015 解体
オオカミは柵の外側で座っていた。
単独で来たようで、子供の姿は見当たらない。
「また私たちを襲うつもり!?」
顔を真っ青にする伊織だが、俺は「違うな」と首を振った。
「そのつもりなら柵を乗り越えてきているさ」
オオカミがやってきたのは別の用件だ。
それが何か分からないが、敵意がないことは確実。
俺は内心ハラハラしながらオオカミに近づいた。
「ん?」
柵の傍まで行ったことで分かった。
オオカミの前に獣が伏せている。
「何だろ? あの動物」
伊織も近づいてくる。
「イノシシの子供? ……いや、違うな。アナグマだ」
「動かないね」
「死んでいるっぽいな」
パッと見た限り傷は見当たらない。
オオカミに咥えられて窒息死したのだろうか。
「ワンッ」
オオカミは犬のような鳴き声を発した。
威圧感はまるでなく、優しさすら感じる穏やかな声だ。
そして、アナグマの死骸をその場に残して去っていった。
「アナグマを私たちにプレゼントするつもりで来たのかな?」
「そうみたいだ」
「何でそんなことを……」
「川の一件に対するお詫びなんじゃないか、アイツなりの」
他に辻褄の合う理由が思いつかない。
「それで……どうする? いただいたプレゼントは」
伊織がアナグマを眺めながら言う。
「もらった以上は丁重に食べるとしよう」
「アナグマって食べられるの?」
「分からん……」
とりあえず柵から出てアナグマを回収。
家の傍まで持ち帰った。
「やっぱり目立った外傷はないな」
オオカミの狩猟技術に感服する。
全身をくまなくチェックしたら調理開始だ。
「とりあえずダニの駆除からだな」
「ダニ?」
「野生動物の宿命さ。この島は虫が全くいないから分からないけど、普通の野生動物は大量のダニを纏っている。それを殺さないといけない」
解体のイロハなど知らないが、おそらくこれは正しいはず。
「なるほど! でも、ダニの駆除ってどうやるの?」
「それなら分かるよ」
俺は土器に井戸水を張り、それを焚き火にかけた。
「熱湯だ!」
ダニの生命力は強いと言うが、さすがに限度があるだろう。
グツグツ煮えた熱湯にぶち込めば死ぬはず。
「そりゃ!」
土器の水が沸騰したところでアナグマを投入する。
ただでさえ暑いというのに、湯気や炎の熱気で尚更に暑い。
作業中も水分補給を欠かせなかった。
「こんなもんだろう」
2分ほど茹でた。
次は熱湯からアナグマを取り出すわけだが――。
「熱ッ! 熱すぎ! 無理無理!」
素手で掴もうとするも失敗。
工具箱にあったバールとハンマーで挟んで持ち上げた。
「がんばれー雅人君!」
後始末&応援担当の伊織から声援が飛ぶ。
「これでダニは駆除できたはずだから、次は皮を剥ぐとしよう」
言うは易しというものだ。
どうやって剥いていけばいいかは分からない。
「何事もダメ元でっと」
試しに手で剥いてみる。
すると、思ったよりもいい感じに剥けた。
「これ、普通に手でいけそうだな」
毟るようにして熱々の皮を剥いていく。
「雅人君すごい手際! 経験者みたい!」
「だよな、俺もそう思った」
熱湯のおかげなのか面白いように剥ける。
結果、全く労せずアナグマをツルツルにすることができた。
黒い毛皮に覆われていたのはクリーミーな白い肌だった。
「なんか毛皮がないと犬みたいだねー」
伊織が傍で見物している。
「ちょっと気が引けるよなぁ」
アナグマはセーフで、犬はアウト。
人間とはエゴの塊である。
そんなことを思いつつ、次の作業に移った。
いよいよ解体だ。
アナグマを仰向けにし、鉈で縦に切り開く。
胸部の辺りに刃を入れ、肛門までスーッと通した。
内臓を損傷させないよう薄い切れ込みを何度も入れる。
皮は分厚くてブニブニしていた。
「出てきたぞ!」
いよいよ臓器のお目見えだ。
とにかく白いグニョグニョで覆われている。
肉屋でホルモンとして売られているような部位だろうか。
全く分からない。
「皮もそうだけど中も真っ白なんだね」
「皮下脂肪が凄いってことかな?」
話しながらアナグマの体内に手を突っ込もうとする。
