021 海の二人組

 砂浜に打ち上げられた二人組は、格好から男女だと分かった。

 俺たちと同じ学校の生徒ではない。

 そして――。


「確認するまでもなく死んでいるな」


 生きていなかった。

 一目でそう分かるのには理由がある。


「本当に人なのかな? 理科室の模型とか……」


「さすがにそれはないだろう、服を着ているし」


 二人組の遺体は白骨化していたのだ。

 腐敗の段階を超えて骨と化し、死臭すら消え失せている。

 死後数年、いや、ともすれば10年以上も経っているかもしれない。


(それにしてもこの付近は……)


 妙に流木が多い。

 遺体の周囲に大小様々な流木が散乱していた。


(まるで脱出に失敗して溺死したかのようだ)


 もちろん口には出さない。


「どうしよ、雅人君」


 伊織は判断を求めて俺を見る。


「やるべきことは決まっている」


 俺は遺体の傍で屈んだ。

 そして、おもむろに遺体の服を脱がせていく。


「服をもらって帰ろう」


「え、死んでいる人から服を奪うの?」


「そうだ。俺たちの衣類は制服と貫頭衣しかないんだ。可能な限り衣類は多いほうがいい。有効活用させてもらおう」


「うん、分かった」


 伊織は真剣な顔で頷き、女性と思しき遺体から服とスカートを剥ぎ取った。


「雅人君、下着はどうする? できれば死んだ人のパンティーは避けたいんだけど……」


「穿かずとも別の用途に使えるかもしれないから持って帰ろう」


「了解」


 黙々と作業を進める。

 さすがに遺品を奪う作業をしている時に軽口は叩けない。


「なんだかんだで一式いただいたな」


「だね」


「お詫びにはならんが埋めてあげよう」


 波の届かない砂浜に遺体を埋める。

 できれば土を掘りたかったが、道具も体力もない。

 二人の関係性は不明だが抱き合わせておいた。


「どうか安らかに」


「遺品いただきます」


 埋めた場所に向かって祈りを捧げると、遺品を回収して帰路に就いた。

 空気が重い。


「ねぇ、雅人君」


 北の森に入ろうとした時、伊織が話しかけてきた。

 俺は「ん?」と彼女を見る。


「脱出に失敗したら、私たちもあんな風になるのかな?」


 失敗したら死ぬのかな、と彼女は言っている。


「そりゃ失敗したらあんな風になるだろう」


 そこで言葉を句切ると、俺は「だが」と続けた。


「俺たちは失敗しない。だからあんな風になることもないさ」


「ほんと?」


「確信はないが自信はある。なんたって俺は苗字にカタカナの付く稀有な存在だからな」


 強がりな笑みを浮かべて伊織の頭を撫でる。


「雅人君がそう言うなら絶対に成功だね!」


 釣られて伊織も笑った。


 ◇


 家に戻った俺たちは、回収した衣類を洗濯した。

 輪切りのレモンが浮かぶタライの水で丁寧に手で洗う。

 レモンは洗剤の代わりになれば、と伊織が取ってきた。


「死臭がこびりついていないのは何よりだった」


 服は海特有の臭さはあったが、他の臭いは全くなかった。


「洗濯物が増えてきたねー」


「これ以上増えたら物干しを拡張することになりそうだな」


 洗濯物を干し終えたら昼休憩を取る。

 といっても、バナナとリンゴを軽く食べるだけだ。

 そこまでお腹が空いていなかった。


 海から戻る途中にたくさん食べたからだ。

 北の森にはトマトやサクランボ、イチゴやマスカットがあった。


「食べた食べた!」


 井戸水を飲んでいると、伊織が頭に触れてきた。

 リンゴの甘い香りがする手で髪をワシャワシャしてくる。


「なんだ?」


「ふっふっふ、リンゴベタベタ攻撃ー!」


「……ガキか?」


 呆れて苦笑いを浮かべる俺。

 その反応に満足したのか、伊織は「シシシ」と笑った。

 笑い方がいつもと違う。


「いよいよマジで暑さによる脳へのダメージが気になってきたな」


「私は雅人君の冷静ぶりのほうが気になるよ!」


 伊織は両手を揃え、井戸の前に出す。

