第七話「森の大工さん」


「貴方誰?」


 家出をしたての頃の私は知りませんでした。


 私の旅路にどれほどの別れが身を潜めているのかと言うことを。

 誰かの家族になるということが、誰かと一瞬でも時間を共にすると言うことが、私の感情をどれほどまでに掻き立てるかということを。


 托卵の家族は、一時的なものであって、結局のところ赤の他人。彼らは私の本当の家族ではないのです。

 私はそうと分かっているはず。

 なのに私は度々同じことを繰り返してしまいます。



 家出をして、初めて誰かの家族になった時と同じように。



   ○



 私は今森の中にいます。


 …恥ずかしいのですが私、道に迷いました。本当はこの森を超えた先に小さな国があるはずなのですが、精緻な計算ミスが生じ、私は今絶賛迷い中と言うわけです。


 空を見上げると、空と私の間には大きな木が覆い被さって、太陽の光を遮っていました。風が吹き、葉が揺れて、こぼれ落ちてくる光が私のもとに届いては消え届いては消えを繰り返します。


「誰かいませんか?」


 私は当てもなく尋ねながら歩きます。念のために帽子を被ったまま。

 この際熊でもリスでもなんでも良いから、誰か私に食料を恵んでくれないですかね?もし仮にくまが出てきたら私が食料になってしまうかもしれませんが。


 くだらない冗談で一人苦笑する私。正直まだ陽が落ちていないから良いですけど、もし陽が落ちてしまったら途端に大泣きしてしまうと思います。そうならないためにも、早くこの窮地から脱しなければ。


 倒木を跨ぎ、川を渡り、黙々と森の中を進んでいると、私の頭にコツンと何かが落ちてくる感触がありました。


「これは、どんぐり?」


 私は頭上を見やると、細い木の枝の上に二匹のリスが立っていました。リスの頬は何かを詰め込んだかのようにぷっくらと膨れていました。おそらくこのどんぐりは彼らの落とし物でしょう。


「この森の中に誰か住んでない?」


 私はどんぐりをリスの方に掲げて、尋ねてみました。まあこんなこと言っても伝わりませんよね。


 一人で失笑していると、私のもとにリスが降りてきました。彼らは私の手からどんぐりを取り返し、一瞬私を見据えます。リスの瞳は、まるで私にお礼を言っているかのようでした。


「どういたしまして。」


 私がそう言うと、リスは逃げていきました。


「あー、まってリスさーん♪」


 ちなみに今の声は私の声ではありません。

 声の主はまるでリスに導かれるように、どんどんこちらへ近づいてきます。そして


「あ、ククース。こんなところにいたのね。」


 まるで救世主のごとく現れた一人の少女。帽子を逆にかぶったショートカットの髪型で、キラキラした目、長袖シャツにエプロンをつけて右手には木製の小さなハンマーを持っていました。胸元には名札をつけていて、そこには平仮名で“つつき”と書いてありました。


 急に名前を呼ばれたのでびっくりしましたが、よくよく考えたら今の私は托卵の帽子を被っていました。


「探したんだよ~さあ帰ろう。お姉ちゃんについてきて!」


「え…あっ…」


 ツツキさんは私の腕を掴んで走り出します。“お姉ちゃん”という言葉から察するに、どうやら彼女は私より年上のようですね。


「は、速いです。もう少しゆっくり…」


「平気平気!レッツゴー!」


 とても強い力で引っ張られていく私。山の暮らしに慣れているのか、ツツキさんは倒木などの障害物をもろともせず走ります。一方山道に慣れていない私は何度か躓きました。そして後半はずっと彼女に引きずられるような状態になりました。


 数分ほど走らされ、なんやかんやで私たちはツツキさんの家へとたどり着くことができました。



「ふぁーっ、久々のふかふかベッドです~♡」ようやく一息がつけた私は、彼女の家にあった大きなベッドの上で横になりました。こんなふかふかベッドの上で横になれるなんて、金持ちの叔父様以来です。


「もう、大げさねぇククースってば。」


「いやー助かりました。どうもありがとうございます。」


「え、何?なんで急にそんなにかしこまっちゃってんの?」


 家族なのに敬語を使う私に戸惑う彼女。私は予想外のツッコミに当惑しました。

 普段なら私が敬語を使おうと怪しまれないのですが。おかしいですね。いつもなら帽子の魔力が働いて、私がどんなに他人行儀でもばれないように調整してくれるのですが、今日は托卵の帽子の調子が悪いのでしょうか?


