五話「誕生日」


 あれから更に月日が経ち、11月になりました。

 そして来る11月11日はなーちゃんの誕生日。私はなーちゃんのために誕生日プレゼントを用意していました。


 この前買ってもらったヘアゴムに負けないくらい、もっと豪華で大きなプレゼントをチョイスしました。

 これでなーちゃんは喜んでくれること間違いなしです。

 私はなーちゃんの喜ぶ顔を思い浮かべながら、梱包作業を終えました。


「…なによ!そんなに言わなくていいじゃない!」


「うるせえよ!お前こそ、そんなことで怒るなよ!」


 一回から父とお母さんが言い争っている声が聞こえてきました。

 父が離れで生活するようになってもう三年ぐらい経って、しばらく喧嘩していなかった二人ですが今日は珍しく大声で何かを言い合っていました。


 私はそんな彼らの喧嘩を聞きたくないので、イヤホンで耳をふさいで音楽を聴くことにしました。


 こういう時はこうするに限ります。そうすればどんな嫌なことも一択忘れて、自分だけの空間に閉じこもることが出来ますから。


 しばらくして、喧嘩が終わったのか一階から声が聞こえなくなりました。

 そして階段から誰かが登ってくる音が聞こえてきました。私はイヤホンを取って、自分の部屋のドアを開けて階段の方を覗き込みます。


「ククース聞いてくれない?コータの奴酷いのよ。」


 お母さんは父のことを呼び捨てで言いました。こういう時は大体機嫌が悪い証拠です。


 私は刹那嫌な予感がしました。


 それから私の嫌な予感は的中します。お母さんは私に父の愚痴を言い始めました。

 私は母の愚痴が嫌いでした。母の愚痴には、母の父に対する私怨が存分に込められています。私はその愚痴を聞く度につらい気持ちになりました。


 今回の言い争いのきっかけは、父がトイレの電気を消し忘れたからというとても些細なことでした。なので私はお母さんが話している途中で、自分の部屋に帰ることにしました。


「何よ!感じ悪いわね!」


 お母さんの怒りの矛先が今度は私に向けられました。こういう状態のお母さんへの対応はとてもむずかしいです。私は途中で腕を掴まれ、理不尽に怒られました。


「止めてよ!」


 私はお母さんの手を振りほどき部屋へと逃げました。

 そして部屋の鍵をかけ、ベッドに顔を伏せました。


 お母さんはぶつぶつ言いながら一階へと降りていきました。私は拳を握りしめながら、理不尽に叱ってきたお母さんに対する怒りで煮えたぎっていました。


 最近のお母さんはいつもこうです。だから私はこの頃、お母さんに対して不満を募らせていました。


 なーちゃんと仲良くする日々のおかげで私は少し忘れることが出来ていたのですが、私は日頃から仲の悪い父っとお母さんの人間関係の問題に悩まされていたのでした。


 私はこういうことが起きる度に現実に戻され、つらい気持ちにさせられていました。


「お母さんとお父さん…お願いだから昔のように仲良くしてよ…。」


 私は昔のようにお父さんとお母さんと一緒に笑い合って、仲良く暮らせることが出来ること切に願っていました。

 まあ、そんな私の願いは家出に至るあの日まで叶うことはありませんでしたけども…。




 そして待ちに待った誕生日当日、私はなーちゃんにプレゼントを渡しました。


「うわ~っ♡可愛いクマのぬいぐるみだ~。」


「なーちゃんこの前これ欲しがってたよね。」


「うん!ありがとうくーちゃん。いつかもっと豪華なプレゼントをお返しするからね。」


 そういってなーちゃんは私のことをいつものように撫で撫でしてくれました。正直私はこのなーちゃんの撫で撫でが十分と言っていいほどのお返しです。

 この時の私は自分の家族の問題なんてすっかり忘れ去っていました。


「ねえくーちゃん。良かったら私の家に来ない?」


「なーちゃんの家?」


「私の家でパーティーやろうよ。実はね、今日はうちのお父さんとお母さんが久々に帰ってくるんだ。せっかくだから紹介も兼ねてくーちゃんに来てほしいな―って思ってさ。…ダメ?」


 私は一瞬迷いましたが、私の思いは一つでした。


「もちろん!ありがとうなーちゃん。」


「良かった。じゃあ後でね。」


 そして私達は一旦家に帰りました。私はこの時、この上ないくらい幸せでした。

 だって私は初めて友達の家に遊びに行くのですから。





 家に帰ってパーティーのことをお母さんに話すと、お母さんは心良くオッケーしてくれました。

 今日のお母さんは機嫌が良いようです。良かった。


「なら私もなーちゃんになにか作ってあげないとね。」


 お母さんは張り切って手作り料理を準備すると、タッパーに入れて私に手渡ししてくれました。

 怒ると面倒くさいお母さんですが、普段はとっても優しいんです。


「気をつけて行ってらっしゃい。」


「行ってきます。」


 私はお母さんに挨拶をして家を出ました。


「…お父さんと二人きりは嫌だから、今日は外食でもしようかな。」


 お母さんがそう呟いたのを小耳に挟みながら。





 私は寒々とした空気が漂う中をひとり歩いていき、なーちゃんとの待ち合わせ場所へと向かいました。そこはいつものバス停です。


「やっほーくーちゃん。」


 先についていたなーちゃんは私に気付いて手を振ります。私服を着ているなーちゃんはなんだかとても新鮮でした。


「おまたせ。」


「全然待ってないよ。ほら行こっ!」


 なーちゃんと私はバス停からいつも行く通学路の反対を進んで、なーちゃんの家へと歩みだしました。なーちゃんはいつもこの景色を眺めながら登校していると考えると、少し感慨深い気持ちになりました。