 井戸水を出してほしいみたいなので、俺はハンドルを操作した。


「そんなに冷静じゃないと思うけどなぁ」


「いやいや、めっちゃ冷静じゃん! 海で死体を見つけた時も迷わず衣類を回収していたし! 私思うもん、雅人君って半分はロボットなんじゃないかって!」


「だったらいいんだけど、残念ながら人間だよ。だからしばしば冷静さを欠いているよ」


「そう? 例えば?」


「猛獣に襲われた時とか」


「それは例外!」


「他は……特にないかな」


 嘘、本当はある。

 ドキドキ・ムラムラしている時だ。

 主に就寝時が該当する。

 しかし、さすがにそれは言えない。


 何も知らない伊織は「でしょー!」とドヤ顔。


「ま、雑談はこの辺にして次の作業をしよう」


「イエッサー! 隊長、次は何をしますか!?」


「脱出に備えて〈かい〉を作ろうと思う!」


「かい? ホタテ?」


「貝殻の貝ではなく、道具の櫂だ」


「櫂って何!?」


「舟を漕ぐための道具……いわゆる〈オール〉や〈パドル〉のことだ」


「だったらそう言えばいいじゃん!」


「日本人なので日本語で言ってみた」


「私が分からないことを見越して意地悪したんでしょ!」


 図星だ。

 俺は「ふふふ」と笑って誤魔化した。


 ◇


 櫂を作る作業が始まった。

 ノコギリで木を伐採し、様々な工具で形を整えるだけだ。

 言葉だと一言、文だと一行で済むが、実行には膨大な時間を要する。


「ところで、オールとパドルってどう違うの?」


 伊織が尋ねてきた。

 家の前で、伐採した細い木を加工している時のことだ。


「一緒だよ。パドルはフィンランド語で、オールは英語なだけだ」


「そうだったんだ!」


「嘘だよ」


「え?」


 伊織のかんながけが止まる。


「だから今のは嘘だ」


「なんで嘘ついたし!」


「伊織と同じく暑さで頭をやられたのかもしらん」


 伊織は「もー」と牛のように唸った。


「で、実際はどう違うの? 物知り雅人君も知らない?」


「もちろん知っているよ。物知り雅人君だからね」


「じゃあ教えてよ」


 俺は「仕方ねぇなぁ!」と大袈裟に言った。


「違いは支点の有無だ」


「支点?」


「オールは舟に固定して使う。つまり支点がある」


「パドルにはないの?」


「そうだ。パドルは手で持って使う。この性質の違いから、オールは針路に対して後ろ向きで漕ぎ、パドルは前を向いて漕ぐ」


「へぇ! じゃあ私たちが作っているのはパドルになるのかな?」


 俺は「そうだな」と頷いた。


「オールと違って舟に固定する予定はないしパドルになる」


「さすが物知り雅人君! タメになるなぁ! 学校に戻ったらみんなに自慢しちゃおっと!」


「たぶん普通の人は知っていると思うよ」


「知らないから! すぐに私のことを馬鹿にするんだから!」


 そう言うと、伊織は鉋がけを終えた。

 話しながら作っていたパドルが完成したのだ。


「思ったより時間がかかるねー。パドルを1本作るのにどのくらいかかった?」


「今の時刻は15時過ぎだから3時間弱ってところだな」


「なんで正確な時間が分かるの?」


「俺の体内時計がそう告げている」


「つまり適当ってことね!」


 俺は「まぁな」と笑った。


「これを最低でもあと3本は作ることになる。なかなか大変だ」


「舟も作る必要があるし、数日がかりの大仕事だねー」


 伊織は鉋を地面に置き、竹のコップに井戸水を入れようとする。

 しかし――。


「あれ?」


 首を傾げながらハンドルを動かす伊織。


「雅人君、水が出ないんだけど」


「え?」


 伊織に代わって手押しポンプのハンドルを動かす。

 しかし、どれだけ頑張っても水が出てこない。


「まずいぞ、生命線の井戸が壊れやがった!」


 俺たちの顔が真っ青になった。

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