014 オオカミ

 大きく開いたオオカミの口が迫ってくる。

 しかも両肩を押さえられているので腕が動かせない。


「雅人君!」


 伊織の悲鳴が響く。

 そんな中、俺の取った行動は――。


「うおおおおおおおおおお!」


 自らを奮い立たせる咆哮。

 そして、額の少し上をオオカミに向かって激しく動かした――。

 頭突きだ。


 咄嗟の反撃だったが、これが奏功した。

 オオカミの顎にヒットしたのだ。


「キャウン!」


 情けない声を出して後方に跳ぶオオカミ。

 俺は慌てて立ち上がった。


「この!」


 伊織が鉈を持ってオオカミに突っ込もうとする。


「待て!」


 俺は慌てて彼女の背中を掴んだ。


「どうしたの雅人君!?」


「鉈はやめろ」


「なんで!?」


 俺は子犬――ではなく子供のオオカミを見た。


「子供の前で親を狩るなんて絶対にやっちゃダメだ」


 それは俺の美学に反する行為――いわばタブーだった。


「ガルルゥ……!」


 俺たちを睨みながら唸るオオカミ。

 奴が襲ってきたのは子供を守るために違いない。

 おそらく我が子を撫でる伊織を見て敵と誤解したのだろう。


「でも倒さないと私たちがやられるよ!」


「分かっている! だからどうにかせねば……!」


 このままだと伊織の言う通り俺たちがやられる。

 それは何が何でも避けねばならないことだ。


(さすがに綺麗事を言っていられる状況じゃないか)


