029 イカダ
日が変わって無人島生活9日目。
いよいよ脱出の要となるイカダを造る時がやってきた。
「いっぱい持ってきたねー!」
「取りに戻るのが面倒だからな!」
朝食後、俺たちは北の海に来ていた。
先日造った荷車の試運転も兼ねて色々と持ち込んだ。
工具箱、大量の水筒、そして、白骨化した二人組の衣類。
結局、遺体の服は今日まで着ていなかった。
ちなみに今日の服装は貫頭衣だ。
昨日と違って半日足らずでは乾ききらなかった。
「では作業開始だ」
まずはイカダに必要な木材を調達する。
北の森に入り、適当な木をノコギリで伐採していった。
「不思議だよね」
軽快にノコギリを扱う俺を見ながら伊織が呟いた。
「何がだ?」
「雅人君のノコギリ技術、最初に比べて成長が著しいでしょ?」
「そうだな。明らかに伐採速度が向上している」
「それが不思議だなって。ノコギリって使い方は簡単じゃん? 刃を木に当てて前後にギコギコするだけ。そこに技術もへったくれもないと思えるのに、実際に歴然とした差がある」
「言われてみればたしかに」
技術の向上により、伐採速度だけでなく疲労度も改善されていた。
最初は一本の木を切るだけでヘトヘトで、腕が悲鳴を上げていたものだ。
それが今では休むことなく二本目、三本目と作業を進められる。
「大人になったら林業に従事するか。俺はノコギリ職人・一ノ瀬雅人だ!」
「周りは電動のチェーンソーを使うと思うよ。雅人君だけ手作業で伐採するの?」
「よし、林業はやめよう!」
「あはは」
木の伐採及び原木のカットが終了する。
大きさの似た三本の木によって、イカダに必要な木材が集まった。
「次は丸太を縄で縛る工程だな」
砂浜に並べられた丸太を眺めて呟く。
「縄なら用意済みだよー!」
そう言って伊織が持ってきたのは
三本の蔓を三つ編みの要領で束ねて強度を増したもの。
「縛っていくか!」
「縛り方はどうすればいいかな? 蝶々結び?」
「巻き結びのほうがいいんじゃないか」
「巻き結びって?」
「二つの輪を作る結び方だよ。結ぶのも解くのも簡単で強度もそこそこだ」
「じゃあそれにしよう! 結び方を教えてよ!」
「オッケー」
巻き結びと言いつつ、今回は二重巻き結びを行った。
強度をより高めるものだ。
「こうかな?」
「そうそう、いい感じだ。流石は優等生」
「伊達にテストの成績でクラス1位じゃないんですよ私!」
伊織はあっという間に巻き結びをマスターした。
「ありゃ? もう縄が尽きた? 全く足りなかったね、ごめん」
「問題ない。一緒に蔓の調達に行こう」
「うん!」
水筒の水をガバガバ飲みながら森に入る。
お互いが見える距離を維持しつつ、適度に分かれて作業を行う。
「ライオンがいなくなってから驚くほど静かだよねー、この森」
「だなー。完全にあのライオンたちが支配していたようだ」
北の森は今や南の森と大差ない平和な場所だ。
小動物たちが好き放題に過ごしていて、争いは起きていない。
「島がそれほど大きくないからだと思うが、猛獣の数自体は少ないよなぁ」
俺たちの知る限り、この島で危険なのは東部くらいだ。
森にはオオカミ、湖にはカバが生息している。
「そういや伊織、知ってるか? カバってイメージほど遅くないんだぜ」
「そうなの?」
「むしろクソ速い」
「ほんとに!?」
「陸での最高速度は時速40kmに迫り、水中ではもっと速いんだ」
「速ッ! 動物園だとのんびりしているのに……!」
「しかも縄張り意識が強くて好戦的だからなぁ」
「湖で襲われなくてよかったよね」
「同感だ」
島での日々が脳裏によぎる。
脱出の時がすぐ傍まで迫っているからだろう。
「蔓はこんなもんでいいだろう。戻って作業再開だ」
「おー!」
俺たちは海に向かった。
◇
その後も海と森を往来し、イカダの製作を進めた。
体内時計の針がスイスイ動き、太陽も東から西へ向かっていく。
そして――。
「完成だ!」
