012 体を拭く

「俺が……伊織の体を拭く……だと……!?」


 伊織はこちらに背を向けたまま答えた。


「いいでしょ?」


「そりゃもちろんいいけど……むしろ伊織こそ大丈夫なのか?」


「私からお願いしているんだし当然!」


「じゃ、じゃあ……!」


 ゴクリと唾を飲み込む。

 そして彼女の背中を拭こうとするが――。


「ちゃんと新しい手ぬぐいで拭いてよ?」


「おっと失礼」


 言われるまで忘れていた。

 危うく自身の垢が付いた手ぬぐいを使うところだったぜ。


 俺は小走りで家に戻り、手ぬぐいを交換する。

 それに水を含ませて準備完了だ。


「では……!」


 かつてない緊張感を抱きながら、彼女の背中に手ぬぐいを当てる。


「あーひんやりして気持ちいい!」


「それは……! 何より……!」


 俺の視線は水の滴る彼女の背中に釘付けだ。

 傷一つない美しい肌をしている。

 華奢な体つきもたまらない。


(やばい!)


 拭いているとムラムラしてきた。

 もし今、何かの拍子で彼女が振り返ったらおしまいだ。


『うわ……! 変態キモッ! 二度と近づかないで!』


 そんな風にキレられ幻滅されるだろう。

 もちろん距離を置かれ、口も利いてもらえなくなる。


(ダメだ! このままじゃ!)


 早くこの生殺しイベントを終わらせねばならない。


「うおおおおおおおおおお!」


 俺は力を込めて伊織の背中を手ぬぐいでゴシゴシ。

 しゃにむになって一心不乱に擦る、擦る、擦る。


「ちょ! 痛ッ! 痛い! 痛いってば! こら! 優しくしてよ!」


 怒られてしまった。


 ◇


 魔が差しそうなイベントを無事に乗り切った。


(この調子だと遠くない内に事故が起きるぞ……)


 改めて一刻も早く元の生活に戻りたいと思った。


 しかし、その日も救助が来ることはなく夜を迎えてしまう。

 真っ暗でやることもないため眠りに就くことにした。


「今日もご迷惑をおかけします!」


 布団に入ると、伊織は左腕に抱きついてきた。

 くっつかないと不安で眠れないと言うのだ。

 肌着越しに胸が押し当てられている。


「じゃ、また明日! 雅人君!」


「お、おう……」


 昨日と同じく、彼女はあっさり眠りの世界に旅立った。


(無防備すぎるだろ、マジで)


 当然、俺は今日も困惑していた。

 むしろ昨日よりもドキドキしているかもしれない。

 理由は俺たちの格好にあった。


 伊織は今、肌着とパンティーしか着用していない。

 その状態で木登りをする猿の如く抱きついてきている。

 左手が彼女の太ももに挟まれていた。


 対する俺はパンツ一丁だ。

 堂々たる熱帯夜のせいで暑苦しくて服を脱いでいた。

 できればパンツも脱ぎたいくらいだ。


 そんなラフ過ぎる格好でくっついている。

 興奮するなと言うのが無理な話だ。


(抑えろ俺、抑えろ……!)


 無限にも思える時間を悶々として過ごし、いつの間にか眠っていた。


 ◇


 次の日。

 窓から太陽の光が入ってきて、無人島生活の三日目が幕を開けた。


「おーい、起きろー」


 今日は伊織のほうが先に起きていた。

 頬をぷにぷに突かれて起こされる。


 彼女は既に制服を着ていた。

 ソックスも穿いて準備万端といった様子。


(あー、この角度やべぇなぁ)


 俺は仰向けのまま伊織を見た。

 彼女は俺の傍で仁王立ちしている。


 おかげで普段は見えないパンティーが見えそうだ。

 洗濯の際に見たのでどんな物を穿いているかは知っている。

 それでも深淵を覗こうとするのが男のさが――。


「雅人君……今、私のパンティーを見ようとしているでしょ?」


 ギクッ!