「いえ、なんでも…ないよぉ」ラフな喋り方をしようとして、変な言葉を発する私。


「今日のククースなんか変。でも面白い。」


 そう言ってツツキさんは笑いました。危ないところでしたがなんとか誤魔化せたようですね。


「そういえば、お母さんとお父さんは?」流石にこんな森の中で一人暮らしというわけではないでしょう。


「んー?お母さんたちなら今外出中。いつか帰ってくるよ。」


 ツツキさんはなにやらリュックに荷物を詰めています。私はふと視界に入ってきた、枕元に置いてある倒れた写真立てを起こしました。


「さて、そろそろ仕事にでも行きますかね。」


「仕事?仕事って…あ。」


 彼女の怪訝そうな視線に気づく私。なんだか嫌な予感がします。


「…ククース。いつものことなのに忘れちゃったの?」


「え、あーいや…さ、最近物忘れが酷いというか~なんと言うか~」


「ククースやっぱり変だよ。」


 冷や汗が頬を伝うのを感じました。まずいです。ものすごく怪しまれています。


「もしかしてククース…」


 彼女は眉間にシワを寄せて、私に顔を近づけてきます。まずいです。


「え、あ、」


「……もしかして、仕事サボりたいから変なこと言ってるんでしょ。悪い子ねー」


 軽くデコピンをして、ツツキさんは私にそう言いました。


「え、ええそうですすみません。」


「もう、私も頑張るから文句言わないの。ほら、これに着替えて。」


 彼女は私にエプロンと着替えと小さいハンマーを手渡しました。


 なんだか面倒なことになってきました。しかし、私には断るという選択肢はありません。私は泣く泣くエプロン一式を受け取りました。


 長袖シャツに腕を通し、エプロンを付け、私はツツキさんとペアルックになりました。唯一違うところといったら頭に被った帽子ぐらい。私は托卵の帽子を逆にかぶり、彼女のもとへ現れました。


「はいこれ名札。」


「ども。」私はくくーすと平仮名で書かれた名札を受け取りました。


「似合ってる似合ってる。さすがは私の妹、可愛いよ。」


 私の格好を見て、ツツキさんはそう言いました。可愛いというド直球な褒め言葉に、私の頬は赤くなりました。


「あははククース照れてる~」


「照れてません」


「うっそだあ~」


「嘘じゃありません~」


 私はほっぺを膨らまして怒って見せました。しかし逆に笑われてしまいました。

 なんでしょう、この感覚。これがお姉ちゃんができるということなのでしょうか?



 私がこうも怪しまれてしまっているのは帽子の不調だけでなく、もしかすると彼女が私のお姉ちゃんだからというのも関係しているのかもしれません。私からしたら彼女は赤の他人ですが、彼女からすれば私は今までずっと一緒に過ごしてきた妹同然なのです。もしかすると彼女は、お姉ちゃんとしての勘が働いているのかもしれません。


 今まではずっと他人行儀でしたが、今回に限っては妹として彼女に合わせて行動したほうが良さそうですね。もしここで彼女に家族でないと勘付かれて追い出されてしまっては困ります。


 たたでさえ人の気配のない森の中です。せめて今日一日は乗り越えなければなりませんね。


「大丈夫?ククース。」


「あの~あとどれくらいでつきますか?」分かっているのですが、どうしても敬語になってしまう私。


「まだまだだよ~。」敬語を使う様子のおかしい妹に慣れてしまったのか、ツツキさんは突っ込まなくなりました。良かったです。


「今回のお客さんはこの山のてっぺんを希望してるの。」


「ええ…。」


「文句言わない。」


 ツツキさんは弱音を吐く私を叱ります。そのやりとりはさながら姉と妹のよう。

 ああ、なんだか一段と足が重くなった気がします。


「われらは一流大工さん~♪とっても素敵な大工さん~♪」


 その上彼女はオリジナルの歌を歌いだし、私まで歌わさせられたので余計に息切れしました。彼女は若干音程の外れた歌声で心地よさそうに歌っていました。


 しかし気になりますね。これから私たちは何をするのでしょうか?こんな森の中で私達に仕事を依頼する人がいるのでしょうか?


