024 暴風雨

 とてつもない豪雨だ。

 先ほどまで小雨すら降っていなかったのに。


 しかも風まで強い。

 豪雨の音に負けないくらい暴風の音が自己主張している。


「起きろ伊織! 暴風雨だ!」


 俺は慌てて伊織を起こした。


「嘘!? さっきまで晴れていたじゃん!」


「外にあるものを入れる! 手伝ってくれ!」


「分かった!」


 俺たちは全裸で外に出た。

 外には洗濯物に土器、それに薪もある。

 夜目が利いていて月の光もあるためよく見えた。


「服が飛んじゃう!」


 伊織は真っ先に洗濯物を取り込もうとした。

 洗濯ばさみ等で止めていないから焦ったのだろう。

 悪くない判断だ。


「食糧は任せろ!」


 俺は土器を家の中に運び込む。

 水瓶と果物はどちらも必要不可欠だ。

 暴風雨が続いた場合、引きこもり生活になってしまう。


 薪は後回しにした。

 使用場所が家の外に限られているからだ。

 暴風雨の間は使えないため、飛ばされても問題ない。


「パドルも持ってきたよ!」


「とりあえず必要な物は中に入れたな」


 起きたら着ようと思っていた貫頭衣で体を拭く。

 それから半裸で活動していたため使わずにいた服を着る。


「なんなのこれ! 台風!?」


「分からん。この時期は天候が急変しやすいから何とも言えないな」


 自信を持って言えるのは、非常に危険な状況ということだ。

 雨に打たれた俺たちの体調や食糧云々よりも家の状態が気になる。

 ずっとミシミシと鳴っているのだ。


 ただでさえ30年以上も前に立てられた家だ。

 しかもロケ用だから耐震構造もへったくれもないだろう。

 喩えるなら大きな木箱を土の上に置いただけのようなもの。

 当然ながら耐久性は低い。


「暗くて視界が優れない中でこの暴風雨は堪えるよなぁ」


 と言った時だった。

 一瞬、ピカッと視界が明るくなったのだ。

 そして――。


 ドゴォオオオオオオオオオオ!


 数秒後、島のどこかに雷が落ちた。

 耳をつんざくような雷鳴が轟き、衝撃で家が揺れた。


「きゃあ!」


 伊織は悲鳴を上げて抱きついてきた。

 いや、正確には抱きつくというよりも押し倒した。


「怖いよ雅人君、怖いよ」


 俺の体にしがみついて泣く伊織。

 互いに全裸であることを意識する余裕もなかった。


「大丈夫、俺が傍にいるから」


 俺は伊織の背中に腕を回した。

 そのまま彼女の頭を撫でて落ち着かせる。


「もうやだ、家に帰りたいよ……! お母さん……! お父さん……! ベンジャミン……!」


(ベンジャミン……? ペットの名前か?)


 気になったが、今は尋ねないでおく。


「大丈夫、帰れるよ。もう少しの辛抱だ。とりあえず今は寝よう。起きたら晴れているかもしれないから」


「うん……」


 伊織は離れようとしなかった。

 抱き合ったまま寝たいのだろう。

 そう判断した俺は、あえて何も言わないでおいた。


(クソ、気休めを言うことくらいしかできないのが歯痒いぜ)


 荒れ狂う天候に対し、人間ができることは何もない。

 ただただ自然の怒りが過ぎ去るのをジッと待つだけだ。

 俺は自身の無力さを痛感しながら、伊織とともに眠った。


 ◇


 翌朝。

 目を覚ました俺は、目を開けることなく絶望した。

 ザーザー、ピューピューという音が聞こえてくるのだ。

 暴風雨が続いていた。


「伊織は……まだ寝ているか」


 今日は俺のほうが早起きだった。

 彼女はスヤスヤと心地よさそうな寝息を立てている。

 夜と同じく、仰向けの俺に体を重ねた状態で。


(うお! そういえば裸だったんだ!)


 今さらながら全裸で抱き合っていたことを意識する。

 ひとたび意識すると、途端によからぬ妄想が脳によぎった。

 久しぶりのムラムラに安堵しつつ、現状には大いに焦る。


(起こさないように、そーっと、そーっと……)


 伊織を隣に寝かせる。

 呼吸を止め、慎重に、丁寧に。


「うぅぅぅぅぅ!」


 しかし、伊織がそれを拒否した。

 何が何でもマウントポジションを維持したいらしい。


(かくなる上はしかたない……!)


 俺は伊織の頬をツンツンと突いた。


「う……んん? もう朝ぁ……?」


 伊織の意識が覚醒していく。

 一方、俺は目を瞑り、寝ているフリをした。


「おふぁよぉ雅人君……って、何してんの私!?」


 伊織は慌てて飛び起きた。


「そっか私、昨日、雷が怖くて雅人君に抱きついちゃったんだ」


 何やら独り言を呟いている。


「まだ雨と風が酷い……」


 今度は天気を気にし始めた。


「どうしよ……。雅人君は眠っているし……あ!」


 何か気づいたようだ。

 ひたすら寝たふりを貫いているので何か分からない。


「へぇ、こんな形なんだ。マジマジと見たの初めてだなぁ」


 何やら呟いている。

 どうやら俺の下腹部の辺りにいるようだ。

 何を凝視しているのだろうか。ちゃぶ台かな?


