六話「自責」
あの日、あの誕生日を境に私のなーちゃんに対する見方が少し変わりました。
なーちゃんはいつも明るくポジティブでとても優しく、決して自分の弱さを他人に見せません。私はなーちゃんのことをどんな辛いことでもプラスに思えれる、心の強い人だと思っていました。
しかし実際は違いました。なーちゃんは私と似ていたのです。
なーちゃんには私と同じように我慢しすぎてしまうところがありました。
私は彼女の誕生日にはっきりと分かりました。あの時のなーちゃんの目が全てを物語っていました。
なーちゃんはきっとあのこと以外にも様々な悩みを抱えているのだと思います。そしてその悩みを誰にも打ち明けることが出来ず苦しんでいるんだと思いました。
しかしなーちゃんはどんなに私が聞いても、その悩みを絶対に打ち明けてはくれません。きっとなーちゃんにはなーちゃんなりの思いがあるのでしょう。それに話すのがつらい悩みもあります。悩みを話すということは、そのことを思い出さなければなりませんからね。
だから私は無闇に詮索しないことにしました。
かわりに私はなーちゃんが少しでも悩みを忘れられるように、明るく元気に接するようにしました。それこそ普段のなーちゃんと同じように。私は少しでもなーちゃんが辛い現実から目を背けられるように精一杯頑張っていました。
しかし私はある日を境に、なーちゃんと距離を置くようになりました。
三年生のある日。私は珍しく遅くまで残っていました。
放課後私は一人で教室の席に向かって課題を終わらせていました。いつもならなーちゃんが「暇だから待つよ」と言って傍にいてくれるのですが、今日はいません。きっとなーちゃんはもう家に帰ってしまったのでしょう。まあいつもより遅い時間ですし、仕方ないですよね。
それに私達はもう受験生。これからお互いに忙しくなります。こうやって一人の日が出来てしまうことも度々あるでしょう。ここは我慢しなければなりません、よね。
私はようやく課題を終わらせて、机の上に並べた教材を全てカバンの中に押し込み、教室を出ました。
夕日が差し掛かった廊下を一人歩いていました。いつもならいてくれるはずのなーちゃんがいないので、私は少し心細い感じがしました。しかしなーちゃんはいつも私と一緒にいてくれるわけではありませんし、我慢我慢です。私は一度息を深く吸い込み、ゆっくりとはいて再び歩きはじめました。
その時でした
「…よ。」
女子トイレの方から、話し声が聞こえてきました。私は気になり、女子トイレの手前で立ち止まりました。
「やめてよ…。」
「うるせえ!お前があの時先生にチクったから、私は恥をかいたんだ!!」
ものすごい剣幕で怒鳴り散らす声が聞こえてきます。
私はその声にも物凄く聞き覚えがありました。
「痛っ…」
「鬼山先生が異動になって、やっとアンタに仕返しが出来る。あの時私が味わった屈辱を存分に味わいな!!」
女の子の痛がる声と、怒りに声を震わせながら暴力を奮っている女の子の声が交互に聞こえてきました。殴られている女の子は震えた声で謝罪の言葉を叫んでいました。
「苦しめ!もっと苦しめ!アハハ」
いじめっ子はそんな彼女の様を愉快に笑っていました。その光景はまさに地獄絵図。私は女子トイレの前で戦慄していました。
声からして一体誰が誰に虐められているのかは容易に察することが出来ました。…察することが出来てしまうから、私はその光景を目の当たりにすることが出来ませんでした。
あの時彼女は、同じような目にあっていた私のことを助けてくれました。
しかし私は、彼女と同じような行動に出ることが出来ませんでした。
私は恐怖で動けませんでした。そして逃げ出しました。
虐められている子のことを知らないふりをして。
私はなーちゃんのことを見捨てたのです。
知ったこっちゃないと、自分に言い聞かせながら。
六時間目の授業が終わった後、なーちゃんは教室にやってきて私に声をかけてくれました。
「くーちゃん。今日は残るの?暇だから一緒に待つよ。」と。
けれど私は断りました。
「ううん、大丈夫。先に帰ってて。」
私は若干冷たい口調でそう言いました。なーちゃんは
「…うん、分かった。ごめんね。」
と言って教室を出ました。
私はなーちゃんの背中を目で追いました。そしてなーちゃんが見えなくなった後、私は再び机に向かって課題を始めました。
今日だけではありません。
私はここ最近、ずっとなーちゃんにそっけない態度をとっていました。まるで彼女から距離を置こうとしているかのように。