「待ってくださいツツキさーん」へとへとになった足はついに動かなくなり、私はその場に崩れ落ちました。


「ククース?もう、仕方ないわね。」


 ツツキさんは情けない私の姿を見て哀れみ、私のもとへ近づいておんぶしてくれました。


「はい」


「あ、ありがとうございます。」


「いいよいいよ。ごめんね、ちょっと早かったよね。ごめんごめん。」ククースは妹

なんだから私がちゃんと面倒見なきゃいけないよね、と彼女は笑いました。


 年上の女の子におんぶされるなんて初めてでした。

 ツツキさんは私をおんぶしたまま、すごい馬力で急斜面を登っていくので少しハラハラしましたが、彼女の背中はとても暖かく安心する背中でした。


「ねえククース。ひとつ言いたいんだけど…」


「何ですか?」


「敬語なのは良いとしてもね。私のこと名前じゃなくて、お姉ちゃんって呼んでくれな…」


「嫌です。」私は食い気味にそう言いました。


 いくら設定上は妹だとしても、私は恥ずかしくて彼女のことをお姉ちゃんとは言えませんでした。


「むー」ツツキさんはほっぺを膨らましはぶてました。


「フフ…」私はそんなツツキさんを見て笑いました。完全にさっきと立場逆転です。私は少し良い気分になりました。


 それにしてもお姉ちゃんって……いえ、なんでもないです。

 おんぶしてもらってからしばらく経った頃、ツツキさんはふと立ち止まりました。


「こんにちは、リスさん。」


 目線の先には少し大きめなリスがいました。そしてその大きなリスの横並びには小さなリスが数匹いました。彼らはどんぐりを持って、まっすぐと私達のほうを見つめていました。


 私達の目の前にいたのは、まごうことなきリスたちでした。


「ククース、あの子が今回の依頼人だよ。」


 だから彼女からそう言われたとき、私はとても驚きました。

 依頼人って、彼らは人じゃないではないですか。



   ○



「そうそう、上手よ~。」


 ハンマーとノミを使って大きな木に穴をあける私。木は硬くかなり力を入れないとノミが刺さりません。しかもノミで開けようとすると上手くいかず変な形になってしまいます。


 ちなみに私達の仕事の内容は“リスたちの家を作ってあげる”ことでした。彼女がさっき歌っていた歌詞にあった“大工さん”とはこういう意味だったのですね。しかし、これは果たして仕事と言えるのでしょうか?どちらかといえばボランティアです。


 ちなみに家を作る方法は単純、木に穴をあけるだけという単純作業です。しかし単純作業というのは、本来の建築作業と比べた場合。実際にこうして木に穴をあけてみるとその大変さがよく分かります。


 ちなみにどのくらい穴をあけないといけないかと言うと、今私の後ろにいるリスの数と同じざっと100個程度。まじですか。ただでさえ穴を一個あけるのに時間がかかるというのに、100個開けるとなると相当時間がかかりそうです。死にそう。


「えっほ、えっほ」


「すごい速い…」


「このくらい軽くこなせるようにならないと、一流の大工にはなれないからね。」


 ダメダメな私と比べて彼女の手際は見事なもので、ものの数秒で数個の穴があいていきました。すごいですね。私はまだ一個もあけれていないのに。


「ククース、大丈夫そ?」


「無理っぽいです。」


「じゃあククースには別のことを頼もうかな。そうだな~じゃあ悪いけどドングリを拾ってきてくれない?」


「ドングリですか?」


「お客様へのサービスだよ。一穴に3つくらいで良いからある程度集まったら入れていって。」


「はーい。」


 私は立ち上がり、ドングリをもとめて歩きだします。近くになさそうだったので、私は森の奥へと進みました。


 そして少し歩いた先に一面のどんぐりがありました。周辺には大きなブナ科の木が生い茂った、かなり薄暗い場所です。


「一つの穴に3つってことは、単純計算で300個いりますね…。うぅ、大変そ。」


 弱音を吐いてしまいましたが、冷静に考えればさっきよりは楽ですね。私はとりあえず頑張ることにしました。いつもなら知ったこっちゃないと逃げ出すところですが、そういうわけにもいきませんしね。


