第十二話「家族レース」(後編)


   ○


 遂に家族レース当日がやって来ました。

 会場には多くの参加者と国中の人たちが集まりまるでお祭り騒ぎかのような大盛況です。


 国中の人が今日という日を心待ちにしていたと言うのがよく分かります。会場の歓声はまるで耳鳴りのように私の頭に響いていました。


「よし、準備は良いか?」


 ダーチ・ヨーダのリーダーのチョーさんは私達にそう尋ねます。


「ああ、準備はバッチリじゃ。」


「ええ、いつでもOKよ。アナタ」


「もちろん!…ククースも大丈夫?」


 少し心配そうにダーさんは私に尋ねました。


 …昨日、私はダーさんに一生懸命走ると言いました。

 全力で走ろう、どんな結果になろうとも私は彼らのために諦めない、そう私は心に決めました。


 だから心の準備は整っています。


 ……。

 ……。


「………は、はい。」私はとても情けない返事を返しました。

 覚悟を決めたはずなのに、全力で走ろうと心に決めたはずなのに、私の足はガクガクと震えていました。


 観客の歓声、実況の声、家族レースを盛り上げるファンファーレ…会場内に響き渡るすべての音が心臓の鼓動を高め、私は過呼吸が止まりません。


 私は胸を撫でて落ち着こうとしました。私の右手も小刻みに振動していました。

 頭で覚悟を決めているつもりでも、体は恐れている。私はそれを全身で感じていました。


「…大丈夫。自身持っていこうぜ。」


 そんな私の背中をダーさんは優しく撫でてくれました。

 ダーさんの気遣いのおかげで、私の緊張が徐々に和らいでいきました。


「ありがとうございますダーさん。」


「おう。」


 ダーさんはそのまま私の背を押します。

 私は彼の後押しとともに、家族レースのステージへと歩みます。

 かくして家族レースは幕を開けたのでした。



「よーい…スタート!!」


 大きな号砲を合図に家族レースの第一走者は一斉にスタート。

 ちなみに家族レースは年長者順。ダーチ・ヨーダの一番手はダーツさんです。


「フッ!遅い遅い!」


「なにおう!お主には負けんぞい!」 


 モニターにはダーツさんとサブヤッハのおじいさんとの激戦が繰り広げられていました。走りながらでもお互いに言い争うだけの体力があるのですから大したものです。


 勝負はややダーツさんの方が先行しているように見えました。


「…始まった。」


 ちなみに年長者順ということはつまり、私はアンカーということです。

 正直いいのか悪いのかは分かりません。でもアンカーという事は走るまでの時間を先延ばしできていると考えると、これは良いことなのかもしれませんね。まあどちらにせよ、いずれ順番が回ってくることには変わりないのですけど。


