013 釣り餌

「虫以外のエサって何があるの? この島に釣具屋さんなんかないのに」


 伊織は好奇心に満ちた目を向けてきた。


「それはだな――」


 俺は伊織を連れて川辺から移動した。

 徒歩で2分ほど。

 来た道を戻るように歩き、森の中で止まる。


「これだ!」


 そして、周辺の木々……ではなく、地面に転がっている果物を指した。

 厳密には野菜に区分される、大きな緑色の玉が特徴的なそれの名は。


「スイカ!」


 俺は「正解」と笑顔で頷いた。


「スイカが魚の餌になるの?」


「別にスイカじゃなくても果物や野菜ならエサになるよ。魚によって好き嫌いがあるし、必ずしも食べるとは限らないけどね」


「嘘ぉ!? 魚が果物や野菜を食べるの? 聞いたことないよ!」


 俺は「ふっふっふ」と笑う。


「漁師の間じゃ魚が果物や野菜を食うってのは有名な話だ。例えばクロダイは果物を食べることで知られている」


「そうなんだ! 知らなかった! 雅人君、何でそんなことを知っているの? まさか親族に漁師が!?」


「いや、テレビの受け売りだ」


 伊織がズコーッと転んだ。


 ◇


 美味しそうな大玉のスイカを持って川に戻ってきた。

 鉈を使って適当なサイズにカットする。


「川の中でポロポロするだろうから果肉を多めに付けよう」


 俺たちは川辺に並んで座り、釣り針にスイカの赤い果肉を刺す。


「こんな感じ?」


 伊織が確認を求めてきた。

 ビー玉を一回り大きくしたような果肉が針を覆っている。


「いい感じ……ていうか、本当に器用だな。俺より上手い」


「私にも見せ場がないとね!」


「ははは」


 空の土器に川水を汲んだら準備完了だ。


「では釣りを始めるとしよう」


 二人で糸を垂らす。

 川は浅くて透き通っているため中の魚がよく見えた。

 かなりの数が泳いでいるため、エサが合えばすぐに掛かるはずだ。


「釣れてほしいなぁ」


 伊織は右手で竿を持ち、左手でスイカを食べている。


「おいおい、魚のエサに手を付けるなんて悪い奴だな」


 と言いながら俺もスイカを食べる。


「このスイカ美味しいねー!」


「ぬるいおかげで甘味が強いよなぁ」


「スイカってぬるいと甘くなるの?」


「スイカがそうってわけじゃなくて、甘い物全般がそうだよ。甘味は体温に近いほど強く感じるものだ」


「そうなの!? じゃあアイスクリームもぬるくしたほうが甘いんだ!?」


「ぬるくしたら溶けるけどな」


「ダメじゃん!」


 俺たちは声を上げて笑った。


「本当に物知りだねー、雅人君。もしかして今のもテレビの受け売り?」


「いや、今のは親の受け売りだ」


 伊織が「あはは」と笑う。

 その瞬間、俺たちの釣り竿が同時にヒットした。


「「来た!」」


 俺たちはスイカを置いて立ち上がる。

 竿を両手で持った。


「竹がすごくしなってるよ! どうすればいいの雅人君!?」


「一気に引っ張れ! この竿にはリールも何もないんだ! 駆け引きなんかできねぇ! 力押しだ!」


「「うおおおおおおおおおおおおおお!」」


 糸が切れるのを覚悟で竿を強く引く。

 その結果、どちらの獲物も釣り上げることに成功した。


「やった! 釣れた! 釣れたよ雅人君!」


「俺もだ! 早く土器に入れよう!」


 もがく魚を土器の中にリリース。


「俺のは済んだぞ。伊織も早くやるんだ」


「できない……!」


 伊織、まさかの拒否。


「できないだと!?」


「だってめっちゃバタバタしていて怖いもん! 雅人君がやって!」


 俺は「やれやれ」と苦笑いを浮かべた。


「釣りに行こうと提案した人間のセリフとは思えないぜ」


「仕方ないじゃん! 釣った後のことは考えてなかったんだし!」


 俺は再び「やれやれ」と呟いた。


「それで、雅人君の釣った魚はなんて名前なの?」


 伊織が土器を覗き込む。


「これはたぶんイワナだな」


「おー。その魚がイワナなんだ?」


「イワナっぽい見た目だろ?」


「私にはさっぱり……。じゃあ、私の魚は? 別の種類みたいだけど」


