第十三話「カッコウとホトトギス」
私は小さい頃から友達が一人もいませんでした。
ずっと一人きりでした。別に一人が好きなわけでも一人でいたいわけでもありません。陰気で卑屈そうで暗がりに潜んでいる私のことを誰も気にかけてくれなかったのです。
けれど私には唯一心を開ける人がいました。それは私の従兄でした。しかし彼とは小学校を卒業する頃に離れ離れになってしまいました。この時私は別れの辛さというものを痛いほど味合うことになったのです。
それから中学生。この頃は私に初めて親友と呼べる友達が出来ました。けれどその子とは卒業してから離れ離れになり、二度と会うことはありませんでした。
別れは辛い。
人と親しくなることはいずれ訪れる辛い別れをより悲しいものにするだけだ。
そういった歪んだ感情が私の中で芽生えていきました。
私はいつも孤独です。ですがそれは仕方ないことだと割り切っています。孤独なくらいがちょうどいいのです。誰かと仲良くなったってどうせ良いことなんてありませんから。
__私はこれからも一人ぼっちです。
○
澄み渡る青空の下、私は次の街へ向けて歩いていました。くすんだピンク色の髪の毛を揺らし、托卵の帽子をくるくると回しながら。
私が歩いている大きな一本道。道の隅では旅行者や商人が談笑しており、とても穏やかな雰囲気でした。
少し先にある大きな山の麓にそこそこ大きな町並みが見えました。あそこが今回の目的地である“鉄山街”です。
私は腹ごしらえに昨日いた街で買ったサンドイッチを食べました。
「…味がしない。」
一日放ったらかしにしていたせいか、安物だったからかは定かではありませんが、目の前にあるサンドイッチは味があまりしませんでした。
味がしないサンドイッチを渋い顔をしながら食べていると、道の傍らに人だかりが出来ているのが目に入りました。それは高そうなアクセサリーを身に着けた女子高生の集まりでした。
「ねえねえ、今日のグイース様の投稿見た?」
「見た見た!あれちょーやばいよね。」
小耳に挟むだけでは上手く聞き取れなかったので、私は彼女たちのそばに備えてあるベンチに腰を下ろしました。
そして彼女たちの話に耳を傾けます。
「まさかあのグイース様が私達の街に来てるだなんて!夢みたい♡」
「サイン貰わないと!サ・イ・ン!」
「やはり来ていましたか。フフフ私の予想は当たっていましたね、イヒヒ」
「えっと…グイース様って誰だっけ?」私と全く同じ感想を抱いた人がいました。
「アンタグイース様を知らないの?」
「グイース様はウグイス亭の令嬢よ!知らないの?あんなに大人気なのに。」
さも当たり前かのような反応をされた彼女は知ったこっちゃねーですよといったふうな表情を浮かべていました。私も同じく。
曰く、彼女たちが話しているグイースさんという方はウグイス亭と呼ばれる財閥の令嬢。人気の理由は彼女がアイドル業を生業にしているからで、彼女の人気は老若男女問わず幅広いそうです。彼女が作るウグイス亭の名物”うぐいすわがし”は今市場でかなり高価な値段で売買されているのだとか。
ちなみに彼女は実は旅が大好きで世界中を渡り歩いているらしいです。そして今回彼女がやってきたのは私が今から向かう予定の鉄山街、彼女たちは彼女が自分たちの街にやってきたことにかなり興奮していました。
「それでグイース様はどこに居んの?」
「それが全く見当がつかないんだよねー」
「旅をしてるんでしょ?なら旅館とかホテルにいるんじゃない?」
私の意見を代弁してくれている彼女が口を開くと、いかにもオタクっぽい格好をした人が口を挟みます。
「何を言っているんですか。グイース様ともなるお方が旅館にだなんてそんな庶民的なことありえませんよマジで。グイース様はゆく先々で新しい別荘を購入しているのです。そして使わなくなった別荘はその街に寄付しています。ああグイース様、やはり貴女は高貴なお方…」
「キャー素敵ー♡」
私と彼女はアホくさという表情を浮かべていました。なんというか、清々しいほどの金持ち自慢ですね。
未だキヤ―キャー言って盛り上がっている彼女たちを後に私は歩き出しました。しばらくして私の横をグイース様に会いに行くために彼女たちが走り去っていきました。
お金持ちの彼女が買った別荘なら、きっと鉄山街で一番高い家でしょう。一番高そうな家ならすぐに見当がつきそうな気がしますが、どうなのでしょうか。
実際街にたどり着いてみると、私の考えが甘かったことが分かりました。
どうやらこの町の住民は全体的にとても裕福な方が多いようです。そのせいで街はどこもかしこも豪奢で大きな建物ばかり。これでは彼女たちの言う通りグイースさんがどこにいるかなんて見当がつきませんね。まあどうでも良いですけれど。
「よーし、みんなで手分けしてグイース様を探すぞ!」
「「おーっ!」」
「今日こそグイース様のサインを貰うんだ!そしたら転売して…グフフ」
「俺は握手してもらうぞ!そのためにビニール手袋を買い占めたぜ!」
「グイース様にあったら伝説の和菓子を食べさせてもらうわよ!」
「伝説の和菓子はきっと絶品だ!」
「伝説の和菓子は私がいただくわ!」
グイースファンの方々はやはり狂信的な信者が多いようですね。なんだか恐怖を感じてきました。
彼らは片っ端から高そうな家に突撃し、住民たちを困らせていました。中には無茶苦茶なことをして警察のお世話になっている人もいました。グイースファンの民度、大丈夫なんですか?