 私はふと自分の横に並んでいる人たちの方を見ました。

 そこには私より年下、なかには私と同い年ぐらいの子どもたちが一列に並んでいました。皆一様にモニターの映像を眺めています。


「…怖い…。」「緊張する…順番こないで…」「嫌だ…走りたくない!」


 そして口々に小声で恐怖のあまり独り言を呟いていました。

 彼らは私と同じように恐怖に顔を強張らせ、足を震わせていました。きっと彼らも親に家族レースを強要されや人たちなのでしょうね。


 彼らの姿は私の同情を誘いました。

 同時に緊張を煽られ、私はまたしても心身を恐怖に支配されそうになるのでした。

 その時です


「ダーチ・ヨーダのお姉さん。」


 私は胸に手を当てながら深呼吸をしていると、私と同じ走順のサブヤッハのメンバーの一人ハヤサさんが声をかけました。


「ハヤサさん…。」


「き、緊張しますよね。分かります。僕も足の震えが止まりません。」


 彼の足元に視線を移します。確かに彼の足も震えていました。


「…家族レース、始まりましたね。」私はこのまま話を終わらせるのも悪いと思ったので、話を続けます。


「はい。まだだいぶ先だと思っていたのにあっという間に当日が来ちゃいましたよ。時の流れは早いですね…アハハ」


 ハヤサさんはモニターに視線を移します。私も彼の視線を追いモニターを見ました。

 そこには変わらずダーチ・ヨーダとサブヤッハの一位争いの様子が映っていました。

 しかし先程と違うのは、さっきまで接戦だった二人ですが今はダーツさんのほうが完全に先行していました。


「…はあ…はあ」


「バカめ!罵倒することに体力を使いすぎじゃ!」


 二人の差は大きく開かれていました。

 私はその様子を見て、より緊張するのでした。


「…流石はダーチ・ヨーダだね。」


 ハヤサさんは苦笑いのような笑みを浮かべていました。


「でも僕たちは負けないよ。もし負けたら、僕は一週間ご飯抜きだからね…。もちろんお姉ちゃんと一緒に。」


「酷いですね。」私は思わず本音がこぼれました。


「仕方ないよ。父さんと母さんはどうしてもダーチ・ヨーダに勝ちたいんだ。だけどいつも僕らが足を引っ張ってしまってる。だから二人は僕たちに必死の覚悟で走って欲しいんだ。」