 俺は伊織の手から鉈を取った。


「雅人君……?」


「俺が手を汚す」


 この世は弱肉強食だ。

 生きるために嫌な殺生が必要ならやるしかない。

 俺は覚悟を決めた。


「俺の後ろにいろ、伊織」


 鉈を構えてオオカミを睨む。

 こちらか突っ込んでは勝ち目がないからカウンター狙いだ。


 上手くいけば無傷で勝てる。

 そうでなくても片腕と引き換えに命は刈り取れるはずだ。


「さぁ来い!」


「ワォオオオオオオオオオオオオオオン!」


 オオカミが吠え返す。

 その時だった。


「ワンッ! ワンッ!」


 子供のオオカミが吠え始めた。

 俺ではなく親に向かって何やら言っている。


「…………」


 親オオカミは静かに子供を見ている。

 そして――。


「お? 離れていくぞ!」


 俺たちに背を向けて歩き始めた。

 臨戦態勢を解除したのだ。


「この子が私たちは敵じゃないって教えてくれたのかな?」


「きっとそうだろう」


 子供のオオカミは振り返ると、「ワンッ」と可愛く一鳴きする。

 それから俺と伊織の足に体を擦り付け、駆け足で親のもとへ向かった。


「助かった……みたいだな」


 全身の力がどっと抜けた。


 ◇


 俺たちは逃げるように川を離れた。

 酷暑の都合もあり最低限の会話で移動を優先。

 這々の体で家に戻ってきた。


「「疲れたあぁぁぁぁぁ」」


 井戸の付近に道具を置き、ひとまず家の中で寝そべる。

 汗でぐっしょりのシャツが背中に張り付いて気持ち悪い。

 しかし、それを気にするほどの余力すら残っていなかった。


「オオカミの件を別にしても川は遠すぎる」


「だねー。行きはともかく帰りがきつい!」


 俺たちの会話はそこで終わった。

 本当はもっとああだこうだ言いたいが、いかんせん暑すぎる。

 おそらく本日のピークを過ぎているのに、それでも余裕の30度オーバーだ。

 体感でそう分かるくらいに暑い。


「とりあえず魚を食うか。既に鮮度が下がり始めているだろうし」


「イワナの時間!」


 伊織が目をキラキラさせて起き上がった。

 遅れて俺も続き、二人で家を出る。

 井戸水を胃袋に流し込んだら調理の時間だ。


「食べ方は串焼きでいいよな?」


「もちろん! 川魚と言えば串焼き!」


「オーケー、下処理を開始しよう。伊織、できるか?」


「生きた魚の扱い方は分からない! それにバタバタ動かれたら怖い!」


「なら俺がやるか。俺も分からないが、まぁどうにかなるだろう」


 魚の下処理なんてどれも同じようなものだろう。

 鱗、エラ、内臓を取って体内を綺麗に洗うだけだ。


「まずはこのイワナからいこう」


 適当な魚を左手で掴む。

 既に酸欠で死にかけだから殆ど抵抗しない。

 それでも多少は動いてくるので注意が必要だ。


「おりゃ!」


 まな板の代わりとなるバナナの葉に寝かせ、錐をエラの辺りに突き刺す。


「ウナギを捌く時にそんな感じのことをするよね」と伊織。


「まさしくそれをイメージしてやってみた」


 通常、魚を捌く前は締めるものだ。

 神経締めやら活け締めやらといった言葉を聞いたことがある。

 しかし、言葉だけでそれがどういうものでどうやるかは分からない。

 だからこその錐による一刺しだ。


「伊織、工具箱を見せてくれ」


「ほい!」


「うーん、コレを使ってみるか」


 手に取ったのは大工用のヤスリだ。

 それで鱗を落とすことにした。


 先ほどから大工道具に頼っているのは包丁がないからだ。

 かといって、鉈では大きすぎてまともに捌けない。


「思ったよりいい感じだが……ウロコどころか皮も傷つけてしまったな」


「仕方ないよ!」


 俺は「そうだな」と頷き、内臓の除去に取りかかる。

 腹を切り開くのは鉈でも問題なかった。


「内臓の除去って言うのは簡単だけど、どうやったらいいんだ……」


「さぁ……」


 グロテスクな魚の体内を眺めながら頭を抱える。

 結局、分からないのでスパナを使った。

 二叉になっている先端の大きいほうを体内に入れてこそぐ。

 これが上手いことハマって綺麗に内臓を除去できた。


「おー、雅人君すごい!」


「俺も驚いている」


 滅茶苦茶な方法だがいい感じだ。

 最後に体内にこびりついた血を水で流したら完成。


「伊織は適当に串打ちをしてくれ」


 串には竹を使う。

 水筒や釣り竿を作る際に余った竹で作った。


「分かった! あ、そうだ、エラは?」


「エラ?」


「このイワナ、エラを取っていないよね?」


「忘れていたな」


 俺は鉈でイワナの顔面を切断した。


「これでいいだろう。よく分からないがエラも取れたはずだ」


「強引過ぎ! ていうか、串焼きなのに顔がないとかおかしいでしょ!」


「俺たちは料理の知識が皆無なんだ。雰囲気でいくしかねぇだろ!」


 その後も、俺は数多の工具を駆使してイワナを捌いた。

 全ての魚を「イワナ」と呼んでいるが、実際の種類は様々だ。

 本当のイワナがいるかどうかなど分からなかった。


「それでラストだ」


「了解!」


 伊織が最後の魚に竹串を打つ。

 それを土器の焼成に使っていた焚き火の傍に立たせた。


「あとは焼き上がるまで待つだけだな!」


 待っている間に必要な作業を済ませておく。


 まずは土器の水の処理。

 適当な場所に穴を掘ってそこに流した。


 それから魚臭い工具を井戸水で綺麗に洗う。

 見た目は綺麗になったが、臭いはいくらか残っていた。

 魚を捌くことの欠点は臭くなることだと学んだ。


 あとは南の森から枝や葉っぱを補充。

 それらが終わった頃、ちょうど串焼きも完成した。


「「いただきまーす!」」


 さっそく食べてみた。


「いけるぞ! このイワナ!」


「こっちのイワナも臭みがなくていい感じ!」


 大小様々なイワナは俺たちに感動をもたらした。

 調味料が皆無なので味は微妙だが、その点はさほど気にならない。


「自分で釣った魚を食うって最高だな!」


「わかるわかる!」


 俺たちは大興奮で魚を貪っていく。


「これでもっと美味しかったら文句ないのにねー」と伊織。


「やっぱり魚には塩が必要だな」


「それかレモン!」


「レモンもアリだな」


「でしょ! ちょっと離れたところに生えているし、次に魚を食べる時はレモンも持ち帰ろー!」


「賛成だ」


「ワォオオオオオオオン!」


 まるで「俺も賛成」と言わんばかりの鳴き声が響いた。

 背後からだ。

 俺たちは慌てて振り返った。


「おいおい、またかよ!」


 声の主はオオカミだった。

 川で死闘を演じたあの親オオカミだ。

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