そして彼らが求めているのはサインだの握手だのと多岐にわたりますが、どうやら多くの人が求めているのはグイースさんがつくる“伝説の和菓子”。曰く伝説の和菓子とはうぐいす亭が市販で販売している製品とはまた違ったコクと深み、なによりグイース様の愛情がふんだんにコメられている最高の和菓子だそうです。ていてい。
つくづくどうでも良いですね。私はもう彼らのことを気にするのを止めにすることにしました。
私は歩きながら街の入口に立っていたおじさんから貰った本を読んでいました。そこには街の歴史と、どうしてこの街の人が裕福な暮らしを遅れているのかが記載されていました。
それは中々に興味深い内容でした。
どうやらこの鉄山街では数年前、大きな鉱山から大量の金が発掘されたらしく、住民たちはその金のおかげで贅沢三昧な日々を送れているそうです。なるほど、どおりでさっきの女子高生たちは高そうなものを身にまとっていたわけです。
それからこの本にはその金によって生じた功罪が面白おかしく記載されていました。私は気付けばその本に夢中になっていました。
そのせいで私は反対側から人が迫っていることに気付けませんでした。
「きゃっ」
「わっ」
私とぶつかった彼女は尻餅をつきました。手に持っていた本は地面に落ち、彼女の持っていた飲みかけのペットボトルも同じく地面の上を転がりました。
「ごめんなさい。本を読むのに夢中でよく前を見てませんでした。」私は彼女と目を合わせずに謝罪の言葉を述べました。
「こちらこそごめんね。」彼女も同じように私に謝罪しながら転がったペットボトルと私の落とした本を拾いました。
「はいこれ。歩きながら本を読まないほうが良いよ。まあ私も周りの景色ばっかり見てたから危ないのはお互い様だね。」
彼女は私に落とした本を差し出しました。その時、私は始めて目が合いました。
「まあ、次からはお互い気をつけよ?」
そう言って彼女は笑いました。
彼女は胸元とお腹が開けたかなり大胆な格好に、白くて大きなマントを羽織っていました。透き通るぐらいきれいな青い髪を一つに括り、目にはセクシーな涙ボクロがついていました。そして一番目にとまるのは彼女の大きな胸。私は彼女の胸に釘付けになっていました。
「ん?どうかしたの?」
「え…あ、いや、とりあえず、歩きながら本を読むのは止めにします。」
私は視線を逸しながらそう言いました。視線をそらした先には私の乏しい胸がありました。しょんぼりです。
そして私達は別れの挨拶を交わし、それから何事もなかったかのようにあるき出しました。
この時、私はまだ知りませんでした。
これから彼女と私が何回も再会することになろうとは…
それから私が先程の出来事を綺麗さっぱり忘れた頃。時間は経ち、時はすでに夕暮れ時を迎えました。
そろそろ今日泊まる家を探すお時間です。
私はいつものように托卵の帽子を片手に歩きました。
せっかくなら豪華なお家に泊まりたいところですが、今日はなんとなく庶民的な家の方が良い気がしました。なので私は街の片隅にあった古いお家を選びました。そこは古き良き伝統的な建築の和風の民家でした。
「よし。」
私は托卵の帽子を頭に被りました。もう皆さんご存知のことかと思いますが、この帽子を被っていればどんな家族でもその一員に加わることが出来ます。
いつものように玄関へと歩みを進めます。
和風の民家ということもあってドアは引き戸でした。私は引き戸の取っ手に手をかけます。
そして私は引き戸をゆっくりと開きました。
その時です
「ばふっ」
私の視界を真っ白な何かが覆い隠しました。
それはどこか甘い香りがしました。私は己の舌を出してその白いなにかを舐めました。
それは生クリームでした。
「全く。どこまでもしつこい女ね。一体いつまで私のストーカーをすれば気が済むのよ。」
白くぼやけた視界の先から心当たりのない方が私に対してよくわからないことを言っていました。はてさて私は出会い頭にいきなり生クリームをぶつけられたあげく、ストーカー呼ばわりされる所以は無いと思うのですが。
「こっちだってうんざりしてるんだからね“ホトメ”!」
「……?」
顔にべったり張り付いていた生クリームが徐々に落ちていき、私に生クリームを投げつけた犯人の姿があらわになりました。
「…あれ?よくよく見たらホトメじゃない。」
眼の前に居る彼女は私の顔を見て、すこし困惑した表情を浮かべていました。
彼女はパステルカラーの黄緑色のショートカットに、ピンク色の和装をまとっていました。透き通ったまるでお茶のような黄色い瞳はまっすぐと私の方へ向けられています。
「身長も小さいし、髪もくすんだピンク色だし…あ、第一胸が小さい。」
「……うぅ。」
生クリームを投げられ、とどめに自分のコンプレックスを指摘され、私は涙目になっていました。
「では、アナタがかの有名なグイースさん?」
「うん。私がグイースよ。」
私のことをパイ投げでお出迎えした彼女の正体、それはかの有名なグイースさんでした。
私は顔を洗った後、そこそこの大きさの客間で改めてグイースさんと対面します。
「どうしたの?そんなにキョロキョロと辺りを見渡して。」
「あ、いや、グイースさんはお金持ちだからもっと豪華な別荘を想像していたので…」
「アハハ。さすがの私も毎回毎回豪華な家を買わないわよ。あれはファンたちの勝手な妄想。この家もただ借りてるだけだし。」
「えぇ…」
「まあそのデマ情報のおかげで、私は泊まってる場所がバレずにのんびりできてるから良いんだけどね~。」
グイースさんは笑いながらそう言いました。いや、それってどうなんですか?
「ハルドさん、この人にお茶出してあげて。」
「かしこまりました。」
グイースさんは傍らにいた召使いさんに頼んで私の分のお茶を用意してくれました。粋な計らいか、私のお茶には茶柱が立っていました。
「いやーさっきはごめんね。まさかククースが入ってくるなんて予想外でさー」
「いえいえ。ところでなんでいきなりパイ投げなんかを?」
「…その質問に答える前に、一つだけ聞いても良い?」
「なんです?」
「貴方はあの帽子どんな使い方をしてるの?」
私はドキッとしました。
「その帽子を被ってれば他の家の家族になれるんでしょ。一体どんな使い方をしてるの?」
「…え、あ。」
私は言葉に迷いました。正座をし、まっすぐと私の方を見据える彼女からはどこかしら緊張感が漂っていました。
「私は旅をしながら、この帽子の力でゆく先々で赤の他人の家族になって、その家に泊まらせてもらってます。」家出のことを伏せた上で、私はそう説明しました。
「ふーんなるほどね。私の家に来たのもそういう理由なんだ。」
