【4*】旦那様より猫にときめきます…!
ジェド様との結婚を決めた日の夜――家族四人がダイニングで夕食をとっていたときのこと。弟は私が結婚すると聴いて、真っ青な顔で声を張り上げた。
「はぁっ!? クララ姉さんが猫の飼い主と結婚することになった――!?」
弟のウィリアムとは対照的に、父はワインを飲みつつ上機嫌だ。
「いやぁ、レナス家の跡取りが変人で本当に助かった! まさか不良債権みたいなクララを嫁に欲しいとはなぁ! 世の中には変わった趣味の男もいるものだ」
ダイニングの席は四つ。父と妹、弟、あとは私だ。
ちなみに、マグラス家には夫人がいない。最初の夫人であった私の母は、十九年前に病死。二番目の夫人は不倫の末に、十年前に家出してしまった。以来、父は特定の女性を妻に迎えようとはせず、自由恋愛を楽しんでいるようだ。なんでも、他家との交流を深めるには独身の方が身軽でいいとか何とか……。興味の湧かない話題なので、深堀りしないことにしている。
「この縁談は我がマグラス家にとって、
『古来派』というのは、このウェルデア王国の建国を支えた最上位の貴族たちのこと。そして古来派の中でも、とくにレナス辺境伯家は強力な魔法を使いこなす一族として有名だ。
「笑い事じゃないだろ、父さん! レナス家と言ったら、あの悪名高い『魔境伯』じゃないか! そんな家にクララ姉さんを嫁がせるなんて……!」
レナス辺境伯家は、陰では『魔境伯』とも呼ばれている――領地に危険な魔物が頻発する、いわゆる『魔境』を統治する家柄だからだ。
レナス辺境伯家は西の古代林と接しているため、古代林から湧いた魔物が領地によく侵入してくるそうだ。土壌や大気中の魔力濃度も高く、濃厚な魔力を浴びて暮らしているためか、領民にも魔法を使える家系の者が多いらしい。
「クララよ、お前には『未来の辺境伯夫人』として頑張ってもらわねばならん! あのジェドとかいう若造が死んだら、お前がレナス家の実権を握ることになるんだからな! お前がしっかりやれば、おのずと
――ジェド様が死ぬ?
いきなり不穏なことを言われて、私はびっくりしてしまった。
「お父様、ジェド様が長く生きないというのは……?」
「レナス辺境伯家の男は病気がちで、短命なことで有名だ。現当主のラパード・レナスだけは例外的に高齢で七〇歳を超えているが、それ以外の当主は全員早死にしている。だからレナス家は『呪われ辺境伯家』とも揶揄されていてな。ジェド・レナスも明らかに病弱だから、長生きできないだろう。あの男が死ぬ前に、きちんと後継ぎを作っておくんだぞ?」
「…………」
私の顔から血の気が引いていた。まさか、ジェド様が短命だなんて……。
「父さん! そんな男のもとにクララ姉さんを嫁がせるなんて僕は反対だ! 今からでも破談に――」
「何を言うウィリアム。これは当家が成り上がる一大チャンスなのだぞ!」
言い合う父と弟の声を遠くに聞きながら、私はジェド様のことを考えていた。
「私、ジェド様に何かしてあげられないかしら……」
契約結婚とはいえ、夫になる人だ。健やかに暮らしてほしいし、私にできることがあるなら、喜んでお役に立ちたい。
妻となる私が、出来ることは何だろう……?