「ナ、ナニヲ、バカナコトヲ! ハハハ!」


 俺は電撃的な速さで起き上がった。

 危うくバレるところだったぜ。


「やっぱり雅人君も男子なんだなぁ」


「ん? それはどういう……?」


「分かってるくせに! 変態さんめ!」


 伊織はニヤニヤ笑いながら出ていった。


 ◇


 朝食後、俺たちは土器の製作を始めた。

 島での生活が長期化したことを想定しての行動だ。


「ま、こんなもんだろう」


 かつて畑だったであろう土の上で計9個の土器を焼く。

 真夏の陽射しを嘲笑うほどの炎が上がっていた。

 その近くでは引き続き狼煙が遭難信号を出し続けている。


「次は薪だね!」


「おう!」


 水分補給を済ませたら南の森に行く。

 大小様々な倒木があるので、手頃な物をもらうことにした。


「これにしよう」


 何度も交代しながらノコギリで上下をカットする。

 原木をゲットした。


「暑すぎだろ! おかしいだろ!」


「制服がもう汗でビショビショだよ!」


 倒木をカットした時点でヘトヘトだ。

 ただでさえ力仕事なのに、30度を優に上回る猛暑が堪える。


「水筒を作って正解だったな」


「だね-」


 竹の水筒で水分を補給し、原木を持ち帰った。


 ◇


 持ち帰った原木を薪割り斧でカットする――予定だった。


「薪割りは明日にしよう」


「賛成! もう力の必要な作業はしたくない!」


 俺たちの腕は悲鳴を上げていた。

 救助が来なかった場合を考えると、ここで無理をするのは禁物だ。


 二人で仲良く井戸の前に座り込んでいた。

 消費した水分を取り戻すべく井戸水を飲みまくる。

 ケツが汚れようと気にならなかった。


「クソ暑いし今日はもう大人しくしておくか」


「それでもいいけど……」


 伊織は何か言いたげだ。


「どうした?」


「釣りがしたいかも! 釣り竿を作ったんだし!」


「釣りか」


「しんどいなら無理にとは言わない!」


「いや、それは大丈夫なんだが……」


 伊織が「ん?」とこちらを見る。


「移動が過酷そうだと思ってな」


 ここから川まで、徒歩で片道2時間ほどかかる。

 釣りをするには往復4時間を歩く必要があった。


「原木の調達で1時間近く歩き回ったしねぇ」


「しかもこの暑さだ。体力が厳しいかもと思って」


「そっかぁ……なら仕方ないかな」


 伊織は肩を落とした。


「よほど川に行きたかったんだな」


「まぁね」


 俺は何杯目かも分からない水を飲むと立ち上がった。


「だったら行こうぜ」


「え?」


「川だよ」


「いいの?」


「おう! 今日を逃したら二度とできないかもしれないからな!」


 伊織は「やった!」と、両手に拳を作った。


「水筒に水を補充したら出発だ!」


「おー!」


 ◇


「熱中症になっちまうぞマジで!」


「あつぅい!」


 ムカつく暑さに文句を言いながら川に到着した。

 まずは川の水で顔を洗う。


「ぷはー! 生き返るぅ!」


「気持ちいいー!」


 頭が冷えたことで体力がグッと回復した。


「では釣りを始めるとしよう」


「安全が確認できるまで一人ずつやる? 片方は周辺の警戒でさ」


「いや、二人同時にしよう。ここでの活動に大した時間を割けないから」


「了解!」


 土器と釣り竿を川辺に置く。

 まずは釣り餌の調達だ。


「良さそうな虫がいたら教えてくれ」


「それってどんな虫?」


「ミミズだ」


「分かった!」


 手分けして釣り餌となる虫を探す。

 しかし――。


「マジで全く虫がいねぇなこの島!」


「困ったねー……」


 驚くことにミミズは一匹すらいなかった。

 蚊やハエも飛んでいないし、驚異的な虫の少なさである。

 まるで富士の樹海に来ているかのようだ。


「作業小屋も調べてみるか。もしかしたら釣り餌があるかもしらん」


 一縷の望みをかけて作業小屋を捜索する。

 しかし、釣り餌として使えそうな物は何もなかった。


「やっぱり収穫なしか」


 そうなる気はしていた。

 何かあれば昨日の内に持ち帰っていたはずだ。


「どうしよ。ダメ元で何もエサをつけずに試してみる?」


「無理だ。エサがなけりゃ魚は食いつかない」


「じゃあ諦めるしかないのかぁ」


 しょんぼりする伊織。


「それは早計だな」


「え、雅人君、何か考えがあるの?」


「もちろん」


 理想はこの場でミミズを調達することだった。

 だが、ないならないでやりようはある。

 俺はニヤリと笑った。


「虫がいないなら別のエサを使えばいいだけさ」

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