 ドングリを持てるだけ集めてポケットに入れ、ツツキさんのもとまで持っていって彼女があけた穴に入れる。私はそれを数回繰り返しました。だんだんとツツキさんのあけるペースに追いついてきて100個目の穴をあけるタイミングでちょうど終わりそうです。


「これでラスト…」


 最後のドングリを拾おうと私は手を伸ばします。その時


  ゴソゴソ


 近くの茂みから何かが動く音が聞こえました。


「な、何?」


 私は一瞬身構えました。そしてすぐに音の正体が判明します。


「イヤアアアア!!!へびぃぃぃいい!!!」


 音の正体、それは大きな“ヘビ”でした。私は今まで出したことのないほどの大きな悲鳴を上げ、森の奥へと逃げました。実は私、ヘビが大の苦手なのです。だって手も足もないのににょろにょろと動くんですよ?気持ち悪くないですか?


 そんな気持ち悪いヘビがいきなり目の前に現れて、私はひたすらパニックになりました。しかもそのヘビが敵意を剥き出しにして私に近づいてくるから余計に。私はひたすら逃げ惑いました。


 私はパニックになっていたせいでよく前を見ていませんでした。

 そのせいで私は自分の行く先に崖があることに気が付きませんでした。



 なんとか崖を掴み私は助かりました。


 皆さん知ってますか?アニメやドラマとかである崖つかみシーンって、実際にやってみると結構辛いですよ。全体重を腕2本で支えているわけですから、そりゃ辛いですよね。分かります。


 でもククース、君はいつも空を飛んでいるじゃないか。今もまた空を飛んで窮地を脱すればいいじゃないかと言われるかもしれませんが、私が空を飛べるのはマントを身に着けているときだけです。今の私はマントを身に着けてません。あはは、完全に終わったぁ。


「たすけて…。」


 私はあまりの辛さと恐怖で声が出ず、顔がぐしゃぐしゃになるぐらい泣き出しました。いくら一人で泣いてもどうしようもありません。必死に恐怖をどうにかしようと思っても、どうしようもありません。この場所からツツキさんが作業している場所は少し距離がありますし、それに私達以外誰もいないこの広い森の中では私のことを誰も助けてくれないでしょう。完全に大ピンチです。


 こんなことなら家出なんてするんじゃありませんでした。

 どんなに公開しても反省しても今の私の状況は変わりません。


「もう、ダメ…」


 私は諦めて手を放そうとしました。

 ああ、私の旅はこれで終わりですね。

 ゆっくりと目を閉じて、私は覚悟を決めました。その時


「ククース!」


 間一髪。私の腕をツツキさんが掴みました。

 彼女の手はガタガタと震えていました。それでもその手は私の腕をがっしりと掴んでいました。


「ダメっ!死なないで!」


「ツツキさん…」ツツキさんは私のことを必死に引っ張ります。私の体は彼女の凄まじい力によって徐々に引き上げられました。


「私を一人にしないで!!ククースまで死んじゃヤダ…。私はもう大切な家族を失いたくない!!」


 彼女の火事場の馬鹿力によって、私は完全に地上へと引き戻されました。


「大丈夫!?ククース」


「う、うわあぁあああぁあん」


 安堵した私はツツキさんに泣きつきました。


「ぐすっ、うぅぅ」


「よしよし、もう大丈夫。」


 ツツキさんはそんな私のことを優しく抱きしめます。


「良かった。本当に良かった…」


 優しく背中をさすってくれるツツキさん。彼女の手はさっき私の腕を掴んでいたときと同じように、ガタガタと震えたままでした。



   ○



 枕元に置かれていた写真立てを起こすと、そこには色あせた家族写真がありました。写真立てはその家族写真がはっきり見えないほどにバキバキに割れていました。まるで写真立てを思い切りどこかに叩きつけたかのように。