しかし、寸前のところで思いとどまった。
「どうしたの? 雅人君」
「素手で体内に手を突っ込むのは怖いな」
中の骨で擦り傷でもできようものなら大変だ。
そこからアナグマの血が入り込んでしまう。
「軍手かビニール手袋ってあったっけ?」
伊織は工具箱を漁ると首を振った。
ないようだ。
「工具に頼るか」
ここでもバールを使うことにした。
胸骨の近くに入れて、掻き出すようにして内臓を摘出。
内臓各種の下には血が溜まっていたので、処分用の穴に流しておく。
「伊織、どれがレバーとか分かる?」
「さっぱり!」
「俺もだ」
ということで、内臓は全て処分することにした。
食える場所と食えない場所の違いが分からないので仕方ない。
「分からないから肛門付近の肉も食わないでおくとして――」
残ったのは背中や胸骨周りの肉だけだ。
「――この辺の肉なら食えそうだな」
鉈を使って可食部と思しき肉を取っていく。
モンキーレンチやニッパーなど、良さげな工具を適材適所で使う。
「できた!」
想定よりも遥かに綺麗な形で解体を完遂した。
「すごい雅人君! 普通にいい感じなんじゃないのこれ!」
「もしかして俺って解体の才能があるか!?」
伊織と二人で声を弾ませる。
「あとは私に任せて雅人君は休んでいて!」
「オーケー」
伊織は今日作ったばかりの土器で井戸水を沸かした。
解体に利用した工具をその中にぶち込み、肉の調理を開始する。
熱湯消毒を済ませた鉈で細かくカットし、串に刺して焚き火で焼く。
「見事なお手並みだぜ」
「雅人君みたいな発想力はないけど、知っている作業なら負けないよ!」
俺は「頼もしい」と笑みを浮かべて眺める。
井戸が枯れそうなくらいに水を飲みまくりながら。
「焼けたよ雅人君! 食べよー!」
「うぃー」
アナグマの串焼きが完成した。
魚を食べてから数時間が経過している。
あと2時間ほどで日が暮れるだろう。
少し早めの夕食みたいなものだ。
「「いただきまーす!」」
二人してパクンッと肉を頬張る。
次の瞬間――。
「うめぇええええええええええええ!」
「んふぅうううううううううううう!」
――俺たちはぶっ飛んだ。
「なんだこれ!? 美味すぎだろ! マジか!?」
「甘くて美味しい! アナグマのお肉ってこんなに美味しいの!?」
アナグマの肉は衝撃的な美味しさだった。
その決め手になっているのは脂肪だ。
牛肉などに比べ、アナグマの肉は脂肪がてんこ盛りだった。
この脂肪が美味い。
胃もたれするようなきつさはなく、伊織の言う通り甘かった。
「どうしてアナグマ料理って流行らないんだろ?」
そう言って満面の笑みで肉を頬張る伊織。
「味よりも別の問題があるのかもなぁ。コストがかかるとか」
「なるほど」
「もしくは、ここのアナグマが特別に美味いのかも?」
「そんなことってありえるの?」
「大いにありえるよ」
俺は断言し、その理由を解説した。
「肉の味はその個体が何を食っていたかで決まるんだ」
「そうなんだ!」
「ここのアナグマは間違いなく果物を食いまくっている。その一方、虫は全く食べていないはずだ。なんたって全くいないからな」
「果物の味が染みついているってことだ!」
俺は頷いた。
「エサに柑橘類を混ぜて養殖する〈フルーツ魚〉みたいなもので、このアナグマもフルーツパワーで美味しくなった可能性がある」
伊織は「おー」と感心した後、俺に向かって微笑んだ。
「やっぱり雅人君って物知り!」
「苗字にカタカナが付いているんだぜ? 伊達じゃねぇよ!」
俺は「フハハ」と笑う。
そんなこんなで楽しい食事の時間が終了。
後片付けやら何やら作業をしているとすぐに日が暮れた。
その頃になると、食事中の笑顔は消えていた。
「雅人君……」
「ああ、残念だがダメだったな」
家の前に並んで立ち、沈みゆく夕日を眺める。
結局、この日も救助隊がやってくることはなかった。
俺たちの定めたタイムリミットが、無常にも過ぎようとしていた。
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