第八話「過去談:帽子を手にした日」
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朝家を出たときに激しく降っていた土砂降りの雨は面影を消して、空には晴れ晴れとした青空が広がっていました。その空にまるで白いインクを混ぜたかのように雲は薄く広がり、雲の切れ目から光がカーテンのように差し掛かっている様は、曇り空が広がっている私の心を晴れ晴れとさせてくれるほどの絶景でした。
私は歩道橋の上で肘を付き、その光景をぼんやりと眺めていました。この場所はわたしのお気に入りの場所です。どんなに辛いことや悲しいことがあっても、ここにきて景色を眺めているうちに忘れられるのですから。
「君がククースだね?」
あの日、のんびりと黄昏れていた私に声をかけたのは、全身黒尽くめの謎の男性。私は振り返り、彼の方へ目を向けました。
「なんですか?いきなり。というか、貴方誰ですか?」謎の男性に懐疑的な目を向ける私。
「おっと失礼。私は…そうだな、謎の商人とでも呼んでくれ。」
「えぇ…」彼の奇怪な発言に当惑する私でした。
「君に渡したいものがあるんだ。これを受け取って欲しい。」
怪しさに包まれている謎の商人は怪しさ満天の四角い箱を渡してきました。私は首を傾げ困惑しながらその箱を受け取りました。
「何ですか?コレ」
「これはとある人から君へのプレゼントさ。開けてごらん?」
私はいまいち状況が呑み込めないまま、とりあえず箱を開けてみることにしました。
箱を開けると中には不思議なデザインのキャップ帽が入っていました。卵を摸したようなクラウン、そして割れた卵から雛鳥が尾羽根を出したかのようなデザインのバイザー。飾りには二本の羽の装飾が施されています。
細かい紙の梱包材に包まれたその帽子は、まるで鳥の巣の中にある卵のようでした。
「帽子?」
「そう。これは魔法の帽子でね、コレを被っていると他人の家族になれるんだ。」
「他人の…家族?」
私は依然として首を傾げたまま、その帽子を手に取ります。
箱の隅っこには帽子の使い方が端的に記載されたメモ用紙が入っていました。
私はなぜいきなりこのようなものが渡されたのかさっぱり分かりませんでした。それにとある人からのプレゼントとは?その人は私にこの帽子をプレゼントしてなんの意味があるのでしょうか?
「一体貴方は…」
気になることを色々訪ねようと顔を上げた時、もうそこに彼の姿はありませんでした。
他の家族になれる帽子。なんとも怪しさ満点の売り文句ですが、私はかなり興味をそそられました。そして私ははやる好奇心を抑えられず、試しにその帽子を被ってみることにしました。どうせ家に帰っても良いことありませんし、時間つぶしに丁度いいと思いました。
私はあまりに非現実的なことが具体的に書かれているメモにあっけにとられました。メモを読んでみたところ、この帽子は“魔法具”だそうです。
魔法具とは道具に魔力を取り込ませ、誰でも魔法を使えるように開発された道具のこと。衰退しつつある魔法文化に革命を起こすかもしれない凄いものだと噂で聞きました。
しかしなかなかにお高く、そして作るのが困難な品なので、私達一般人の手元にはなかなか手に入らない品です。そんな高価なものを私にプレゼントしてくださるなんて、私はますますこの帽子をくれた人の意図が分からなくなりました。
とりあえずものは試しです。もしかするとこの帽子はなんの役にも立たないただの粗悪品かもしれません。もしそうならこの帽子はいたずら目的で送られたと話がつくのですが。さて、どうなることでしょう。
私は試しに小学校の後輩の家に向かっていました。
そして帽子を被り、彼女の家の門の前に立ちました。
ぴんぽーん
一応インターホンを押す私。完全に帽子の効果を疑っていました。
「はーい。」
家の中から返事が聞こえ、少しの間の後玄関の扉が開きます。もしこの帽子が使えなかったら、後輩ちゃんは私のことをいつものように“先輩”と呼んで礼儀正しくするでしょう。
「こんにち…ってアレ?お姉ちゃん何してんの?」
顔を合わせる後輩ちゃんと私の間には、いつものような礼節は面影をなくし、彼女は私のことをお姉ちゃんと呼びました。
小学校のころ初めて出会って、厚生委員の後輩で、血の繋がっていない赤の他人のはずの彼女が私のことを“お姉ちゃん”と呼びました。
この瞬間私は確信しました。
この帽子は本当に赤の他人になれる魔法の帽子だということを。
○
私が家を飛び出したのも、ちょうどその日のことでした。
托卵の帽子との出会いは私が家出を決意するきっかけでした。私は帽子をつかって無償で他の人の家に泊まれることを利用して、今もなお家出を継続しています。この帽子をプレゼントしてくれた人も、その人が何を思って私にこの帽子を送ってきたのかと言うことも、依然として分かってはいませんが、まあ良いでしょう。どんな意図があろうとも、私の知ったこっちゃありませんし。
今日も私は見知らぬ街を転々としながら家出を続けます。私がゆく先々で景色を堪能しているのは、きっとあの頃の名残です。私はいつも辛いときはきれいな景色を眺めて、考え事をしながらその辛い出来事を乗り越えてきましたから。
私はこれからも家出を続けます。
たとえそれが間違いだとしても。私は帰りたくありませんから。
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