「やったー!」
俺たちはイカダを造り上げた。
「なかなかいい感じじゃないか?」
「なかなかどころかすごくいい感じだよ!」
二人でイカダを眺める。
何も知らない俺たちなりに工夫を凝らした代物だ。
お気に入りポイントは甲板。
丸太の上に木の板を這わせ、釘を打ち付けて固定した。
これにより、たとえ紐が切れても板が丸太の分解を阻止するはず。
また、木の板は
他にも日陰を作ることに成功した。
イカダ後方の両端から中央に向かって太い枝を掛け、交差点を紐で固定。
これをいくつか作って骨組みとし、そこに布を被せて簡素な屋根にした。
ここで使った布というのが、白骨化した遺体より剥ぎ取った衣類一式だ。
「そういえば帆は作らなくていいの?」
伊織が尋ねてくる。
「必要ない……というか、逆効果になりえるからあえて付けなかった」
「そうなの? なんで?」
「追い風に煽られて加速してくれる分にはいいが、逆風で押し返されたら対処できない」
「あー」と納得する伊織。
「逆風の中でも帆船を進めるにはセーリングの技術と知識が必要だけど、残念ながら物知り雅人君と呼ばれる俺でも知らないことだ」
「物知り伊織ちゃんと呼ばれる私も知らない!」
「……そんな風に呼ばれているなんて初耳だが?」
「聞こえませーん!」
俺たちは茜色の空に向かって笑い合った。
◇
イカダの完成を祝すより先に、俺たちは家に戻った。
ヒィヒィ言いながら荷車を押して、日が沈んだ後に到着した。
「雅人君、海辺にイカダを置いてきて本当によかったの?」
伊織がこちらに背中を向けて話す。
俺は濡れた手ぬぐいで彼女の背中を拭きながら答えた。
「決してよかったとは言えないが、他に選択肢がないからなぁ。ゲームみたいに重さを気にしないでいいならイカダも持ち帰ってくるけどさ」
イカダは荷車よりも大きく、重さも相当なものだ。
家まで持ち帰って保管するのは厳しかった。
だから、わざわざ海辺で組み立てたのだ。
「これで今日の夜に嵐がやってきたら最悪だよね。この前みたいな」
「その時は悲しいが作り直しだな」
首と背中を拭き終え、続いて尻を拭く。
もはやムラムラのムの字もなく冷静だった。
それどころか――。
(この生尻にかぶりついたら面白いことになりそうだなぁ)
などとアホみたいなことを考えている。
改めて思った。
慣れとは怖いものだ。
「はい、次は雅人君の番ね!」
俺は「おう」と体を反転。
伊織が俺の背中を拭き始めた。
「ついに明日なんだねー」
「不安か?」
「そりゃ少しはね。でも雅人君が一緒だから大丈夫!」
背中を拭き終えると、伊織は俺の両肩を掴んだ。
そしてクルリンと回転させて自分のほうに向ける。
「ん? まだ尻が――」
話している最中、俺の唇が塞がれた。
伊織がキスしてきたのだ。
「えへへ」
恥ずかしそうに頬を赤らめる伊織。
「なっ……!」
言葉が出ずに固まる俺。
「アレだよ、アレ」
もじもじしながら何やら言おうとする伊織。
いつもなら「ドレだ?」と言うが、今回は黙って聞いた。
「このキスは、その、失敗した時に悔いが残らないようにするため、とか、そんなんじゃないからね?」
「じゃあ、どういう……?」
「お、お礼!」
「お礼?」
伊織は真っ赤な顔でコクリと頷いた。
「この島で、私を守ってくれたお礼。たくさん守ってくれて、色々教えてくれ、ここまで引っ張ってくれて、そういう、アレだよ! アレ!」
「お礼?」
「そう! お礼! だから気にしないで!」
伊織は「じゃあおやすみ!」と家に消えていった。
「お礼か……」
俺は右の人差し指で唇を撫でる。
彼女の唇の感触が未だに残っていた。
(こりゃますます失敗させられなくなったな)
プラネタリウムの如き満天の星を眺めながら、俺は覚悟を強めた。
いよいよ明日、俺たちは島を発つ。
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