 ハヤサさんの横顔からは少しばかりの哀愁が漂っていました。

 ダーさんが言っていた「普通のこどものように楽しく遊んでほしい」という言葉に込められた思いが今ならよりいっそう分かる気がしました。


「…ククースさん。僕全力で走ります。たとえ負けると分かっていても一生懸命走ります!だから…お互いに頑張りましょうね。」


 彼は真っ直ぐな目で私のことを見て握手を求めてきました。私は彼の手を握りました。

 その時気付きました。私の手は未だ震えているのに、彼の手は全く震えていませんでした。

 私は彼の足を見ました。足も同じく震えが収まっていました。


「僕はダー兄さんのようにいつか家族を優勝へ導けるランナーになりたいんです!」


 彼の瞳は覚悟に満ち溢れていました。



 バトンは二番手、ヨウさんに渡りました。


「頼んだぞ!ヨウさん!」


「任せてくださいお父さん!」


 ヨウさんはダーツさんが残した勢いのまま走り出しました。


「お先に失礼~」


 走り際に、一瞬だけ後ろを振り返りサブヤッハを煽るヨウさん。


「チッ…速くしなさいよ…」


 それに対しサブヤッハの第二走者であるヤーサさんはイライラ。大きな舌打ちをして、少し遅れを取ってしまっている第一走者の彼が走ってくる方を睨んでいました。

 地平線からゆっくりとバトンを持った彼の姿が現れます。


「はあ…はあ…やっぱり年かのう…」


「速く走って!速く!」


 すっかりバテてしまったおじいさんからバトンを奪い取るヤーサさん。


「クソっ…負けないわ!!!!」


 私はモニターを見て驚きました。


『おっと!?サブヤッハのヤーサ選手、凄い追い上げだ!!』


 ヤーサさんは凄まじい勢いでヨウさんとの間に開いた差をみるみるうちに縮めていきました。まさかまさかの快進撃です。

 彼女のあまりの速さに皆は驚愕していました。


「頑張って母さん!!」


 ハヤサさんはモニターに映っているお母さんのことを応援していました。その応援に応えるかのようにヤーサさんのスピードはどんどんと増していきます。


「はあ…はあ…」


「オホホさようならダーチ・ヨーダ~」


 挑発された仕返しをバッチリした後、サブヤッハはトップに躍り出ました。


『まさかまさかの展開だ!!サブヤッハ初優勝なるか!!??』


 観客の歓声が広大な土地に広がっていきます。ヨウさんとヤーサさんとの距離はどんどん遠くなり、追いつくのは難しそうに見えました。

 そして早くもバトンは次の走者へ渡ります。


「頼むわよ!!」


「任せとけ。」


 サブヤッハのお父さんハヤブシさんは、バトンを持ち替え余裕の表情でチョーさんの方を振り返りました。そしてニヤリと笑って言いました。


「今年こそはお前らの負けだ。さようなら、ダーチ・ヨーダ。」と。


「ああ、また会おうぜ。」


 しかしチョーさんもまた、余裕の表情でそう返すのでした。


『サブヤッハのバトンはハヤブシ選手に渡った!!ハヤブシ選手、ダーチ・ヨーダとの距離をどんどん遠ざけていく!!今年の優勝はサブヤッハか!?』


 歓声は先程よりももっと大きくなって会場は大盛りあがり。私もモニターに映る光景をハラハラしながら見ていました。



___もしかすると、負けるかもしれない。



 そんな考えが私の頭によぎりました。


 もし、このままずっとダーチ・ヨーダが遅れを取っていれば、私のせいで負けただなんてことにはなりません。

 最低なことに、私はダーチ・ヨーダが負けてしまうことに少し期待をしていました。