グイースさんはお茶を一杯口に含みます。私も彼女につられてお茶を一口飲みました。
そしてお茶を喉に通わせた後、私は言葉を紡ぎます。
「…それで、グイースさんはどうしてパイ投げなんかを?それに、グイースさんの言っていた“ホトメ”さんとは一体何者なんですか?」
私は気になっていた“ホトメ”さんについて尋ねました。するとグイースさんの眉尻が微かに上がり、険しい顔をしながらグイースさんは答えます。
「ああアイツ?あいつは私のストーカーよ!」
と。
曰く、どうやらホトメさんと言う方は彼女と同じく旅人だそうです。そして彼女は私と同じく托卵の帽子を持っているそうです。
グイースさんとホトメさん。二人はグイースさんが幼い頃からの仲で、ホトメさんはいつも偶然を装ってグイースさんに執拗に会いに来るそうです。どこを旅していても頻繁に。まるで彼女が今どこに居るかを完全に把握しているかのように。
グイースさんはそんな彼女のことを毛嫌いしています。だからホトメさんが自分の所にやって来るやいなや、問答無用でパイを投げつけるという蛮行に走るようになったそうです。
ホトメさんと同じく托卵の帽子を被っていた私は、今回そんなグイースさんの蛮行の被害を被ってしまったというわけでした。
「なるほど。そういう訳だったんですね。」いまいちなんでパイを投げるという発想に至ったのかは理解できませんが。
しかしホトメさんという方が私と同じく托卵の帽子を使っているなら、是非一度会って情報交換をしたいものですね。まだ私自身この帽子についてまだまだ知らないことがたくさんありますし。
などと考えていると、私はホトメさんが玄関の方を見据え真剣な表情で静止していることに気が付きます。彼女は何かを感じ取ったかのようにすぐに立ち上がれるような体勢になり、右手にはどこからともなく現れたパイを持っていました。
私は「どうかしたんですか?」と声をかけようとしました。
すると
「ただいまーっ。」
玄関から元気のよい声が聞こえてきました。
その声が聞こえた刹那、グイースさんは立ち上がり猛スピードで玄関へと駆けてゆきました。
「ちょ、グイースさん!?」
私は急いで立ち上がろうとしました。しかし突発的な足のしびれに襲われバランスを崩し、勢いよく転倒してしまいました。その反動で手からお茶が放たれ宙を舞い、私の元へ盛大に降りかかりました。
一方グイースさんは一切迷いのない動きで玄関にいる彼女へパイを定めます。
「あ、グイー…ぶはっ!」
彼女がグイースさんの名前を呼ぶより先に、生クリームたっぷりのパイが彼女の顔を覆いました。べったりとくっついたパイはゆっくりと彼女の顔をつたいました。
「やったー大成功!!」
「…ひどいよ~」
本日二度目のパイ攻撃が成功した喜びで、グイースさんはぴょんぴょん跳ねて喜んでいました。私は痺れる足を引きずりながら、やっとの思いで玄関までたどり着きました。
「どうだ!思い知ったかホトメ!」
べったりとくっついたクリームをぬぐい、例のホトメさんが私の目の前で姿を表しました。
白いマントに透き通るぐらいきれいな青い髪、抜群のスタイルに左目の涙ボクロ。
私の目が吸い寄せられる彼女の豊満な大きな胸。
そう、ホトメさんは昼間にぶつかったあの人でした。
そして彼女は頭に茶色い卵のような托卵の帽子を被っていました。
○
「まったく、グイースったら相変わらず酷いんだから。」
私とホトメさんはグイースさんの家の浴場で体の汚れを落としていました。家の外見は質素でしたがお風呂は大きく、なんと露天風呂までありました。
「自業自得じゃないですか。ホトメさん彼女のストーカーなんですよね?」私は体を洗いながら冷たい言葉を返します。
「違うわよ。第一どうしてあんな野蛮でめんどくさいお嬢様のストーカーなんてしなくちゃいけないのよ!」ホトメさんはシャワーで泡を流しながらそう言いました。
「え?なら偶然なんですか?」私も同じくシャワーを浴びます。
「そう、偶然よ。ぐ・う・ぜ・ん!」
彼女の反応を見る限り、どうやら嘘ではないようです。もし本当に毎回偶然なのだとしたら、相当な腐れ縁ですね。
「第一あんなに嫌嫌言ってるくせに、なんやかんやお風呂に入れてくれたり、泊まれるように準備してくれたり、色々おかしいよね。グイースのやつ。」
「まあ確かに。」
思えばあの後、グイースさんは「いやー満足満足。ホトメ、汚れたままだとアレでしょ?さっさとお風呂に入ってきなさい。あ、ククースもついでに入ってきなよ。」だとか「今日は特別に二人を泊めてあげるわ。感謝しなさい。」だとかホトメさんのことを散々嫌がっていたわりには彼女が来たことに対して満更でもなさそうでした。ストーカー呼ばわりしていたのに意外とすんなりと泊めてあげるなんて、彼女のことを本当に毛嫌いしている人の行動とはおもえません。
「あの子昔からあーなのよ。ああいうのをツンデレって言うんでしょうね。」
「なんか言った?」脱衣所にいたグイースさんが反応します。
「何でもなーい。」
ホトメさんはニヤニヤしながらそう言いました。そして体を洗い終えたホトメさんは浴槽へと入ります。私も彼女に続いて浴槽へと入りました。
「ふぁ~っ気持ちいい~。」
彼女の前方には浮力によって浮かんでいる大きな胸がありました。私は自分の胸に視線を移しました。依然として眼の前の光景は乏しいままでした。
「でも驚いたな~。まさかククースも托卵の帽子を持ってるなんて。」
「私も驚きです。まさか私以外に托卵の帽子を持っている人がいるなんて。」
「私とククース以外にもあと二人いるよ。私に帽子を売った人曰く、托卵の帽子はククースが持っているのを含めてあと3つ存在するらしいからね。」
「てことは、私達以外に托卵の帽子を持っている人はあと二人いると」
「そういうことになるね~」
ホトメさんは肩までお湯に浸かり言いました。やはりホトメさんに会ったのは正解でした。私の知らない帽子の情報が色々と手に入ります。
「ところで、さきほど托卵の帽子を買ったと言ってましたけど、托卵の帽子はいくらぐらいしたんですか?」
「わりと高かったよ。ざっと15万円ぐらい。」
「15万!?」
私は度肝を抜かれました。まさかそこまで高い値段だとは思いませんでした。
私に帽子をプレゼントしてくれた人は、そんな高い帽子を買ってまで私に帽子を渡したかったということですよね。ますます私に帽子を送ってくれた送り主の正体が気になってきました。
一体誰が、何のために?
「私は旅費の全部をあの帽子に使ったの。おかげで大変だったけどね。」
「どうしてそこまで…」
私はそう尋ねました。旅費を全部つぎ込んでまで、あの帽子を手に入れるメリットはあるのでしょうか?