「これがツツキさんの両親。」


 私は写真立てから写真を取り出し、上手く見えなかった家族写真を見ます。そこにはツツキさんと、彼女のお母さんとお父さんらしき人が写っていました。撮影場所はおそらくこの家の前。


 この写真はツツキさんが、昔は両親とともにこの森で暮らしていたということを示していました。


「お母さんたちはもう…」


「…そう。二人はもういない。」


 目から輝きを失った彼女は力なく語りました。

 自身の過去を。



 ツツキさんは幼い頃、両親とともにこの森にやってきました。

 彼女のお父さんはアウトドア好きで、森の中で過ごすのが夢でした。そして彼の妻であるお母さんも、お父さんと同じ夢を持っていました。


 三人は森の中で時間とは無縁の生活を送っていました。


 たまに森の中で暮らしているリスと戯れながら悠々自適な暮らしを満喫していました。ツツキさんはお父さんに教わった、リスの家を作る遊びが大好きでした。彼女は自らを“森の大工さん”と称し、リスたちのお家を作ってあげました。お父さんとお母さんは、そんな彼女の可愛らしい遊びを見ながら微笑みます。彼女にとって、それは実に幸せな時間でした。彼女はそんな幸せがずっと続くと思っていました。


 しかし、ある日彼女に悲劇が襲います。

 お父さんとお母さんは崖から落ちて亡くなりました。当時まだ幼かったツツキさんは、そのことを知りませんでした。彼女は誰もいない森の中に一人取り残されてしまったのです。



「私が初めて気づいたのは、二人の骨を見つけたときだった。」


 彼女は家の裏山にあるお墓の前でそう言いました。そこは山の景色が一望できる場所でした。きっと彼女は、森が大好きだった両親のことを思ってこの場所に埋葬したのでしょう。


「…ずっと思い出さないようにしてた。思い出したくなかった。だけど、私は…私は……」


 ツツキさんはその場に崩れ落ちました。


 彼女は二人が帰ってこなくなった日から、自身を“森の大工さん”だと狂ったように言い聞かせて森の中に居続けました。彼女はとにかく自分がこの森に一人残されてしまったことから目を背けるようにしました。自分は好きでこの森に一人で残っている、両親は外出中でいつか帰ってくる。そう自分に言い聞かせるために、“森の大工さん”としてリスたちの家を作り続けることにしました。そうしたらいつか両親は帰ってきて、リスたちのお家を作っている私を見て笑ってくれる。そう信じ続けて。


 二人の骨を見つけて一度現実に戻されてもなお、彼女は“森の大工さん”であり続けました。

 自分の心を支えるために。たった一人で取り残されてしまった現実から目を背けるために……。



 しかし死にそうになった私を助けたことで、彼女は再び現実と向き合わなければならなくなった。


 私はツツキさんの方を見ます。


 彼女は泣いていました。


 ぼろぼろと大粒のなみだを流していました。


 ツツキさんは今日まで、必死に自身の過去を忘れようとしてきたのです。それなのに…私のせいで現実と向き合わなければならなくなった。


「……ごめんなさい。」私は深く頭を垂れて謝りました。


「なんでククースが謝るの?ククースは何も悪くないよ。悪いのは…私…」


 ツツキさんの声に徐々に嗚咽がまじり、やがて彼女は大泣きしました。


「うわああああん」


 泣いてしまったら、両親が死んでしまった事実を受け入れてしまうことになるのではないか。彼女はだから泣かなかったと言います。きっとこの涙は彼女が今まで我慢してきた分の涙なのでしょう。


 その涙はとても大粒で、まるで止むことのない雨のようでした。



   ○



 大きな森の中に朝がやってきました。

 私は窓から差し掛かる太陽の光に起こされて、目を覚ましました。


「おはよう。ククース」


 そう優しく声をかけるのは、私のお姉ちゃん(仮)であるツツキさん。片手にはできたてのパンを持って、もう一方の片手には温かいココアを持っていました。


「…気分はどうですか?」


「うん。だいぶ落ち着いた。ごめんね、ククースにあんな姿を晒しちゃって。」


「謝らないでください。」私はうつむきながらそう言いました。


 あれから1日経ちました。ツツキさんは丸一日部屋にこもりっぱなしでしたが、今日やっと出てきました。彼女の瞳の奥には相変わらず暗闇が広がっていますが、彼女の言う通りだいぶ落ち着いたようです。彼女は時折私に笑顔をみせてくれました。