 そのせいか、私の足の震えは一時的に収まっていました。

 しかし…


『おっと?現在独走中のサブヤッハの後ろからなにか迫ってくるぞ。』


 モニターに大きく映っているハヤブシさんの後ろから…


『あれは…ダーチ・ヨーダのチョーさんだ!!ものすごいスピードでサブヤッハとの距離を詰める!!』


「何っ!?」


「案外再会が早かったな。サブヤッハ」


 ハヤブシさんが焦りを感じ後ろを振り返った刹那、チョーさんは勢いそのままに彼の横を凄まじい速さで駆け抜けて生きました。


『速い!!速すぎる!!さすがはダーチ・ヨーダのリーダーだ!!!』


 またもやまさかまさかの快進撃です。

 観客は先程からどんどん盛り上がりを増していきました。歓声がより強く私の頭の中で響きます。

 私の足はまた震えだしました。


 

 この時私は確信しました。


 やっぱり私には覚悟なんて決まっていませんでした。

 口では綺麗事を述べていただけで、心の底ではいつものように「知ったこっちゃない。」と呟いて現実逃避をしようとしていたのです。今も私は逃げ出したくて仕方ありませんでした。


 正直彼らのことなんて知ったこっちゃないと言って逃げ出しても、私にはなんの影響もありません。だって彼らは赤の他人。今後の人生で二度と会うかも知らないような関係の人たちなのですから。


 だから逃げ出したって構わないのです。

 なのになんで私は逃げ出さなかったのでしょうか?

 分からない。分かりません。

 分かりません……


 私は完全に意気消沈して、その場に立ち尽くしていました。モニターの中では今でも激戦が繰り広げられています。

 ですが私には知ったこっちゃありませんでした。



   ●


「…そろそろ出番だね。」


 サブヤッハの四番手、ハヤナはダーにそう言いました。

 彼女の体は緊張で震えていました。彼女もハヤサと同じく、今回の大会で負けてしまったら一週間ご飯抜きの罰を受けなければならないのです。だから負けられません。負けるわけにはいかないのです。


「ああそうだな。」


 ダーは水平線の先を見据え、自分の父であるチョーからのバトンを待っていました。ハヤナはダーの見ている方とは真逆のモニターの方へ向いていました。そこには必死に走っている父の姿がありました。モニターの片隅にはサブヤッハとダーチ・ヨーダとの間に開いた距離が表記されていました


「…ハヤサは…過度に緊張すると…盛大にずっこける癖があるから…」


 ハヤナはまるで自分に言い聞かせるかのように呟きました。

 自分はこの距離を埋めてダーチ・ヨーダに追いついて、自分の弟へとバトンを渡さないといけない。


 私が頑張って逆転して、自分の力でサブヤッハを勝利に導かなければならない。

 彼女の頭はそんな思いでいっぱいでした。呼吸がどんどん荒くなり、自分の歯がカタカタと音を立てて震えているのを感じていました。どんどんと差が広がっていくのを見ているうちに、ハヤナの焦りはどんどん大きくなっていました。


「…ハヤナ。」


 そんな彼女の背中を優しく擦るダー。

 彼は彼女の気持ちをよく分かっていました。自分も昔は、家族のために無理やり走らされていた。家族の期待に応えられない苦しさを、彼は誰よりも理解しています。


「家族の期待に応えなきゃって焦らなくても良い。ハヤナは自分が出せるすべての力を出し切ってハヤサにバトンを渡してあげれば良い。大丈夫。自分の力で全てなんとかしようだなんて考えなくて良いんだ。」


