010 水ぶくれ

「足の裏に原因があると思ったが、まさか水ぶくれだとはな」


「この程度なら何も問題ないから!」


 そう主張する伊織に対し、俺は首を振った。


「今はこの程度でも無理に歩けば悪化する。今日はもう家で休め」


「嫌だよ、そんなの気が引けるし!」


「悪いけどこれは命令であってお願いじゃない」


 俺はノコギリを地面に置いて伊織を抱き上げた。

 実に見事なお姫様抱っこが決まるはずだったが、現実は違う。


「ぐっ……思ったより重いな……!」


 キリッと直立するのが難しかった。


「ちょ! 酷ッ! 私、太ってないよ! むしろ細いくらいだし!」


「分かっているよ。問題は俺の非力さだ」


 伊織の身長は150後半。おそらく157とか。

 細身といえども体重は40kgを超えている。

 ヒョロガリの俺には厳しい重さだった。


「自分で歩くから大丈夫だよ」


「いや、家まで運ぶ! 回復するまで一歩も歩かせないぞ!」


「うぅぅぅ……じゃあ、落とさないでね?」


 伊織が俺の首に腕を回す。

 俺が直立できていれば画になるシーンだ。

 実際は腰が前にひん曲がっていてクソダサい。


「うおおおおおおおお!」


 俺は吠えながら大地を踏みしめていく。

 一歩、また一歩と進み、開きっぱなしの扉を抜けて家の中に。


「おりゃああああああああ!」


 声に反する慎重さで丁寧に伊織を寝かせた。


「これ……これで……よし……休めよ……!」


 ぜぇぜぇと息を乱す俺。


「雅人君こそ休みなよ!」


 伊織が笑いながら言った。


「そうさせてもらおう。真夏の暑さも相まって死にそうだからな……!」


 外に出てノコギリを回収すると、俺も家に入った。

 えげつない勢いで噴き出る汗に呆れながら、伊織の隣に腰を下ろす。

 両手を床に突いた。


「ごめんね、足を引っ張っちゃって」


 俺の左手の甲に、伊織の右手が重ねられる。


「逆に俺が足を引っ張ることもあるだろうし、気にすることじゃないよ。それより足は大丈夫なのか?」


 伊織は「うん」と頷いた。


「原因は裸足でローファーを履いたことだと思う」


「靴擦れか」


「分からないけど、ソックスを穿いていれば大丈夫なはず!」


「今後はソックスの洗濯をしないでおくか」


 彼女が裸足なのはソックスを干していたからだ。

 それは俺も同様だった。


「最低でも三日に一回は洗濯したいなぁ」


「なら洗濯後にブンブン振り回して乾燥を促すか。夏の暑さですぐに乾くはず」


「それナイスアイディア! そうしよう!」


「まぁ冗談だけどな」


「え?」


 驚く伊織。


「だって今日か明日には救助されているだろ? だから洗濯する機会はもうないよ」


「あー、そっか!」


 そう言うと、伊織はどこか寂しそうな目をした。


「救助……もうちょっと遅くならないかなぁ」


「え?」と聞き返す俺。


「1週間くらいここで過ごしたいなぁって思ったの。ずっと都会で過ごしてきたからかもしれないけど、非日常感が凄くて楽しくてさ。雅人君と一緒なら何だってできそうな気がするし」