「さて、じゃあ仕事を再開しますか。」


「…え?」


「…分かってるよ。でも、森の大工さんの仕事は私の生きがい。そして大切な家族との思い出なの。だから辞めたくない。私はこれからも森の大工さんであり続けたいの。」


 ツツキさんはそう言って笑いました。

 彼女は過去と向き合い、前向きになる覚悟を決めることにしたようです。だから彼女は今日もいつもの衣装に身を包み、森の中へと歩みを進めます。あの歌を口ずさみながら、まるで天国にいる両親に自分の姿を見て笑ってもらいたいかのように。明るく、楽しく。


「おまたせしました。」


「手伝ってくれるの?ククース。」


 そんな彼女に私がしてあげれることは、彼女のお手伝いでした。

 私はせめてもの償いの思いも込めて精一杯手伝いをしました。彼女を悲しみから立ち直らせるために。彼女の瞳に、以前のような輝きを取り戻させるために。


 私は全力でお手伝いをしました。


「我らは一流大工さんー♪」


「と、とっても素敵な大工さんー♪」


 私達は歌いながら、お客さんであるリスたちのもとへ向かいました。仲良く歌う私達は、まるで本物の姉妹のように息ピッタリでした。


「よし、やるぞーククース!」


「はい!」


 最初は慣れてなかった家造りも、もうすっかり板についてきました。

 ツツキさんと家族になってから四日目。私はツツキさんに匹敵するぐらい上達しました。


「うまい!上手になったねククース。」


「いえいえ、これもツツキさんを模倣したおかげです。」


 ツツキさんはだいぶ最初の頃のような明るさを取り戻していました。目にはハイライトが戻り、表情もだいぶ柔らかく戻りました。


「「出来た~!!」」


 私達は完璧に仕事をこなし、リスたちを大喜びさせました。

 ツツキさんの家族になってから六日目。今日は仕事をお休みするみたいです。


「ククース。良い場所があるんだ。ついてきて。」


「はあ…はあ…もうヘトヘト」


 私はツツキさんに連れられて、急な斜面を登っていました。

 ツツキさんはどんな道でももろともせず、黙々と先を進んでいきました。私はぜえぜえと呼吸を荒くしながら必死にあとを追います。


 そしてようやく目的地まで到着しました。


「うわあ…。」


「凄いでしょ?」


「キレイ…。」


 そこには色とりどりのお花が咲き乱れていました。風が吹くと同時に甘い香りが花びらとともに舞広がります。その光景はまさに絶景。私は疲労を忘れ、すっかり心を奪われていました。


「さ、ここでお弁当食べよ。ほらこっち」


 私はツツキさんに手を引かれ、一番見晴らしの良い丘の上までやってきました。広げられたレジャーシートの上に座り、私はリュックに詰めていた手作りお弁当を並べました。


「うわっすごっ。ククースって料理上手いのね。」


「えへへそうですか~?」


 こう見えても私、実は家事全般なんでもできる自信があるので料理は大得意なのです。どのくらいできるのかといいますと、まあ軽くフルコースぐらいなら作れますね。別に自慢じゃないですけど、はい。


 ツツキさんにほめられて、完全に上機嫌になる私でした。


「うん。味も美味しい。」


「気に入ってもらえて良かった~。」


「さすがは私の妹だ!グット!」


「えへへ、照れるな…」


 私はツツキさんにべた褒めされて完全に有頂天でした。


 そして私達は食後のカフェオレを堪能しながら、一緒に景色を眺めていました。いつの間にか私は砕けた口調になり、彼女に心を開いていました。最初の頃はせめてもの償いのためにと無理をして明るく振る舞っていたのですが、いつしか心の底から明るい気分になれるようになれました。


 これがお姉ちゃんの力なのでしょうか?