その時から私は薄々気付いていました。そして今日その光景を耳にして確信に至りました。
なーちゃんが、あのいじめっ子から嫌がらせを受けていたことに。
私は知っていました。知っていながら、その事実から目を背けたくて、なーちゃんから距離を置いていたのです。
私は最低です。
なーちゃんに助けてもらって、あんなに私にこの上なく優しく接してくれたのに、私はその恩を仇で返すようなことをしてしまいました。全ては自分を守るために。
私は自分勝手です。最低で自己中で、どうしようもないダメ女です。
私はすっかり暗くなった街中を一人泣きながら走っていました。
「…ごめんねなーちゃん。本当にごめんね。」
誰にも届かない私の謝罪は、暗い夜闇の中に紛れて消えました。
翌朝、私は朝ごはんを食べずに家を出ました。
お母さんが心配そうに私に声をかけていたような気がしますが、私の耳には届きませんでした。
私はまだ薄暗い通学路をたった一人で歩きます。とてつもない寂しさと孤独感が私の心を締め付けます。それでも私は歩き続けました。
きっとなーちゃんは、私のことを心のどこかで恨んでいると思います。
なーちゃんは優しいから表に出さないだけで、きっとあの日のことを後悔していると思います。いじめられている私を助けた日のことを。助けなきゃ良かったと思われているに決まっています。
まあこんな最低な人間が友達だったのですから無理もないですよね。
私は今日から一人に戻ります。私はもう、なーちゃんに甘えないと心に決めました。
こうすればなーちゃんは無理して私と仲良くしなくて済みます。きっとなーちゃんはあの日私のことを助けてしまった理由付けのために、私と仲良くしてくれてたんだと思います。私は今までなーちゃんの優しさに甘えていました。そのせいで優しくされることにいい気になって、なーちゃんがいじめられているのにそしらぬふりをし続けていました。
なーちゃんはもっと別の子と友だちになったほうが幸せだと思います。
本当はとても辛いですが、全ては私のせいです。
私が彼女と関わらないことは、私なりの罪滅ぼしです。しかしこれだけじゃ、なーちゃんに何もしてあげれてません。私にはまだ、やらなければならないことが残っています。
私は早足でとある場所へ向かいました。
それはいじめっ子の家でした。
「……何か用?」
いじめっ子はタイミングよく、ちょうど家から出るところでした。私はいじめっ子の前に立ちはだかりました。
そして私は恐怖に震えながら両手を広げ、彼女の行路を塞ぎます。
「何の真似だ。」
「なーちゃんは悪くない。だからなーちゃんのことを虐めないで。」
私は勇気を振り絞って、いじめっ子にそう言いました。
「あ?」
「なーちゃんは私なんかのことを助けたからいじめられたんだ!なーちゃんに責任はない。だからこれ以上なーちゃんに酷いことしないで!」
私はがくがくと震える足を必死に抑えながら、住宅街に響き渡るぐらいの大声でそう叫びました。
「ちょ…おま、声がでけーんだよ!」
いじめっ子は焦りながら私に近づいてきました。そして私を突き飛ばし、私の上に馬乗りになって拳を振り上げました。
「なーちゃんを虐めないで!虐めないでよぉ…うわあああん」私は号泣しながらそう訴え続けました。泣きながら続ける私の叫びは、もはや慟哭に近いです。
「お前っ…うるせえんだって!」
いじめっ子は私を打ちました。しかし私はそのくらいでは動じません。
「ぐっ…」
「わああああん」
私は泣きながらいじめっ子に反撃しました。私の拳を顔にもろに喰らったいじめっ子は体勢を崩し、後ろへとひっくり返りました。
そして私といじめっ子は喧嘩を始めました。私があまりに大声で泣き叫ぶので、近隣住民が何事かと家から窓の外を覗き、私達のことを目撃しました。
「アンタ!何やってるの!」
そしていじめっ子の家から、彼女のお母さんが現れました。
「げっ…母さん。」
「アンタ!もういじめはしないって約束したでしょ!」お母さんはいじめっ子の髪を掴んで、私から彼女を強引に離れさせました。
「ち、違うんだよ。」
「何が違うの!ちょっと来なさい。」
「嫌だ…嫌だぁぁぁああ!!」
いじめっ子は家の中へと連れて行かれました。
「…はあ…はあ…」
私は彼女達のことを見送りました。そしてしばらくの間、その場に立ち尽くしました。
これでなーちゃんは虐められなくて済む。私は達成感で満ち溢れていました。
しかし、私はもうなーちゃんと一緒にはいられません。一緒にいるべきでは無いのです。達成感に混じった、物凄く辛い孤独感が私のことを襲います。
私はゆっくりと歩き出しました。