「理由は単純。私はあの帽子のことが知りたかったから。」
「知りたかったから?」
「あの帽子を使ったらどうなるのか、とっても興味が湧いたんだ~。だから知りたいな~と思って衝動買いしちゃったの。高かったけど後悔はしてないよ。だってあの帽子のおかげで私はいろんな家族のことが知れて幸せだから。」
「…そう、ですか。」
ホトメさんの笑顔がとても眩しくて、私はゆっくりと視線をそらしました。
「そういえば、どうしてグイースさんには帽子の魔法が効かなかったのでしょうか?」
「あーどれはあの子が帽子の魔力が聞かない特別な存在だからだよ。稀にいるらしいよ。なぜかあの帽子の魔力が効かない人物が。ちなみに帽子を被っている同士には効かないし、一度使ったことがある相手にも効果はない。」
「へえー。」
「ちなみに魔法使いや魔道士にはこの帽子の魔力に勘付かれる可能性があるから気をつけたほうが良いよ~。」
「気をつけます。」
私は少しのぼせてきたのでお風呂から上がることにしました。
「ホトメさん。情報を提供してくださってありがとうございました。」
「例には及ばないよ。私達仲間だもん。」
仲間……。
「…ごめんなさい。私、まだホトメさんのことは仲間だと思ってません。」
「え?」
ホトメさんは突然の私の言葉に疑問符を浮かべていました。私はそんな彼女を無視し脱衣所に出ます。
私はグイースさんが用意してくれた着替えを着て、自分の荷物を置いてあるカゴへと手を伸ばします。かごの中には私の托卵の帽子がすっぽりと収まっていました。
『私の帽子を一体誰が?』
私は托卵の帽子の送り主のことがとても気になっていました。
それからグイースさんは私達に豪華な夕食を振る舞ってくれました。
「でねでね、私はその本に憧れて旅に出たいなって思ったんだ~。その本超面白いんだよ。私が一番好きな話はね、ちょっと鬱なんだけどその話が後の展開に関わってきて…」
私の隣ではホトメさんがぐいぐい詰め寄り、自分が旅に出るきっかけとなった本の話を長々と話していました。ちなみに半分以上聞き流していましたけど。
「でね、私が初めて会って家族は…」
そして次に彼女は自分が今まで出会った家族の話を始めました。
彼女の一家族の滞在期間はおよそ四日間、一日で即さよならの私とは全く異なっています。そしてことなっているのは滞在時間だけでなく、家族との接し方も違いました。
彼女はまるで本物の家族かのように、托卵の家族と接しているようです。
親しみを持って接するために敬語は使いません。玄関を開けて発する第一声は「ただいま~!」という元気な一言。彼女は托卵の帽子を存分に使いこなしているようでした。
これがきっと本来の帽子の使い方なのでしょうね。彼女の話は、家出を続けるために托卵の帽子を使っている私には知り得ない話でした。
私はホトメさんがそこまでして托卵の家族と親しくする理由が全くわかりませんでした。
「ちょっとホトメ!食事中におしゃべりするなんて行儀悪いわよ。少しは静かに食べたらどうなの?」
「えーいいじゃんケチ―。」
ホトメさんの生き方は、私と全く異なっていて、私はとても不思議な気持ちでいました。私は彼女たちが楽しそうに話をしているのを他所に、目の前に並べられた懐石料理を黙々と食べ進めます。
『…味がしない』
美味しそうな和食を口にしているはずなのに、朝のサンドウィッチと同じく全く味がしませんでした。一体どういうことでしょう?どうして全く味を感じないのでしょうか。
しかし食べなければお腹は空き続ける一方なので、私は味がしない懐石料理を我慢して食べ続けました。
ご飯を食べ終えて、私は畳の上で横になり、天井をぼんやりと眺めていました。
「やほーククース。」
眼の前をホトメさんの顔が覆い隠します。私は顔を横に逸しました。
「ククース元気ないよ~どうしたの?」
「なんでもないです。」
私のことを気にかけてくれているホトメさんに対し、私は冷たい対応をしていました。
「ホトメがしつこいからククースも疲れてるのよ。そっとしてあげなさい。」
「ごめんごめん。初めて同じ帽子を使ってる人に会ったからつい…」
「もう。ごめんねククース。ホトメのせいで今日は疲れたでしょ?これ飲んで一息ついて。」
グイースさんは机にお茶とあの伝説と称される“うぐいすわがし”を置きました。外見はいたって普通の練り菓子、桜の形を模した美味しそうな和菓子でした。
「これが伝説の和菓子…」
「伝説?ああ、またファンが変なことを…。それ、そんな特別な物じゃないわよ。」
グイースさんは私の発言をばっさりと否定しました。
「そうそう、グイースの出すやつはいっつも売れ残りの賞味期限切れのやつなんだから。それを伝説だなんて大げさにもほどがあるよ~」
「もーこの馬鹿!余計なこと言わなくていいのよ!」
「アハハだって本当だもーん。」
「このっ…待てコノヤロー!」
二人は私の背後で追いかけっこを始めました。
伝説の和菓子と称されるグイースさんの差し出す“うぐいすわがし”、それはただの在庫処分品でした。これを知った信者たちはどのような反応をするんでしょうね?
私はその和菓子を一口食べました。やはりその和菓子も味がしませんでした。
後ろが騒がしいので振り返ってみると、二人は喧嘩の真っ最中でした。喧嘩と言ってもホトメさんの方はニコニコと笑っていて、喧嘩というよりただのじゃれ合いのようにしか見えませんでした。まあグイースさんは普通に怒っていましたけど。
ホトメさんとグイースさんはとても仲良しで羨ましい限りです。
「二人は本当に仲良しなんですね。」
私は少し冷めた口調でそう言いました。
「別に仲良しじゃないわよ!」
「まあグイースさんが小さい頃からの付き合いだからね~。そりゃ仲良くなるよ。」
否定するグイースさんに対して、のんびりとした口調で肯定するホトメさん。二人
は喧嘩を止め座り直しました。
「コイツはうちのお父さん同士の付き合いでよく私の家まで来てたのよ。私が一人で退屈そうにしていた時に、ホトメは私に構ってきたの。」
「グイースはお金持ちの家庭に生まれたから、お金持ち特有の悩み事を抱えてたの。だから私はこの子の相談相手になったり遊び相手になったりしてあげたわけ。昔のグイースはいまよりもっと可愛らしかったのよ。昔のグイースは…」
「それ以上はダメぇ!」グイースは顔を真赤にしてホトメさんの口をふさぎます。
