006 飛行機

 小型の飛行機が空を飛んでいる。

 俺たちは猛ダッシュで小屋に戻った。


「おーい!」


「助けてくださーい!」


 飛行機に向かって必死に叫ぶ。

 分かってはいたが、この声は届いていなかった。


「あああああ! 飛行機がどっか行っちゃうよ!」


「まぁ仕方ないさ」


 落ち込む伊織と違い、俺は平然としていた。


「飛行機が助けに来てくれるとは最初から思っていない」


「そうなの?」


「だって飛行機じゃ着陸できないだろ、この島に」


「あ……!」


 伊織も気づいたようだ。

 冷静な状態だったら最初から分かっていただろう。

 分からなくなるほど心が躍っていたわけだ。


「大事なのは飛行機のパイロットや乗客が煙に気づくことだ。気づいたら俺たちに救助ヘリを要請してくれるかもしれない」


「なるほど!」


「ま、結果は明日までに分かるさ。気づいていれば明日中には救助が来る。早ければ今夜にでも助かるぜ」


「おお!」


 伊織の目に輝きが戻る。


「事態が良い方向に転ぶことを祈って小屋に入るとしよう」


「そうだね!」


 伊織は小屋の扉を開けた。

 しかし、入らずにこちらに振り返る。


「雅人君、ありがと!」


「何がだ?」


「落ち着かせてくれて」


「……というと? 何かしたっけ?」


 自覚がなかった。


「冷静且つ前向きでいてくれるじゃん! おかげで私も落ち着けたの。さっき、一瞬だけど不安に押し潰されるかと思ったもん」


 説明されても今ひとつ分からない。

 とりあえず冷静に対応したのがウケたようだ。

 それだけは分かった。


「それならよかったよ」


 伊織は「うん!」と笑顔で頷いた。


 ◇


 無人島で食べる初めての晩ご飯は果物だ。

 昼に食べたリンゴの他、バナナなどの見知った物を選ぶ。


「さすがに果物だけだと飽きるな……」


「だねぇ」


 そのまま囓ったり、火で炙ったり。

 色々な食べ方を試すが、所詮は同じ果物である。

 原始的な調理法では味に大差なく、すぐに飽きてしまった。


「「ごちそうさまでした!」」


 空腹を満たしたら食事を終了する。

 その頃には既に日が暮れて真っ暗になりつつあった。

 あと10~20分もすれば完全な夜になるだろう。


「あー風呂に入りてぇ」


「私も! 体がベトベトだよ! それに服も洗濯したい!」


 布団の上に倒れ込む伊織。


「風呂は無理だが服の洗濯ならできるよ」


「ほんと!?」


 寝転んだばかりの伊織が体を起こした。


「そりゃ脱いだ服を井戸水で洗うだけだからな。洗濯用かは分からないがタライならそこにある」


 俺は道具箱を指した。

 タライが立てて収納されている。

 さほど大きくないので、何度かに分けて洗う形になりそうだ。


「でも洗濯したら着る服がなくなるよ。もしかして裸で過ごせってこと!?」


「それでもいいけど、着替えならタンスにあったよ」


 俺はタンスを開き、中から長方形の大きな布を取り出した。

 真ん中の部分に円形の穴が開いている。


「これだ」


「ただの布じゃん!」


「俺も最初はそう思ったが、これは〈貫頭衣かんとうい〉だよ」


「貫頭衣?」


「縄文時代の服さ」


 俺は実際に着てみせた。

 着方は非常に簡単で、穴に頭を通すだけだ。

 そして、同じくタンスに入っていた紐で腰を縛る。

 ベルトの代わりだ。


「こんな感じ」


「ほんとだ! 教科書で見たことある!」


「だろー」


 貫頭衣は四着ある。

 サイズはどれも同じで、身長172cmの俺には小さめだ。

 腰紐も心なしか短いように感じた。

 おそらく一回り背の低い人間が着ていたのだろう。


「これを着たら裸にならなくても制服を洗濯できるぜ」


「じゃあ洗濯しよ! スカートまで汗でベトベトだし!」


 俺たちは貫頭衣に着替えた。

 制服を脱ぐ必要があるため、俺も着直す。


「この布、肌触りがあんまり良くないね」


「まぁ贅沢は言えないさ。バブル期の遺物だしな」


「だね!」


 脱いだ衣類をタライに入れて外に出る。

 日が暮れていても井戸の周辺は明るかった。

 近くで狼煙や土器の焼成が行われているからだ。