 俺は何も言わずに顔を逸らした。

 嬉しさからくる気持ち悪いニヤけ顔を隠すためだ。


「たしかにここでの生活は楽しいけど、1週間もバナナとリンゴばっかり食べるなんざ俺はごめんだぜ」


「あー、それは私も嫌! やっぱりすぐに救助されたい!」


「ははは。ま、もうじき夏休みだ。救助された後に田舎の山にでも行けばいいさ。それならここと似たような生活をできるはずだ」


「いいね! その時は雅人君も付き合ってね?」


「えー、俺は冷房の効いた部屋で快適に過ごしたいなぁ」


「ダメでーす! 無理矢理にでも連れていくから!」


「仕方ないなぁ」


 二人して笑う。

 十分に回復したので、俺は「さて」と立ち上がった。


「そろそろ竹の伐採に行ってくるか」


「一人だけずるい!」


「文句があるなら怪我を治すことだな!」


 伊織は「ぶー」と頬を膨らませた。


「すぐに戻ってくるから大人しくしていろよ」


「分かった! でも、絶対に戻ってきてね。猛獣に襲われて一人だけ死んじゃダメだよ?」


「それは保証できないな」


「保証してくれないと歩き回っちゃうよ! 水ぶくれが壊れて化膿して足が腐るくらい歩き回ってやる!」


 とんでもない脅迫だ。

 俺は「なんて女だ」と苦笑いを浮かべた。


「じゃあ保証するよ。ちゃんと戻ってくるから大人しくしていろよ」


「よろしい!」


「やれやれ」


 俺は壁に立てかけてあるノコギリを手に取った。


 ◇


 遠目から見えていたので分かったが、竹林の面積は狭かった。


「ノコギリが手に入ったのは大きいな」


 鉈や薪割り斧で竹を伐採するのは面倒だし危険だ。

 ノコギリのおかげで作業が快適だった。


「戻るとしよう」


 釣り竿用の細い竹と、別の用途で使う太い竹を持ち帰る。

 左肩に担いで来た道を引き返した。


 ◇


「約束通り戻ったぞー!」


「おかえりー!」


 家に着いたらまずは伊織を確認する。


「お、ちゃんと言いつけを守って大人しくしていたようだな」


「めちゃくちゃ退屈だったけどね!」


 伊織は家を発つ前と同じ場所に座っていた。

 たしかに退屈そうだ。


「エロ本を持ち帰っておくべきだったな」


「いらんわ! ……って言いたいけど、本当にエロ本でも何でもいいから暇つぶしになるものがほしかった! こんな時スマホがあればなぁ」


「ネットに繋がっていなくても多少はできることがあるもんな」


「そうそう!」


 しばらく伊織と雑談する。

 それから釣り竿の製作を始めた。


「見えるか?」


「うん、見えるよー!」


 俺は家の外にいて、伊織は中から様子を眺めている。


「ではまずは竿の製作だ!」


 伐採した細い竹を適当な大きさにカットする。


「はい、竿の完成」


「早ッ! てか竹をカットしただけじゃん!」


「おう! 竿なんざそれでいいんだ。というかそれしか知らん!」


「あはは」


「というわけで、次は糸だ」


「私が一番楽しみにしていたやつ! 植物を使うんでしょ?」


「そうだ。茎の部分を加工する」


 植物から糸を作る方法は簡単だ。

 茎の表皮を剥いて、それを水で洗い、平らな板に置いてこそぐ。

 専用の道具があればいいが、この場にないためマイナスドライバーを使った。


「あとはこれを乾燥させたり何だかんだしたりする」


「何だかんだ!?」


「俺はその辺をショートカットするから詳しいことは知らん!」


 こそぎ終えてペラペラになった皮を手で細かく裂く。

 それをり合わせたら糸の完成だ。


「ほら、できたぜ」


「すご! 雅人君、本当に植物から糸を作っちゃった! 手品みたい!」


「手品ならいいが、実際には首が痛くなるほどの地味な作業の賜物だ」


「だねー」と笑う伊織。


「ちなみにこの糸、手抜きだから強度は微妙だ。釣りに使うとあっさり切れるかもしれない」


「ダメじゃん!」


「そこは神頼みでカバーだ! 強度が必要なら蜘蛛にでも頼むしかねぇ!」


「あはは」


 これで釣り竿と釣り糸はできた。

 残るは釣り針だが――。


「釣り針は面倒だから市販品で済ませよう」


 俺は工具箱から釣り針の入った小袋を採りだした。

 作業小屋には釣り針と釣り糸、もっと言えば竹竿もあったのだ。


 竿は置いてきたが、釣り糸と釣り針は頂いてきた。

 ただし、釣り糸は経年劣化しているので使えるか分からない。


「釣り針に釣り糸を結んで――完成!」


 俺は自作の竹竿を持って「ドヤ!」とドヤ顔で言った。


「おー!」


 伊織が拍手する。


「雅人君、私も自分の釣り竿を作りたい!」


「いいよ。そう言うと思って材料は用意してある」


「さすが!」


 二人で伊織の釣り竿を作った。

 彼女は俺より器用なので、俺よりもクオリティの高い物ができる。


「でーん! 二階堂伊織の釣り竿であーる!」


「でーんという効果音は意味不明だが仕上がりは完璧だな」


「ふふふ!」


 釣り竿が完成したら、俺は別の物を作り出した。

 持ち帰った太い竹を適当なサイズにカットしていく。


「雅人君、何を作っているの?」


「これはここでの生活を快適にするための道具さ」


「生活を快適にするための道具?」


 俺は「そうだ」と頷いた。


「これの名は――」

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