「分かった分かった。まあなんやかんやあって私とグイースは切っても切れない親密な関係になったってわけ。ね、グイース。」
「本当ならすぐに切りたいわよ。アンタとの縁なんか。」
「え?じゃあ切る?」
「へ?…あーもう!アンタのそういうところ大嫌い!ふん!」
グイースさんは顔を赤らめながらそっぽを向きました。ホトメさんは私の方を見てグイースさんのことを指差しニヤニヤしていました。
…本当に仲良しですね。私は羨ましいです。
それから私はグイースさんの別荘で夜を過ごしました。
翌朝、わたしたちはグイースさんの家を後にしました。昨日の夜は永遠にホトメさんの話を聞かされていたのであまり寝ることが出来ませんでした。眠たい目をこすりながら私はあくびをしました。
「アンタ達もう来ないでよね!アンタ達が来ると毎回毎回おもてなしの準備をしなくちゃならないんだから、絶対よ!」
グイースさんはツンデレ炸裂な発言を連発しながら、私達が見えなくなるまで見送りをしてくれました。なんやかんやホトメさんのことが好きなんですね、彼女。
「やっぱりグイースってツンデレだよね。」
「ですね。」
グイースさんが見えなくなった辺りで、ホトメさんはニヤニヤしながらそう言いました。
ホトメさんはとっても嬉しそうでした。
「では、私は先を急ぎますので。」
「え?もう行っちゃうの?」
今にももっとお話しようよと言わんばかりのホトメさんを無視して、私は空へと飛び立ちました。
「さようなら。」
「ちょ…」
淡白な別れの言葉を残して、私は急いで去っていきました。
振り返らず、耳を傾けず、ただひたすらに淡々と。
私はまたしても寂しい気分になってしまいました。やっぱりどうしてもつらい別れは避けられないみたいですね。どうせこうなると分かっていたなら、彼女たちとなんて関わるんじゃありませんでした。
私に仲間なんていりません。
私はいつだって孤独でいいんです。
孤独なら別れの辛さなんて味わわないで良いですから。
○
秋の寂れた空気を身にまといながら、今日も私は家出を続けます。
今日は呑気に空を飛びながら手頃な街を探しています。私の背後からは無数の渡り鳥が列をなして飛んできて、私は彼らと並列になり飛行しました。
今日はお日柄もよく、視界も澄み渡っています。最近気が沈んでばかりの私でしたが、今日はほんの少しだけ気分がいいです。気付けば口笛を口ずさんでしまうほどに。
今日はなんだか良いことが起きそうな予感がしました。
高揚した山々を通り過ぎた先に小さな村がありました。木製の建物とレンガ造りの建物が立ち並ぶごくごく普通の村です。
もう飛行できる時間も少なくなってきたので、今日はその村に決めました。
着地したと同時にお腹が鳴りました。思い返せば昨日から何も食べていません。それにマントの魔力を使うのに走るのと同じくらいのカロリーを消費するので、私のお腹はペコペコでした。マントは便利ですけど、こういうところが不便ですね。
とりあえずお腹を満たすために適当な家を選び入りました。もうこの際どこでもいいです。お昼ごはんの時間には少し早いですけど、早めにお昼にしてもらいましょう。
「ただいま。」
私はホトメさんの真似をして自分からただいまと言ってみました。なんか変な気分ですね。
「おかえりー」
私のただいまにキッチンにいる誰かがおかえりと返します。
「今お母さんいないから。」
「お腹が空きました。」
「それなら私が作るよ。食卓で待ってて。」
「はい。」
私はお言葉に甘えて食卓に座り、最近買った本を読みながら待っていました。キッチンからは料理をしている音が聞こえ、ほんのりと美味しそうな香りが漂ってきました。そのせいで私は読書に全く集中できませんでした。
そして食卓に大きなオムライスを持った彼女がやってきました。
「おまたせ~。ホトメ特製のオムライスだよ。」
「どうも…」私は本を置き、顔を上げました。
「…。」「…。」
「「え?」」
私は思わず声が出ました。同じく彼女…いえホトメさんも声を出します。
私達は目を合わせ硬直しました。
「…もしかしてホトメさん。今度は私のストーカーになったんですか?」
「いや違う違う違う!違うよ!」
ホトメさんは必死に頭を振っていましたが、私は完全に疑いの目を向けていました。
私はホトメ特製のオムライスを食べながら彼女の必死の弁解に耳を傾けていました。彼女は偶然この家に決めただけで、私が来るなんて予想もしていなかったと言います。果たして本当でしょうか?ホトメさんがどれだけ言い訳しても私は信じられません。グイースさんの件もありますし。
しかし彼女の焦りようを見るに、どうしても嘘をついているとは思えませんでした。しかしサイコパスは平然と嘘をつくと言いますし…
「いやーまさかまたククースに再開できるとは。私ついてる~」遂には開き直るホトメさん。
「私は怖いですよ。貴方のことが。」
私はポジティブに片付けようとしているホトメさんに若干恐怖を感じていました。私の露骨な態度にホトメさんは再び焦りだし、今度は真面目に誤っていました。
「はぁ…。でも一体どうして何度も再会しちゃうんだろ?やっぱりこの帽子のせいなのかな…」
「托卵の帽子のせい?」
「実はこの帽子を手に入れる前までは全然グイースにも再開しなかったし、誰かと再び会うなんて全然無かったの。でもこの帽子を買ってからというもの、誰かと再開することが多くなったんだよね。」
「またまた…」
「嘘じゃないよ!わーん、信じてククース~。」
ホトメさんは泣きながら私にすり寄ってきました。もし彼女の言い分が本当なのだとすると、托卵の帽子には固有の特性があるということなのでしょうか?例えばホトメさんの托卵の帽子には“縁のある人と再会する”特性が。私の場合は……特に思い当たることがありません。
「…まあ今回は偶然ということにしときます。もしホトメさんがただのストーカーなら、もう止めてくださいね。」
「だから私はストーカーじゃないってば。…でも、ありがと。」
ホトメさんは丸くなりながら私にお礼を言いました。私は依然として淡々とした態度でオムライスを食べていました。
「それにしても、私達こうやって托卵の帽子を被ってる時に会うのって初めてだね。」
「…ですね。」
「ククースはさ。托卵の家族にいつも敬語なの?窮屈じゃない。」
「…逆にホトメさんはよく托卵の家族に馴れ馴れしく出来ますね。」