「…うん。」


 ハヤナは深呼吸して息を整えました。先程までの緊張がスッと消えていくのを彼女は感じました。

 そして練習を頑張ってきたことを思い出します。


 ダーに憧れて、彼の背中を追いかけ続けてきたこと。

 走りたくないと泣きじゃくっていた弟のために、寝る間を惜しんでランニングに励んでいたことを。


「…行ける。」ハヤナはダーと同じ方を真っ直ぐに見据えました。


「頑張ろうぜお互いに、な?」


 ダーは足にぐっと力を入れました。

 彼の視線の先、地平線の向こうから全力で走っているチョーの姿が見えました。


「父さん!」


「頑張れよダー!」


 ダーの手に今バトンが手渡されました。

 地を勢いよく蹴り走り出します。

 かつて全然速く走ることが出来なかったダーは、今や家族レースの次期エース。

 昔、彼はチョーに助けられ今度は自分が家族を助けると心に決め練習に励んできました。

 彼は次に走るククースのため全力を尽くして走るのでした。


「ほらっ…速く行け!」


「…うん。」


 彼が走り出してから数分後、ハヤナは父からバトンを受け取りました。

 ハヤナも弟のために全力で走ります。

 もうすっかり見えなくなったダーさんの背中を追いかけるように。


   ○


 心から湧き上がってくる様々な感情の波に飲まれ、私は放心状態でした。

 昨日は調子に乗って「全力で頑張る」などと言ってしまった私。ですが今はもう何も考えたくありませんでした。


『ダーチ・ヨーダ速い!サブヤッハも負けないくらい速い!そして遂にバトンは最後の走者に渡るぞ!さあどうなる!?』


 実況のうるさい声、観客の暑苦しい声援、同じスタートラインに並ぶ子どもたちの震える声。


 何もかもうるさくて仕方ありません。

 周りの音、光景、肌で感じる熱気、その全てが自分の中の負の感情を増幅させ、胸が苦しくなっていきました。


『ダー選手が見えた!!そして今、ダーのバトンが最後の走者ククース選手に渡された!!』


 手にはバトンの感触が。耳には実況の声が。

 私の背中にはダーさんが背を押す感触が。


 私は無意識のうちに走り出していました。

 眼の前に広がる景色は相変わらず歪んでいます。そして視界はおろか、体で感じる様々なものが歪に感じていました。


 走り出して数分後、観客席はざわめいていました。彼らが何を話しているのかは聞き取れませんが、おそらく彼らは私のあまりの遅さに困惑しているのでしょう。

 まあ当たり前ですよね。


『どうしたククース選手!?遅い、遅いぞ!!もっと速く走らないと追いつかれるぞ!!』


 実況の声だけがはっきりと聞こえ、観客達の言葉を代弁してくれています。

 ああ、やはりこうなるんだ。

 こうなるのが分かっていたなら早く逃げ出していれば良かった。

 私の頭の中にはそのような後悔の念が渦巻いていました。


『今サブヤッハにバトンが渡った!!』


 私は後ろから迫ってきているであろうハヤサさんの気配を感じました。

 抜かされる。

 一瞬芽生えた焦りが私のことを本能的に急かしました。

 その時です


「あ…」


 足が空回り、私の体は宙に浮きました。

 咄嗟に手を前に出す私。


  ズサァァア


 鋭い痛みを感じて気付きました。私は今盛大に転んでしまったのだと。

 観客の声が完全に聞こえなくなりました。実況の人が今の状況を解説していましたが全く耳に入ってきませんでした。

 私は目の前に広がる地面の色にただひたすらに絶望していました。


「…うぅ…」


 ずっと耐えてきましたがもう限界です。

 コケた痛み、自分の不甲斐なさ、焦りと緊張と絶望と、様々な感情が入り混じり私は俯いたまま大粒の涙を流しました。


『ククース選手転んだまま立てない!!どうした!?立て!!ククース選手!!』


 どう頑張っても私は足手まといなんです。


『立て!!立つんだ!!』


 そもそも家族レースが家族全員強制参加なのがいけないのです。


『おっと?ここでハヤサ選手も転倒!!大丈夫か二人共!!』


 私達は走りたくて走っているわけではないのです。

 なのにどうして、私達は強引に走らされなければならないのでしょうか。


『立て!!走れ!!』


 もう嫌です。

 私に走ることを強要しないでください。

 思い返してみればこの一週間ずっとそうでした。


『ククースも頑張りなさい。あなたも私みたいに早く走れるようになるわよ。』


『なに休もうとしとんじゃ!もっと気合い入れて走れい!!』


『君たちの家族の絆、楽しみにしているよ。アディオース!』


 みんな自分勝手です。


『おい!頑張ってついてこい!』


『うわーん。今日は休ませてよお父さん!』


『ヤダヤダ走りたくない!』


『ダメだ。怠けてどうする。』


 どの家族レースの参加者だってそう。

 皆子どもたちに走ることを強要していたではないですか。

 やっぱり家族レースなんて…家族レースなんて……


『…ククース、入っても良いか?』


「……。」


『大丈夫か?なんか唸り声みたいなのが聞こえてきたけど。』


「……。」


『ククース行けるか?』


「……。」


