034 生還

 死んだ。

 今度こそ間違いなく死んだ。

 そう思ったが、驚くことに死んでいなかった。


「ここは……!」


 意識が急速に覚醒していく。

 視界に入ってきたのは無機質な天井だった。


「起きた? 雅人君」


 左から声が聞こえる。


 顔を向けると、伊織がいた。

 綺麗な医療用ベッドに仰向けで寝ている。

 左手には点滴が刺さっていた。


 それは俺も同じだ。

 ただし、俺の点滴は右手に刺さっていた。


「伊織……?」


「思ったより早いお目覚めだったね! あと数時間は寝ているかと思ったよ!」


 伊織がニッと笑う。


「ここはどこだ? 病院か?」


 周囲を見渡す。

 なんとなく病室には見えなかった。

 ナースコール用のボタンなどがないからだろうか。

 ベッドと点滴が場違いのような場所だ。

 ……という俺の推測は当たっていた。


「ここは船の中だよ」


「船?」


「海上保安庁の船。救助されたの、私たち」


 そのセリフを聞いて思い出す。

 意識が途切れる直前、俺は大きな船を見た。

 あの船が海保の巡視船だったようだ。


「どうして海保が?」


「雅人君のかけた電話のおかげだよ」


「電話……? あの二人で『助けて』って喚きまくったやつか?」


 伊織は「そうだよ」と笑った。


「海保の人が言うには、あの電話をかけた時点でこっちの情報が自動的にGPSで検知されていたんだって。だから救助に来ることができたの」


「なるほど」


 納得しつつ、思ったことを口にした。


「それにしては都合のいい登場だな。死ぬ寸前に現れるなんて」


 嫌味のような言い方になったが、決して嫌味ではない。

 あまりにも最高のタイミングだからそう感じただけだ。

 まるでドラマや映画のようだ、と。


「本当はもっと早く救助される予定だったんだって」


「どういうことだ? 死にそうになるまで眺めていたのか?」


 伊織は「なわけないでしょ」と吹き出した。


「私たちを見つけるのに苦労したんだって。雅人君がスマホを落とした状態で泳いじゃったから」


「そうか、相手が分かるのはスマホの場所であって俺たちの場所じゃないもんな」


「そうそう。で、そのスマホは海に落ちたせいで切れちゃったらしくて」


「ふむ」


「あと天候もね。普段はヘリで駆けつけるらしいんだけど、暴風雨のせいでヘリが動かせないから船になったの。それも遅くなった理由って言ってたよ」


「そうだったのか」


「そんなわけで今は本土に向かっている途中。着いたら病院に搬送されるんだって」


「なるほど」


 俺は天井に向かってため息をついた。


「良かれと思ってとった行動が裏目に出たんだな」


「泳いだこと?」


「ああ。大人しくプカプカするのが正解だった」


「それは結果論でしょ」


 伊織はきっぱり断言した。


「スマホが落ちた時点では海保の人が来るなんて分からなかったんだから。その状態で漂っているだけとか、生きるのを諦めたも同然だよ」


「そうだけど……なんか悔しいな。通話が繋がった時点で場所を特定されていると知っていれば最善の行動を選択することができたわけだし」


「責任感の強い男だなぁ!」


 伊織が「やれやれ」と呆れたように笑う。

 その時、扉の開く音が聞こえた。


「お! もう目覚めたのか!」


 誰かが近づいてくる。

 面識のない大人の男だった。

 海保の人間だ。


「君を助けたのは俺だぜ! 生きていて何よりだ!」


「それはそれは……ありがとうございます」


 男がニィと微笑む。

 最初は若く見えたが、よく見ると年を食っている。

 おそらく30半ばだ。


「おい! みんな! 一ノ瀬少年が起きたぞ!」


 男が振り返って叫ぶ。

 すると、ぞろぞろと他の隊員がやってきた。


「もう目が覚めたのか!」


「すごい精神力だな!」


 隊員たちは俺を囲み、口々に賞賛の言葉を浴びせてくる。


「二階堂さんから聞いたよ。君、彼女を負ぶって泳いだんだって?」


「かっこよすぎるだろ!」


「水泳が得意なのかい?」


「それより無人島で生活していたんだって?」


「すごいなおい!」


 俺は苦笑いを浮かべた。


「そんな一気に言われても分からないですよ」


 隊員たちは「たしかに」と黙った。

 そして、俺を救助したという男が皆を代表して言った。


「一ノ瀬君、よく頑張ったな。君の頑張りは決して無駄にならなかった。あとは俺たちに任せてゆっくり休むといい」


 その言葉によって、遅くながら助かったという実感が湧く。


「はい……! ありがとうございます……!」


 この上ない安堵と喜びが込み上げてきて、自然と涙が溢れた。


 ◇


 その後、海保の巡視船は問題なく本土に到着。

 俺たちは救急車に乗せられて病院へ搬送された。

 病院では精密検査が行われ、さらに1週間の入院が言い渡された。