「言い方…。まあ、私は楽しいから親しくしてるかな。ククースは楽しいと思わない?家族って自分じゃ選べないんだよ。でもこの帽子を使えば他の家の家族になれる。家族にならなきゃ知り得ないことを知れる、こんな貴重な体験他の人じゃ絶対出来ないんだよ?」
「……。」
「…あ、なんかごめん。」
彼女と私との間に気まずい空気が立ち込めました。
私はオムライスを食べ終えて、マグカップに入ったコーンスープを飲み干し、お皿を洗って机を拭いて、ホトメさんの方へ向き直りました。
「それじゃあ私はこれで。」
「え?泊まっていかな…」
ホトメさんが言い切る前に、私は玄関の扉を勢いよく締めました。
どうせ別れなきゃ行けないんだからもう二度と私と再会しないでくれ、と私は心のなかで願っていました。
しかしそんな私の願いに反して、私はホトメさんとことごとく再開する羽目になります。
__「やっほーククース♪」「……。」
__「ククース、元気?」「……。」
__「やあ、ククース♪」「……。」
__「ククー…」「……。」
最後のセリフが切れているのはホトメさんが言い切る前に私が扉を勢いよく閉めたからです。
私はホトメさんと一緒の托卵の家族になるたびに家を変えざる負えなくなりました。別にホトメさんが嫌いだからと言うわけではありませんが、私は彼女と一緒にいると、どこか心の奥に深い傷を負ってしまう気がするのです。
彼女が托卵の家族と接するところを見てしまったら、私はきっとつらい思いをしてしまうような気がするのです。
それから数日たち、毎日のように再開していたホトメさんとはもうすっかり会わなくなりました。いつもは玄関を開けたらすぐにホトメさんがだる絡みをしてきたのに、最近はもうそれもありません。
私はすこし寂しい気持ちになりました。しかし悲しんでいても仕方がありません。どうせすぐに慣れるでしょう。私はもとより孤独なのですから。
私は今回もたどり着いた街で今日泊まる家を探して歩いていました。今日はとてつもなく寒いです。秋でありながら冬が近づいているのをふつふつと感じる私なのでした。
しばらく歩いていると、数メートル先の民家からなにやらいい香りが漂ってきました。私はその香りにつられて歩きます。そして托卵の帽子を被り、その民家のドアノブに手を伸ばしました。
すると
「いっ…」
ドアノブから静電気が走りました。私はピクリと身を震わせ手を引きました。
同時に嫌な予感が脳裏に走ります。私は別の家に変えるために旋回しようとしました。その時
ガチャ
「あ。」
「……。」
やっぱり、中にはホトメさんがいました。
いつもならここでだる絡みをしてくるホトメさんですが、いつも私が明らかに嫌そうな態度を取っていたからか、彼女は気まずそうな顔をしていました。
私は少し申し訳ない気持ちになりました。
「お~おかえりククース。外は寒いだろう。早く上がりなさい。」
家の中から恰幅の良い叔父様がソファの上から私を手招きします。中はストーブを焚いていてとても暖かそう。そとは寒いのでぜひ温まりたいところです。
私はホトメさんの方へ目をやりました。ホトメさんは気まずそうに苦笑いを浮かべました。
「…気にしなくて良いです。私、今日はこの家族にするんで。」
さすがにいつも冷たい態度をとってしまって申し訳ないと感じた私は、ホトメさんの横を通り過ぎ中に入ります。そしてストーブのそばに座り、手を温めました。
「ククース…」
ホトメさんはホッと胸をなでおろし、私の隣に来て同じように手を温めました。
今まで私はホトメさんの話で彼女の托卵の家族との関わり方について聞いていました。しかし、いざこうして彼女の行動を目の当たりにすると、彼女のやっていることが私にとって理解できないことだということが思い知らされました。
「お父さん、肩揉んで差し上げましょうか?」そう言ってソファに座っている叔父様の元へ行くホトメさん。
「ああ、助かるよ。」叔父様はホトメさんに肩をもんで貰って満足そうにしています。
「お姉ちゃん!一緒にゲームしようよ。」ボードゲームを持ってきて彼女に遊ぼうと言う男の子。
「楽しそうね。いいよ!」ホトメさんは笑顔で了承し、早速二人でボードゲームで遊び始めました。
「ホトメ洗濯物たたむの手伝って。」外から乾いた洗濯物を持って入ってきたお母様はホトメさんにそうお願いします。
「はーい!」ホトメさんは快く手伝いに行きました。
彼女は一瞬にして托卵の家族の一員かのように馴染んでいました。
まるで本物の家族のように彼らと接し、そこに私のような堅苦しさは存在しておらず、明るく楽しそうな笑顔で托卵の家族と触れ合っていました。
___私はそんなホトメさんのことが理解できませんでした。
私もかつて、托卵の家族と仲良くしたことが何回かあります。でもそれらは結局最後は悲しい別れに終わりました。愛着を持ちすぎたせいで、親しくできると思ってしまったせいで、私は別れの辛さをより強くしてしまっていました。私は何度も泣きました。そして泣く度に、心を開いてしまった自分を責めました。
親しくなっても一週間経てば全て忘れられる。
托卵の家族と仲良くなることなんて無意味なことでしかないのです。
ですから私はホトメさんのやっていることが全く理解できず、ものすごい嫌悪感を抱いてしまいました。
そして次第に胸が苦しくなっていきました。
私はあくまで家出少女で、当てもなくさまよい続けるいわば放浪者。私は彼女のように能天気な旅を続けているような旅人ではありません。きっと彼女はつらい思いなんかしたことがなく、今ものうのうと旅を続けれているのでしょう。
私は彼女とは全然違います。
だからこそ、私は彼女のことを理解しようとしても出来ないのでしょうね。
自分の理解できないことが目の前に立ちはだかるとこんなに辛いだなんて思いもしませんでした。私は自分の中で込み上げてくる負の感情の気配を感じました。
やがて息をするのも辛いほどの激しい憎悪に飲み込まれそうになった私は、逃げるように家を飛び出しました。私の目からは、いつものように冷たい涙が流れ頬をつたいました。
私には、もう知ったこっちゃありません。
ホトメさんの理解し難い行動や言動も、彼女がどうして托卵の家族と仲良くするのかも、どうせ私には関係のないことなのです。
たとえ知ったとて、私には何の利益もありません。
私は後ろを振り返ること無く走りました。こうやって胸が苦しくなりながら走るのは、今回で何度目でしょう?