「ちょっと触ってみても――」


「うおおおお! 起きたぁああ! おはよう、伊織!」


 これ以上は危険だ。

 そう判断した俺は慌てて寝たふりを解除した。


 ◇


 暴風雨は昼になっても続いていた。

 落ち着く気配もなく、絶好調で荒れ狂っている。


「いやぁ、実に暇ですなー」


 伊織はリンゴを囓りながらちゃぶ台を睨む。

 卓上には裏返しの資料と鉛筆が置いてある。


 暇なので五目並べで遊んでいた。

 碁石がないので手書きの○×で代用している。


「直前で食糧を備蓄しておいたのは不幸中の幸いだな」


 俺は竹のコップで水瓶の水をすくい、グビッと飲む。

 それから鉛筆を持ち、白石の代わりとなる×を書いた。


「じゃあ私はここに○っと! はい詰みー!」


「うお! いつの間に……」


「雅人君、五目並べ弱いなー!」


「伊織が強すぎるだけじゃないか? 世界チャンピオンになれるかもしれない。だとすれば、俺はその次に可能性もある」


「はいはい、屁理屈言っていないでもう1試合やるよー!」


「勝ちまくるほうは楽しくていいよなぁ」


「文句があるなら強くなれー! なっはっは!」


 俺は「やれやれ」とため息をついた。


 ◇


 五目並べでボコボコにされ続けて夜になった。


「こりゃ梅雨じゃなくて台風の影響かもしれないな」


 外は変わらず暴風雨。

 結局、今日はひたすら家にこもっていた。


「なんかもう家が揺れても気にならなくなったね」


「だなぁ」


 家は現在進行系で吹き飛びそうな雰囲気を漂わせている。

 壁や天井がミシミシ、ガタガタと揺れ続けているのだ。

 風の吹き方が悪い時は窓ガラスまでざわついていた。


「台風だったら明日もこんな天気だよね?」と伊織。


「その可能性は大いにある」


「だったら食糧が心配になってくるね」


「そうだな」


 特に水が問題だ。

 もはや水瓶の中は空に近い。

 明日も悪天候だった場合、雨風に打たれながら井戸水を汲むことになる。


「いざとなったら俺が外に出て作業するさ」


「雅人君だけに押しつけられないよ。私も手伝う!」


「ま、全ては明日の天気次第だ。今からあれこれ考えても仕方ない」


「だね!」


「そんなわけで今日はもう寝よう」


「了解!」


 俺たちは服を脱いで布団に入った。

 伊織がさりげなく手を繋いでくる。


「私さ、この島で寝る時、いつも雅人君にくっついているじゃん?」


「ああ、そうだな」


「だからね、ふと思ったの。日本に戻っても雅人君がいないと眠れないかもしれないなぁって」


 何度か擦っているため、「ここも日本だよ」とは言わない。

 彼女の言う「日本」が「本土」を指していることは分かっていた。


「なら日本に戻ったら同棲するか」


 俺は冗談を言って笑う。

 しかし、伊織の反応は俺の予想と違っていた。


「いいじゃん! それ最高!」


「え、マジで?」


「だって雅人君にはもう全てをさらけ出しちゃったからねぇ。私の裸だって見られている! 同棲したら普通に楽しめるんじゃない?」


「たしかに楽しめそうではあるが……」


「なにその反応! 自分で言っておきながら私との同棲は嫌なの?」


 伊織が手に込める力を強めた。

 思わず「うぎぃ」と声が漏れる程の力だ。


「そ、そうじゃないよ。ただ冗談のつもりだったから驚いたんだ」


「ふーん、冗談ねぇ。私は真剣に想像したのになぁ。がっかり」


 何だか拗ねた様子の伊織。


「仕方ないだろ。だって伊織みたいな女子との同棲なんて現実味がないんだからさ。真剣に想像しろってほうが無理だよ」


「私みたいなって?」


「わ、分かるだろ。可愛くて性格も良くて……いい女ってことだよ!」


 自分で言っていて恥ずかしくなる。

 それに対して、伊織の反応は――。


「そんな風に言われたら仕方ないなぁ! 許してあげよう!」


 とりあえず満足してくれたようだ。

 俺はホッと一安心。


「明日は晴れるといいね、雅人君! おやすみ!」


「あ、ああ、おやすみ」


 隣から伊織の「ムフフ」という嬉しそうな声が聞こえてきた。


 ◇


 暴風雨の一日が終わり、新たな一日が幕を開けた。

 無人島生活、七日目――。


「ん、うぅ……!」


 窓から差し込む陽光が顔に当たって目が覚めた。


(さすがに今日は晴れていてくれよ)


 そう祈りながら、寝ぼけ眼をこすって目を開ける。

 真っ先に天気を確認した。

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