「私が井戸の水を出すから、雅人君は衣類を綺麗に洗う係ね!」


「洗濯係ってことだな、了解」


「ついでに洗い終わった衣類を干す係もね!」


「なんか作業量に偏りがないか?」


 苦笑いを浮かべる俺に対し、伊織は「それはですねぇ」とニヤけた。


「理由は二つあります!」


「というと?」


「一つ! 私はもうヘトヘトなので働きたくありません!」


 俺が何も言う前に、伊織は「二つ!」と続けた。


「今の私は手押しポンプで水を汲むのにハマっています!」


 俺は「ふっ」と笑った。


「そんなわけでよろしくね! 雅人君!」


「はいよ」


 まずは伊織の衣類から洗う。

 シャツと肌着をタライの中で手洗い。


「前に母親に聞いたことがあるのだが、ひとえに手洗いと言っても色々な方法があるそうだ。揉み洗い、つまみ洗い、押し洗いだったかな」


「揉み洗いとつまみ洗いは聞いたことある! どうやるか分からないけど!」


「俺もさっぱり分からないから適当でいいだろう」


 あまり力を強くし過ぎたら服が破れかねない。

 だから軽い力で服を揉んだ。

 揉んでいるから揉み洗いをしているのだろう。たぶん。


「こんなものか」


 洗い終わった洗濯物は物干し竿に干していく。

 これは小屋の裏に置いてあったものだ。

 撮影時は見えないように隠していたらしい。

 俺たちも資料を読むまで存在に気づかなかった。


「次も伊織の衣類か」


「なんなら雅人君の服も一緒に洗ってくれていいよ」


「いや、分けて洗うよ」


「そんなに私と一緒じゃ嫌なの?」


「そ、そうじゃなくて!」


「分かっているよ。私に気遣ってくれたんでしょ?」


 伊織がクスクスと笑った。

 釣られて俺も「やれやれ」と笑う。


(それにしても……)


 次の洗濯物は躊躇せざるを得なかった。

 スカートやソックス、それにパンティーとブラもある。


「本当にいいのか? その、パ、パパ」


「パンティー?」


「うん」


「いいよー! 友好の証!」


「なんだそりゃ」


 と言いつつ彼女の下着を洗う。

 俺は変態ではないはずだが、それでも妙に興奮した。


(そういえば……)


 チラりと伊織を見た。

 彼女は楽しそうに井戸のハンドルを動かしている。


(伊織って全裸の状態で貫頭衣を着ているんだよな……)


 改めて考えるとすごい状態だ。

 冷静になるとムラムラしかねないので気を逸らす。


 貫頭衣でムラッとしたら一大事だ。

 今日一日かけて築いた信用が崩壊してしまう。


「どうしたの? 雅人君」


「いや! なんでも!」


 俺はキュッと目を瞑り、死ぬ気で洗濯を乗り切った。


 ◇


 洗濯が終わればあとは寝るだけだ。

 時刻は20時過ぎとかそんなところだろう。


 普段なら「夜はこれから」とウキウキしている。

 だが、今日は疲労困憊で眠くて仕方なかった。


「じゃあ、寝るか……!」


「うん……!」


 ここでも問題発生。

 布団が一つしかないのだ。

 しかも小屋の中は狭い。


 そこで俺たちは布団をシェアすることにした。

 互いの背中を合わせるようにして体を外に向ける。


「お、おやすみ、伊織……!」


「おやすみ、雅人君……!」


 俺ほどではないが、伊織の声にも緊張の色が窺える。

 男子と同じ布団で寝るのだから当然だろう。


(疲労による強烈な眠気とこの状況による興奮、どっちが勝るか)


 俺は目を瞑り、どうにか寝ようと頑張る。

 だが、寝ようとすればするほど、嫌なほど頭が冴えていく。


 同じ布団であることもさることながら服装もまずい。

 就寝の邪魔になるため互いに腰紐を解いている状態なのだ。

 感覚的には裸と大差なかった。


(変なことを考えるな一ノ瀬雅人、AVじゃないんだぞ!)


 必死に念じて目を瞑る。

 その甲斐があり、次第に脳が落ち着き始めた。

 睡魔に体を委ねようとする。


 しかしその時――。


「えっ」


 ――突如、伊織が体を反転させた。

 背後から抱きついてきたのだ。


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