いつも逃げてばかり。
辛いことや苦しいことから目を背けて、いつも知ったこっちゃないと言い張って逃げてばかり。
そんな私のことを、ホトメさんは見ていました。
○
私は街を一望できる所にいました。
あともう少しすれば夕暮れ。なのに私は今日泊まる家を探す気になれませんでした。托卵の帽子を手の上に置いて、私はぼんやりと帽子を眺めていました。
もう何もかも分かりません。
そもそも托卵の帽子を使って家出を継続しようという考えが愚かでした。自分の家族が嫌になって家出をしたのに、行く先ざきで他人の家族になって一時的に生活を共にする。改めて考えると自分でも意味不明で支離滅裂なことをしていると思います。
この帽子を手にしてから辛いことばかり。
いや、思い返せば私はこの帽子を手に入れる前からずっと辛いことばかりでした。
だんだんと壊れていく私の大切な家族、心の拠り所となってくれた大切な人達との別れ、その別れがトラウマとなって家出をしているなかで出会った人と別れる度に胸が苦しくなる日々。
ずっと一人ぼっちで孤独な毎日。
…やはり私はずっと辛いまま。何一つ楽しいと思えることなんてありませんでした。
「……うぅぅ。」
ずっと我慢していましたが、もう我慢の限界です。
人のいない広場で私は一人静かに泣きました。
私はいつも泣いてばかりです。
泣かないと心を落ち着かせて、前を向いて進むことが出来ないのです。
だから私はいつもこうして一人で泣いていました。
「ううぅ…。」
「大丈夫、泣かないで。」
でもこの時、私は一人ではありませんでした。
私の体を暖かな温もりが包みます。顔を上げてみるとそこにはホトメさんがいました。
私のことを抱きしめる、ホトメさんの姿がそこにはありました。
「離してください…。」
私はホトメさんのことを拒みます。これ以上貴方との距離を詰めてしまったら、別れがより悲しいものになってしまいます。私はもう、辛い別れは耐えられないんです。
しかし私が拒む度に、ホトメさんは私のことを強く抱きました。私がどんなにもがいても、指で彼女の肌をつねっても、ホトメさんは私のことを離してはくれませんでした。
私は無言で抵抗し続けました。
ホトメさんはそんな私のことを無言で抱きしめ続けました。
「ククース。私は貴方のことが知りたい。ククースの苦しみも、悲しみも、全部私に話して。そうすればきっと楽になれると思うわ。」
「ホトメさん…ううぅ…うわああああん」私はとうとう大泣きしました。
「大丈夫…。大丈夫…。」優しく背中を撫でられる度、私の涙は勢いを増しました。
あんなに冷たい態度をとってしまったのに、ホトメさんはとても優しいです。私のことを気にかけて、こうして慰めてくれているのですから。
私は気持ちを落ち着かせ、深呼吸をし、ホトメさんに全て打ち明けることにしました。
托卵の旅々で私が味わった、別れの物語を。
私達は広場のベンチに座って夕日を眺めていました。すべてを打ち明けて落ち着いた私はもうすっかり泣き止んでいました。
夕日がとても綺麗です。最近は心に余裕が無くて、ゆっくり見ることが出来なかった夕日。こうして改めて見ると、その美しさと神々しさに心を揺さぶられました。
「そっか。そういう訳だったんだね。」
私が話し終えた後、しばらく静かに考え込んでいたホトメさんは優しい声でそう言いました。
「…ごめんなさい。私、人と親しくなるのが怖いんです。だからホトメさんに冷たい態度をとってしまいました。」
「ううん、ククースの事情はよく分かった。だから謝らなくて大丈夫よ。」
「……。」
「私に話してくれてありがとね。」
ホトメさんに優しい言葉をかけてもらう度、私の涙腺は緩みました。下唇をかみながら、私は必死に涙をこらえました。
「…私は、ホトメさんのように強くないんです。私は別れが辛くて仕方がないんです。」
「私が強い?…いや、私はククースは思ってるより強くないよ。」
「え?」
「私だって長い間旅を続けてきたけど、やっぱり別れは悲しい。ククースが体験したように、托卵の帽子の性質のせいで托卵の家族に忘れられて、つらい思いをしたことだって何回もある。」
「…そうだったんですか。」知りませんでした。
まさかホトメさんも私と同じような思いをして、別れというものを悲しんでいたということに。
夕日をぼんやりと眺めるホトメさんの寂しげな瞳は、今まで彼女が味わってきた悲しみの思い出を振り返っているように見えました。
「それに私、一度トラウマになるぐらい怖い出来事が起きて、本気で旅をやめようと思ったことがあるの。眼の前で、自分のせいでさっきまで一緒にいた人を失った、そんな出来事が。」
ホトメさんは虚ろな目のまま言いました。
「私は基本一人旅だから、辛い時そばで支えてくれる人がいない。あの頃は、自分の心の弱さを痛いほど思い知ったわ。孤独じゃ人は何も出来ない、孤独があんなにも辛いだなんて思いもしなかった。」
「……。」
「でもそんな時、私に寄り添ってくれた人が一人だけいた。それがグイースだった。あの子、いつもはツンツンしてて冷たいけど、私が本気で辛そうにしているときは傍で慰めてくれる優しい子なの。グイースは私が元気になるまで一緒にいて良いよって言ってくれたの。そのおかげでだいぶ心を落ち着けて、私は今も元気に旅を続けれてる。グイースには感謝しか無いよ。」
「…良いですね。そうやって再会できる人がいて。」
私には、そんな人いません。
私は孤独でなければならないのです。孤独でなければ、辛い別れを味わわないといけないから。
…だから私は、ホトメさんのことが心から羨ましいです。
「ククースだっていつかは再会できるよ。」
「無理ですよ。」
「きっと会えるって。大切な従兄くんにも、中学校の頃の親友にも…」
「そんなこと分からないじゃないですか!!」
私は気付いたら声を張り上げていました。
ホトメさんはそんな私に驚きます。私は両手で顔を覆い、前かがみになりながら言います。
この瞬間、私の中で何かが折れました。
「…私はもう、孤独なのは嫌なんです。」
今まで正当化し続けてきました。ですがもう、限界です。
誰かと出会い、辛い別れを経て、また孤独になる。いつも一人ぼっちで当てもなくさまよい続ける日々。
私はもう嫌なんです。
一人ぼっちは辛いです。悲しいです。誰にも縋ることが出来ません。誰かに弱音を吐いて寄り添ってもらったとしても、いつかは辛いお別れをしなければなりません。
帰りたくても帰れません。
家出をやめようと思ってもやめれません。
私はもう、
限界なんです。
「…大丈夫だよ。」しかしホトメさんは私の言葉に対し、対して根拠もない励ましの言葉を投げかけます。
「何が大丈夫なんですか!!」
どうせ私のことなんて何も分からないくせに。私の辛さなんて知らないくせに。
毎度のごとく大切な人と再会して、話を聞いてもらえるのに…。
…仮に心を許しても、どうせすぐに別れることになるのに。
なのに…
いつか再会できるだなんて……
……。
「だって…」
ホトメさんは私に手を差し伸べ、言いました。
「私がそばにいるから。」
「ククースが辛くてどうしようもない時、私が傍で話を聞いてあげる。」
「ククースが孤独で一人泣いているなら、私が傍で背中をさすってあげる。」