学校では無く、彼女と初めて話したあの河川敷へ。
「…くーちゃん。」
そんな私のことを、なーちゃんは見ていました。
学校のチャイムが遠くから聞こえてきました。
私は河川敷の上で体育座りになって、川の流れをぼんやりと眺めていました。あのときと同じ用に。
私は川に反射した自分の顔を見ました。私の顔には、先程の喧嘩で出来た青あざがありました。腕には道路で擦ったかすり傷が。手には彼女に引っ掻かれた引っかき傷が。それらの痛みが私に、自分が犯した罪の意識を再認識させます。
そうして私は自分のことを追い詰めることで、自分がなーちゃんに対してしてしまったことを深く反省していました。その時です
「くーちゃん!」
私の背後から聞き覚えのある声が聞こえてきました。
私は反射的に声のする方を振り返りました。そこにはなーちゃんがいました。
なーちゃんは私の元へ駆け寄ってきました。
「大丈夫?くーちゃん。くーちゃんのお母さんから聞いたよ。昨日から様子がおかしいって。大丈夫?何かあったの?」
私は自分の顔にできたあざを隠しながら顔を逸しました。
「大丈夫。なんでもないよ。」
「どう見ても大丈夫じゃないよね。何があったの?なにか辛いことがあるんだったら、私に話してくれない?」
私は歯を食いしばりました。
情けない。私はいまだに、なーちゃんに甘えたいと思ってしまっています。
私は本当に傲慢な人間ですね。
「…私、見ちゃった。」
「ん?」
首をかしげるなーちゃんを片目に、私は重たい口を開きました。
「なーちゃんが虐められてる所、見ちゃった。」
私はなーちゃんから顔をそらし、背中を向けたままそう言いました。
なーちゃんの顔を見て言うことはどうしても出来ませんでした。なーちゃんに幻滅される瞬間を、私は見たくありませんでした。
「ごめんねなーちゃん。なーちゃんはずっと私のために我慢してくれてたんだよね。私を助けてくれたばっかりに、あんな目に遭わなきゃいけなくなっちゃったのにね。」
なーちゃんは私の言葉を静かに聞いていました。
私は胸が張り裂けそうになりながらも、一つ一つ言葉を絞り出しました。
「私、実はずっと前から気付いてたんだ。気付いてたのにも関わらず、私は知らないふりをしてた。」
「……。」
「…私怖かったんだ。なーちゃんが私のせいで虐められている現実と向き合ってしまったら、二度となーちゃんと一緒にいられなくなるんじゃないかって、怖くって…。」
私は涙でぐちょぐちょになった瞳をなーちゃんに向けました。
涙で滲んでよく分かりませんでしたが、きっとなーちゃんは落胆の表情を浮かべていると思います。
当然ですよね。こんな最低なやつと今まで友達だったのですから。
私がなーちゃん側だったら、きっと同じ顔をすると思います。
「くーちゃん…」
「なーちゃん。ずっと我慢してくれてたんだよね…ごめんね…ごめんね…」
私はなーちゃんの言葉を遮るように言葉を続けます。今なーちゃんに優しい言葉をかけられてしまったら、私はきっと今までのまま何も反省しない毎日を送ってしまうと思ったからです。
「いつも全部ひとりで背負ってくれてたんだよね。あの誕生日の日、私はやっとそのことに気付いたよ。私と仲良くするのが嫌だったらさ、私のことなんか忘れて、他の人と仲良くなって良いんだよ。きっとそのほうが、私と一緒にいるより幸せだと思うから。」
「くーちゃん…」
「ごめんね!ごめんねなーちゃん!もう私になんて構わないで。私と一緒にいるなんて絶対良くないよ!私はこれ以上、なーちゃんがつらい思いをするのは嫌なの。だからお願い」
私は呼吸がどんどん困難になっていきました。
呼吸が荒くなり、激しいめまいが私のことを襲いました。
どうしてでしょうか?私は自分の正直な思いを吐き出して、すっきりしているはずです。
それなのに私はまるで心にもないことを言っているかのように心が痛みました。
でも、これで良いんですよね…
「ごめんねなーちゃん。今までありがとう」
私はそう最後に呟いて、走り去ろうとしました。
しかし…
「ククース!!」
なーちゃんは私の右手を掴みました。
初めて呼ばれた私の本名に驚いて、思わずなーちゃんの方を振り返りました。
そこにはもちろんなーちゃんがいました。
いつもと同じ、優しい表情を浮かべるなーちゃんがいました。
「ありがと!」
なーちゃんの口から発せられた言葉は、私の想定外の言葉でした。
「私のことを知ってくれて、ありがと!」
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