 俺は迷わずに答えた。


「それはアユだな。そんな気がする」


「いや絶対に違うでしょ」


 伊織は笑った。


「違うと言える根拠は?」


「どう見てもアユじゃないし! ていうかアユなら私が分かるから!」


「まじか。やるなぁ」


「雅人君、アユが分からないの!?」


「たぶん分かる……かもしれない」


「酷ッ! じゃあイワナも適当?」


 俺は自信たっぷりに「おう!」と頷いた。


「ダメじゃん! 何でも知っている雰囲気が漂い始めていたのに!」


「魚の名前なんか何だっていいんだよ! どうせ全部食うんだから!」


 ということで、俺の釣った魚は「イワナ」と名付けた。

 ついでに伊織が釣った別種の魚も「イワナ」ということにした。


 ◇


 その後も釣りは順調だった。

 川魚はスイカが気に入ったようでガンガン食いつくのだ。

 開始から1時間で10匹以上も釣れた。


 それだけの魚が一つの土器に入っている。

 当然ではあるが、もがき疲れて弱っていた。


「この辺で切り上げよう」


「だねー! 戻ったら焼いて食べよ!」


「だな。この島で初めて食う果物以外のメシだ!」


 帰り支度を始める俺たち。

 伊織が土器を持ち、俺が釣り竿と鉈を持つ。


「重くないか? 俺が土器を持ってもいいけど」


「大丈夫大丈夫! 私、雅人君より力持ちだから!」


「その言い方……さてはお姫様抱っこの一件を根に持っているな」


 彼女を抱えた時に「重ッ」と言ってしまった件だ。


「もちろん! あの発言で私の乙女心はズタボロになったから!」


「悪意はなかったんだから許してくれよー」


「どうしよっかなぁー」


 支度が済んだので帰ろうとする。

 だが、振り返ったところで俺たちは固まった。


「かわいいいいいいいいいいいいい!」


 最初に声を上げたのは伊織だ。


「ワンッ!」


 次に相手が答えた。


 俺たちの背後に子犬がいたのだ。

 白に近い灰色の体毛をしており、犬種は分からない。

 分かっているのは凜々しい顔付きで可愛いということだ。


「犬……だよな? キツネにも見えるが」


「ワンって鳴いたし犬だよ絶対!」


「それもそうか」


 子犬は涎を垂らしながら俺の足下を見ている。

 使い切れずに残ったスイカがほしいようだ。


「腹が減っていそうだな。遠慮なく食べるといい」


 俺は持っていた荷物を置き、子犬にスイカをプレゼントした。

 手で持っていると怖がられるだろうから、目の前において何歩か離れる。


「ワンッ! ワンッ!」


 子犬は嬉しそうに鳴くとスイカを食べ始めた。

 見ていて気持ちよくなる食いっぷりである。

 ただ空腹なのではなく好物だったようだ。


「可愛いー! 撫でたいなぁ」


「そっとなら大丈夫じゃないか?」


「挑戦だ!」


 伊織は土器を置き、そーっと子犬に近づいた。


「上手に食べてまちゅねぇ」


 謎の赤ん坊言葉を発しながら子犬を撫でる伊織。

 子犬は気にせずにスイカを食べ続けていた。


「賢いねぇ、この子! 全然逃げない!」


 伊織が嬉しそうに声を弾ませる。

 その時、付近の茂みがバサッと音を立てて揺れた。


「ガルァ!」


 そこから大きな犬が飛び出してくる。

 おそらく子犬の親だろう。

 怒りの形相で伊織に突っ込んでいた。


「伊織! 危ない!」


 俺は反射的に彼女を突き飛ばした。

 そして、突っ込んできた親犬のタックルを一身に受ける。


「雅人君!」


「大丈夫だ!」


 親犬が前肢を巧みに使って俺の両肩を押さえつける。


「ワォォオオオオオオオオオン!」


「――!」


 その咆哮と正面からの顔付きで気づいた。


「伊織、違うぞ!」


「何が違うの!?」


「コイツは犬じゃない!」


「え?」


「オオカミだ!」


 襲ってきたのはオオカミだった。

 俺たちが子犬と思ったのはオオカミの子供だったのだ。


「ガルルァアアアアアアア!」


 オオカミの凶悪な牙が俺の顔面を襲った。

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