「そのために、私は何度もククースと再会できてるんだと思うから。」
「……。」
「大丈夫、きっとまた再会できるよ。」
きっとまた再会できる。
何の根拠もないと思いながら、心の底ではホトメさんが言うこの言葉には妙に説得力があるように感じていました。
冷静に思い返してみれば、答えは単純な話でした。
それはホトメさんが何度も証明してくれていたからです。
私はホトメさんと初めて出会ってから今日まで、何度も何度も再会を果たしてきました。
それは帽子の特性なのかもしれませんが、私が彼女のような優しい人と何度も再会できることはきっと運命なのかもしれませんね。
「もう独りじゃない。だからもう悲しまなくて良いんだよ。」
ホトメさんは私の指に、ゆっくりと自分の指を絡めました。
私の指はホトメさんの手のぬくもりに一瞬ピクつき、拒もうとしました。しかし、私は自らの意志で彼女の指に自分の指を絡めます。
そしてしっかりと彼女の手を握ります。
それからしばらくの間、絡ませた指を離すことが出来ませんでした。
今この指を解いてしまったら、きっとこの温もりは消えていってしまう。そうしたら私は孤独に戻ってしまうと、そう思ったからです。
ホトメさんはそんな私の気持ちを察して言いました。
「……大丈夫よ。私がそばにいるから。」
ホトメさんは空いた右手で私の頭を撫でてくれました。
かつて私の親友が、そうしてくれたのと同じように。
「…ありがとうございます。」私は泣き顔でそう言いました。
「ありがとうは笑顔で言うものよ。」
どこか懐かしさを感じる彼女の一言に、私は自然と笑顔になりました。
流れる涙は頬をつたい、ぽろぽろとこぼれ落ちました。
この涙は悲しみの涙なんかじゃありません。
なぜなら私は今、とても幸せな気分でいるのですから。
そして私はホトメさんの言葉を信じ、ゆっくりと絡めた指を解くのでした。
◯
朝が来ました。
あれから私達はそれぞれ別々の托卵の家族のもとで夜を過ごしました。昨日の夜はぐっすりと眠ることが出来ました。ホトメさんには感謝してもしきれません。
そして私は今、先程までいた家を後にして、当てもなくさまよい続ける家出の旅を再開しました。街の出入り口の門を目指して一人歩く道のりは、どこか寂しくもありましたが、ほんの少し希望が感じられるように思いました。
「ククースー♪」
門の傍にはホトメさんが立っていました。笑顔で手を振るホトメさんに、私は小さく手を振り返します。すると彼女は嬉しそうな顔で私の所へ走ってきました。
「おはよー。」
「おはようございます。ホトメさん。」
「これ見て!昨日の托卵の家族の叔父様と私で一緒に作ったサンドイッチ。とっても美味しかったから、ククースにもあげる。」
「あ、ありがとうございます。」
私はたっぷりのツナとコーンが挟まった、とっても美味しそうなサンドイッチをくれました。
「ホトメさんは次はあの街へ行くのですか?」私は南の方にある、小さな街を指さしました。
「うん。あの街では明日から面白そうなイベントが始まるそうだから、是非そのイベントを楽しみたいな~って思ってね。ククースは?」
「私はあっちの村へ行こうと思います。実はあの街、私が一昨日行ったばっかりなんですよね。」
「そっか。じゃあ、次再会するまでしばらくのお別れだね。」
お別れ。
いつもならとても悲しい言葉なのですが、ホトメさんが言うと、どこか別の意味に聞こえました。
「ねえククース。」
別れ際、ホトメさんは私に一つだけ尋ねました。
「なんです?」
「ククースは、どうして旅をしているの?」
「……内緒です。」
自分が家出をしている最中だということを、まだ私は彼女に言いませんでした。
「そっか。」
ホトメさんはマントをなびかせ、微笑みました。
「でも、またいつか教えてね。私はククースのこと、もっともっと知りたいからさ。」
「…考えときます。」
私は次に向かう村の方を向いて、ホトメさんの真似をして自身のマントをなびかせました。
今、私とホトメさんは互いに別の方向を向いています。
別れのときが迫っていることを示唆するかのように、冷たい風が私達の間を横切りました。
私はさようならと言いたくなくて、しばらくの間黙っていました。
ホトメさんは私の言葉を待っているかのように、同じく黙っていました。いえもしかすると、私が別れたくないのを察して、私のタイミングを伺っているのかもしれません。
ホトメさんはやはりとても優しい人です。
今すぐお別れをしてしまうのが惜しいくらいに、いつまでも傍にいてほしい人物です。
でもいつまでも一緒にいるわけにはいきません。もし私がどこまでもホトメさんのもとへ着いて行ってしまうと、きっとホトメさんの迷惑になってしまいます。
それに迷惑なのは誰だってそうです。だからこそ、人は別れを告げるのです。
私は散々思い巡らした末に、やっと考えつきました。
それは、私とホトメさんが、いつか再会できると信じて語る別れの言葉。
「…ホトメさん。」
私は振り返り、言いました。
「また再会する時まで、さようなら。」
ホトメさんも同じく振り返りました。ホトメさんはどこか嬉しそうな表情をして言いました。
「うん!また会えるときまで、さようなら。」
こうして私達は出発しました。
それぞれの旅路へ向かって。
ホトメさんが見えなくなって、私は一人歩く旅路の途中で、先程ホトメさんから貰ったサンドイッチをかじりました。
「…美味しい。」
私の食べたサンドイッチは、確かに味がしました。
数日前、同じ用に歩きながら食べたサンドイッチの味がしなかった時から今日まで、何を食べても美味しさを感じなかった私。しかし、今私が食べているサンドイッチからは、たしかに濃厚なマヨネーズの味と相性抜群のツナの味、そしてほんのり甘いスイートコーンの味がしました。
私はそれを、涙を流しながら食べ続けました。
昨日見た夕日も綺麗でした。今日食べているサンドイッチも美味しいと感じました。
きっとホトメさんが、私の心を救ってくれたのです。
ホトメさんは絶望のどん底にいた私を救ってくれて、私の家出の旅にかすかな希望を抱かせてくれました。私はホトメさんが向かった街の方を振り返り、言いました。
「ありがとうございます。ホトメさん。」
そしていつかホトメさんに再会できる日を心待ちにして、今日も家出の旅を続けるのでした。
私はこれからも家出を続けていきます。
家出の旅は、終わりの見えない長き旅路です。家に帰っても私の好きな家族はいない、托卵の帽子を使って托卵の家族を転々とする日々は精神的にとても苦痛。私にとっては帰ることも、進み続けることも苦痛の旅ですが、私はこれからも歩み続けます。たとえそれが間違いだとしても、私はこれからもこの托卵の帽子と共に進んでいきます。
この先、私の旅路ではどんな困難が待ち受けているのでしょうか?
私がいない日々を、私の家族はどのように過ごしているのでしょうか。
それは私には分かりません。
いえ、私には知ったこっちゃありません。
私の『托卵の旅々』は、まだ始まったばかりです。
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