俺のクララだ。だから――
冬の訪れを感じ始めた、とある朝。いつものようにクララと朝食を摂っていたときのことだ。
「あの、ジェド様」
言いにくそうな顔をして、クララが話しかけてきた。
「どうした?」
「あの。ちょっと信じがたい話なのですけれど。……育っちゃいました」
「何が?」
俺が首を傾げていると、
「ヒールトーチ。育っちゃいました」
と、クララが続けた。
「ヒールトーチ?」
俺は、夏に起きたばかりのマグラス家のヒールトーチ事件のことを思い出して顔を曇らせた――ヒールトーチの栽培方法をクララが秘匿していると勘違いしたマグラス伯爵が、クララを監禁した、あの事件だ。
クララも同じことを思い出しているようで、なんとも苦い顔をしている。
「ヒールトーチが育った?」
「はい。私の畑に」
「君の畑に、って……育つわけないじゃないか。ここは王都だぞ」
高山植物のヒールトーチは、北の山岳地帯のみでしか育たないはずの植物だ。綿毛の付いた種が風に運ばれて飛んでくることはあっても、このあたりでは決して発芽しない。……はずだ。
「私も目を疑ったんですが。金色の双葉が出ているので、ヒールトーチで間違いないと思います。なんとなく種を植えてみたんですけど、まさか芽が出てくるなんて」
「なんとなくって。そもそも種なんて、どこで手に入れたんだ?」
「ジェド様と一緒に、春にヒールトーチの空渡りを見ましたよね。たまたま綿毛が私の髪に付いて、ジェド様が教えてくれたでしょう? あの綿毛、思い出深くて大事にとっておいたんです。……でも、種って植えるものでしょう? しまいっぱなしでは申し訳ない気がしたので、なんとなく植えてみたんですが。……まさか、発芽するなんて」
クララと一緒に、畑を見に行くことにした。
たしかに畑にひとつだけ、ちょこんと小さな双葉が出ている。植物のくせに金色に輝くそれは、まさしく……。
「ヒールトーチだな、これは」
「ですよね」
双葉を囲んでしゃがみ込み、俺とクララはじっと双葉を見つめていた。
(本来なら王都で芽吹くはずのないヒールトーチが、クララの手で育てたら生えてきた……これは間違いなく、クララの『調律魔法』の影響だな)
そう思うと、俺は少し気が重くなった。
調律魔法が種に秘められた生命力を引き出し、この地で育たないはずの種を発芽させたに違いない。クララが国内四人目の『調律師』であることを証明する、重大な証拠となってしまう。
(……マグラス家でヒールトーチが育っていたのも、決して偶然なんかじゃない。間違いなく、クララの調律魔法だ)
マグラス伯爵がクララを脅迫した件については、すべて『伯爵の勘違い』ということで片付けられているが……。実際には、クララの調律魔法が関与していたのは疑うべくもない。
(魔法庁の検査を受けた訳ではないから、まだ確定ではないが……。実際のところ、クララは間違いなく調律師だ。俺の体調が完全回復したのも、クララのお陰に他ならないからな)
誇らしいことである反面、できれば伏せたい事実でもある。
クララが調律師だということが明らかになれば、貴重な人材として宮廷や魔法庁に招集される可能性もあるからだ。……この穏やかな日常が、奪われてしまうかもしれない。
そう思うと、腹の中を内側から引っ掻かれるような焦燥感が込み上げてくる。
俺が暗い気持ちに飲み込まれていると、
「そういえば、子供の頃もヒールトーチを植えたら、発芽したんですよ? 偶然って、意外と重なるものなんですね」
と、ぽかんとした顔でクララが言った。
「……偶然?」
「えぇ」
当然のように、クララは頷いている。……まさかクララは、『自分がヒールトーチを発芽させた』のだと、まだ気づいてないのか?
クララがマグラス家にいたときには順調に株を増やしていたヒールトーチは、クララの嫁入り後に枯れてしまった。その件を未だに……ただの偶然だと思っているのか??
(ちょっと天然すぎだろ……)
俺はさすがに、驚いていた。
「クララ。……君が、」
君が調律魔法を使って、マグラス家のヒールトーチを咲かせていたんだ――と告げようとしたが、やはり言わないことにした。
クララが、妙なところで実家に対して負い目を感じてしまっては、かわいそうだと思ったからだ。
「なんですか、ジェド様?」
「いや。……このヒールトーチ、鉢植えにして俺の部屋で育てたいんだが」
クララが俺との日々を望んでくれるなら、彼女が調律師であることは今後も伏せておきたい――。この
そんな気持ちで、俺はクララに提案していた。
「ええ。日当たりのよい窓辺に置けば、鉢植えにしても大丈夫だと思います」
「クララが面倒をみてくれれば、きっと枯れずに育つ気がする。……定期的に世話をしてくれるか?」
「私でよければ、よろこんで」
幸せそうに笑いながら、彼女は手際よくヒールトーチの鉢植えを作ってくれた。鉢植えを受け取りながら、俺はぼんやりと思った。
(……いつか、クララが調律師であることが、世間に知られてしまうだろうか?)
調律師は、とても希少な魔法使いだ。しかも、植物に調律魔法を賦与できるタイプの調律師というのは、歴史上にも類を見ない。
……たとえば、の話だが。
永く平和が続いているウェルデア王国が、もし何かしらの国難に見舞われたとき。クララの調律魔法が、人々を救うかもしれない。
もしそんな事態になったら、さすがに俺がクララを独り占めして良い訳がない。
それに、心優しくて献身的なクララのことだ。自分の力が誰かの役に立つと知れば、自分を犠牲にしてでも人々を救おうとするに違いない――。
「? どうしたんですか、ジェド様。深刻そうなお顔をしちゃって」
「……いや。なんでもない」
俺は深刻な考えを、頭の中から追い出した。
大丈夫。この国はとても平和だ。温暖な気候に恵まれ、深刻な危機に見舞われたことなどここ数十年ない。
俺は鉢植えをそっと地に置き、クララの肩を抱き寄せた。
「……ジェド様?」
――そうだ。いつかもし調律師だと世間に知られても、何も恐れることはない。夫として俺がクララを支え、隣に居続ければ良いんだ。
「クララ。ずっと君の隣にいたい」
驚いた様子でクララは目をぱちぱちしていたが、やがて優しい笑みを浮かべた。
「私もです。ずっとジェド様と一緒にいます。あなたが立派な辺境伯になったときも、その先も。ずっと隣に居させてくださいね」
俺たちは、互いを見つめて笑いあった。
――俺のクララだ。だからいつでも、俺が支える。
※※※
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