『今日と明日はしっかりと休んで、本番に頑張ればいい。ククースなら出来る。大丈夫さ。』


「……。」


『ククースが遅い分は俺がカバーするからさ。だからククースは出来るだけ全力で、気にせず走りな!大丈夫、ククースならきっと出来るさ。』


「……。」


『大丈夫、ククースならきっと出来るさ。』


 ……


 きっと出来る……大丈夫……


 ダーさんとチョーさんはそう言って私を励ましてくれました。私が辛い時、苦しい時、二人は私のことを気遣い元気づけてくれました。


 …そうでした。

 私はそんな二人のために頑張って走ろうと覚悟を決めたのでした。

 それなのに…私は……私は……


『ククースならきっと出来る。』


 頭の中でダーさんが私にかけてくれた言葉が響きます。


『ククースが遅い分は俺がカバーするからさ。だからククースは出来るだけ全力で、気にせず走りな!』


 …ごめんなさい。私、無理でした…


『ククース大丈夫か?』


 …ごめんなさい。ごめんなさい。


「大丈夫じゃないか、ごめんごめん。」


「……え?」


 私は驚いて顔を上げました。


「とりあえず立とうぜ。」


 眼の前にはダーさんがいました。ダーさんは私に手を差し伸べていました。私は彼の手をとり立ち上がります。


「どうして?」


「言ったろ?ククースのことは俺がフォローするって…」


 ダーさんは私の足と足の間に頭を入れます。


「しっかり頭に掴まってな」


「何を……キャッ」


 何がなんだか分からず当惑していたときです。私の視線が急に高くなりました。私は慌ててダーさんの頭を掴みます。

 モニターには私がダーさんに肩車されている姿が映し出されていました。


「さあ行くぞ!」


「え、あ、ちょ、ちょっと待ってください~」


 私がダーさんは走り出しました。ゴールへ向かって。


   ●


「ダー何やってるの!?」


「ダーの奴何してるんじゃ!」


 待合室にいたヨウとダーツはモニターに映る二人の姿を見て開いた口が塞がりませんでした。

 そんな二人のもとへチョーがやって来ました。


「アナタ見て!ダーが…」


「あの馬鹿。こんな大事な年にお前の真似事なんざしおって…。昔同じことをしてワシらがどれだけ叩かれたか忘れたのか…」


 二人は数年前のことを思い出し絶望していました。昔チョーがダーのことを肩車してゴールし、失格となったあの日のことを。

 ガックリと膝から崩れ落ち、二人は項垂れていました。


「……。」


 チョーはモニターの映像を見ていました。

 そこには確かに肩車をしているダーとククースの姿が映っていました。


「…見てみろよ2人とも。」


 そして、モニターに映っていたのはそれだけではありませんでした。


『見てください!多くのチームが二人で手をつなぎながら走っています。こんな光景初めてだ!!』


 実況に驚き、二人はモニターに視線を移します。


「どういうことじゃ?」


「どうしてみんな走っているの!?」


 二人は驚きのあまりまたしても開いた口が塞がりませんでした。

 そんな二人と違ってチョーは驚くこと無く、その代わりにニカッと笑いました。


「やってくれるな、ダー。」


 彼はとても嬉しそうに言いました。



「…大丈夫?ハヤサ」


「姉ちゃん!?」転んだまま地べたに伏せていたハヤサは、ハヤナの声に驚き顔を上げます。


「どうして?」


「…やっぱりね。アンタは緊張すると絶対ずっこけると思ったわ。」


 彼女は彼の手を取り起き上がらせました。

 未だ困惑しながら体についた砂を払うハヤサ。そして彼はモニターに映る光景を見て驚きました。


「みんな一緒に走ってる?ねえお姉ちゃん、これってどういう状況?それになんでお姉ちゃんはここにいるの?」


「…さあ?お姉ちゃん分からないな~」


 ハヤナは少し笑顔でそう言いました。


「分からないことないでしょ!もう、お姉ちゃんのいじわる。」


 彼女の少しからかうような態度に、ハヤサは少しはぶてました。観客席から見える二人はとても楽しそうに見えていました。

 ハヤナは彼の手を引いて走り出します。


「ちょ、お姉ちゃん!?」


「…さあ行くよ。ダー兄さんが待ってる。」


 二人は一緒に走り出しました。

 先に走っているダーのもとへ向かって。


   ○


 私もモニターを見て驚きました。


「サブヤッハの二人も、それ以外のチームも、みんな前の走者と一緒に走ってる…。」


 そこには二人で手を繋いで走っているハヤサ姉弟、親子で一緒に走っているチームやお父さんにおんぶして貰っている男の子、中には私達と同じように肩車をしながら走っている人もいました。

 モニターには二人で協力してゴールを目指す参加者の姿がありました。


「俺がみんなに言ったんだ。最後は子供と一緒に走ろうって。」


「ダーさんが?」


「最後の走者はみんな走りたくないのに走らされることになった子供ばかり。だから最後はみんなの前に走っている親と一緒にゴールを目指そうって提案したんだ。そうしたら、家族レースは変わるかもしれない。子供を親の都合で走らせる、そんな風習を無くせるんじゃないかって思ったんだ。」