 私はツツキさんのことを見つめました。


「ん?どうしたの?」


「なんでもない。」


 そういえば、私はまだ彼女のことをお姉ちゃんと呼んでいませんでしたね。彼女はじつにポジティブで優しくて、元気で楽しくて…本当に…私の理想のお姉ちゃんです。


 私は勇気を振り絞って、彼女にお姉ちゃんと言おうとしました。


「…お」


「今日はありがとね。ククース。」


 私が言うより先に、彼女は私にそう言いました。


「ね…え、えーっと。こ、こちらこそ。」


「最近私、ククースに気を使わせてばかりだよね。ごめんねククース。でも私はもう大丈夫よ。」


 ツツキさんは立ち上がります。同時に爽やかな風が吹き、花びらが舞い上がり、彼女は満面の笑みを浮かべて言いました。


「もう私は悲しくなんかない。だっってククースがそばにいてくれるんだもん。」


 彼女の笑顔はとても華やかで、まるで美しく咲き誇る花のようでした。

 私は彼女の笑顔に応えるかのように微笑みます。

 お姉ちゃんと言うのは明日でも良いですよね。私は彼女の手をつないで、家に帰る道へと歩みました。



______7日目。



「あー疲れた。」


 もうあたりはすっかり暗くなり、私とツツキさんは仕事を終えて家に帰宅しました。今日は昨日サボった分まで頑張って働きました。めちゃくちゃ疲れましたが、その分やりがいのある仕事でした。


「今日は大活躍だったね。ククース。」


「ツツキさんも相変わらず凄かったですよ。」


 私達は顔を見合わせ笑いました。ツツキさんは先に片付けておくねと、私に背を向けました。


「…ねえ、ククース」


 彼女は立ち止まりました。


「何?」そしてゆっくり私の方を振り返り、言いました。


「そろそろ私のこと“お姉ちゃん”って呼んでくれない?」


 と。


 …………。


 言うしかないですよね。


 昨日私は言いそびれたのです。彼女のことを“お姉ちゃん”と。私が言わないから、彼女のほうからお姉ちゃんと呼んでと言われれしまいました。しかし、これは好気です。私は意を決して彼女に言うことにしました。


「………。」


 心臓のバクバク音がやけにうるさいです。


 私はうつむき、頬を赤らめます。


 おそらく目の前にいるツツキさんは早く言ってほしいと私の言葉を心待ちにしていることでしょう。


 きっと彼女は、私の言葉を待っていると思います。


 言いますよ。


 てか言いたいです。


 私は息を大きく吸い込み、言いました。


「…お姉ちゃ」



「貴方誰?」



 私の言葉は、彼女のその一言によってかき消されたのでした。




 そう、私は完全に忘れていました。

 彼女との関係はこの帽子によって成り立っているということ。

 そしてこの帽子の魔力は一週間しか持たないことを。


 __家出をして、初めて誰かの家族になった時と同じように。

 



   ●



 静かな闇夜の森の中で、大きな木の枝に座って静かに月を眺めている少女がいました。


 彼女は幸せな日々を送っていたせいですっかり忘れていました。托卵の家族とは、帽子の魔力によって一週間だけ家族になれる存在。そこでどんなに彼らに愛を持って接しても、どんなに彼らに好意を抱いても、どうせ一瞬で忘れられてしまいます。そして彼らと親密になればなるほど、いずれやってくる別れがどんどん辛くなっていきます。


 彼女はそのことをよく知っていました。だからこそ、彼女は言うのです。「知ったこっちゃない」と。


 全ては自分を守るため。辛い別れを二度と経験しなくて済むように。


「もう二度と…誰かに愛着を持ったりしません。絶対に。絶対に…」


 ぼろぼろとこぼれ落ちる涙が彼女の服を湿らせていきます。彼女の涙を拭うものは誰ひとりとしていません。彼女は孤独なのです。そして彼女はこれからも孤独であることを望みます。全ては辛い別れを避けるために。


「ぐすっ、うぅ、うわああぁぁああん。」


 彼女は大声で泣きました。その声は夜の森の中に響き渡り、夜の夜闇に溶けてゆきました。



 やがて落ち着いた彼女は飛び立ち、ゆく当てもない家出という名の長旅を再開します。


 知ったこっちゃないと、つらい出来事から目を背けながら。

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