 俺と伊織は二人きりの部屋を与えられた。

 本当は四人部屋だったが、フリーのベッドに別の患者が来ることはない。

 それには理由があった。


「見て見て雅人君! また私たちの話だよ!」


「やれやれ、日本のマスコミってのは同じ話ばっかり報じて飽きないものなのか」


「まーた大人ぶっちゃって! 嬉しいくせに!」


「ふふ、分かっちゃう?」


「顔に書いているからバレバレでーす!」


 俺たちの生還は連日に渡ってテレビで取り上げられたのだ。

 無人島で1週間以上も過ごしてから帰還した二人組の高校生として。

 伊織のルックスがアイドル顔負けであることも話題に拍車を掛けていた。


 盛り上がっているせいで病院はてんてこ舞いだ。

 忍び込んで俺たちに取材を試みようとする記者が後を絶たない。

 また、一目見ようと他の患者が接近を試みることもあった。


 そのため、今では病室の前に警察官が立っている。

 そうでもしないとかえって俺たちの身が危ないからだ。


「俺たちに関するニュースを観る度、俺はなんとも言えない気持ちになるんだ」


「またいつものセリフを言うの?」


「いつものって?」


「未成年の犯罪者は顔にモザイクが入るのに俺たちの顔は晒すのかよってやつ!」


 俺は「ふっ」と笑った。


「それもあるけど、今回は別件でなんとも言えない気持ちになっていた」


「というと?」


「俺たち以外は無事だったことさ」


 無人島へ漂着するきっかけとなった海震。

 あの時、10人以上の生徒が海に投げ出された。

 その中で海を漂う羽目になったのは俺と伊織だけだったのだ。

 他の連中は問題なく船に戻っていた。


「めでたしめでたしでよかったじゃん!」


「そうなんだけど、俺はてっきり多数の行方不明者が出たものかと思っていたからさ」


「死んでいてほしかったってこと?」


「違うよ。無事なのはよかったよ。ただ何で俺たちだけが死にかけないといけないんだと思ってさ。言い換えるなら『神様の不公平野郎!』みたいな? そんな感じだ」


 伊織は「あはは」と笑った。


「その気持ちは分かるなー。でも、私は別の捉え方をしたよ」


「というと?」


「私たちだけが貴重な経験をさせてもらえて、『神様ありがとう!』みたいな?」


「死にかけたのにポジティブだなぁおい」


「だって死にかけたけど死んでないじゃん? それに大きな怪我もしていない。だから残ったのは幸せだけ! 無人島に漂着してから脱出するまでの経験は普通の人生じゃ絶対に味わえないし、雅人君とも今みたいな関係になることはなかった!」


「たしかに」


「だから私は運が良かったと思うの。他の人に比べて私たちだけがことさらに幸運だったんだなって!」


「ま、ネガティブに捉えてああだこうだ文句を言うより、馬鹿みたいだが伊織の言うような捉え方のほうがいいわな」


「馬鹿みたいってなんだー! 馬鹿みたいって!」


「ははは」


 大した怪我がなかったこともあり、入院生活は楽しく過ごせた。


 ◇


 それから数日が経ち、俺たちは退院日を迎えた。

 医師の最終チェックが終わり、これで晴れて自由の身だ。

 病室にて、病衣から洗濯済みの制服に着替える。


「雅人君、家に帰ったら何する予定?」


「とりあえず両親と話すと思う。まだ声すら聞けていないし」


 報道や検査の影響により、俺たちは面会を制限されていた。

 しかも、病室には通信機器が何もない。

 故に電話することもできず今に至っている。


「エントランスで待っているんじゃない?」


「それもそうか。なら家に帰る前に話せるな」


「でしょ!」


 話しながら病室を出る。

 そのままエレベーターに向かおうとするのだが。


「一ノ瀬雅人君と二階堂伊織さんですね?」


 正面から渋い顔のおっさんがやってきた。

 警察官が敬礼しているところを見ると警察関係者だろう。

 しかし制服ではなくスーツを着ている。


「そうですけど、そちらは……?」


「私は刑事の笹岡と申します」


 男が警察手帳を見せてきた。

 何課か確認する前に閉じられてしまう。


「「刑事……」」


 俺と伊織の顔が曇る。

 内心は不安でいっぱいだった。

 悪いことをした自覚はないけれど、刑事が相手ならそうなる。


「お疲れのところ申し訳ないのですが、これから署でお話を聞かせていただいてもよろしいでしょうか?」


「それって……いわゆる事情聴取ってやつですか?」


 俺が聞き返すと、笹岡は「はい」と真顔で頷いた。

 彼は任意と言うが、雰囲気は明らかに強制である。

 路上で受ける職務質問と同じだ。


(ようやく助かったと思ったら今度は何だ!?)


 俺はそう思ったし、伊織の顔にもそう書いていた。

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