじさんに奢ってもらう”おでん”だった。


 月に一度の楽しみ、ひたすら我慢してから食べる熱々の大根は本当に最高だった。

 お金持ちになって贅沢な暮らしが当たり前になった今、もうあの頃のようなささやかな幸せは味わえない。今日までたくさんの高級料理を嗜んできたが、それでもあの頃のおでんを超えるものはない。


 私は貧乏だったからこそ、あの感動を味わえたのだ。


「膝下に帰る、か…。」


 私はさっきククースから言われたことを、真剣に考えていた。

 私がIT企業の社長になって親孝行したので、田舎の両親は昔のような貧乏生活から脱して普通の生活を送っているはずだ。私も普通の生活が送りたい。


 地元には少年時代に長きを共にした仲間がいる。そしてあのおでん屋さんがある。

 私の地元には、私が理想の暮らしを送るための条件がそろっているのだ。


「よし。」


 地元に帰るには、会社を任せる後継者が必要だ。私は動き出す。

 私はもう、動かずにはいられなかった。



  ○



「実家に帰る!?」


 私は起きて早々、叔父様の衝撃の一言に喫驚しました。


「ああ、あの会社は優秀な後継者に任せることにした。あとは色々と支度を済ませて、近いうちに実家に帰るつもりだ。」


 辺りを見渡すと、そこには無数の段ボールが転がっていました。きっと私が寝ている間に、色々と準備していたのでしょう。叔父様の行動力恐るべしです。


 しかしとんでもないことになりました。私は名残惜しそうにふかふかの毛布に抱きつきながら、叔父様を見つめます。困りましたね、私はあと数日間はこの家に滞在しようと思っていたのですけど…。


「それにしても急すぎません?本当に良いんですか?せっかくこんなに贅沢な暮らしが送れているのに…。」


「ああ、贅沢な暮らしこそが幸せじゃない。人生、身の丈にあったことが一番幸せなんだよ。」


 叔父様はそう言って笑いました。

 あ、これはもう止められない。私は覚悟の決まった叔父様の目を見てそう確信しました。


「…そうですか。」名残惜しそうに、毛布を畳む私。


「ありがとう。ククースのおかげで、重い腰を上げることができたよ。」


「いえいえ。」


 あーん、私のおかげだなんて言わないでくださいいぃ。不本意なんです!私は無責任に「地元に帰ってみては?」ってアドバイスしただけなんですよぉぉ~!


「これから私は会社の人たちと話をしてくるから、ククースはのんびりしといてくれ。」


「いえ、私はもう帰ります。」


 私は起き上がって、着替えました。これ以上長居する必要もないでしょう。これ以上長居してしまったら、余計に名残惜しくなるだけですから。


「さようなら、叔父様。」さようなら、私の贅沢ライフ…


「ああ、気をつけてお帰り。」


 私は帽子を脱いで、タワーマンションを背に去っていきました。



   ●



 私は荷物をまとめて、家を出た。


 私は長く過ごしたタワーマンションを後にし、空港へと歩みを進める。そして私は、ふと会社の前を通りかかった。私のいない会社は、今日も変わらず業務を続けている。


「あとは頼んだぞ。」


 私はちいさくそう呟き、長年働いた会社を後にした。

 


 まだ時間がある。私は最後に最寄りのおでん屋さんに立ち寄った。


「へい、らっしゃい。」


「こんにちは。いつもの頼むよ。」


「はいよ。いつものね。」


 店主は鍋から大根を掬い出し、お皿に盛り付ける。私はいつもの席に座った。私の席は、左から四番目と決まっているのだ。


「おや、君はいつぞやの。」


「あ、お久しぶりです。叔父様。」


 私の隣に座っていたのは、この前おでんを奢ってあげたお嬢ちゃんだった。


「この店のおでんが気に入ったのかい?」


「そうですね。この店のおでんは美味しいです。この街を出る前に、もう一度食べたいなと思いまして。」


「そうか、私も同じだ。私ももうすぐこの街を後にする。だから最後にここのおでんを味わおうと思ったんだ。」


 私はおでんのメニューを片手にそう言った。


「…叔父様、引っ越しなさるんですね。IT企業の社長を辞めて、田舎に帰るとかなんとか」


「あはは、よく知ってるね。」


 彼女は不思議なことに、私のことをよく知っていた。もしかすると、彼女は私がここに来ることを知っていたのかもしれない。確証は無いが、不思議とそう思ってしまった。


「君はどう思うかい?」


「どう思うとは?」


「正直私は、この選択に迷いを覚えているんだ。」


 私は自分の思いを彼女に話した。正直私のこの選択に迷いがないのかと言われたら嘘になる。全てを捨てて実家に帰るのだから、迷いがないわけがない。でも私は田舎の生活こそが幸せだと確信しているのだ。でも私の部下や周りの人たちは、口を揃えて「辞めといた方が良い。」と言う。自分でも何が正しいのかわからない。私はもしかしたら自分の選択が間違っているのかと思って仕方がないのだ。


 彼女は淡いピンク色の髪をいじり、沈黙した。


 もしかすると、彼女からも周りの皆と同じように「辞めておいた方が良い。」と言われてしまうかもしれない。私は緊張しながら沈黙に耐えた。


 彼女は立ち上がり、会計を済ませた。

 そして店を出る前に、彼女は言った。


「まあ、良いんじゃないですか?自分の身の丈に合うと思えば、それが一番幸せですしね。」と。


 

   ○



 冷たく通り過ぎていくビル風が、私の頬を撫でます。


 私はマントを体に巻きながら、都会の街の出口へと向かっていました。

 やっぱり叔父様の気持ちは私には分かりません。私には共感することができませんでした。


 ですが、共感出来なくても、彼が幸せならばそれで良いです。どうせ他人の人生。

 私には知ったこっちゃありませんから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る