「おほほほほ! せいぜい介護でもしてあげなさいな。雑草の世話をするのがお上手なクララお姉様だもの、旦那様の面倒を見るのも、似たようなものでしょう?」
イザベラの不謹慎な言葉に、私は思わず眉をひそめた。……植物にもジェド様にも失礼だ。
「ぴったりのお相手が見つかって、本当に良かったわねぇ? 魔物だらけのド田舎で、せいぜい頑張ってちょうだいね。クララお姉様のくせに美男子の妻になろうとするから、バチが当たったのよ? ざまぁ見なさい!」
なにが『ざまぁ見なさい』なのかよく分からないので、私は小さく首を傾げていた。……どうやらイザベラは、私の結婚相手が絶世の美貌の持ち主だから悔しがっているらしい。
ジェド様が屋敷を去るときに顔を見て以来、イザベラは「あんな美男子がお姉様のお相手だなんて、おかしいわ! わたくしの方が絶対お似合いなのに!!」などと怒り狂っていた。『女伯爵になんてならなくていいから、妻の座を譲りなさい』とイザベラに迫られたけれど、今回ばかりは断固拒否した……。
ずっと悔しがっていたイザベラだけれど、ジェド様が短命かもしれないと聞いて溜飲が下がったらしい。私を見て、繰り返し「ざまぁ、ざまぁ」と騒ぎ続けている。
イザベラの態度が目に余ったので、少しだけ意見することにした。
「イザベラ。人の命について軽はずみなことを言うのはやめなさい。あなたは今後、お父様の跡を継いで女伯爵になるのでしょう? 領民の命を預かる立場として、今の言動は不適切です」
「なっ……!」
普段まったく言い返さない私が苦言を呈したのが、イザベラには意外だったらしい。艶やかな美貌を歪ませ、真っ赤な顔でわなわなしている。イザベラの隣席にいる弟のウィリアムが、なぜか私を見つめて目をキラキラさせていた。
「さすがクララ姉さん、言うときは言うんだね! やっぱりマグラス家の次期当主には、イザベラ姉さんじゃなくてクララ姉さんのほうが良いよ! だから父さん、レナス家との縁談なんて、今すぐ破棄し……」
「黙れウィリアム。クララも生意気を言うんじゃない」
ぴしゃり。と父が遮った。
「当家の跡取りはイザベラだ。そしてクララはレナス家に嫁がせる。決定権は私にあるのだ、誰にも口を出させんぞ!」
ウィリアムは悔しそうな顔でうつむいていた。その日の夕食はなんとなく気まずい空気のまま、会話が途絶えたまま終わってしまった。
*
「呪われ辺境伯家……。ジェド様が、短命……」
その夜。
なかなか寝付けずベッドから出た私は、ろうそくを付けて引き出しの中から一枚の書類を取り出した。その書類は、ジェド様と取り交わした『婚前契約書』――結婚すると決めた後、父が席を外したときに作成した書類である。
婚前契約書には、結婚の諸条件が記載してある。
契約期間は、ひとまず三年ということになった。その後は適宜更新という形で、もし
「どう転んでも、私にとっては好条件の契約だわ。……でもジェド様は、本当に私でよかったのかしら」
ジェド様は、今どんなふうに過ごしているのだろう。しっかり眠れているといいけれど……具合が悪そうだったのが気になる。
そういえば、屋敷から出て馬車に乗り込むときも、ちょっと足取りが危なかった。やっぱり深刻な病気なのかもしれない。
彼は「婚約破棄された」とボヤいていたけれど……ひょっとすると、彼の性格に問題があるからではなく、病気が理由だったりするのだろうか。そうだとすると、とても不憫だ。
「元気に長生きしてほしいな……」
ジェド様の姿を思い描いていたら、不意に猫ちゃんの姿が重なった。あの仔猫も、なんだか具合が悪そうだった。飼い主もペットも具合が悪いなんて……『呪われ辺境伯家』と呼ばれるのも、なんだかしっくりきてしまう。
「猫ちゃん……元気かしら」
そういえば、レナス家に嫁げばあの子にまた会えるんだわ。これからは毎日、あの子と一緒にいられるかもしれない。そう考えた瞬間に、胸が締め付けられるような甘酸っぱい気持ちになった。
「……ヘンなの。私、猫ちゃんにときめいてる……?」
ジェド様を見ても「きれいだなぁ」と思う程度だったけど、あの仔猫を思うと胸がキュンとする。やっぱり私は、かなり変人の部類に入る人間なのかもしれない。
レナス家の領地が『魔境』だと聞いても、たいして怖いとは思わなかったし。むしろ、魔境ってどんな野菜が取れるのかしら――と興味が湧いたくらいだ。
ジェド様の病状のことは、今後しっかり向き合っていくとして……。なにはともあれ、これからの生活がちょっぴり楽しみな私であった。
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