「なーちゃんのお父さんとお母さんはいつもどんな仕事をしてるの?」


 私はなーちゃんに尋ねました。


「えーっとね。お父さんは凄く大きな会社の社長で、お母さんは世界中で活躍している女優なの。」


「本当に!?へぇー初めて知った。」私の親とはエラい差です。


「えへへ。2人とも私の自慢の両親だよ。」


 なーちゃんは自信満々にそう言いました。


 ちなみに私のお母さんはただの主婦。おとうさんは待ちの小さな工場の平社員。…やっぱり酷い落差です。平等とは、これ如何に。

 私は少しなーちゃんのことが羨ましく思いました。


「良いね、そんなスーパー両親の娘だなんて。」スーパー両親とは。


「うん。…でもその代わり、滅多に家に帰ってこないんだよね。」


 なーちゃんは笑いながらも、すこし曇った表情を浮かべいていました。私はなーちゃんにはなにか事情があるんだなと少し感じました。

 だから私はこれ以上詮索しないことにしました。


「でも今日会えるもん!全然寂しくないよ。」


「…だね。」


 その後私達は何気ない話に花を咲かせ、なーちゃんの家へと歩きました。




「ただいまー」


「お邪魔しまーす。」


 私達二人の声は、誰もいない大きな部屋の中にわずかな余韻を残し、消えました。

 お金持ちが済んでいるような豪奢なマンションの一室なのに、ものは必要最低限の安価なものしか置いて無く、スペースを持て余してしまっていました。


「まだ帰ってきてないんだね。」


「きっとそのうち帰ってくるよ。好きな場所に座ってて。私、飲み物入れてくるから。」


 なーちゃんはそう言うと、キッチンの方へ歩いて行きました。

 私は部屋の中心にぽつんと置いてある机の傍のクッションへと腰を下ろしました。私が座るとクッションは中に溜まっていた冷たい空気を吐き出しました。


「しばらく使ってなかったんだ…。」


 私は小声で呟きました。


 近くに荷物を置いて部屋を一望してみます。広いけど何もない部屋の中には、一人用のベッド、大きいはずなのに遠くにあるせいで小さく見えるテレビ、勉強机、棚、時計などなど。本当に女の子の家なのかと疑いを持ってしまうほどに寂しい部屋でした。


 決してなーちゃんのことをバカにしているわけではありません。

 ですが、私の想像していたなーちゃんの部屋と比べるとあまりにかけ離れているなと思いました。


「お待たせ~。くーちゃんの好きなリンゴジュースだよー。」


「ねえなーちゃん。本当にここに済んでるの?」


「え?嫌だなぁくーちゃん。ここは正真正銘私の家だよ~。」


 なーちゃんは証拠と言わんばかりに勉強机の引き出しの中を開いて見せてくれました。そこには学校の教科書やプリント、学校で作った作品、ちびた鉛筆、そして薬のゴミや紙くずなどがありました。


「ほらね。」


「ほんとだ。」


「お母さんとお父さんがほとんど帰ってこないから、広い部屋過ぎてスペースを持て余しちゃうのよね。あはは」なーちゃんは寂しげに笑いました。


「二人はどのくらいの頻度で帰ってくるの?」


 私はなんとなく尋ねづらかったことを流れで聞いてみました。すると


「ん?うーんと。年に一回か二年に一回ぐらい?」


 あまりに平然と喋るので、私はかける言葉を失いました。

 自分の両親なのにそのぐらいの頻度でしか会えないなんて、もはや顔を覚えられているかも危ういレベルです。


「寂しくないの?」私はここで無粋な質問をしてしまいました。


「うん。全然平気。だって昔からずっとだから…」


 なーちゃんは引き出しの中から薬のゴミをつまんで取り出し、眺めました。

 そして彼女は自分の過去を淡々と語ってくれました。



__なーちゃんは幼稚園の頃から小学校高学年まで、とある難病に悩まされていました。


 今は完全に完治したらしいですが、彼女はその時の苦悩を今でも鮮明に覚えていると言います。


 その頃から、なーちゃんは滅多に両親に会えませんでした。


 二人は病院に彼女を入院させたまま仕事に明け暮れ、なかなか会ってあげませんでした。なーちゃんは「二人は仕事で忙しいから。」と自分に言い聞かせ、ただひたすらに我慢しました。