 彼によると、この提案には数名の参加者が賛同してくれたそうです。

 そしてその数名の参加者の行動に合わせるかのように、そこには彼が提案していた以外の人達も二人で協力しながら走っていました。


 助け合ってゴールを目指しているのは私達だけではありませんでした。


「良いぞー!!ダーチ・ヨーダ、最高だ!!」


「あれは…」


 ざわめきが広がる観客席から大きな歓声が聞こえてきました。

 そこには家族レースを愛し家族レースに愛される男フィルトさんがいました。


「良いぞー!!みんな頑張れ!!」


「がんばれー!!」「最高だ!!」


「やっぱり家族レースはこうでなくっちゃ!!」


 そして彼の声を起点として歓声は瞬く間に広がっていきました。

 昔のようにダーチ・ヨーダを非難する人は誰一人としていませんでした。

 ダーさんは走りながら満足そうな笑みを浮かべていました。


「それに、父さんが俺にしてくれたことが間違いじゃなかったって証明できた。俺はそれが一番嬉しい。」


「……ですね。」


 嬉しさで溢れる涙を流しながら、私も笑っていました。

 フィルトさんが見たかった家族の絆。それはきっとこのような光景のことを言うのでしょうね。

 私はダーさんに感謝を込めて言いました。


「ありがとうございます。ダーさん。」


「どういたしまして。さあ、もうすぐゴールだ。」


 私達は追いついてきたハヤサ姉弟と同時にゴールしました。


   ○


 家族レースの結果は異例の展開ということで、今回は優勝者無しという結果に終わりました。


「はぁ…10連勝は来年まで持ち越しか…。」


「まあ良いじゃないか父さん。また来年も頑張ろうぜ。」


「バカモン!ワシは今年で引退する予定じゃったんじゃぞ!」


「でも父さん全然走れるじゃん」


「そうそう。いつも若いもんには負けんわいって頑張ってるじゃないですか。来年も頑張りましょ~。」 


「あーもうわかったわい!!来年も参加するぞ!来年こそは10連勝じゃ!!」


「「その意気その意気~」」


 ダーツさんたち三人はなんだかとても楽しそうでした。なんやかんやありましたが結果として私のせいで10連勝が断たれなくて本当に良かったです。


「今回の家族レースで、ダーチ・ヨーダの団結力が高まった。そんな気がしないか?ククース。」


「…ええ、そうですね。」


 彼の言う通り、今回の家族レースは色んな人に影響を与えていました。


「2人ともなんかごめんね。私達優勝ばかり考えてて貴方達のことを考えてあげれていなかった。」


 今回の家族レースでの二人のことを見て、強引に走らせてしまっていたことを反省し二人に謝るヤーサさん。


「良いよ。僕たちそんな超嫌ってわけでも無かったし。」


「…うん。むしろ家族レースのおかげで足が早くなれて良かったと思ってる。」


 ハヤサ姉弟は笑いながらそう言いました。


「ありがと。2人とも」


「しかし今回の家族レースは無効かよ。同時にゴールしたんだから引き分けぐらいにして欲しかったぜ。」


 一方母と違って未だ優勝しか頭にないハヤブシさん。


「お父さん、次こそは優勝しよ!次も頑張るからさ。」


「…私も頑張る。来年こそはサブヤッハが優勝する。」


 そんな彼に対し二人は前向きな言葉をかけました。


「…フン。そうだな」


 そっぽを向いて私の方へ顔を向けるハヤブシさん。


「笑ってる…」


「満更でもないんだよ。きっと…」


 ダーさんはニヤニヤしながら言いました。

 今回の家族レースのおかげでサブヤッハの家族の絆も深まったようですね。良かったです。


「いやー良かったねー。あれこそ僕が見たかった理想の家族レースだったよー。」


「わ、いつの間に。」


 私の隣には満面の笑みを浮かべたフィルトさんが立っていました。


「今回の家族レースを見て僕は思ったんだ。家族レースは家族全員参加じゃなくて、家族の中に走りたくない子もしくは走れない人がいるなら協力して手を取り合いながら走る。そういったレースにすべきだってね。僕は家族レースの実行委員長として、次回からの家族レースをより良いものにしていこうと思うよ。」


「へぇー…って、フィルトさん家族レースの実行委員長だったんですか?」


「あれ?言ってなかったっけ?」


「初耳ですよ。」


「家族レースは伝統的な祭典だから、迂闊にルールを変更できなかったんだよ。だけど今回の君たちの姿を見て、僕は家族レースのあるべき姿を再認識することが出来た。改めて礼を言うよ。ありがとう」


「…こちらこそ」


 私は差し伸べられたフィルトさんの手を取りました。

 彼曰く家族レースはこれから変わっていきます。来年からは家族レースは親子と子供の二人三脚のように、家族の絆が試されるレースになるそうです。

 親が走ることを強制することない。家族レースは家族の絆が織りなす競技へと変わるのです。


 …まあ、私には知ったこっちゃないですけどね。


「さあ皆さん、これから打ち上げをしましょう。」


「よっしゃー!打ち上げだー!」


 フィルトさんは先陣を切り、会場に集っている参加者を案内しました。もうすっかり日が暮れて、空には花火が打ち上がっていました。

 今宵は宴。家族レースの参加者は皆一様に幸せそうに打ち上げの会場に移動していました。


「ククースも行こうぜ。」


「あ、はい。」


「ダー、ククース、はいポーズ。」


 ヨウさんは私とダーさんの写真を一枚取りました。


「いい感じに撮れたよ~」


「ほんとだ。見てみろよククース。」


「ええ、良いですね。」


 写真に写っている私も幸せそうな顔をしていました。


「…。」


 私の姿が写った写真。それを見て私は見たくないものが目に入ってしまいました。

 それは托卵の帽子です。


「ククース、俺たちも行こうぜ。」


 ダーさんは私の手を引いて一緒に打ち上げの会場に行こうとしました。

 しかし私は足にグッと力を入れてそれを拒みました。

 ダーさんは不思議そうな表情でこちらを振り返りました。


「どうしたの?クク…」


「さようなら。」


 握られた手を振りほどき、私は彼に背を向けて走り出しました。

 困惑し振りほどかれた手を伸ばしたまま、ダーさんは私の背中を追っていました。

 相変わらず私の足は遅いままです。しかし今の私はいつもより足が速く感じました。




 彼らの家の引き出しに入れてあった私の服へ着替え、私は玄関の扉を開き外へ出ました。


 冷たい風が頬を撫でます。私は托卵の帽子を脱ぎ、ゆっくりと前へ歩き出しました。


 夜の暗闇。それに紛れるようにゆく当てもなく歩み続ける私。つらい別れに涙を流し、私は今日も一人で家出の旅を続けています。

 一体私はどこへ向かえば良いのでしょう。この辛い旅はいつ終りを迎えるのでしょう。


 何も分かりません。それを知る由もありません。だから今日も知ったこっちゃないと言い張って私は進みます。


 私はずっと孤独です。一人ぼっちです。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る