031 脱出の始まり
海に出てすぐは二人でパドルを漕いだ。
イカダの両サイドに立ち、「いち、にー」の掛け声で水を掻く。
少しすると中断し、振り返って島の位置を確認した。
「大して意識しなくても真っ直ぐ北に進んでいるな」
「よく言えば島での生活によって阿吽の呼吸を身に着けたとも言えるけど……」
「悪く言えば?」
俺が尋ねると、伊織はニヤリと笑った。
「雅人君と私の力が一緒くらいしかないってことでしょ!」
「ぐっ、否定できない……! 情けないが仕方ない……!」
それからは交代しながら一人で漕ぐことにした。
まずは俺から。
「やはり一人だとスピードが落ちるな」
「だねー」
伊織はイカダに寝そべり、上半身を屋根の下に入れて暑さを逃れている。
その体勢で土器に手を伸ばし、ドライフルーツを摘まんでいた。
いいくつろぎっぷりだ。
「海上ということもあって正確なスピードを知る由もないが、俺の体感じゃ時速5キロは絶対に出ていない。真っ直ぐ北に進めたとしても10時間じゃ到着できないな」
しばらく漕ぐ、振り返って島の位置を確認する。
ついでに伊織の太ももを拝んで精神力を回復。
その繰り返しで進んでいく。
「寝転んでいると進んでいるのかさえ分からないよー!」
「その点は安心していいぜ、島が見えなくなりつつある」
「え、ほんと!?」
伊織は起き上がり、後方に目を向けた。
「本当だー! もう殆ど見えないじゃん!」
「もし時速5キロで進めているなら、島は既に消えているはずだ」
海上から見える距離は約5キロ。
そして、俺たちは既に1時間以上も海にいる。
このことから、イカダの速度は時速5キロ未満だと推測できた。
「よーし、私が距離を稼ごう! 交代だ雅人君!」
「頼むぜ」
自信のパドルを持ってイカダの先端中央に立つ伊織。
俺は屋根の下で体を横にした。
先ほどまで伊織がそうしていたように。
(思ったより暑さを凌げるな)
屋根を付けたのは正解だった。
布のガードを挟むことで暑さがかなりマシになる。
といっても、相変わらずの猛暑なので苦しいことには変わりない。
「えいやー! ふんがー! だーぼー!」
謎の雄叫びが聞こえる。
伊織だ。
「なんだその声は……」
「力を高めているの! 二階堂伊織、ただいま全力爆走中!」
「ああ、そう……」
たくさん過ごしてきたから分かる。
伊織はしばしば頭がおかしくなってしまうのだ。
そうやって鬱憤ゲージを解放しているのだろう。
格好良く言えば彼女なりのアンガーマネジメントである。
(こういう時はそっとしておくほうがいいんだよな)
奇声を発する伊織を無視して、俺はドライフルーツをパクパク。
それから水分を補給し、工具箱を開けた。
箱の中に工具は入っていない。
代わりに入っているのは折りたたんだ貫頭衣。
あとスマホだ。
(まだ繋がらずか)
相変わらずの圏外だ。
少しでも電波が入れば救助を要請できるのに。
「どうだったー?」
伊織がこちらに背を向けたまま尋ねてくる。
俺がスマホを弄っているのに気づいていたようだ。
「ダメだな。電波なし、無事圏外」
「無事じゃないし!」
あはは、と笑う伊織。
「そろそろ変わるか?」
「んーん、だってまだ20分くらいしか漕いでいないでしょ?」
「そうなのかな」
「時間を行ってくれたら分かるよ」
俺はスマホを確認した。
「今は11時24分だ」
「なら私は24分しか漕いでいないね。全然ダメ!」
「11時ちょうどから漕ぎ始めたのか」
「うん。海に出たのが10時ちょうどで、最初に2人で濃いだのが10分。そこから雅人君が一人で50分漕いで、11時ぴったりに私が交代したの」
「よく見ているなー」
伊織は「ふっふっふ」と笑う。
「そんなわけであと25分は私が漕ぐ! ほわっちゃー! うりゃー!」
全力でパドルを漕ぐ伊織。
もはや漕ぐというより振り回している。
右に左にと交互に漕ぎまくりだ。
(そろそろ見えなくなっている頃かな?)
伊織の後ろに立ち、島の様子を確認。
もはや殆ど分からないレベルまで離れていた。
島があると知らなければ気づかないだろう。
(1時間30分で約5キロか)
時速換算すると約3.3km/hになる。
最初の10分を二人がかりで漕いでもそれだ。
常に片方だけが漕いでいるなら時速3.2キロってところか。
(到着まで最短で16時間はかかると見たほうがいいな)
俺たちが島を発ったのは10時。
つまり16時間後は26時――深夜2時になる。
(これは……まずいな)
16時間後に到着している可能性はまずない。
夜になるからだ。
夏場といえど明るいのは20時まで。
そこから一気に暗くなり、21時には真っ暗だ。
なので、21~26時は暗闇の中を航行することになる。
何も見えない中、的確に北へ進めるだろうか。
非常に難しい。
それに肉体の疲労も相当だろう。
今と同じ速度を維持できているとは考えられない。
(いや、待てよ)
スマホを見ていて閃いた。
(肉体の疲労に抗うのは難しいが……)
暗闇の中、迷わず北に進む方法ならある。
スマホのコンパスアプリだ。
確かめるべくアプリを起動した。
驚くことに正しく北を指している。
「お?」
一度終了させてもう一度起動する。
今度は南を指していた。
やはりガバガバクソアプリである。
しかし問題ない。
このアプリが北を「南」と言おうが関係ないのだ。
大事なのは、このアプリが角度を認識するかどうか。
試しに俺はスマホの向きを東に向けた。
すると、アプリのコンパスは西に傾いていく。
(やっぱり! コイツ、方角のズレは認識しているんだ!)
東西南北の表示がおかしいだけで、コンパス自体は機能している。
であれば、このアプリを使えば暗闇でも前に進めるはずだ。
暗くなってきたところで起動し、アプリを見ながら針路を調整すればいい。
「伊織、暗闇の中を進む画期的な……」
話している最中に、俺の言葉は止まった。
「雅人君……!」
伊織は前方を見ながら声を詰まらせる。
その顔は青く染まっていた。
「分かっている。まずいぞ……!」
前方に暗雲が立ちこめていたのだ。
空を覆い尽くすほどの分厚い雲が。
そして、その下に俺たちが差し掛かった時――。
パラパラ、パラパラ。
パラパラ、パラパラ。
――上空から水滴が降ってきた。
「「雨だ!」」
何だかんだで順調だった島からの脱出が、一気に絶望へ転じた。
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