 彼女には看護師さんや周りに同じ病室の友達がいたので、そこまで寂しくなかったと言います。


 そうした過去があるから、なーちゃんは二人の為なら孤独でも慣れてしまったらしいです。そして彼女はこのマンションで一人で暮らすようになり、今に至ります。




「…私は二人に迷惑をかけたくない。だから孤独でも、我慢しなくちゃ。」


 なーちゃんは明るい口調で言いました。

 ですが私には彼女がすこし無理をしているように見えました。かつての私のように。


「…今日、会えると良いね。」私にはこれぐらいしか言ってあげることが出来ませんでした。


「…そうだね。」


 私となーちゃんはいつ二人が帰ってきても良いようにパーティーの準備をしておきました。


 とりあえず今日は絶対帰ってきます。なーちゃんが二人と約束したのですから大丈夫です。ならば彼女が気兼ねなくパーティーを楽しめるように準備を手伝ってあげるのが私の努めです。


 私はなーちゃんが今日のために張り切って作った手作り料理を並べました。

 机の中央に鎮座する大きなケーキのプレートには、「お父さん、お母さん、私を育ててくれてありがとう。」と書いてありました。


「今日は二人に私のことを祝ってほしいんじゃなくて、自分を産んで育ててくれた感謝を伝えたいんだ。」なーちゃんは私にそう言いました。


「絶対伝えようね!」私はなーちゃんにそう言って励ましました。


 しかし待てど暮らせど、二人は帰ってきませんでした。

 もう時刻は二十二時を越えていました。


「二人が返ってくるまで、ゲームでもしようよ。」


 これが私に出来る精一杯なフォローでした。

 どうせ明日は休みです。お母さんには今日は泊まると連絡を入れました。


 日をまたいでもいいから、私はなーちゃんと一緒に待ってあげることにしました。

 私となーちゃんはゲームをしながら待ちました。ずっとずっと待ちました。

 しかし、私達の思いを踏みにじるかのように、二人はとうとう帰ってきませんでした。





 日をまたぎ、朝になりました。

 テレビには”Time up”という文字が浮かび上がり、効果音が小刻みになっていました。


 どうやら私達はゲームの途中で眠ってしまったようですね。


   ピンポーン


 そんなわたしたちが目覚めたのは、玄関の方から鳴り響くインターホンに気付いたときでした。


「…もしかして」ガバっと起きる私。


「お父さん?お母さん!?」


 なーちゃんは私よりも早く飛び起きて、玄関へと駆けていきました。

 途中電話が置いてある台とぶつかって受話器が垂れ下がりましたが、なーちゃんの気には留まりません。


 なーちゃんは鍵を外し、勢いよくドアを開きました。


「おかえり!お父さん、お母さ…」


「配達です。ここにはんこをお願いします。」


 そこに経っていたのは、大きな段ボールを持った若い配達員でした。


「…どうも。」


 なーちゃんがハンコを押し荷物を受け取ると、配達員は一礼して帰っていきました。


「…なーちゃん。」遅れて駆けつける私。


「……。」


 なーちゃんは玄関のドアをゆっくりと閉め、そのまま立ち尽くしていました。

 外から入ってきた冷気が、なーちゃんの横を通り過ぎ私の頬を撫でます。その冷たさに私は肩をすくめました。


 私はかける言葉が見当たらないでいると、先程なーちゃんがぶつかって宙ぶらりんになった電話の受話器から”ピー”という機械音がなった後、音声が流れ出しました。留守電です。


『ピー…あ、なつほ。ごめんねー、私達仕事が忙しくて帰れそうにないわ。せっかくの誕生日なのに約束守れなくてごめんなさい。でも仕事を放り出して帰るわけにはいかないのよ。許してね。明日貴方の誕生日プレゼントが届くように配達員にお願いしといたから、届いたら開けてね。本当にごめんなさい。誕生日おめでとう。』


 留守電が切れ、私となーちゃんの間に沈黙が走ります。


 なーちゃんは静かに荷物をおいて、受話器を戻しました。


 番号を打ちました。


 再び受話器を取り、耳に当てました。

 電話のコール音が聞こえました。繋がらなかったようで留守電に切り替わりました。

  

 なーちゃんは笑いました。


「あ、もしもしお母さん?誕生日プレゼントありがとー。私とっても嬉しいよ。仕事忙しいんだね。頑張って!私は大丈夫。それに今日は友だちも一緒だし、もう最高!お父さんにも仕事頑張ってって伝えといて。私は大丈夫だから。じゃあね!」


 なーちゃんは受話器を置きました。


 電話をしている時のなーちゃんの声はとても明るく元気な声でした。しかし私から見えるなーちゃんは、とても悲しそうな背中を私に向けていました。


 なーちゃんはわずかにあふれる涙を拭っていました。そしてまるで仮面を被っているかのような作り笑顔を貼り付けながら私の方へ振り向きました。


 この時のなーちゃんの表情は、今でも鮮明に覚えています。


「さあくーちゃん!昨日の晩御飯でも食べよ!」


「…なーちゃん。」


「大丈夫。私は平気だから。」


 私は背筋に冷たいものが走るのを感じました。


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